ルパン:読みでのある本なのだろうと思いましたが、すぐに訳でひっかかってしまって、物語の中に入れませんでした。語り手は小さな女の子のはずなのに、おとなの男性のような話し方をしていたり、2、3ページの中に何度も同じ言葉がでてきて興ざめだったり。登場人物も多すぎて、結局どんな話だったのかつかめず、いいのか悪いのかよくわかりませんでした。原文で読んだら全然違うんでしょうか。ただ、最後のおばあちゃんが昔ナチスだったというのは、そこまで衝撃的なことなのかな、と思いました。ヨーロッパの子どもにとっては、ナチスだとわかることがそんなに恐ろしい大変なことなんだ、というのは初めて知りました。

アカシア:あの時代は、ナチスの洗脳がすごかったので、ほとんどの子どもたちがヒトラー・ユーゲントに入っていたんじゃないですか。後には強制加入にもなるし。

ルパン:ともかく、日本人にはあまりピンと来ないことで、子どもならなおさらそうでしょうから、もし本当にこの本のとおりであるなら、ヨーロッパの子どもの感覚を知るうえではいいのかな、と思いました。

アンヌ:とても盛りだくさんな物語で、うまく読み解けず、みなさんのご意見を聞いてみたい作品でした。身近に移民がいて、父親が彼らに仕事を奪われてフランスに出稼ぎに行っている生活。今という現実を映している物語だと思いました。親の離婚で傷ついたいとこが、人に嫌がらせをしたり移民をいじめたりする。祖母に認知症の傾向が見え始め、主人公が不安に思っている。そのうえさらに、違う名前で送り続けられる郵便の謎があって、最後の最後にナチスの話が出てくる。それらがうまく絡み合っていき雪だるまのように大きくなるかというと、そういうわけでもない。いきなり最後に大物がドンと出てくる感じで、話が終わっていく。特に、私に読み解けなかったのが、おとぎ話の課題です。全然物語と絡み合って行かなくて、どういう風に読んで行けばいいのか、教えてもらいたいと思いました。

アカシア:この訳者の方のほかの作品を読んでじょうずだなって、思っていたのですが、この本は読みにくいですね。編集者がもっとアドバイスしたら違ってたのかな、なんて思いました。ヒトラーがユダヤ人にペットを飼うのを禁じて、飼っていたペットは殺処分にしたという事実は知らなかったので、びっくりしました。ホロコーストやヘイトの問題を、過去のナチスと現在の外国人労働者に対する感情とを比べることによって浮き上がらせようとしている著者の心意気はいいのですが、問題をベンのおばあちゃんがほとんど言葉で語ってしまっているのは、どうなんでしょう? 主人公はいい子すぎて、なんでも親にすぐ打ち明けなきゃいけないと思っているのは嫌ですね。盛り込みすぎなせいか、一つ一つの問題が深く掘り下げてなくて情緒的に終わってしまうことも気になります。私は、ホロコーストものにある種の欺瞞性を感じてしまうのですが、今はアメリカに住んでいるベンのおばあちゃんが「いいえ、そんなことはさせない。自分たちが許さない。わたしたちが愛してきたものや、いまも愛している者を、すべて壊す権利なんて連中にはないのよ。そういう事態がひき起こされる兆候をいまではわたしたちもわかっている。今度はとめられる。・・・」と話したりする場面にも、そうした無意識の欺瞞性を感じてしまいました。たとえばイスラエルがガザで何をしたのか、とか、アメリカがイラクで何をしたのか、と考えたとき、こういう本って、きれいごとで子どもを騙してることにもつながるんじゃないのかな。それから、外国人排斥が戦争の原因であるように描かれていますが、戦争の原因はもっと経済的なものであることが多いので、そこも短絡的だと思いました。表紙の絵は、ホワイトジャーマンシェパードの子犬には見えないですね。耳の先がちがうのかな。

マリンゴ:今の発言の後に言いづらいんですが(笑)私は今日読み終わったんですけど、電車の中で号泣しました。クライマックスの、こういう盛り上げに、涙腺が自動的に反応するんです(笑)。海外から来た労働者の問題、ケイトのことなどを、ナチスとユダヤに重ねていく手法って、現代の子どもたちが戦争を考えるきっかけになるのかな、と思いました。ただ、気になったのは構成上の問題。白い犬の少女がおばあちゃんだというのは、読者はわりと早く気づくわけなんですが、終盤に来ても「おばちゃんがわたしたちをナチスの一員にしたかった」と、ミスリードしています。これは不要では? ミスリードが効果を発揮していると著者の方が思われてるなら、少し計算のズレがあるかと。あと、おとぎ話から始まったので、ラストをおとぎ話でシメるのはカッコイイはずなんですが、あまり効いてない……。内容が抽象的でピンと来ませんでした。少女が書いている文章(という設定)なのだから、もっと直截的でもよかったのかもしれません。

レン:読み始めたとき、認知症が出始めたおばあちゃんのことや、いとことのぶつかりあいが話の中心になるのかなと思ったんですけど、そのあと犬を飼うこと、おばあちゃんが隠してきた秘密、外国人の移民のことなど、どんどん話がふくらんでいって、全体に盛り込みすぎという感じがしました。犬にからんでおばあちゃんとベンのおばあちゃんが出会うところがクライマックスですが、あまりにも都合よく偶然が重なりすぎでは? リアルに感じられませんでした。文章もところどころひっかかりました。まず、あれっと思ったのは、冒頭とラストのお話を書くところで出てくる「英語のハンター先生へ」。これは「国語」ではないでしょうか? 自分の言語の授業の時間に作文しているんですよね? 「英語」となっていると、子どもの読者は外国語の授業をイメージしてしまいます。そんなわけで、積極的に子どもに勧めたいとは思いませんでした。

アカザ:テーマをあれこれ盛り込みすぎた作品ですね。それぞれのテーマは、とても大切だし、心を打ちますが、おばあちゃんと犬の話だけをしっかり書いたら、それだけで十分だったのではないかしら。みなさんがおっしゃるように、翻訳についてはポストイットがいくらあっても足りないくらい、おかしな個所がたくさんあるけれど、一つだけ言わせてもらえば、登場人物の呼び方が統一されていないのが、まずいですね。たとえば、主人公の母親が義理の母親のことを「お義母さん」と呼んだり、「エリザベス」と呼びかけたり。ベンの母親も、「ベンのお母さん」といっていたかと思うと、少し後ろの行では「ミセス・グリーン」といったり。これでは、ただでさえ複雑な物語がますます分かりにくくなってしまう。大人の私でさえ、「えっ、エリザベスって誰だっけ?」「ミセス・グリーンって?」と思ってしまいました。そのあたり日本語ではわかりやすくしておくことは、児童書の翻訳のイロハだと思っていたけれど……。

さらら:翻訳の読みにくさの続きですが、p51の5行目「マーク叔父さんが突然やってきて、学校で課題が出たから、フランを自分の両親のところへ連れて行くって…」の部分、何度読んでも主体がだれなのかよくわからないんです。

アカザ:p50の「手をのばして、毛皮に指を通してみたかったけれど」って、毛皮って毛のついたままの皮のことだから、指を通したりしたら大変!

さらら:そう、どうせ犬を描くのなら、目の前に本物の犬がいるのが感じられるように、生き生きと訳してほしいところです。なにしろ、犬が大切な要素を果たす物語ですからね。それから、物語の筋道が読者にちゃんとわかるように、するべきではなかったかと……。例えばp161の「できることなら、あの時にもどって、あのドイツ人の女の子を探したい。」は、前の文脈とそこで大きく変わり、この物語の真髄に入っていくところなのだから、それがわかるように「けれども」を足すとか、一工夫してほしかったなあ。

ルパン:訳すときに適切な接続詞を補うべきところを怠って、そのまま訳しているな、というところが随所に見られますね。たとえば、逆説的なところでは、日本語なら「しかし」「それなのに」などの言葉がないと不自然なはずですが、そういったところへの配慮がないので、子どもは読んでいて混乱するのではないかと思いました。

さらら:翻訳の文体が定まらないのも気になりましたね。メインストーリーだけに注目すれば、悪くないお話なんです。ナチスドイツの時代を、なんとか生き延びたユダヤ人少女と、その飼い犬の命を救ったドイツ人少女の、引き裂かれてしまった友情。その友情が孫たちの手でふたたびよみがえる、というお話でしょう? 原作と翻訳、その両方の整理不足によって、残念なことになってしまいましたね。

〔西山〕:読書会が終わってから、地元図書館でやっと借りだして読みました。皆さんが指摘していましたが、p28の3行目で一人称なのに、自分とケイトのことを「ふたり」と書いているところなど、やはり、立ち止まるところが多々ありました。これが応募原稿だったら、「気持ちはわかるけれど、もっと整理して」と言いたくなりそうです。ただ、難民の子、車いすの子、ダウン症の子(?)を登場させているのは、それらがナチス的な価値観で排除される存在だから、どこかに絞りたくなかったのかもしれません。p106で、過去にしろ現在にしろ、悲しい気持ちにさせる事実を突きつけられて、そういう気分を振り払いたいけれどできない、という感じには共感しました。奇しくも相模原の事件と平行して読み終えることとなり、石原慎太郎などのヘイト発言が野放しにされている日本で、優生思想が実は遠い過去のものじゃないという恐ろしい現実を突きつけられた気分です。

(2017年7月の言いたい放題)