『ハルーンとお話の海』
サルマン・ラシュディ/作 青山南/訳
国書刊行会
2002.01
原題:HAROUN AND THE SEA OF STORIES by Salman Rushdie, 1990(イギリス)

<版元語録>ある日突然物語る力を失った父のために、ハルーンはお話の力を司る「オハナシー」の海へと旅立つ。死滅しつつあるその海をハルーンは救えるのか。死刑宣告を受けたラシュディが、悲痛な思いをこめたファンタジー。

愁童:一応全部読みましたが、全く我が世界に関係ないというか、共感がわかなかった。縁なき衆生という感じ。作者の思いはわかるんだけれども……。日本の子どもにダジャレめいた言葉づかいでダラダラ書かれても、しょうがないんじゃないか、という感じ。

:太字で書いてある部分は、原書ではどうなっているのかしら?

ねむりねずみ:原書ではイタリック体になっています。

アカシア:私は、この本は、イメージはおもしろいと思うけれど、こういう言葉遊びの文章は、日本の子どもには伝わらないと思う。翻訳もむずかしい。訳者が工夫してダジャレ風に訳しているところも、私はあんまり面白くなかった。ルイス・キャロルのアリスだって、日本の子どもにはわかりにくいじゃない? もともとは著者が自分の息子という特定の読者のために書いているものだとすると、よけい日本の子どもには難しいと思うんだけど。

:私は、最初から最後までおもしろく読みました。最初は淡々としてるけれども、水の精が出てくるところ、2932をフクザツーというのや、ブスでどうしようもないお姫様とか、馬鹿馬鹿しいところもおもしろかった。名前もおもしろいし、最後まで笑いながら読めた。だんだんお話の海がにごってくるというのは、文学の衰退を感じさせた。また、子どもも親に対して幸せであることを願っている、というところもよかった。

:私は1800円出して買って、損した。雰囲気的には、スティーヴン・キングの『ドラゴンの眼』に似ているけれど、また少し違って、『フィネガンス・ウェイク』的なところもある。「語る」こととは何か、ということを語っているわけで、子どもには無理だし、第一、この翻訳で読ませるのも無理があるわね。原作にはそれなりの意味があるとは思うけど、子どもに読ませる物語としては、翻訳の路線が間違っていると思う。子どもにむかって、行きつ戻りつしながら、「語る」ということを語っているんだけれど、ひとつの物語としては、飛んでしまっているわけです。

トチ:「飛んでいる」という意味が、よくわからないのだけれど……

アカシア:飛んでいるというより、ゴチャゴチャしていて、ラシュディの他の作品と違う。

:しっかりとプロットの構築がされていない、ということでしょ?

トチ:私はすごくおもしろかった。54ページまでは、たしかになかなか話に入っていけなかったけれど、主人公の男の子がバスルームでとんでもないものに出会う場面から、俄然おもしろくなりました。夜中に、自分の慣れ親しんでいるはずのバスルームや台所でとんでもないことが起こるというのは、子どもにとって本当にわくわくする物語で、私もタイトルは忘れたけれど、こういう場面が出てくる物語を子どものころ読んで、楽しかったのを覚えているわ。この物語は、いくつもの層が重なり合ってできていて、子どもの目でストーリーを追って読めばそれはそれで楽しいし、大人の目で読むと、あんなにアンハッピーな境遇にいたラシュディがこんなにハッピーな話を書いたということに感動する。小さいころにこの話を読んで楽しんだ子どもが大人になって読み返すと、昔は気づかなかった深い意味に気づく、そういう本だと思います。私自身も、また読み返してみたいと思いました。
訳については、みなさんのおっしゃるとおり、おそらく原文で字体を変えている部分をそのままゴチックにしているのでしょうが、字面が汚くて読みにくかった。作者が字体を変えている意味を訳者が汲みとって、それを訳文に生かすべきだと思うのだけれど。でも、訳者はさぞ楽しんで訳したことでしょうね。人名や地名も苦しみつつ、楽しみつつ訳している様子がうかがえました。ハリポタのロシア語訳が出たときに「人名や地名のおもしろさも魅力のひとつなのに、露語訳は英語をそのままロシア語の綴りに置き換えただけで、原作の魅力が半減している」と批評されたけれど、邦訳もそうですよね。少なくともハリポタの訳者より青山南さんのほうが何倍も丁寧に訳しているし、努力していると思う。不発に終わっているところもあるけれどね。

ねむりねずみ:原作が出た時に読んだけど、半分まででパスしてしまった。構造がわかって、それで満足、という感じだったみたい。雑誌 Books for Keeps (2000年3月号) に著者のインタビュー記事が出ていて、そこに2000年にイギリスで出版された愛蔵版の表紙と挿し絵が出ていた。これを見ると、楽しいイラストがたくさんあって、日本語版より魅力的。この本は、ドタバタがおもしろいと思う。イメージが、コラージュを見ているみたいに非現実的で、そういう世界が持つおもしろさがあると思う。表には出てきていないけれど、物語に対する作者の価値観がわかるのもおもしろかった。荒唐無稽な感じは、ロアルド・ダールの『チョコレート工場の秘密』がイギリスで映画化されたときの、やたらぴかぴかきらきらしていて、すべてが非現実的なおもちゃみたいに感じたのとよく似ている。

すあま:私はあまりおもしろくなかった。途中で挫折して、また読み始めたけれど、結局最後まで読めなかった。音楽でいえば現代音楽といった感じかな。だいたい言葉遊びで生きている話っていうのは、翻訳されておもしろいものにはあまり出会ったことがないですね。それにゴチック体がうるさくて、一生懸命はいりこもうとして読んでいる時に気が散ってしまい、だんだん頭が混乱して、ついていけなくなった。イラストがあるともっとよかったかも。

ももたろう:私も最後まで読めなかった。すごくテンポが早く、登場人物が次々に出てきて、ついていけなかった。気持ちがはぐらかされてしまう、というか、お話が上滑りしている感じで、自分の心にストンと落ちてこない。やはりゴチック体には邪魔されてしまった。3分の1くらいゴチックで、すごくうるさいページもある。旅に出るところまではスローなのでまだついていけるが、そのあとはどうも……。今の子どもたちは、エキサイティングに感じて読むのかしら?

ねむりねずみ:漫画のなかでも、ラフな描き方というのがあるでしょう? 走っている足を描かずに、砂煙だけを描くとか。そういうドタバタの面白さだと思うけれど。

アサギ:私も愁童さんと全く同じ感想で、途中でわからなくなって、しょっちゅう前に戻ったり……。翻訳としては訳しにくいものだと思ったけど、ゴチックにする意味は私も全く理解できないわね。アルファベットの字体を変えるのと、日本語をゴチックにするのとでは全く意味が違うので、危険だと思う。一応最後まで読んだけど、最後まで読んだ本当の理由は、最後まで読めばこのゴチックの意味がわかるのかと思ったからなの! たとえばゴチックの部分だけつなげたら、別の文章ができるとか……。

一同:あー、それだったらおもしろいのにねー!

アサギ:でも、結局最後まで読んでもわからなかったわ。お話もおもしろくなかった。「語る」ということについての哲学はあると思ったけど。カタカナがたくさん出てくるのも、字づらとして汚くなりがちよね。視覚的にディスターブされて、はいっていけなかった。でも、とてもおもしろかった、と言う人がいるってことは、本の読み方って本当に人それぞれってことよね。子どもは何歳くらいから読むのかしら?

トチ:著者も、いろいろなレベルで読んでほしい、と言っているわね。

:大人向きに解説してくれている部分はあるけど、子どもにはわからないと思う。

愁童:この本には、送り手側の熱意の欠如をものすごく感じるな。これを本当に今の子どもに読ませたいと思うのだったら、もっとわかるように努力すべきだよ。作者のネームバリューに乗っかって出してるだけみたいな気がする。

トチ:たしかに、編集者と訳者には子どもに読ませたいという熱意は欠如しているかもしれないわね。でも、作者には絶対にあったと思う。作者のその熱意を編集者と訳者は汲み取れなかったのか、それとも無視したのか……

アカシア:物語について語っている部分も確かにあるけれど、余計な部分もたくさんあって、その部分がおもしろいと思えるかどうかは、読み手の感性に会うかどうか、ということだよね。作者というより、訳者の感性と合わないとだめっていうことかも。

ねむりねずみ:原文では、冒頭がもっと物語る人の語り口調になっているんだけど、訳文はその感じが出ていないというのはあるかもしれない。民話などによくある荒唐無稽なものでも、語り手の口を経ることによって、すっと聞き手にはいってくることがあるけど、これは訳文がそこまで達していないのかな。冒頭の部分なんか、日本語としてはやるなあ、うまいなあって思ったんだけど。

トチ:そういわれてみれば、青山さんの得意のニューヨークものみたいな感じね。

:インドの子どもたちにとっては、魚とか鳥とか、いろんなメタファーがもっと身近なのかもしれないわね。

アサギ:荒唐無稽な話でも、その中に整合性があるものは、本来私は好きなんだけどな。

アカシア:アリスだって、原文で読まなければ絶対に伝わらないものがあるじゃない、これもそういう類の話なんじゃない?

:こういうジャンルの翻訳ものの難しさなのかしらね。

愁童:お父さんがお話できなくなるのは、結局お話の海が汚れているからだ、みたいなこと言われても日本の子どもは困っちゃう。

トチ:んー……もっと重層的意味を持っているんじゃないかしら?

:もっと深いところが侵されてきているからで、原因はいろいろあって、だからおもしろかった。

アサギ:読み手の感性に合えば、本当におもしろいでしょうね。

ももたろう:もともと子どもに語ったものなので、楽しみながら語ったものに後から思想がついてきたのかな?

:いやもっとシリアスで、お父さんどうして語ることをやめないの? という問いかけに答えたものでしょ。

(2002年05月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)