ルパン:まあ、どっちかといえばおもしろかったんですけど、それはただ、何年も前のバリ旅行のことをなんとなく思い出したからかもしれません。文庫の子に手渡したいかと聞かれたら、手渡したいとは言えないですね。そもそもこのお話、小学生が読んで楽しいんでしょうか。なんだか誰かの旅行記を読んでいるみたいでした。主人公の文音と友だちの華、中2の女子がふたりでインドネシアまで行って発掘隊に加わって、原人の足跡まで見つけちゃうんですけど、古代への思いや情熱がまったく伝わってこないんです。いっそのこと古代人が現れでもしたらおもしろかったのに。それに、文音がかかえている問題も「引っ込み思案」くらいで、何に悩んでどう成長したのかも感じられないし。こういう設定のお話って、ふつうは読者がいっしょに旅をしていっしょに感動していっしょに成長したような気もちにさせてもらえるものだと思うんですけど、この物語にはそういうワクワク感がまったくありませんでした。

マリンゴ:昨年、小学館児童出版文化賞を受賞したのをきっかけに読んで、うーん、どうなんだろう? と。評価が難しい作品だという気がしていたので、みなさんの感想を聞きたいと思っていました。女の子の他愛ない友情のもつれと仲直り、というテーマ自体は、よくあるもので珍しくない。でも、旅先のジャカルタの風景とか、雨とか、匂いとか、リアルに立ち上がってきていて、紀行文的な読み方をすると、魅力的な部分もあります。自分が子どもの頃に読んだら、シーンが鮮やかに胸に残る本で、けっこう好きだったかなと思います。

りんご:子どもが海外に行くのって、衝撃的な体験だと思うのですが、主人公たちの驚きや発見が生き生きと描かれていません。インドネシアの空気が伝わってこないのが残念でした。淡々と物語は進行していきます。小説としての読み応えがないです。主人公が発掘作業を手伝って「50万年前から友達」というアイデアはおもしろいのですが、そこ以外は特別におもしろさを感じませんでした。せっかく発掘というロマンあふれる題材を使っているのに、ロマンも伝わってこず、もっとそこを書いてほしかったです!

西山:再読しきれなかったんですけど、あまり強い印象を持てずにいます。良くも悪くも。最初に読んだときに気になったのが、視線を「するどい」と形容する文章がものすごく多いこと。編集者は気にならなかったんだろうかと。p17、「視線がとてもするどい。思わず顔をふせた」。p47で現れた島尾先生が「笑顔なのに、先生の目はとても鋭かった」。p54「その視線がとてもするどく感じられる」。p56「するどい視線になれずにたじろいでいるあたし」と・・・・・・。なにか、すごく悪いことが起きるのかと身構えるような気分になっていました。それだけでなくて、例えば、p33、4から5行目、「いらいらしていて見ていた華が横から手をだして」という場面や、p34からp35の、イスラム教に関して「そのくらいなら知ってるわ」、という言い方の突き放した感じ。p36「当然だけれど、他の人は全員外国の人。じろじろとあたしたちのほうを見ていた」とか、たたみかける拒絶感というのか、私にとってネガティブな緊張感ばかりを作品から受け取ってしまった。まぁ、はじめて外国に行く、それも日本的な快適さとはほど遠い、不便で、不快なインパクト強烈な行き先では、主人公の感覚としてはこれがリアルなのかもしれないけれど、警戒している感じ、不安な感じばかりが前面に出ています。不便や不快もおもしろがってしまう異文化体験のわくわくを私が期待しすぎなのかもしれないけれど・・・・・・。

げた:私はあんまり鋭くなくて、気がつきませんでした。私はどっちかっていうと、そのことよりも異文化理解だとか、多文化理解へのきっかけづくりに使える、副教材的な本としても、さらっと読めていいかなという気がしています。マンディ、ナシゴレン、日本とは全然違うインドネシアの食文化だとか、アザーンが1日5回だとか、勉強になりますよね。中学2年生の女の子たちを通してだけど、インドネシアの人々の心情なんかが、深く表現されているわけではなくて、通り一遍で、さらっと説明されていて、深みがないといえばないんですけどね。インドネシアに比べて、経済力が日本のほうが上なので、遺跡発掘調査もなんとなくしてやってる感があって、対等ではない関係がただよってきて、そういうところがまだまだだなとという感じはもちましたけどね。テーマの友情ですけど、女の子2人が、お互い嫉妬から生まれたいさかいを超えて友情を育んでいくという展開も楽しむことができました。

アンヌ:今回1番おもしろかった本で、作者の書きたいことは見えてくるのですが、うまく書けているかという点には疑問が残りました。主人公の一人称で書かれていますが、内向きな性格で自分を閉じているし病気もしてしまいます。そんな主人公が周囲を見回しても、鋭い視線で見返される場面が多すぎてその先になかなかいかない。「タイムマシンみたい」などとおもしろいことをよく言う人で、頑固な性格であるとされていますが、華の言うように人から相談をされるような人柄には見えてこない。研究者たちの中で過ごすという魅力的な設定なのに、肝心の研究内容がよくわからない。もう少し説明してほしいし、註を入れてもよかったのではないかと思います。いっそ、楓子さんを主人公として大人向きの小説にした方がおもしろかったかもと思いました。書き方で気になったのは、p83アボカドの木に登るダングさんを「いや、サルそのものだ」というところ。その他p87の「あたしはふるふると頭をふった」マンガではよく見られますが、三人称的表現だと思っていたので気になりました。

コアラ:そういえば、途中でいろいろ違和感があったんだったと、今みなさんの話を聞きながら思い出していたところです。私は、出だしのところは、旅のワクワク感で読み始めました。中学2年生の女の子の友情の物語なんですが、一人称で気恥ずかしいところもあって、p191から、文音と華がお互いのわだかまりをぶつけあう場面は、ちょっと恥ずかしくて読めなくなってしまいました。私自身が一番共感したところは、p201の7行目、「果てしのない研究が未来につながっていくに違いないって思えたのよ。」という楓子さんの言葉でした。子どもの目というよりも、大人の目で読んでしまったような気がします。タイトルは、強いタイトルではないのですが、読み終わるといいタイトルかなと思いました。

ハル:正直なところ「50万年前からあたしと華はつながっている」というところがよく理解できませんでした。仮にそうだったとしても、だから私たちは特別な絆がある、という考え方はちょっと、私の考え方とは相容れませんでした。だけど、そこを抜いてしまうと、女の子同士のやきもちとか、素直になって仲直りとか、そういうのは日常の中で発見できることで、何もジャカルタまで2人を飛ばさなくてもいいんじゃないかなと思ってしまいました。一人称なのも気になります。中学2年生の女の子らしさが少なかったり、主人公の性格からか、日常から飛びだした割にのびやかさがなかったり。せっかくの舞台がもったいなかった感じがします。

さららん:華と文音が異文化に出会い、自分たちの物の見方を相対化していく過程を通して、読者もまた異文化を体験してほしいという作者の意図は、よくわかります。狙いはいいんですが……。現地の言葉に、自分たちで耳をすまして、「バギ」っておはようっていう意味なんだと発見するところなどは、良い描き方だと思いました。現地の人は文音を「ヤネ」と、華を「ナ」と呼ぶ。違う名前を得ることで、2人は違う視点から見た、今までとは少し異なる自分を感じる。「帰ってきたよ、50万年前からの友、ナよ」「うん、帰ってきたね。五十年後までの友、ヤネよ」と、帰国後2人がちょっと芝居がかって言いあうところで、盛り上がるはずなのですが、作者の計算が見えてしまって…残念。あと、リアリティっていう点で、果物とか生野菜を、主人公たちは危ないって言われずに食べてるんですけど、大丈夫かしら。洗い水には注意したほうがいいかも。旅のあいだ、華と文音の気持ちがすれ違い、「嫉妬」という人間の永遠の問題にぶつかるけれど、あまりこじれることなく解決してしまう。お話の構造に、盛り上がりがない。確かに文音はジャワ原人の足跡を見つけるけれど、心に響く、大きな何かとして感じられない。外国に行っても日本人の大人に守られ、日本食に舌鼓を打ち、本当の異文化に出会っていない印象が残りました。

よもぎ:題材は、とてもおもしろいと思いました。知らない国に旅立ち、未知の研究に携わるところなど、だれもが経験できることではないから、読者はわくわくすることと思います。狭い教室のなかで、あの人が意地悪したとか、いじめたということだけでなく、こういう物語がもっとあってもいいんじゃないかしら。主人公と華の気持ちも、よくわかるように書けていました。ただ、アンヌさんがおっしゃったように、説明不足のところが多すぎるのでは? たとえばp53の「テレビで見たことのある南国の大きな葉っぱ」とか、ちゃんと名前を教えてもらいたいし、「研究者のなかに西洋の人もいる」というような表現も荒っぽいですよね。いまどき、こんな風にいう? なかでもひっかかったのが、p120の栗山さんの話。もともとオランダの植民地だった蘭印に、太平洋戦争をはじめた大日本帝国が表向きは独立を助けるという名目で、本心は資源欲しさに進軍したというのは歴史的な資料でも明らかになっていることだし、もっときちんと書くべきだと思います。ただでさえ、近、現代史を教えない学校があるという話ですから。作者の書き方だと、日本とインドネシアという国が、第二次世界大戦で直接戦ったように誤解するのでは? だいたいインドネシア共和国ができたのは、大戦後なのに。どうしてこんなに大事なところをさらっと書きながしてしまったのか、なにかの配慮が働いたのか、ぜひ作者に訊いてみたいと思います。あと、p105の4行目「やさしが」は「やさしさが」、p145の2行目「あたしは」は「あたしが」ですよね?

ネズミ:4か月くらい前に読んで、今回ちらちらとしか読み返せなかったのですが、前に読んだとき、やや全体に物足りない感がありました。外国に行っても日本のものさしをひきずっていて内向きで鈍感な感じがするのは、地層学者のおばさんに誘われて中2の夏休みになんとなくついてきてしまった女の子という設定だからかなと思ったのですが、そこからもっと成長するのを期待してしまうと、そうでもなかったかなと。またクライマックスの足跡の発見も、都合よすぎる感じがしてしまって。でも、このくらい受け身でぼやんとしているほうが、今の中学生には現実味があって親近感が湧くのでしょうか。説明的な会話が多い気もしました。みなさんはどう読むのだろうと思っていた本だったので、今回とりあげられてよかったです。

サンザシ:異文化に触れた子どもたちの新鮮な驚きは描かれていますが、文章にオリジナリティがないと思いました。そのせいか、作品世界に引き込まれるというよりは、道徳の教科書に出てくる「いい話」を読んでいるみたいな感じがしてしまいました。不満だったのは、リアリティの欠如と、上から目線です。そもそも大事な調査を抱えて忙しい研究者が、初めて外国に行く観光気分の子どもを2人も現場に連れていくでしょうか? それに帰るときも、田舎から危険がいっぱいのジャカルタ空港まで行って、そこから帰国便に乗るのを楓子さんは最初子どもだけでやらせようとします。それもちょっとあり得ないな、と。日本まで一緒に帰れないとしても、普通はジャカルタで飛行機に乗せるところまでは大人の責任でやるでしょう。またp18で栗山さんが荷物チェックが厳しいので、カウンターを蹴って子どもたちをどきっとさせるのですが、私自身は飛行場でカウンターを蹴っている人なんて見たことがないので、栗山さんのキャラ設定としてこれでいいのか、と疑問でした。
 上から目線というのは、たとえばp83でダングさんが木に登るのを見て「サルみたい、いや、サルそのものだ」で終わらせているところ。それから「〜をしてあげる」という表現が随所に出てきます。p117「やさしくしてあげると、ぜったいに気持ちで返してくれる」p118「親切にしてあげると返してくれるのよ」。こういう言い方って、この作家は欧米人に対してもするのでしょうか? もう少し寄り添った書き方ができるとよかったのに。p185「あわてて車にもどるダングさんがすべって転んで、どろまみれになった。思わず、笑ってしまった」というところも、ダングさんがみんなの傘を届けようとしているところなので、これで終わらせてはまずいでしょう? それと、p224の「話しているうちに、わけがわからなくなってきた」というところですけど、ここは二人の友情話にとってはキモになる部分なので、もっとちゃんと書いてほしかった。小学館児童出版文化賞をとった作品なので評価する人も多いと思いますが、私には題材を生かし切れていない、もったいない作品だと思えました。

ルパン:p118はさすがに「上から目線」が気になりましたね。「ダングさんに運転免許をとらせてあげたのよ。」とか「小さいことでも親切にしてあげると返してくれるのよ。」というセリフ。「〜してあげる」ということばづかいだけでなく、ダングさんが色々よくしてくれるのはこちらに恩があるからだ、という楓子さんの考え方には共感できませんでした。エーデルワイス(メール参加):題名の「川底にえくぼが三つ」って、なんのことだろうと、惹かれました。女の子の友情と初の海外体験や、カルチャーショックと成長が描かれています。作者の体験がもとになっているので、リアリティはありますが、もう一つ何か足りない感じがします。私事ですが、23年前に初の海外旅行をしました。図書館員チームに入れていただいての、タイ・ラオス図書間交流の旅でした。1週間の平均睡眠時間は4時間。ハードだけど終始笑っていて、濃密で幸せな時間を過ごしました。最後はもちろん涙、涙・・・。その体験が、その後の私の方向性を決めたような気がします。中2での体験は大きいですね。パックツアーではなく、子どもたちもどんどん日本を出て海外体験をしてほしいな。

(2017年4月の「子どもの本で言いたい放題」より)