マリンゴ:サラのシリーズを原文で読んでいて、とても好きで。英語がとりたてて得意でない私にさえ、とぎすまされた文体だというのが伝わってきます。その著者の作品ということで、読む前から好感を持ってしまっていて、だからちょっと甘めの採点になりますが、楽しく読了しました。もっとも訳者の方のあとがきが、本文をなぞることに終始した内容だったのが残念でした。もう少し、作家さんの情報を知りたかった……。読書感想文を書きたい子どもたちには、こういうタイプのあとがきが、参考になるのかもしれないですけれど。

レン:表紙や字組が小学生には読みやすそうで、さっと読めるには読めたのですが、私はこの子の悩みがくっきりと見えてこなくて、気持ちを寄せられませんでした。音楽家の両親のもとで、この子がどう感じているとか、おばあちゃんのことを両親がどう思っているとか、書かれていますがよく見えてこないというのか。どう読んでよいのか、よくわかりませんでした。

ルパン:正直、あんまりおもしろくありませんでした。先ほどから翻訳のことが取り上げられていますけど、私は、こちらの本は訳文以前に、ストーリーというか内容にいちいちひっかかってしまって、楽しめませんでした。それは訳の問題だったということでしょうか。たとえば、きょうだいがほしいという子どもに向かって母親が「どうしてもうひとり子どもがいるの? あなたがいるのに」と答える。それが、ひどい母親、ということになっているのですが、どうしてひどいんだろう?と思ってしまいます。「あなたがいてくれるだけでじゅうぶん」という母親、別の子どもはいらないという母親は、むしろ愛情深いんじゃないかと思えるので、子どもが不満に思う理由がよくわからない。ここは、「あなたひとりでたくさんよ」とでも訳せば、「そんなのひどい」という子どものせりふとつながると思うのですが。それから、これはオリジナルの問題だと思いますが、「マッディには不思議な力がそなわっている」「マッディがすばらしい」「ヘンリがすばらしい」とかやたら出てくるんですけど、どこがどうすてきなのか、ぜんぜん伝わってこないので、そういう言葉が重ねられることで、かえってどんどんつまらなくなってしまいました。

レン:おばあちゃんが骨折したのは、どういう意味があったんでしょうね? この子が一人でがんばるということ?

アカシア:この子と、お母さんと、おばあちゃんが最初はいろいろ気持ちが食い違っているんだけど、最後には理解し合うようになるっていうのがこの本のテーマだと思うんですけど、それがうまく伝わってこないので隔靴搔痒感がありますね。

アンヌ:すごく好きな作家の本だったので、後に余韻が残る感触を楽しみたいと読み始めたのですが、そうはなりませんでした。きっと、気づいていないだけだと思い5回ほど読み直して、やっと、作文の意味とか練習風景を見るロバートの視線とかで、ロバートをクールな少年という風に書こうとしているのかなと思いました。それにしても、ヴァイオリニストのママが、自分の親が動物に好かれる能力があるのに気づいていないところとか、少し無理があるような気もしてします。マッディの骨折の場面も、ロバートが大人になるというより、ヘンリーがクマやボブキャットと交流できるマッディの真実に気づくということの方が重要な気がして、どうして、ロバートが自分の中のほんとうに気づくのかうまく読み込めませんでした。生活の中の音楽の重要性もロバートが気づくことのひとつなので、「死と乙女」を何度も聴いて見たりしたのですが、すっきりしませんでした。

アカシア:マクラクランは微妙な心の動きを書いて読ませる人なので、ロバートはクールというより、熱でいっぱいなんだけどそれを抑えざるをえなくなってるっていうことなんじゃないのかな。こういう作品って、行間を読ませる訳にしないといけないから難しいんですよね。この訳だと、そこまで行かないのでちょっと残念。p31に『ちいさなくま』という本が出てきますが、これはミナリックとセンダックのLITTLE BEARでしょうから、『こぐまのくまくん』とちゃんと邦題で訳してほしい。そうすれば、子どもがもっとイメージを思い浮かべやすくなります。犬の名前もエリノアじゃなくてエリナーでしょうね。

(2016年7月の言いたい放題)