ルパン:ストーリー性豊かで、読んでいるときはおもしろかったのですが……読み終わってから、どうも釈然としないものばかりが残ってしまいました。まず、大統領候補のブレナンが選挙戦中に悠長に登山していていいのか、という疑問。ブレナンに雇われているカミが、ブレナンが休んでいるのに自分は働くことに不平等感を持つのはそもそもおかしい。ジャーナリストであるサーシャが取材相手のブレナンとどなりあったり、ブレナンを面とむかって批判するのもリアリティがない。最後は、カミは全身麻痺、サーシャは死に、ブレナンは世捨て人になり、ニマはブレナンでなくカミを恨んだままアル中に。ともかく救いのない物語。読後感が悪く、登山の様子はよく描かれていますが、子どもに薦めたいとは思いません。物語の意図が、シェルパという職業の人たちにスポットライトを当てたい、ということだったのであれば、完全な失敗だと思います。カミの悲惨な運命には、シェルパへの敬意が感じられません。

アンヌ:最初の語り手が、ギャップイヤーという大学生以前の男の子で、何も知らない様子なのに、いきなり単独行で山奥の村まで医薬品を運ばせるという設定には驚きました。行方不明のカミがほぼ全身まひになっているというところからカミが語る物語が始まるので、ひどいことが起きるのだろうと思いながら読んでいくのはつらく、一度は読むのをやめてしまったほどです。これだけ人が登っているエベレストで、嘘をついてなんとかなると思ったりするのも変で、償いの仕方ももう一つ納得がいきません。最後がエベレストの魅力で終わるのも、奇妙な感じです。山への畏敬の念がない人が書いたんだなと思い、価値観の違いを感じました。お坊さんの話の引用も中途半端で、いかにも「悟り」とか好きそうな欧米人という感触でした。

マリンゴ:惹きつけられる内容で、一気に読みました。ただ、著者のサービス精神が旺盛すぎるように思います。シェルパが山を登って降りてくるだけでも、じゅうぶん読ませるのに。でも、シェルパ族が主人公では、読者がとっつきにくいと思ったのかなぁ。出だしはイギリス人のナビゲーターにしたほうが、イギリスの読者には親しみやすいと考えたのかもしれません。それにしてもシェルパが主人公というのは興味深かったです。これまで登山成功のニュースを読んでも、私自身、関心をもつのは山を登った“外国人”のほうでした。シェルパは高地に強くて、黙々と荷物を運び続ける職業の人、という程度の認識しかなかったので。また描写は、著者本人が実際に登頂しているだけあって、リアルでした。山に遺体があちこち放置されたまま、というのは知らなかった……。遺体を収容できなくても、その場に埋めると思い込んでいたので……。第2弾も出ているとのこと、ぜひ読みたいので、早く翻訳してほしいです。

アカシア:謎に引かれて一気に読みはしましたが、そんなに好きになれませんでした。西欧的な価値観と世界観で書かれているような気がしたんです。たとえばユキヒョウを助ける場面ですけど、自分の生存が脅かされているような地域の人たちは、普通は自分や恋人や家族の命の危険を冒してまで、野生生物を救おうとは思わない。そんなぜいたくはできないんです。それがシュリーヤもカミも、計画もなしに危険を冒す。カミだって携帯電話やメモリーカードを使われたらどうなるかわかっているのにすぐに返してもらおうともしない。この作者はシュリーヤやカミのことを、ピュアだけど知恵なしだというふうに描いているのかと思いました。そうでなければご都合主義。それからカミが頂上まで行けなかったのはカミのせいじゃない。ブレナンが命じたからだし、高山病にかかっていそうなブレナンを支えなきゃと思ったからです。でも、著者はカミに「神様たちにむかって『ごめんなさい』と叫びたい、ばかげた衝動にかられた。あんなに近くまで行ったのに、信仰の証を示せなかったことが申しわけなかった。シュリーヤからあずかった捧げ物を、神々の手にあずけることができなかったことも。そして、ブレナンを頂上に立たせてやれなかったことが申しわけなかった」と言わせている。著者はその後もさんざんカミに悩ませて、雪崩という罰まで加えている。カミはブレナンにはめられたわけですが、首から下が麻痺して寝たきりになり、はめた本人のブレナンが「カミは特別な人間だ」なんて言いながら隠者顔してそばにいる。それなのに著者はカミに「よくきてくれたね」などと語り手に笑顔で言わせている。私は読んでいて気分悪くなりました。歴史的に欧米人に命令されて動くしかなかったシェルパの人たちは、本来ならどこかで生きる知恵を身につけて、割り切り方も知っているはずなんです。もしカミにそれでも申し訳ないと思わせたいなら、遠征隊とは違う理由でカミなりにヒマラヤ(という名前からして西欧的で、この著者の意識を表しているような気がします)の頂上に登らなくてはならない理由があったと著者は書くべきです。それもないので、ご都合主義的に見えます。

パピルス:読んでみたいと思っていた本です。おもしろく読みました。他の方がおっしゃるように、ブレナンがエベレストに登ることで、大統領選にどう影響するのか、おかしいと言えばおかしいですが、そういうものだと思って気にせず読みました。著者がエベレスト登山を経験しているため、ペース配分や酸素ボンベの使い方など細かいところまでリアルに描かれていて、展開を盛り上げたと思います。また、純粋なカミの十代ならではの苦しみがよく伝わってきました。サーシャとの友情や、ブレナンへの忠誠心、シュリーヤへの想いなどです。こういった部分はヤングアダルトならではだと思いました。

西山:おもしろくて一気読みしました。おっしゃる突っ込みどころは、聞けば同感ですが、そういう心理を気にせずに読みました。謎解きで引っ張られてるんですね。ツッコミどころ満載だけど、気にしなければ読める、という読み方自体どうなんだという問題は残ると思います。ただ、テキストだから読みましたが、この表紙で、このタイトルでは、山に興味のない私は手を出さなかったと思います。ノンフィクションだと思っていましたから。

レン:先が知りたくで、どんどん読めました。ストーリーの強さがある作品ですね。ただ、腑に落ちないことがいろいろありました。獣医になる前の社会貢献をする機会としてネパールにやってきた「ぼく」が、いきなりグーグルアースにも出てこないような村に一人で向かうというところで、まずひっかかって。作者はブレナンを嫌なヤツに描きたかったのだろうけれど、あまりに一面的かなとか。内容的に、こんなこと言うかなあ、するのかなあと思ってしまうことがたくさんありました。「シェルパたちの山」と副題にあるのが、あまりピンとこず。山を甘くみちゃいけないということ? 読ませられるけれど、積極的に薦めたいとは思わない本でした。

レジーナ:展開が早く、次々に事件が起きるので、一気に読んでしまいました。副題に「シェルパたちの山」とありますが、シェルパの人たちの人間性は深く描かれていません。作者は、エベレストの厳しさと、社会の不均衡が書きたかったのではないでしょうか。ユキヒョウを助けようと突っ走るシュリーヤのような人物は、ハリウッド映画にときどき出てきますよね。『ジュラシック・パーク』とか。

パピルス:ユキヒョウのところは、カミとシュリーヤが深くつながるきっかけですよね。

花散里:今回の3冊の中で、私はこの本がいちばんおもしろかったです。本書は少年カミを描きたかったのだと思います。ユキヒョウが登場する第3章は、設定が上手いと思いました。シェルパたちの話は、新田次郎の『強力伝』(新潮社)など、山岳小説を思い出しながら読みました。アメリカ人のブレナンなどは物語の登場人物であり、人物像などは、豊富な資金を提供する人間、そういう設定なのかと気にはなりませんでした。ネパールの僻地に医薬品を届ける若者を登場させてストーリーを展開していくことで、カミとシュリーヤの関係性がわかっていくという構成もうまいし、お金がほしくてやってはいけないことをやってしまったという、カミが罪の意識に苛まれていくところも、最後まで一気に読ませると思いました。原田勝さんが訳されたということも、この本を読んでみたいと思った一因でした。

アカシア:でも、この状態で罪の意識をカミに感じさせるのは、西欧的な視点だと思いませんでしたか?

花散里:お金を得るには、それしか考えられなかったのでないでしょうか。

アカシア:だったらなおさら、著者はなぜカミに罪の意識を感じさせるんでしょう?

花散里:ブレナンに対して拒絶できなかったこと、シュリーヤとの約束を守れなかったことを、「捧げ物を、神々の手にあずけることができなかった」と表現したのではないでしょうか。

アンヌ:シェルパの人たちが持っている信仰は別のものではないでしょうか。カミは雇われて山に登っただけ。それなのに、嘘をついたことへの罪の意識とか、罰が当たったことを受け入れているところとか、何か同じ価値観を押しつけている気がします。

花散里:愛情表現ではないでしょうか。

アカシア:カミは遠征隊の中では自由意志が発揮できない存在なんです。シェルパの立場にある人がカミみたいに感じていたら、実際は生きていけないんです。「純粋だけど愚か」という設定にしているんじゃない?

ハックルベリー:児童文学の山登りものといえば、山を登るのは感動的で、基本的にいい人という描き方がほとんどでしたが、名誉名声のために登るとか、シェルパをお金で買って登るとか、汚いものがリアルにからんでいる、というのがおもしろいと思いました。シェルパの人たちの価値観は描かれていると思いますが、なにぶんカミは若いです。お金がほしいとか、愛を貫きたいとか、思いが単純で、まだまだ未熟で、シェルパの地域の価値観もわからない中で、どんどん悪い方に巻き込まれている感じが悲しい。カミはそのつど純粋に悩んで決めているんだけど、ひとつひとつどこかずれていく。カミとニマが山に置き去りにされる場面など、衝撃的で、胸に迫りました。簡単に人の命が犠牲になる、そうして世の中から置き去りにされていく人たちを描いている文学という気がします。山に登るピュアな気持ちとか、感動とかいうより、この世界に置き去りにされていく、というのを描いていると思いますし、それは実際にあることです。そういう社会構造そのもののおかしさとか、愚かなことがつみかさなっていって、こうなりたくないという例の物語として読みました。

アカシア:だれも幸せにはならない物語ですね。

ハックルベリー:「山登りの汚さ」も見るべき、と思いますし、そういう物語があってもいいと思います。

(2016年9月の言いたい放題)


<翻訳者・原田勝さんからのコメント>

バオバブのブログの読書会の記録で『エベレスト・ファイル』をとりあげてくださってありがとうございます。
この物語は世界最高峰をめざす過酷な登山を背景にしているだけに、つらい描写もたくさんあるのですが、読書会に参加なさった方の発言の中には、少し、訳者であるわたしの理解と異なる点があり、メールをさしあげました。また、原作者のマット・ディキンソンの社会的な批判の目や、また自ら登山や冒険、過去の取材を踏まえた彼の執筆活動も尊敬していますので、そういう面でもいくつか訳者からの補足情報を以下に書きたいと思います。読書会のメンバーの方にお伝えいただけると幸いです。

1)大統領選中の登山
たしかに、少し無理もありますが、ブレナンは本選挙前の、そして、党指名を勝ち取る予備選挙の、さらにその前の時期に登山しているという設定です。

2)サーシャがブレナンとどなりあう
これは、ブレナンがサーシャの報道の自由を侵害するような行為に出たからで、ジャーナリストとしては極めて当然のことです。実際にこういうことはあると思います。日本の記者クラブの御用記者体質がむしろ批判されるべきでしょう。

3)カミが全身麻痺で終わることについて
これは、じつはわたしもつらいと思っていたのですが、もともとこの作品は三部作の一作目で、先月来日していたマットと会った際にきいたのですが、三作目の完結編で、このつらい状況を補うような方向での結末が用意されています。残念ながら、これは現時点ではネタばれなので、ここには書けません。訳せるといいのですが……。

4)シェルパへの敬意が感じられない
ニマのアル中のことや、カミの容体などを見るとたしかにそうもとれますが、しかし、そもそも、シェルパを主人公にした作品が大人向けの山岳小説にもほとんどないことを考えると、原作者の強い思いを感じます。マット本人から聞きましたが、イギリスの大手の出版社は、主人公がシェルパであることがネックで、なかなか出版が決まらず、結局、版元はアウトドア関連の本を出版している比較的小さな出版社になったそうです。
また、海外の登山隊が落とす外貨がシェルパの収入源になっているのは事実で、お金をめぐるトラブルも多々あると聞いています。また、同じように命がけで登山しているのに、その配慮がないこともあります。お金のために、過剰な荷を背負って事故にあうこともあります。作品中で、カミとニマは撮影後、クレバスの中に取り残されますが、これは実際にあった事件を題材にしているそうです。
カミがあまりに純粋なので、ばかにしている、というような意見もあったようですが、いくつかのネパールでの旅行記などを読むと、シェルパ族の人たちの人の良さというのがうかがわれ、決して馬鹿にしているのではなく、民族の美点として抽出していると、わたしは考えています。

5)自然への敬意
シュリーヤがユキヒョウを守りたい一心で行動することに対して、そんなぜいたくはできない、という意見もあったようですが、とても残念な意見です。たしかにそれどころではない人も多いでしょうが、ネパールの人たちが自分たちの暮らす地域の自然を守ろうとする気持ちで行動することはきわめて当然ですし、もちろん、フィクションなので、こんな危ないことはしないと思いますが、彼女の気持ちはわたしにはとてもよく理解できます。

6)山への畏敬の念と山の魅力
カミがエベレスト(ネパール語ではサガルマータであることが、きちんと作中ふれられています)に登りたいと思い、ライアンがラストシーンで、エベレストの姿にどうしようもない引力を感じ、また、そもそも、世界中の登山家がエベレストに登りたいと思う気持ちは、あらゆる危険や犠牲を超える不思議なものだとわたしは思います。
じつは、ライアンがエベレストを遠くに望むラストシーンは、第二作の “North Face” で、彼自身が主人公となって、今度はチベットでの冒険が描かれることへのつなぎでもあり、それはこの作品を読むだけでは感じられないかもしれませんが、理屈抜きの魅力を夕日のあたる山頂で表現したのは、とてもうまいと、わたしは感じています。

7)カミの罪の意識
シェルパの立場にある人がカミみたいに感じていたら、実際は生きていけない、という意見がありました。そうでしょうか? たしかにお金で雇われてはいるのですが、きちんとした遠征隊で、立派なシェルパであるならば、エベレスト登山は単なる仕事ではないはずです。シェルパの人たちにとって、エベレストは信仰の山でもあり、また、世界最高峰でもあるし、なにより、人間の限界に挑む命がけのチャレンジであるはずです。
その神聖な山に登っていないのに登ったと嘘をつくこと、また、ベテランのシェルパであれば、もっと早くテントを出発するよう助言できたのではないか、あるいは、もっと早く引き返す決断を下せたのではないか、そういう悩みがあるがゆえに、カミは罪の意識を覚えるのです。

8)だれも幸せにならない物語
これも、三作めの一作目であることが大いに関係しているとは思いますが、たしかに厳しい物語です。しかし、エベレスト登頂がやはりとても大変な事業であり、頂上を目前に引き返した無念さを味わった登山家も多く、また、無理をして登頂には成功したものの下山中に命を落とした登山家も数多くいるのです。それでもなお、なぜ、世界中の人たちが登頂を目指すのか、答えはひとつではないでしょうが、少しでも、その危険な魅力を読者に感じてもらえればと思います。

9)ご都合主義について
たしかに、ちょっと無理があるんじゃない、という設定はありますが、エンタテインメント性を備えた小説には許される範囲だとわたしは思っています。これは、この作品に限らず、とくにヤングアダルト作品には、こうしたアドベンチャーもの、SF、スリラー、ホラー、サスペンスなど、がもっとあっていいと考えています。大人だけがこういうジャンルを楽しんでいて、若い読者はつじつまのあうものだけを読まされるのはどうなんだろう、と前から思っています。わたしの訳したものの中では、ケネス・オッペルや、ガース・ニクスが、もっと日本で評価されるとうれしいのですが。

10)原作者の意識
マット・ディキンソンは、BBCやナショジオの映像作家をやってきた関係で、自然保護やアドベンチャー、社会正義といったテーマにとても敏感な作家です。ヤングアダルト作家としての最初のシリーズは、いわゆるバタフライ現象をもとにした、エコロジカルなサスペンスでした。この「エベレスト・ファイル」のシリーズは、すでに “North Face” という二作目が出ていて、三作目、”Killer Storm” は来年出る予定。訳せるといいのですが。
今年は “Lie, Kill, Walk Away” という、政府による内部告発者の抹殺を背景にした(実際にそうではないかと疑われている事件がイラク戦争にからみ、イギリスでありました)、ヤングアダルト向けのサスペンスものを書きました。
ただ、これも大手の出版社からは出してもらえなかったそうです。
こういう作家がいてもいい、と思います。