日付 2012年04月19日
参加者 うぐいす、関サバ子、紙魚、ajian、みっけ、レンゲ、ルパン、きゃべつ、プルメリア、アカシア
テーマ 幼年童話

読んだ本:

『クリーニングのももやまです 』
蜂飼耳/著 菊池恭子/絵   理論社   2011.11

版元語録:川のほとりにたつももやまさんのクリーニング店。どんなおきゃくさんの、どんなものでも、心をこめて、ていねいに仕上げます。ところがある日…。


『レッツとネコさん(レッツのふみだい) 』
ひこ・田中/著 ヨシタケシンスケ/絵   そうえん社   2010.07

版元語録:レッツは5さい。5さいのレッツが、3さいのころを思い出す。それは、むかしむかし、おーむかし。ひこ・田中、初めての幼年童話。



『赤ちゃんおばけベロンカ 』
クリスティーネ・ネストリンガー/作 若松宣子/訳    偕成社   2011.08
DIE SACHE MIT DEM GRuSELWUSEL by Christine Nöstlinger & Franziska Biermann, 2009
版元語録:こわがりやの男の子ヨッシーが妹のミッツィをこわがらせようと作ったおばけの人形。それがひょんなことから突然動き出して……。


『クリーニングのももやまです』

蜂飼耳/著 菊池恭子/絵
理論社
2011.11

うぐいす:ももやまさんというクリーニング屋さんにちょっと変わったお客さんたちがやってくるという物語です。安房直子風の不思議な感じがあるのかな、と思って読みましたが、はっとするところも、ぞくっとするところもないし、ふふっと笑えるところもありませんでした。人間ではないお客さんたちの様子がおもしろいわけですが、どこか腑に落ちないところがあるんですね。「おじぞうさん」ではおじぞうさんが3人出てくるけど、ぼうずの次がおじさんで、3人目はただ「ほっそりしたおじぞうさん」という見かけだけしか書いてないので、何なのかよくわかりません。「いえで」では、金色と銀色のとげとげの丸いものが出てきて、これがお客の無口さんのよろこびとかなしみだという。この話にだけ観念的なものがでてきて、違和感がありました。「緑色のシャツ」では、どうしてあおむしが、預けた女の子がこのシャツを取りに来ることはありません、というのかよくわかりません。
 ちょっと不思議な雰囲気は伝わってくるんだけど、どの話にも「何で?」と思うところがあって、すっきりしないお話でした。ももやまさん自身も、絵があるから感じがつかめるとはいえ、文章からはどういう人かあまり書かれていません。ももやまさんという名前には雰囲気があるけど、それだけです。お客さんとのやりとりや仕事ぶりから、もっと人となりが浮かび上がってくるとよかったのにと思いました。

みっけ:子どもたちが日常の中でごく普通に出会っている物や事柄が、ほんとうはちょっと不思議な面を持っていて……というタイプの物語なんだな、と思って読み始めました。なんの変哲もない洗濯屋さんに、不思議なお客が来るというのは、わくわくする感じでいいなと思ったんですが、「いえで」という作品は、きわめて観念的だなあと思いました。小学生の子に「よろこび」とか「かなしみ」っていって、何が伝わるかしら。小さい子には、そういう抽象的な概念でなく、もっと具体的なものでないとぴんと来ないんじゃないかな、と思いました。それと、「みどりのシャツ」は、私もよくわからなくって、要するに、緑のシャツを虫が食べて、変身してすてきな蝶になったというんだけれど、これってクリーニングに出さなくてはならないという必然性がないですよね。トラが毛皮を預けに来る話は、毛皮を取ったあとのトラを生々しく想像しなければ、全体としてはほんわかしていていい感じだと思ったのですが……。いちばん引っかかったのが、最後の人魚のところです。これは、今おっしゃったように、ももやまさんがどんな人かが伝わってないからなのかもしれませんが、まず、ももやまさんがもやもやする理由がこちらにはわからない。それでいて、人魚の尻尾というお客さんから預かったものを自分で使って、店も休業しちゃうという、かなり激しい動きに出る。そのつながりがよくわからないなあと思って、かなりひっかかりました。これを子どもが読んで、納得するのかなって。

関サバ子:魅力的なタイトルだな、と思ってわくわくしながら読みはじめました。しかし、がっかりだったのが、せっかくクリーニング屋さんを舞台にしているのに、クリーニング屋さんならではの日常やディテールがぜんぜん描かれていないところです。そのために、物語全体に力がなく、地に足がついていない感覚を受けました。また、おじぞうさんの話で、ももやまさんが「おじぞうさんはどうしてこんなににてるんだろう」という点にフォーカスしているのがピントはずれで、お話の中での狙いがわかりませんでした。「いえで」は観念的すぎる上に、丸くてちっちゃいものが、どうやってカップからココアを飲めるんだろう、という点にひっかかりました。小さなことですが、そういうところが雑なのは、お話の世界から放り出されるようで、とても気になります。また、最後の人魚のお話も、お客さんから預かったものを勝手に身につけるの!? と大いにひっかかりました。ひれをつけて歩きにくい、と描写されているのに、そのすぐあとにもう水に入っている、というのも雑だと感じました。
お話全体から受けるものとしては、帯に、「おとなになってもいつもとちがうなにかを探している」とあったり、お店を休む張り紙に「考えたいことがあるので」とあったりで、要は自分さがしの話なのかと、愕然としました。ももやまさんの仕事は、毎日ほぼ同じことをやる仕事です。小さな世界で暮らしています。それをつまらないものと伝えてしまっているようで、この本を本当に子どもに渡していいのか、強く疑問に感じました。

レンゲ:私はけっこうおもしろく読みました。『車のいろは空のいろ』(あまんきみこ著 ポプラ社)のタクシーの運転手さんや、『ねこじゃらしの野原』(安房直子著 講談社)の豆腐屋さんのイメージと重なって。たしかに、そう言われれば納得がいかないというところもありましたが、ところどころに美しい文章があるのがいいなあと思いました。たとえば、p55「川が町のあかりをうつして、ちらちら光ります。赤、青、緑。いろいろな色が、水の上でおどります」とか、p58「ふと、空を見あげると、ちょうど森の上のあたりに、月がのぼりかけていました。まるで、森からうまれるみたいに」とか。

ルパン:言いたいことをほとんど言われてしまった感じですが(笑)。テイストとしては、いい感じで読み始め、期待したのにな、と……。あと、トラのところなんですけど、トラが焼き肉をするんですよね。なんの肉なんだろうって思いました。トラがクリーニング店を利用するなら、ほかの動物も「ももやまさん」のお客さんかもしれないから、なんだか気になっちゃいました。もしかしたら「ももやまさん」のお得意さんを焼肉にしてるかも、なんて。そして、やっぱり最後ですよね。人魚はどうなっちゃうのか、心配で。しっぽを返してもらえないまま、ずっとタイヤにつかまって漂流し続けているんじゃないかしら。タイトルが『クリーニングのももやまです』なら、クリーニングのエキスパートとして、誇りを持って、クリーニング道をきわめるような話にしてほしかった。世界に行って、何するんだろうって思いました。雪だるまのセーターをももやまさんが着ちゃうのも違和感あるし、それに、p43の絵、小さい丸いものがどうやってココアを飲むんだろうと思っちゃう。腑に落ちないところがたくさんある作品でした。

アカシア:どうやって飲むかを書いてくれたらよかったんですよね。

ルパン:金と銀の丸いいものがももやまさんのうちに来たことによって、無口さんの何かが変わるのかなと思ったらそうでもない。いろんなところで消化不良。いいお話になりそうなのにもったいないです。

きゃべつ:安房さんのだとばかり思っていました。装丁も似ていましたし。でも、読んでいたら、どのお話も起承転結ではなく、起承転とちょっとで終わっている印象で、あれ? と。蜂飼さんは『うきわねこ』(ブロンズ新社)も世界が広がっていって、おもしろそうだなあと思って読んだのですが、似たような印象でした。こういう、一見ふわっとしたお話のしまい方というか、ぼやかし方って難しいとは思うんですけど、これはどうしてこうなんだろうって、最後まで本筋に関係ないところが気になったりもしました。たとえば、クリーニング屋は染めものまでするのかな? とか、虎の皮ひっぱがすってどんな感じなんだろう、とか。これが天女の羽衣だったら分かるんでしょうけど、もう少し一つ一つの素材、そして短編の連作として並べたときのバランスについて、工夫できたのではないかなと思いました。

うぐいす:ファンタジーであればあるほど、細かいところを目に見えるようにきちんと書くことが大切ですよね。状況がリアルに描かれていないと不思議の部分が信じられなくなってしまう。とらの毛皮をとったとき、どんなふうかとか。イメージだけで言われてもぴんとこないんですよね。

紙魚:蜂飼耳さんは、ずっと気になる作家の方です。平易な言葉、安定した文体で、つぎにどのような題材を扱うのか注目してきました。こうした文体を用いて、日常の先にふっと不思議なことが起こる短い物語を書く作家といえば、安房直子さん、あまんきみこさん、茂市久美子さんなどが浮かびますが、その下の世代はあまりいないんですよね。よく、角野栄子さんが「魔法はひとつ」とおっしゃっています。「魔女の宅急便」シリーズ(福音館書店)でも、魔女のキキができるのは、ほうきで空を飛べるということだけ。ただし、角野さんは、キキがほうきで空を飛べるということを読者が信じるように、細やかにリアリティを持たせています。リアリティをていねいに積み重ねていって、最後の最後のちょっとの隙間に、きらっと不思議なものがあるからこそ、そのファンタジーが生きるのだと思いますが、この『クリーニングのももやまです』は、不思議なものが多すぎるように思います。クリーニング店を舞台にすると決めたら、クリーニング屋さんの仕事を見たり調べたり、実際に仕事をしている人から話を聞いたりすれば、もっと違うものになったのでは。ももやまさんを訪ねてくるお客さん像も、きっと必然性のあるものになったと思います。それから、各章の最後に見開きの絵が入っていて、そこでは、お話が広がる余韻を抱くのですが、本来これは、文章自体が担わなければならないことなのではとも感じました。読んだあとの安心感とか幸せ感がないのは、ちょっと残念です。そういう意味では、『赤ちゃんおばけベロンカ』とは対照的ですね。

ajian:いまおっしゃった「小さな人たち」って表現がいいなと聞いていたんですけど。ぼくは、3冊読んで、これがいちばん好きだったんですね。ファンタジーっていうより、ナンセンスなんだと思ってて、意味がなくてもいいんじゃないかと。この文体とふしぎな感じがあればいいって。ただ、子どもに興味がないのかもしれないっていうのは、ほんとにそうかも知れません。詩であったり小説であったり、蜂飼さんのさまざまな表現のなかの一つとして、この作品もある、という感じなんじゃないでしょうか。

アカシア:大人向けに書けばよかったのにね。子どもが読めばひっかかっちゃう。大人は想像で補って考えられるけど。子どもの本で出していることの意味がどうなのかと思いました。才能のある方だと思うので、編集の人ももう少し意見を言って練っていけば、いいものになったんだと思います。今のままだと安房直子さんとか茂市久美子さんを読んだほうがいい、という印象になってしまいます。

プリメリア:今回、この作品が「みんなで読む本」になったので感想を楽しみにしていましたが、遅れてしまい皆様の感想が聞けずとっても残念です。昨年末、いつも行く図書館の新刊書コーナーにこの作品が置かれていたので手にして読みました。最初、挿絵から茂市久美子さんの作品かなと思っていましたが、だんだん読んでいくと茂市さんの作品とはなんだか違いがあり、著書名をみたら蜂飼さんでした。クリーニング屋さんにおじぞうさんがお客さんで来る場面はおもしろかったですが、だんだんは話がわからなくなってきて、「人魚」のところで、「こんなことをしていいのかな!」と疑問に思いました。預かった人魚のしっぽを自分のものにしちゃって、そしてお出かけ。知り合いの方に「人魚のしっぽを勝手に持ち出して出かけることはおかしくないですか」聞いたところ、「ファンタジーだからいいのよ」って返答されました。が、クリーニング屋さんが預かった商品を自分のものにすること、また勝手に持ち出すことはどうなのかなってずっと心に引っかかっていました。学校から学童に行かずにゲームセンターに行っちゃった2年生の子どもたちに、「どうして行ったの?」と聞いたところ、「行きたかったから」って。それと似ているなって思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年4月の記録)


『レッツとネコさん(レッツのふみだい)』

ひこ・田中/著 ヨシタケシンスケ/絵
そうえん社
2010.07

ajian:『レッツとネコさん』しか読んでないんですけど、なんだろな、アイデアと理屈が先にあるような感じがしましたね。絵はすごくおかしいなと思って読んでましたけど。どうもお話にはなじめませんでした。

紙魚:『レッツとネコさん』は5歳のレッツが3歳の自分を、『レッツのふみだい』は5歳のレッツが4歳の自分をふりかえるというお話。おそらく、5歳の子どもが自分の3〜4歳を検証するというのは、現実にはあり得ないと思いますが、そこを、「もしもそうだったら?」という設定にして、新しい世界を展開しています。まあ、こんなに弁が立つ5歳児はいないでしょうし、ちょっと厳密すぎるくらい理屈っぽいので、実際の子どもたちがどんなふうに読むかには興味があります。作者からは、新しい幼年童話をつくろうとした心意気が伝わってきます。よくある絵本に対するアンチテーゼでもあるのだと思います。そうそう、文中「すきなおともだち」という言い回しがよく出てきますが、ちょっと意図が伝わりにくいです。

きゃべつ:私も「すきなおともだち」という表現が気になっていて、その答えが見つかるかと思って、1巻の『レッツとねこさん』を読みました。でも、あんまり説明はなかったので、独特の表現として使われているものなのかなと。この絵がすごく好きで、レッツが1歳年下の子が鼻くそ食べているのを見て、「うえっ」という顔をしているところとか、すごくかわいいなと思いました。大人が読む分にはすごくおもしろいですよね。でも、子どもに読ませるとき、対象年齢が難しいなと思いました。5歳のレッツが過去の自分を振り返るという形をとっているけれど、過去と現在を行ったりきたりするし、小学1年生までの子どもが読んだら、ごちゃごちゃになってしまう気がしたので。

ルパン:子どもはこれを読んでおもしろいのかなあ、と思いながら読みました。レッツはどこの国の子なんでしょう? あだななのかな? 男の子なのか女の子なのかもわからなくて。笑っちゃったのは、「ようちえんではみんなことをお友だちという」という一文。そういえば、うちの文庫で、ある子どもに「〇〇ってだれ? 先生?」と聞かれたとき、「ううん、お友だちよ」と言ったら、「おれの友だちじゃないよ」って言われて爆笑したことがありました。でも、そういう解説を入れているのがなんか大人目線だなって。幼稚園児にはむしろあたりまえのことだからなんとも思わないはずでしょう? 大人が一生懸命5歳にもどって書いてるつもりであれば、うまくいっていないと思います。何もかもが大人の発想だから。大人にとってはおもしろいのかもしれませんが。『ふみだい』のほうは、踏み台にゴキブリって名前をつけるんですけど、「それをさがしているんでしょ」っていうのが、わかりませんでした。何をさがしてるんでしょうね。

紙魚:私もわからなかったです。踏み台の使い方をさがしているってことなのかしら。

ルパン:あと、下から見ると蛇口のよごれが見える、っていう場面がありますが、5歳の子供が「上から見ると見えないんだな」っていうとこまで考えるのかなあ、って思いました。

レンゲ:読み終わってまず、何歳の子が読むのかなと思いました。本の体裁からすると、ひとり読みをはじめたくらいの、5〜6歳からの子が読者だと思うのですが、その年齢の子が楽しいと思うのかなと。たとえば、きらいな友だちにかみついていたのを、ネコさんにかまれてから、やめることにしたというところ。かんだのは好きだから、かんだら好きだと思われるかもしれない、だからやめよう、というのだけれど、3歳の時にそこまで考えるというのは、かなり違和感がありました。3歳の子のすることって、もっと感覚的、直感的だと思うので。イラストの使い方はとてもよかったです。

関サバ子:これは“大人のための絵本”ならぬ、“大人のための幼年童話”だな、と感じました。前にも一度読んでいて、そのときは、「絵もかわいいし、おもしろーい」とあまり深く考えずに読んでいたんですが、今回読み直してみて、子どもがこんなふうに考えるかな? というところがたくさんありました。たとえば、『レッツとネコさん』のp44でレッツの願望として、「おならをする」とありますが、子どもはどこでも構わずおならをします。別の違和感としては、『レッツのふみだい』のほうで、お風呂に入っているお母さんがお父さんに裸を見られて「キャーッ」というのが、「夫婦なのにこの反応は何?」と不思議に思いました。しかも、わりといい感じに仲の良い夫婦というふうに読めていたので、余計に不思議でした。2冊のうちでは、『レッツのふみだい』のほうが、お話に入っていける感じはありました。レッツは目線が低いから、大人が見つけてほしくないものを見つけるところや、テーブルの下の落書きをレッツだけが知っているという設定は、クスッと笑えました。ただ、p55以降は蛇足だと感じました。これは2冊ともに感じたことですが、途中で息切れして、長く感じました。あと、お母さんが外で働いていて、お父さんが主夫か自宅勤務という設定が、ちょっと新しく感じました。

みっけ:これって3冊のシリーズで、3歳の時を振り返る「ネコさん」と4歳のときの「ふみだい」、そして最後が「おつかい」になってるんですね。最後のおつかいも、大人のおつかいに憧れて、まるでお使いになっていないお使いをするレッツの話なんだけれど。始めて読んだとき、おもしろいなあって思ったんです。だいたい5歳の子が3歳の時を思い出して、自分はお兄ちゃんなんだぞみたいな、その設定が新しいなと思ったんです。この年頃の子ってけっこうお兄ちゃん風を吹かせたがるでしょ。そういう、なんていうのかな、ああ、このくらいの子にこういうことってあるよねえ、というようなことがいろいろあって、けっこうおもしろかった。ただし、私自身は大人目線で読む傾向が強いので、はたして子どもにこの絵本を読み聞かせたらどう思うのかな、やっぱりおもしろいって思うんだろうかと、そこがわからなかったんです。基本的には子どもって過去を振り返らないでしょう? だから、誰が読むのかな、とちょっと引っかかった。ただ、書かれている一つ一つのことは、大人とのずれやなにかも含めて、けっこうおかしくておもしろく、大人としては楽しめました。

うぐいす:とてもおもしろく読みました。よくテレビCMなどに、映像は赤ちゃんだけど声は大人で、大人顔負けのせりふを言うところがおもしろいものがありますが、あれと同じだな、と思いました。レッツとお父さんお母さんのちょっとずれた会話、レッツがいろいろなことをいちいち分析して納得するところ、5歳の子なのに、大人みたいに考えて、大人みたいにしゃべるおもしろさ。カバー袖に「著者はじめての幼年童話」って書いてあるんですけど、「幼年」の主人公が出てくる童話、という意味なのかな。私は、幼年童話とは絵本を卒業して一人で読めるようになったばかりの子どもにふさわしいもの、ととらえているんですけど、内容もさることながら、文章そのものも読みやすく、わかりやすくないといけないと思うんですよ。主語と述語がきちんとあって、過去になったり、仮定法になったりしない文章でいかないと意味がとらえられないと思います。
例えばネコさんのp16「手もつかって四本ではしるからはやいのかなとおもって、レッツもおなじように手をゆかについてはしってみたけれど、いつもよりおそくなった」こういった文章は、わかりにくいと思うんですね。誰が何をしたというのがすっとわかる文章というのかな。そういのを使わないと、その時期にはむずかしいと思っています。それからこの本はパラパラとめくっただけですぐわかるように、カタカナがたくさんありますね。ニンゲンとかミョウジとかキュウリとか、カタカナで書かなくてもいい言葉もカタカナにしている。カタカナのほうがニュアンスがおもしろいから使っていると思うんですが、カタカナを習っていない子どもには読みにくいことの一つつです。またみなさんと同じく、5歳のレッツが3歳の頃を思い出すというのは、やっぱり大人目線の考え方だなと思いました。
挿絵はとてもおもしろいし、ところどころに一部だけに色がついているのも効果的。レッツの性別がわからないのは、あえてそうしてるんだと思うんですけど、これもいいなと思いました。こんなふうにページ数の少ない絵物語が3冊あると、一人読みを始めたばかりの子どもにちょうどいいと思って買ってしまいそうだけど、3年生くらいが読んだらいちばんおもしろいだろうに、と思いました。

アカシア:でも、著者はきっと幼児が読める童話が書きたかったんじゃないでしょうか。

ハコベ:これは幼年童話のYAだと思いました。幼年童話って、自分のまわりでつぎつぎにできごとが起こっていくというものが多いけれど、YAは自分がどう考えたか、どう感じたかを丹念にたどっていくものが多いと思うんですね。そういうYAっぽい手法を幼年童話でやってみたというところが新しいし、おもしろいなと思いました。たしかに5歳の子どもはこんな風に考えたり、理屈をこねたりしないと思うのですが、小学校の3〜4年生くらいになると、とつじょ自我にめざめたり、自分の心の中をふりかえって辿ってみたりすることがあると思うんですね。わたしにもそういう体験があって、今でもはっきりと記憶に残っています。そういう年齢の子どもたちは、おもしろいと思うんじゃないかしら。でも、こういう幼年童話の形で書いたら、3〜4年の子どもたちは読まないかもしれないし……。

アカシア:私も3年生くらいが読むんだったら、こういう視点でもいいと思うんですけど、3年生は、こういう出だしだったら読まないんですね。やっぱり読者対象と書いてる視点のずれが大きい。3年生対象なら、もっと違う文章で書いたほうがいいかもしれません。引っかかったところがいっぱいありました。幼年童話で安全じゃないのを書きたいっていうのもわかるんだけど、この年齢だと安心できるものっていうのも大切なんじゃないかな。そうじゃないと冒険に出ていけないっていうこともあると思います。

プリメリア:子どもたちの日常的なかわいいしぐさがよく書かれていておもしろいなって思いました。「キュウリ」が「キウイ」に聞こえるって、そうなのかなって思ったり。お母さんの歌にピンクレディの歌「渚のシンドバッド」が出てきますが、今の子はAKB48の歌はわかっても、この歌はぜんぜんわかんないだろうな。子どもの姿じゃなくて、大人の視線から見た子ども像が書かれている作品のように読みました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年4月の記録)


『赤ちゃんおばけベロンカ』

クリスティーネ・ネストリンガー/作 若松宣子/訳 
偕成社
2011.08

関サバ子:絵がかわいい、見返しもすてきというのが最初の印象です。お話全体は、お兄ちゃんが妹にコンプレックスを持っていて……というのは、かわいくていいなと感じました。絵と文章がちゃんと両輪になっている安定感がありますね。ただ、ヨッシーという名前が気になってしまいました。日本では、「よし」がつく名前の方の愛称として「ヨッシー」があります。なので、ヨッシーと出てくると日本に、ミッツィーと出てくると海外に、と頭の中が忙しく切り替わる感じがあって……。最初の、新しい言葉の発明が、不作法な言葉をくっつけたものというのがよくわかりませんでした。これがわかるともっとおもしろいのに! と感じました。ベロンカのキャラクターがまたおもしろくて、都合が悪くなると赤ちゃんぶって、ごはんはクモの巣、しかもホコリ付きだとなおよい、というのは笑ってしまいました。ラストは、あっけなくあっちの世界に行ってしまうのか、とさみしくなりましたが、p103のお母さんとベロンカが頬を寄せ合っている絵がとてもよくて、唐突ではあるけれど、はしごをはずされる感覚なしに、あったかい気持ちで読み終えることができました。楽しかったです。

みっけ:このお兄ちゃんのヨッシーとミッツィーって、別に仲が悪いわけじゃないんですよね。兄妹には、自分にはない長所を相手に見てうらやましくなるというシチュエーションがよくあって、それがそもそもの始まりになっている。お兄ちゃんがそれを何とかしたいと思ってアクションを起こし、赤ちゃんお化けを作るんだけれど、できちゃった赤ちゃんベロンカがまったく自分の思ったとおりにならないっていうところがまたいいなあ、と思いました。赤ちゃんベロンカの、図々しかったり、泣き虫だったりするあたりも、いかにも赤ちゃんらしくて納得できるし。そこから物語が転がっていって、最初はヨッシーがただうらやましいと思っていたミッツィーの怖いもの知らずなところが、二人にとってちゃんとプラスになり、かと思うと大きいベロンカに命をふきこむところでミッツィーにわざわざ「やりたい?」って尋ねてあげるヨッシーの優しさとか、お互いのいいところがいい形で絡んで、兄妹の関係が変わっていくというか、ふたりが関係を再発見する。そして最後に、ミッツィーがヨッシーに抱きついて、「おにいちゃんのベッドでいっしょに寝ていい?」と尋ねるんだから、これは読んでいてとても気持ちがよかったです。兄妹という名前の一幅の絵が完成した,という感じかな。あと、できちゃったお化けが赤ちゃんだったので、お母さんが必要だというあたりも、とても納得できると思いました。

うぐいす:とてもよくできた本で、好きでした。子どもは、赤ちゃんが出てくる話は大好きで、もちろんおばけの出てくる話も大好きです。大人に内緒で何かする、子どもだけでものをつくるっていうのも、楽しい要素。子ども読者を楽しませることがたくさんつまっていますね。しかも細かいことをきちんと書いているので、嘘っぱちなことなんだけれども、本当と信じられるところが、うまいなって思いました。兄弟の性格付けも、ベロンカの様子もよくわかるし。
秘密の友だちって最後に別れるところがつらいんだけど、子どもにとって最高に安心できる「お母さん」をつくってあげるっていうところは、読者としても納得できると思います。p97でベロンカがとびはねていたのにすぐに眠りこんでしまったのを見て、ミッツィが「赤ちゃんってそんなものだよ」っていうところとか、ところどころくすっと笑えるところがあって、ユーモアを感じました。不作法な言葉ばらばらにしてつくった「バーベロンベロンカ!」というのは、私は「ベロンベロン、バーカ」だなと思って読みました。見返しにベロンかの作り方が細かく書いてあるところも、楽しい部分ですね。

ハコベ:とてもおもしろくて、よくできている作品だと思いました。こういう本こそ、子どもたちが読みおわったときにフウッと満足の息をついて、またつぎの本に手を伸ばすんじゃないかしら。ベロンカのおかげで、お兄ちゃんと妹の関係が変わっていくところとか、赤ちゃんおばけにお母さんを作ろうといいだしたのがプラクティカルな性格の妹だったところとか……。この作品でいちばん大変なところは、自分が作った人形が命を得るという個所だと思うのですが、不自然さを感じさせずにすんなりと入っていけるところが、さすがネストリンガーだなと思いました。お母さんおばけの人形は、目も片方が大きかったり、なんだか変てこですけれど、すてきな、すばらしいお母さんじゃなくても赤ちゃんがなついていくというところなど、なかなかいいですね。「ふうがわりな」人形という訳も、うまいなと思いました。

アカシア:私もとてもおもしろく読みました。絵も、この子たちの生活が思いうかぶので、いいですね。作り方にしても、子どもに話しかけるように、「いろいろなマニキュア、マニキュアがなければまじっく」ってていねい。一つひっかかったんですけど、p23の4行目「生きるってつかれるなあ」って、「生きてるってつかれるなあ」てしたほうがよくないですか。「バーベロンベロンカ」は、「バカ」が入っているのはわかったけど、ベロンベロンはわからなかった。おばあちゃんも存在感がありますね。

プルメリア:3冊目でこれを読んだんですけど、ほっとしました。子どもたちはおばけが大好きです。自分が作ったおばけが動き出す、大人にかくれて秘密をもつ、わくわく感が伝わる作品だと思います。ベロンカにはたくさんのかわいさがありますが、p55のベロンカの言葉「ふとったクモはとってもおいしそうだけど、クモをたべたら、すがなくなっちゃうもんね。ごはんをつくってくれるのに、たべたりしないよ」もいいなと思いました。ベロンカにクッションを置いてやるヨッシーのしぐさもかわいいです。ベロンカを作る時とお母さんを作る時の窓辺に必ずハトがいる挿絵も印象的でした。

紙魚:クモのちっちゃなイラストも、あちこちに登場しますよね。

プルメリア:ベロンカもかわいいですが全体の絵もすごくいいです。おばあちゃんがちょっと若いけど。読みやすくとってもいい本だなって思いました。

ajian:安心感がありますよね。よくできてて。こういう話のフォーマットを利用したものって他にもいくらでもあって、世代的にETみたいだなとも思いましたが、やっぱりディティールに使われているアイディアがおもしろい。幽霊の赤ちゃんがクモの巣を食べるとか。それから、絵の遊びのことを皆さんも指摘されてましたけど、僕も一つだけ。p105の絵にもクモが登場しますが、よく見るとクモの糸でEndeって書いてあります。

紙魚:おばけは、子どもたちがみんな大好きな登場人物ですが、さらにそのおばけが気弱で泣き虫だというだけでも、読者は大喜びしそうです。子どもの好きなものをよく知っている作家なのではと思います。この物語からは、親に隠れて秘密を持つことのドキドキ感や自立心も伝わってきます。でも、実際のところ、p46でパパが説明してママが納得し、p58でもまたパパが説明してママが納得するということが書かれています。この家の親は、きっと子どもたちがやっていることを知らないふりして、すべてを知っているんですよね。親の描き方、大人の描き方で、作者の立ち位置があらわれるように思います。最後の最後で、たくさんの心の動きが安心感、幸せ感に変わる物語でした。今回の3冊は、比較がしやすくて選書が絶妙でしたが、いちばん楽しくていちばん安心していちばん栄養になったように思うのは、この『赤ちゃんおばけベロンカ』です。

きゃべつ:すごく楽しくて、ていねいに作られている本だと思いました。見返しに工夫がされているのって、すごく贅沢だし、子ども好きですよね。ここからわくわくします。実際読んでみて、弟とか妹が生まれて、お母さんがそちらにかかりきりでちょっぴりさびしい、なんて子にぜひ読んでもらいたいと思いました。この本では赤ちゃんが、本当に赤ちゃんで、お母さんという存在が必要なんだと、強く主張されているので、主人公と同じく、「しようがないなあ」って言いながら、かわいい赤ちゃんにお母さんをゆずる気持ちになってくれそうです。お母さんベロンカは生まれたときからお母さんで、赤ちゃんベロンカを見たなり、抱きあげて、ほおずりして、まるごと「母性」という存在ですよね。こういうあたたかな存在が描かれているのが、とてもよいと思いました。

ルパン:私は、実は3作品の中ではこれがいちばん印象が薄かったです。印象に残らなかったのは、よくできていたからなのかな。とってもスタンダードな安心感はありましたが、テイストとしては『ももやまさん』のほうが好きでした。期待外れで残念でしたけど。この作品でおもしろかったのは、「ひどいおばあちゃん」。もとの言葉は何なんでしょう。このおばあちゃんが一番強烈でした。

レンゲ:私はこの表紙を見たとき、そんなに「かわいい」とは思わなくて、最初入りこむのにちょっと手間取りました。作り方のところで、「たすきがけ」は、前はばってんにならないのにとひっかかったり。でも、とても緻密に構成されているお話だと思いました。書き方も、細かすぎもせず、かといって大事なことはきちんとおさえてあって、ちょうどいい。こわがりのお兄ちゃんと、しっかりものの妹の関係の描き方がよかったです。

うぐいす:半年後にママがパパの冬ふとんがみあたらない、と探す様子が書いてあるのもいいですね。放りっぱなしにしないできちんと落ちをつけている。

アカシア:ほつれた糸を残しておかないっていうのか。

関サバ子:見返しも化粧扉も4色で、1200円に抑えているのはすごいですね。意味のある4色の使い方で、勉強になります。編集者の方の力量を感じます。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年4月の記録)