ハマグリ:私は、この本はものすごくおもしろいと思いました。最初は、「〜です。」という文体が鼻につく感じで、大人が無理に子どもの言葉にしてやっているという感じがしたのですが、だんだんその普通ではない文体が合っているように思えてきました。『エンジェル エンジェル エンジェル』と同様、娘と母と祖母の話なので、並行して読んだら少し混乱しました。タイトルの訳はまずいと思う。だんだん亀になっていくところがおもしろいのであって、最初から「亀になった」と言っっちゃったらどうしようもない。皮膚がごわごわしたり、しゃべり方がおかしくなったり、どうなっちゃうんだろうと思うところがおもしろいのに。原題は、「シェイクスピアを愛した亀」なんですよね。
実際にはこんなことはありえないんだけど、すごくリアリティがあった。おばあさんなにの亀、亀なのにおばあさんというところが、よく出てる。絵が好きなおばあさんは亀になっても絵を描くんですよね。メールで知り合ったマックスとのやりとりは、つくり話めいていて、マックスが正体を表わすところも期待はずれだった。でも、ひじょうにオリジナリティのある不思議な話だと思う。出版社は大人向けに出していますよね。でももともとは子ども向けに書かれていると思う。死とか老いということを、そういう言葉を使わなくても、子どもにわかる形で描いた物語だと思うので、大人が読むよりも子どもが読むほうが、真価を発揮するんじゃないかしら。

雨蛙:訳文の調子に慣れるのに時間がかかりました。ストーリーのおもしろさにひかれて、気にならなくなりましたが。子どもの視点を出すには、いまひとつ合わなかったのでは。書名を見たとき、ほんとに亀になるわけないしと思ったんですが、ほんとうになっちゃうところはおもしろかったですね。突拍子もない展開で、主人公が疑問に思う目線が読者とは違うなと思いました。そのへんのギャップもおもしろかったです。やっぱり子ども向けにしてほしいですね。シェイクスピアも、もっと読んでおけばよかったですね。マックスが出てくるのは、物語をこんがらがらせていますよね。

ケロ:マックスって、どんな人なのかなってひっぱるわりには、なんか生きてないですね。

ハマグリ:ネット上に出てくるから、不思議な存在としてうつるしね。

:私もおもしろかった。母親がおばあさんに会いに行かないっていうミステリーにもひっぱられた。私の母もそうなんだけど、だんだん腰がまがっていって、ほんとに亀になっちゃうようなのよね。いっしょうけんめい、母親に知らせないように、おばあさんを守ってあげるんだろうと思ったりして、心のひだまでよく描けてた。『シカゴよりこわい町』(リチャード・ペック著 斉藤倫子訳 東京創元社)のように、このおばあさんなりの口調があってもよかったかも。マックスが寝てるのは不自然ですよね。寝てる場合じゃない。ボートでも持ってきてつれていってほしかったのに。無理やりひっぱってきて疲れたのかしら。うさぎも唐突に感じました。母親のほうは、どんな思いがあったのかということにも興味がわきました。

ケロ:ベネツィアの地形、どういう状態で水が入ってくるのかというのが想像がつきにくかったのは、残念でした。また、おばあさんが香水を飲んでしまって精神病院に入れられちゃったという錯乱状態が、本当はどうだったのかというところも、わかりにくかった。本当のところ、おばあさんは過去の一時期ヘンだったのか(だとしたら、娘の非はあまりないように感じる)、何かの誤解でおばあさんはずっとまともなのか(とすると、娘は取り返しのつかないことをしたことになる)、もしくは今もずーっとヘンなのか?? ぼんやりとしかわからないので、そのへんが描かれていると、二人の和解の過程がもう少しわかったのかも。全体に、ベールを通して見ている感じ。どうしてかな? 最初に言った、いろいろ分からないことがあるからかな? それとも、これがイタリアだからなのかな? そうは言いつつ、おばあさんが頭に手をやる場面が印象的だったり、魅力的な本でした。表紙の絵のおばあさんの顔もいいですよね。また書名も印象的、最初に聞いたときは、「神になったおばあさん」かと勘ちがいしましたが。

:亀ふうになるのかと思ったら、ほんとに亀になっちゃうんだもんね。

カーコ:奇妙でおもしろい話を読んだなと思いました。書名については、ハマグリさんとまったく同じで、「もともとこういう題名だったのかしら」と、思わず原題を確かめてしまいました。最初から、おばあさんがそのうち亀になると思って読むのと、「亀はおばあさんだったのか」と読みながらわかっていくのとは違う。タイトルによって、物語の読み方が左右されるんですね。文体は入りにくかったです。お母さんの口調にひっかかりを感じました。場面によって口調がバラバラ。子ども向けの本だと知りつつ、大人向けに訳したために、中途半端になってしまったのでしょうか。全体に、『ヘヴン・アイズ』(デイヴィッド・アーモンド著 金原瑞人訳 河出書房新社)とはまた違う、不思議なお話でした。

ハマグリ:お母さんとおばあさんの間には深い問題がありそうに書きながら、最後にお母さんがおばあさんを見て、すぐに母とわかり、わだかまりが急になくなるのも唐突な感じがしました。

紙魚:私もおもしろかったです。亀って本当に、生と死との境、もしくは現実と物語の境にいるようなたたずまいじゃないですか。おばあさんが亀になっていく過程と、死にむかっていくさまが、すっと重なって物語になっているようでした。

愁童:ぼくは、好きになれなかった。人間の老いを、こんな形で子ども向けに書くことにどんな意味があるんだろう? おばあちゃんが亀になっていくのっておもしろいねっていうことか。ほんとだったら、見てられませんよね。しわのできかたとか老人の表情とかの描写、うまいと思うけど、人が老いると言うことを外見的な変化に着目させて亀のイメージを作り上げ、そこへ子どもの読者の関心を引っ張ってくるという手法に違和感を感じちゃった。「死をうまくかわすには変身すればいいのさ」って、そんなもんじゃないでしょ。

ハマグリ:ほんとだったら、おばあさんが亀になっていくのを見てられないっておっしゃったけど、子どもの目から見てそうなっていくのをあらわしているんじゃない?

愁童:描写力があるから亀になっていく様子に真実味があるだけ、こっちの違和感が深くなっちゃう。

ハマグリ:おばあさんが変わっているのに女の子が驚いたりするでしょ。長いあいだに起こった変化を、亀になったとあらわしているんじゃない。亀になったおばあさんは幸せそうよ。シェイクスピア読んだりね。

愁童:なんでシェイクスピアなの?! こういうことを、こういう形で書けるという作者の人間観がいやなの。確かに、年寄りと亀のある部分は似ているかもしれないけどね。魔法が使えりゃ人生なんてチョロイっていうハリポタ風メッセージと似たような印象。

すあま:私は楽しく読めなかった。おばあさんが亀になっていくのがとてもリアルに描かれていて、かなり怖かった。子どもにとっても生々しいのでは? それから、マックスは登場しなくてもよかったのではないかと思った。

愁童:おばあさんが老いていくのは自然の成り行きで仕方がないことだけど、亀に変身して目先の死はかわしたけど、先へ行って結局最後は亀として死を迎えることになるわけでしょ。人間として終わりたいんじゃないのかな。死はかわせないから死なんだよね。

ケロ:さきほど私は、魅力的な本だと言いましたが、今のお話を聞いていて、「死」や「老い」をかなり身近に感じる年配の世代の人が読んだら、どう感じるのか、知りたくなりました。単純だ、とか、甘い、とか感じるのかな? この本は、「老い」を、亀のようなしわしわの肌とかに重ね合わせてはいるけれども、老いや死を残酷に描いているとは、私は感じなかったから。おばあさん本人が解き放たれてハッピーになっていくように感じられたし。死は免れられないけど、それをそのまま描くのではなく、死を迎える方も、そのまわりの人たちも、こんなふうに受け流していけたらどんなにいいかな、という希望として読めました。

愁童:亀の寿命は400年。だからまだ2分の1っていうのもなぁ、算術じゃないでしょ人生は。

ハマグリ:でも、亀はいやなもの、汚いものとは表現していないんだから。

紙魚:私は、精神的な象徴としての亀なんだと読みました。

愁童:でも、これは実際におばあさんが亀になるんですよ!

アサギ:私は何がおもしろいんだか、さっぱりわからなかった。お母さんがミステリアスで、設定が変わっているし、イタリアの作品は少ないので、最初は読もうと思ったんですけど。あとがきで理屈がわかるという感じでしたね。話ってただ変わってりゃいいってもんじゃないですよね。この子の年齢にしては、大人っぽいし、訳が合っていないですよね。ストーリー展開の必然性も感じられなかったので、なんでこんな本出したんだろうと思いました。ぜんぜんおもしろくなかったですね。

カーコ:このあとがきは、『すべての小さきもののために』(ウォーカー・ハミルトン著 河出書房新社)と同じように、おしつけがましさを感じました。読者の読みを邪魔せずに、しかも作品に興味を持たせるというのは難しいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2004年7月の記録)