『クリーニングのももやまです』
蜂飼耳/著 菊池恭子/絵
理論社
2011.11

版元語録:川のほとりにたつももやまさんのクリーニング店。どんなおきゃくさんの、どんなものでも、心をこめて、ていねいに仕上げます。ところがある日…。

うぐいす:ももやまさんというクリーニング屋さんにちょっと変わったお客さんたちがやってくるという物語です。安房直子風の不思議な感じがあるのかな、と思って読みましたが、はっとするところも、ぞくっとするところもないし、ふふっと笑えるところもありませんでした。人間ではないお客さんたちの様子がおもしろいわけですが、どこか腑に落ちないところがあるんですね。「おじぞうさん」ではおじぞうさんが3人出てくるけど、ぼうずの次がおじさんで、3人目はただ「ほっそりしたおじぞうさん」という見かけだけしか書いてないので、何なのかよくわかりません。「いえで」では、金色と銀色のとげとげの丸いものが出てきて、これがお客の無口さんのよろこびとかなしみだという。この話にだけ観念的なものがでてきて、違和感がありました。「緑色のシャツ」では、どうしてあおむしが、預けた女の子がこのシャツを取りに来ることはありません、というのかよくわかりません。
 ちょっと不思議な雰囲気は伝わってくるんだけど、どの話にも「何で?」と思うところがあって、すっきりしないお話でした。ももやまさん自身も、絵があるから感じがつかめるとはいえ、文章からはどういう人かあまり書かれていません。ももやまさんという名前には雰囲気があるけど、それだけです。お客さんとのやりとりや仕事ぶりから、もっと人となりが浮かび上がってくるとよかったのにと思いました。

みっけ:子どもたちが日常の中でごく普通に出会っている物や事柄が、ほんとうはちょっと不思議な面を持っていて……というタイプの物語なんだな、と思って読み始めました。なんの変哲もない洗濯屋さんに、不思議なお客が来るというのは、わくわくする感じでいいなと思ったんですが、「いえで」という作品は、きわめて観念的だなあと思いました。小学生の子に「よろこび」とか「かなしみ」っていって、何が伝わるかしら。小さい子には、そういう抽象的な概念でなく、もっと具体的なものでないとぴんと来ないんじゃないかな、と思いました。それと、「みどりのシャツ」は、私もよくわからなくって、要するに、緑のシャツを虫が食べて、変身してすてきな蝶になったというんだけれど、これってクリーニングに出さなくてはならないという必然性がないですよね。トラが毛皮を預けに来る話は、毛皮を取ったあとのトラを生々しく想像しなければ、全体としてはほんわかしていていい感じだと思ったのですが……。いちばん引っかかったのが、最後の人魚のところです。これは、今おっしゃったように、ももやまさんがどんな人かが伝わってないからなのかもしれませんが、まず、ももやまさんがもやもやする理由がこちらにはわからない。それでいて、人魚の尻尾というお客さんから預かったものを自分で使って、店も休業しちゃうという、かなり激しい動きに出る。そのつながりがよくわからないなあと思って、かなりひっかかりました。これを子どもが読んで、納得するのかなって。

関サバ子:魅力的なタイトルだな、と思ってわくわくしながら読みはじめました。しかし、がっかりだったのが、せっかくクリーニング屋さんを舞台にしているのに、クリーニング屋さんならではの日常やディテールがぜんぜん描かれていないところです。そのために、物語全体に力がなく、地に足がついていない感覚を受けました。また、おじぞうさんの話で、ももやまさんが「おじぞうさんはどうしてこんなににてるんだろう」という点にフォーカスしているのがピントはずれで、お話の中での狙いがわかりませんでした。「いえで」は観念的すぎる上に、丸くてちっちゃいものが、どうやってカップからココアを飲めるんだろう、という点にひっかかりました。小さなことですが、そういうところが雑なのは、お話の世界から放り出されるようで、とても気になります。また、最後の人魚のお話も、お客さんから預かったものを勝手に身につけるの!? と大いにひっかかりました。ひれをつけて歩きにくい、と描写されているのに、そのすぐあとにもう水に入っている、というのも雑だと感じました。
お話全体から受けるものとしては、帯に、「おとなになってもいつもとちがうなにかを探している」とあったり、お店を休む張り紙に「考えたいことがあるので」とあったりで、要は自分さがしの話なのかと、愕然としました。ももやまさんの仕事は、毎日ほぼ同じことをやる仕事です。小さな世界で暮らしています。それをつまらないものと伝えてしまっているようで、この本を本当に子どもに渡していいのか、強く疑問に感じました。

レンゲ:私はけっこうおもしろく読みました。『車のいろは空のいろ』(あまんきみこ著 ポプラ社)のタクシーの運転手さんや、『ねこじゃらしの野原』(安房直子著 講談社)の豆腐屋さんのイメージと重なって。たしかに、そう言われれば納得がいかないというところもありましたが、ところどころに美しい文章があるのがいいなあと思いました。たとえば、p55「川が町のあかりをうつして、ちらちら光ります。赤、青、緑。いろいろな色が、水の上でおどります」とか、p58「ふと、空を見あげると、ちょうど森の上のあたりに、月がのぼりかけていました。まるで、森からうまれるみたいに」とか。

ルパン:言いたいことをほとんど言われてしまった感じですが(笑)。テイストとしては、いい感じで読み始め、期待したのにな、と……。あと、トラのところなんですけど、トラが焼き肉をするんですよね。なんの肉なんだろうって思いました。トラがクリーニング店を利用するなら、ほかの動物も「ももやまさん」のお客さんかもしれないから、なんだか気になっちゃいました。もしかしたら「ももやまさん」のお得意さんを焼肉にしてるかも、なんて。そして、やっぱり最後ですよね。人魚はどうなっちゃうのか、心配で。しっぽを返してもらえないまま、ずっとタイヤにつかまって漂流し続けているんじゃないかしら。タイトルが『クリーニングのももやまです』なら、クリーニングのエキスパートとして、誇りを持って、クリーニング道をきわめるような話にしてほしかった。世界に行って、何するんだろうって思いました。雪だるまのセーターをももやまさんが着ちゃうのも違和感あるし、それに、p43の絵、小さい丸いものがどうやってココアを飲むんだろうと思っちゃう。腑に落ちないところがたくさんある作品でした。

アカシア:どうやって飲むかを書いてくれたらよかったんですよね。

ルパン:金と銀の丸いいものがももやまさんのうちに来たことによって、無口さんの何かが変わるのかなと思ったらそうでもない。いろんなところで消化不良。いいお話になりそうなのにもったいないです。

きゃべつ:安房さんのだとばかり思っていました。装丁も似ていましたし。でも、読んでいたら、どのお話も起承転結ではなく、起承転とちょっとで終わっている印象で、あれ? と。蜂飼さんは『うきわねこ』(ブロンズ新社)も世界が広がっていって、おもしろそうだなあと思って読んだのですが、似たような印象でした。こういう、一見ふわっとしたお話のしまい方というか、ぼやかし方って難しいとは思うんですけど、これはどうしてこうなんだろうって、最後まで本筋に関係ないところが気になったりもしました。たとえば、クリーニング屋は染めものまでするのかな? とか、虎の皮ひっぱがすってどんな感じなんだろう、とか。これが天女の羽衣だったら分かるんでしょうけど、もう少し一つ一つの素材、そして短編の連作として並べたときのバランスについて、工夫できたのではないかなと思いました。

うぐいす:ファンタジーであればあるほど、細かいところを目に見えるようにきちんと書くことが大切ですよね。状況がリアルに描かれていないと不思議の部分が信じられなくなってしまう。とらの毛皮をとったとき、どんなふうかとか。イメージだけで言われてもぴんとこないんですよね。

紙魚:蜂飼耳さんは、ずっと気になる作家の方です。平易な言葉、安定した文体で、つぎにどのような題材を扱うのか注目してきました。こうした文体を用いて、日常の先にふっと不思議なことが起こる短い物語を書く作家といえば、安房直子さん、あまんきみこさん、茂市久美子さんなどが浮かびますが、その下の世代はあまりいないんですよね。よく、角野栄子さんが「魔法はひとつ」とおっしゃっています。「魔女の宅急便」シリーズ(福音館書店)でも、魔女のキキができるのは、ほうきで空を飛べるということだけ。ただし、角野さんは、キキがほうきで空を飛べるということを読者が信じるように、細やかにリアリティを持たせています。リアリティをていねいに積み重ねていって、最後の最後のちょっとの隙間に、きらっと不思議なものがあるからこそ、そのファンタジーが生きるのだと思いますが、この『クリーニングのももやまです』は、不思議なものが多すぎるように思います。クリーニング店を舞台にすると決めたら、クリーニング屋さんの仕事を見たり調べたり、実際に仕事をしている人から話を聞いたりすれば、もっと違うものになったのでは。ももやまさんを訪ねてくるお客さん像も、きっと必然性のあるものになったと思います。それから、各章の最後に見開きの絵が入っていて、そこでは、お話が広がる余韻を抱くのですが、本来これは、文章自体が担わなければならないことなのではとも感じました。読んだあとの安心感とか幸せ感がないのは、ちょっと残念です。そういう意味では、『赤ちゃんおばけベロンカ』とは対照的ですね。

ajian:いまおっしゃった「小さな人たち」って表現がいいなと聞いていたんですけど。ぼくは、3冊読んで、これがいちばん好きだったんですね。ファンタジーっていうより、ナンセンスなんだと思ってて、意味がなくてもいいんじゃないかと。この文体とふしぎな感じがあればいいって。ただ、子どもに興味がないのかもしれないっていうのは、ほんとにそうかも知れません。詩であったり小説であったり、蜂飼さんのさまざまな表現のなかの一つとして、この作品もある、という感じなんじゃないでしょうか。

アカシア:大人向けに書けばよかったのにね。子どもが読めばひっかかっちゃう。大人は想像で補って考えられるけど。子どもの本で出していることの意味がどうなのかと思いました。才能のある方だと思うので、編集の人ももう少し意見を言って練っていけば、いいものになったんだと思います。今のままだと安房直子さんとか茂市久美子さんを読んだほうがいい、という印象になってしまいます。

プリメリア:今回、この作品が「みんなで読む本」になったので感想を楽しみにしていましたが、遅れてしまい皆様の感想が聞けずとっても残念です。昨年末、いつも行く図書館の新刊書コーナーにこの作品が置かれていたので手にして読みました。最初、挿絵から茂市久美子さんの作品かなと思っていましたが、だんだん読んでいくと茂市さんの作品とはなんだか違いがあり、著書名をみたら蜂飼さんでした。クリーニング屋さんにおじぞうさんがお客さんで来る場面はおもしろかったですが、だんだんは話がわからなくなってきて、「人魚」のところで、「こんなことをしていいのかな!」と疑問に思いました。預かった人魚のしっぽを自分のものにしちゃって、そしてお出かけ。知り合いの方に「人魚のしっぽを勝手に持ち出して出かけることはおかしくないですか」聞いたところ、「ファンタジーだからいいのよ」って返答されました。が、クリーニング屋さんが預かった商品を自分のものにすること、また勝手に持ち出すことはどうなのかなってずっと心に引っかかっていました。学校から学童に行かずにゲームセンターに行っちゃった2年生の子どもたちに、「どうして行ったの?」と聞いたところ、「行きたかったから」って。それと似ているなって思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年4月の記録)