シャーロット:自分が選んでいない道を進まざるをえない寂しさや戸惑い、不安、怒りが細やかに描かれていて、それらの心情が痛いほど伝わってきました。これからの人生に心配事を抱えている3人のなかで、ロレッタの存在は異質です。この少女にはあまり魅力を感じませんでした。前半の登場人物の心理描写にはひき込まれましたが、その後の展開では心がほぐれていくエピソードが少し弱いと思いました。アギーと暮らしても良いという父親のセリフや、それをアギーに伝えたときの返事があっさりしすぎていると感じ、物足りなかったです。

アンヌ:今回は、各章ごとに違う登場人物の視点で書かれている作品ばかりでしたが、これは、うまくその方法がはまっていて、バラバラに示された問題が最後にすとんと落ち着く読後感が良く、何度も読み返したくなる本でした。最初、亡くなった実の母親の形見の腕輪のチャームを探す旅に出たロレッタについて、作者が「ピースがはまる」と書き、アギーさんに「ピースを探しに来た」と言わせているのがぴんと来ませんでした。でも、読み返しているうちに、ロレッタは、実の親を亡くしたということだけではなくて、自分のルーツについても知ることができなくなっていることに気づきました。だから、実の母親の腕輪のチャームを見つけられたこの場所が、ロレッタの故郷になったのだとわかりました。一見ふわふわして幸せそうに描かれたロレッタの心許なさが、伝わった気がします。どんどんワルになっていくという、悪循環にはまっていたカービーが、ここでは信じてもらえることによって変わっていく。そのことを、ブローチを「拾って、盗んだ」から「拾って、見つけてあげた」に転換して読者にくっきりと見せる場面には、感動しました。「ノサ言葉」とか、知らない人を排除して意地悪することもできるけれど、仲間内で使うと楽しくなる暗号風の言葉遊びも、うまく使われていました。

ルパン:私は、このなかで一番かわいそうなのはロレッタだと思いました。ほかの3人の悲しみはとてもわかりやすいのですが、ロレッタだけは満たされない思いを口に出すことができないからです。ロレッタの養母はことあるごとに「わたしたち、幸せね」と繰り返します。そのなかでロレッタは、産みの親に育ててもらえなかったから寂しい、とは言えません。実の母親が訪ねたであろう場所をすべてまわっても、この子は産み捨てられたという根本的な悲しみから抜け出せないのではないかと思うと、心配でたまりませんでした。でも、初めて訪れた場所がここで、そして、「母が来た場所だから」ではなく、「みんなに会えた場所だから」もうここにしか来ない、そして何度でも戻ってくる、と決めたロレッタに、心から「良かったね」と言いたい気持ちになりました。
 それから、冒頭のアギーの章では本当に泣けました。ハロルドが二度と帰ってこないことを1日に何度も思い出さなければならないアギーに、胸がしめつけられるようでした。

ハリネズミ:私はロレッタが一番かわいそうとは思いませんでした。日本の人は血のつながりを大事だと思っているから、養子のロレッタがかわいそうに見えるのかもしれないけれど、この子は、ママというのはずっと育ての母のことだと思ってきたわけですよね。そこに疑問を持って生きてはいない。自分を憐れんでもいない。今、英米の児童文学では家族は血のつながりより一緒に生きた時間だっていうのが前面に出ているから、著者もかわいそうな子として書いているわけじゃないと思います。でも、産みの母親が亡くなったという知らせを聞いて、自分のルーツを確認したいと思うのは当然のこと。ここは、バーリー・ドハティの『アンモナイトの谷』(『蛇の石 秘密の谷』中川ちひろ訳 新潮社)なんかと同ですよね。養父母が時としてやりすぎになるところも似ていますね。父親に不満で母親の愛情を確認できないウィロウや、家族から見放されているように思えるカービーは、どちらも血のつながりのある家族ですが、どの子が一番子どもとして守られているかを考えると、それはやっぱりロレッタだと思います。だからロレッタが一番幼いし、子どもらしい。ただしロレッタも、自分のルーツが確認できないという意味では、パズルのピースがきちんとはまらないような気持ちを抱えている。そこへ長い人生を生きてきたけど今は元気をなくしているアギーが加わって、孤立していた生身の人間同士がつながっていく。
 オビには「奇跡みたいな物語」とありますが、さまざまに満たされない思いを抱いている登場人物たちが最後にはお互いに補い合って、次の段階へと踏み出せるようになるというのは、それだけで今は奇跡のようなものかもしれません。でも、それぞれの人物の特徴が浮かびあがるように翻訳されているので、リアルに感じられるし、物語がすっと心に入ってきます。読むと温かい気持ちになるし、人間を信じられるようになるという意味では、クラシックな児童文学と言えるかもしれません。一つ疑問だったのは邦題の「手紙」で、この人たちはみんなが手紙を書いているわけではないから、どうして?と思いました。

パピルス:冒頭部分のアギーの描写にひき込まれ、アギーのことを親身に思いながら読み進めました。いろんな背景を持つ人がモーテルに集まり、それぞれの心情の変化が丁寧に描かれています。読後感も良かったです。モーテルというのは、ボロ宿、安宿のイメージですが、表紙画にはおしゃれな感じのモーテルが描かれていて、中学校時代にこういった感じの世界観が好きだったのを思いだしました。

マリンゴ: 今日話し合う3冊のなかで、一番好きでした。モーテルの情景、映像では見てみたいけれど、自分で泊まったらカビやサビが気になる古びた建物……そういうリアリティがあって良かったです。もっとも、視点が章ごとに次々変わっていくので、最初は何人出てくるのか、覚えきれるのかと戦々恐々でした。4人で良かった(笑)。人との出会いをポジティブに描いているところも、とてもいいと思いました。子どものなかには、新しい出会いを怖がる子もいると思うので。出会いは面倒なものや怖いものではない、むしろ素敵なものなのだ、というのが伝わるかと思います。ラスト、アギーが一人悲しみを引き受けるのかと思いきや、彼女にも救いがあってホッとしました。

ペレソッソ:最初にタイトルだけ聞いたとき、フィリピンのスモーキーマウンテンの話かと思いました。表紙を見たらそうじゃないことはすぐわかりましたけど。映画で観たいと思いました。景色や登場人物を映像として浮かべながら読めたからだと思います。ウィロウのお父さんが一番わからなかったんですが、全体として登場人物それぞれの過去を説明的に描いていないですよね。背景を描きすぎない。現在の様子を描くだけ。あと、目の端に子どもの存在が映るだけで、その場の景色が明るくなる。ふさぎ込んでいたアギーさんが、子どもが庭で駆けている姿を目にするだけで、ぱぁっと明るい気分に変わりますよね。なんだか、児童文学の初心に帰ったような気がしました。

カピバラ:4人それぞれの視点で描かれ、章ごとに別の人になる形なので、一人あたりの分量は4分の一になりますね。だから一人ずつの背景はじゅうぶん書かれているわけではないんだけれど、それはあまり気になりません。なぜなら、今その人、その子が何をどう見ているか、ということが読者に伝わってくるからだと思います。小さなことでも、各人のものの見方がわかり、ああこういう子いるな、と思わせる、上手な書き方だと思いました。アギーの家ではオレンジ色のカーペットにアギーの普段歩く道がついているところなんて、生活感があって、アギーの暮らしぶりが目に浮かびます。翻訳で、アギーの章では「アギー」なのに、子どもたちの章では「アギーさん」と訳されています。原文ではすべて「アギー」ですが、日本人の感覚に配慮した細やかな翻訳だと感心しました。

レジーナ:複数の視点から語られる物語というのは、少し物足りなく感じることがあります。でも、この本は、登場人物のせりふや行動から、それぞれの人生が透けてみえて、ひなびたモーテルの様子もリアルで、とても心に残りました。去年読んでから時間が経っていますが、みなさんのお話を伺っていたら一気に思い出しました。いろんな背景を抱えた人がホテルに集まり、それをきっかけに人生が動きはじめる話は、映画でよく見かけますね。児童文学ではめずらしいのでは。温くて、読後感のいい本なので、勤め先の学校のブックトークで紹介しています。

(「子どもの本で言いたい放題」2016年3月の記録)