アンヌ:題名を見た時から、ピーター・S・ビーグルの名作『ここちよく秘密めいたところ』(創元推理文庫)に似た話かなと危ぶみながら読み始めました。まあ、「吸血鬼」の例もありますから、いろいろなバリエーションで拡がって行くのもおもしろいとは思います。『ここちよく秘密めいたところ』は、霊園の中の霊廟に住みついた男が主人公で、幽霊と話ができます。カラスが運んできた食物で生きていて、カラスは男とも幽霊とも話ができる。『墓守りのレオ』では、主人公の少年レオは正式な墓守として霊園に住み、同じように幽霊と話ができて、一緒に住んでいる犬は彼とも幽霊とも話ができる。そして、その霊園での生活に、殺人事件が絡んでくる。似ているのはここら辺までです。『墓守りのレオ』では、幽霊は自分が死んでいるのだと気づいた時にあの世へ行かないと、幽霊としてこの世を永遠にさまようという決まりがあります。他にも、これは少し反則ではないかと思える仕組みがあって、幽霊が物を持てたり、書類を書いたりできます。まあ、飴買いの幽霊とか、物が持てる幽霊はたくさんいますが、書類を普通に書ける幽霊は初めてです。幽霊にこんなことができたら、遺言書も書きかえられちゃって推理小説などは成り立たなくなるんじゃないかと思いながら読みました。第1話が自覚のない幽霊の話で、幽霊が自分の死に気がついた時にあの世へ行くというきまりがここで説明されます。第2話では、犬が語り手になって、レオの生い立ちが説明されます。ここまででなんとなくこの物語世界の仕組みが分かり、第3話は、いよいよレオが幽霊と話せる特殊能力を持って、生きている殺人者を改心させます。一応おもしろいけれど、この少女を狙い続ける連続殺人者にあまり同情心はわきませんでした。3話中2話が殺人事件ですから、暗澹たる気分にもなります。生きている者や死んでいる者、それぞれの世界での独自の物語がまだ始まっていない気もします。シリーズ化する予定があるからでしょうか? 主人公に魅力はあるけれど、構造や物語の方向性に不満が残る感じでした。

ルパン:私も、幽霊が物をさわれる、というのにひっかかりました。ご都合主義で、物語が台無しになっている気がします。唯一、最初の「ブルーマンデー」は、女の子が死んでいる、という設定にドキっとさせられましたが、あとの2編はおもしろいと私は思えず、好感も持てませんでした。文庫の子どもに読ませたいとは思えませんでした。

さらら:まんがの原作を読んでいるみたいな、人物像のうすっぺらさが気になり、お話の中に入ろうとしても、入っていけなかったんです。最初のほう、p14の「彼は、特別な男の子。理由なんてわからないけれど、そんな気がした」というエミリアの語りに、まずつまずいてしまいました。こういう文体がはやっているのかなと思いなおし、そういう視点で読むことにしてみました。翻訳調ですよね。p169の「彼は、わたしの理解の範疇を超えていた」を例にあげるまでもなく。もってまわった文体は別にしても、幽霊が普通なら許せない存在のパパを「許すわ」って、すぐに言ってしまったり、ママが娘の昇天にすぐ納得してしまったり、これで読者は満足するのかなあと、疑問が残りました。

レン:書き割りのような場面で、輪郭だけの人物が動いているような感じで、あらすじを言えば足りてしまうお話だなと。最も違和感をおぼえたのは、主人公のレオに迷いや感情がないこと。思春期というのは迷うものだと思うのですが、レオは全能者のようで、まったくリアリティが感じられませんでした。文章も感覚的で生硬の感があり、違和感のある表現がちらほらありました。たとえばp143の後ろから4行目「わたしが置いたときとまったく同じ位置に、行儀正しくおさまっている」の「行儀正しく」とか。表紙がかっこいいので、黙っていても中高校生に手にとられそうだけれど、私は勧めたいとは思わないかな。

西山:ものが持てるという設定に、ちょっとひっかかりつつ読み進めたけれど、墓守ひきつぎの書類が書けてしまったところで、ご都合主義すぎるだろうと、決定的に覚めてしまいました。最初読み始めたときに、濱野京子さんの『ことづて屋』(ポプラ文庫)――死者の声を聞いてしまって、伝えるという――を思い出して、時代の要求みたいなのに応えているのかと興味をもちました。ただ、ご都合主義的な設定があると、切なさにいかないというのか。どう読めばいいのだろうと。「パパのことを許す」というのは、妙な理屈なんですが、そういうのが好きな高校生がいるんじゃないかなと思いました。最後の話で思い出したのは『悪の教典』(貴志祐介著 文藝春秋)で、サイコパスというのでしょうか、表はとても感じのいい顔を持っていて、実は非常にゆがんだ理屈で殺人を重ねるという人物が出てくる作品をおもしろく読むのと同じ感覚で読めるかも。このお父さんが殺してきた側のほうに、ちょっとでも気持ちが行けば読んでいけないから、想像力をシャットアウトしないと楽しめないじゃないかなという気がしました。表紙はきれいで、黒い瞳の美少年って萌どころかも。出版社側もチャレンジャーだなと、思いました。

さらら:ある世代の、世間に対して漠然とした憎しみをもっている人たちは、安易だけれど、少しダークで、でもダークすぎず、妙に筋道がひかれたものを読むと、ちょうどいい気晴らしになるのかもしれません。墓守りのレオ自身は、言葉少なで、いかようにも読めるキャラクターとして書かれていますが、1話目の幽霊にも、3話目の教授にも、自己陶酔的なところがあり、私はそこがすごく気になりました。

マリンゴ:6月に発売された『あまからすっぱい物語』(小学館)というアンソロジーに書かれていた、石川さんの短編を読みました。他の人たちが、日常を舞台にしているのに対して、石川さんは近未来が舞台。味覚がテーマのアンソロジーでこういう設定を選んでくるのは、非常におもしろい方だなと思っていました。今回の小説については、3章にいいセンテンスがあると感じました。「いずれは崩壊するのだとしてもそれが明日でなければいい」というのは、現代への警鐘になると思いますし、「呪われている人生を終えて、呪われていない人生を始める」というのは、たとえば死刑制度の是非を考えるときに、参考になる考え方かと。大きな罪を犯した人に、なぜチャンスをあげなくてはいけないのか、1つの答えの掲示だと思いました。ただ、1章で気になる点が2つありまして。1つはみなさんが既に言われている、死んでいる人が物をさわれる件。このロジックの説明がほしいと思いました。でないとご都合主義に聞こえてしまう。もう一つは、母がエミリアを送り出す(天に召される)ことに同意するシーン。同意の前に、「私も死ねば今すぐあなたのそばに行けるのよね」という発想があるのが自然ではないか、と。そこを母に言わせて、「いや、ダメ。なぜなら……」と潰す必要があるのでは? それがないので、母が同意するのがテンポ早すぎるように思えました。

アカシア:私はこの作家の本を読むのが初めてだったので、これでいいのか?と疑問に思ってしまいました。私が編集者だったら、これでは出せない、と思ったんですね。まず文章や使われている言葉が、どこかで聞いたことのある常套句ばかりで新鮮みがない。どの文章も「寝て」いて、屹立していない。設定も特に目新しいわけではないのに、そこに寄りかかっているので、キャラも浮かび上がらないし、読ませる力が弱すぎる。確かに、こういう雰囲気が好きな読者もいるでしょう。でも、雰囲気を出したいなら、文字だけでなく、音楽とか画像とかも使って、マンガでもアニメでもいいので、べつの形にしたほうがいいんじゃないかな。本のおもしろさってこの程度か、と読んだ人に思われたら逆に残念です。もしかしたら作者の方にもっと深い意図があるのかもしれませんけど、このままではどうも。

アカザ:これは、ラノベというか、コミックの原作というか……。そういうと、ラノベやコミックの好きな方に怒られてしまいそうな本だと思いました。雰囲気と、センチメンタリズムだけで読ませようと思って書いたんでしょうか。好きな人は読めばいいと思ったんですが、自分を殺した父親を許す……なあんて平気で書いちゃうのは、どうかな。

(2016年7月の言いたい放題の会)