『さよならを待つふたりのために』
原題:THE FAULT IN OUR STARS by John Green, 2012
ジョン・グリーン/作 金原瑞人・竹内茜/訳
岩波書店
2013.07

版元語録:ヘイゼルは十六歳。甲状腺がんが肺に転移して以来、もう三年も酸素ボンベが手放せない生活。骨肉腫で片脚を失った少年オーガスタスと出会い、互いにひかれあうが…。死をみつめながら日々を生きる若者の姿を力強く描く、傑作青春小説。

ajian:ジョン・グリーンは学生時代に、 病院付きの牧師として働いていたことがあるそうです。そのときの体験も元になっているらしい。

アンヌ:最初に読んだ時、とてもリアリティがあったので、誰か患者さんのブログを基にしたものなのかなと思いました。誰かが癌になったと聞くと、他の病気とは違い、もうその人は一つの橋を渡って別の世界に行ってしまったように思う人がいますが、この作品では、死というのはすべての人に訪れるものだということを最初に主人公の口から言わせていて、そこがとてもいいと思います。アイザックが、立ち去った恋人のモニカの車に卵をぶつける場面もとてもいい。たとえ、がん患者であったとしても、悟りきった向こう側の世界の人間などではなく、怒ったり恋をしたり、死ぬ寸前まで普通に生きているのだということを語っています。サポートがあれば旅行にも行けるし、病気になっても自分は自分なのです。死ぬのはみんな同じ。恋もするし、その過程に意味があるのだと言っている物語だと思えました。少し気になったのは、母親がモニカの死後も生き抜くために、社会福祉の学位をとってソーシャルワーカーになる勉強をしていることを、ヘイゼルが知って喜ぶところ。ここは逆に、ヘイゼルがあまりに自分の死後について物分かりがよすぎるのではないかと気になりました。もっとも、そのために、ダメになった親代表のヴァン・ホーテンの物語があるのかもしれないと思いました。

レジーナ:フリースローをしていて、なぜこんなことをしているのかと、ふと人生に疑問を感じたり、自分が病気になったことで、両親が悲しんでいるのに心を痛めたり、「自分の存在を覚えていてほしい」「生きた証を残したい」と願ったり、病を得た十代の少年と少女の感覚がリアルに伝わってきました。主人公は、アンネ・フランクの家でキスをした時、病気の身体にずっと苦しめられてきたけれど、この身体があるからキスができると気づきます。ひとりで背負わなければならないと思っていた苦しみを理解し、分かち合える人と出会えた幸せが伝わってきました。ただ、どうしてふたりが惹かれあったのかが、よくわかりませんでした。また関係が長く続けば、それだけいろんなことがあります。「死別したことで愛が永遠になる」というのは、ヤングアダルトのラブストーリーならでは、ですね。そういう風に感じるのは大人の読み方ですが。ようやく会えた作家は嫌な人間で、ふたりはがっかりします。うまく行き過ぎない物語展開や、酸素の濃縮機にフィリップと名づけるユーモアが、作品のおもしろさにつながっています。残念だったのは、「至高の痛み」がおもしろい小説だと思えなかったことと、ところどころ翻訳が読みづらいことです。p42の「酸素吸入が不足してるほど冷たくはない」は、「酸素が行き渡っていないと、手の先が冷たくなるけど、それほど冷たくなってはいない」ということでしょうか? p145の「アイザックがしたことだって、モニカに全然優しくなかったよ」は、「アイザックが視力を失ったことで、モニカだって傷ついた」ということでしょうか? p154の「オーガスタスはおじさんとおばさんのクッションの格言をうんざりしてても受け入れてる。か弱くて珍しいものは美しいって思ってるんでしょ」ですが、格言がか弱いのですか? 格言を刺繍したクッションを家中に飾る、そういう態度が女々しいということでしょうか? またp27で、お互いに夢中なアイザックとモニカを見て、主人公はなぜ「病院までラストドライブするときのことを考えてみて」と言ったのでしょうか。

アカシア:話としてはおもしろいし、こういう本を出す意味はあると思います。ただ私は共訳とか下訳ということに疑問を持っているのです。その作品世界をどう受け取るかは人によって違うので、一緒に訳している人の間に違いがあると(たいていあるものですが)、特に文学性の強い作品だとどうしてもぎくしゃくしてしまう。アメリカではベストセラーですが、シチュエーションだけが興味深いのではなく、原文では会話にもとても味があると思います。翻訳では、キャラクターとその会話がところどころ合っていないように思えて、ちょっと残念でした。

アンヌ:ヴァン・ホーテンは、ヘイゼルが感動するような娘の物語を書き上げたのに、その後アルコール中毒に陥ってしまい、成長しませんでしたね。

ajian:映画では、ヴァン・ホーテンを演じているのは、ウィレム・デフォーです。

アカシア:たとえばp85の「よかった」がぴちっとはまらないように思ったり、p97の「骨の間がばらばらになってしまう」もすっきりとはわかりません。わからない部分が多くて、止まってしまう。今風の言葉があるかと思うと、古い表現も出てきたりして、ちょっとアンバランス。そんなに無理に今風の言葉にしなくてもよかったのでは、と思ってしまいました。「サイテーの女」なんて訳されると、ガスのキャラクターが揺らいでしまう気がします。

ajian:とてもいい作品だと思うので、伝わりにくい部分があったとすれば、それは残念です。仕事でヤングアダルトの原書をいろいろ読んでいますが、ジョン・グリーンは際立って文章がいいです。今風の生きのいい会話が、テンポよくつづいていく。日本語版では、そういう今風の会話を成立させつつ、この子たちの知的レベルの高さも表現しなければいけない。そこに難しさがあるのかもしれません。

(「子どもの本で言いたい放題」2015年2月の記録)