『チョコレート工場の秘密』
ロアルド・ダール/著 クェンティン・ブレイク/絵 柳瀬尚紀/訳
評論社
2005.04
原題:CHARLIE AND THE CHOCOLATE FACTORY by Roald Dahl 1964

版元語録:世界一のお菓子工場の秘密とは…?! 国際アンデルセン賞画家Q・ブレイクの軽妙洒脱な挿画と,柳瀬尚紀の新訳でおくる新シリーズ。

チョイ:田村隆一さんの訳で読んだんですが、差別語が一杯あったんで新訳にしたのかなあと思いました。改めて読んでみると、チャーリーっていう主人公は、ほとんど何もしていないんですね。タイトルで想像するほどには、私は楽しくなかったです。

うさこ:前半は、チャーリーが主人公。後半はワンカ氏が主人公。わくわくしてひきこまれて読めました。設定が極端かなという印象はあります。チャーリーが10歳なのに祖父母が全員90歳というのはどうか、黄金切符が特徴のある子どもにあたりすぎる、チャーリーが雪の下から銅貨を拾い持ち主を見つけて届け出もしないまま「ラッキー」という感じでチョコレートを買うのはいいのかな、などと疑問に思いました。テレビアニメ版「フランダースの犬」のネロのことを思い出してちょっとひっかかったんです。子ども心に、良心の大切さというものがやきついていたことがあったので、話がうまくいきすぎると思った。『真夜中の飛行』は、訳者がどれだけ原作者の書きたかったことを理解しているか疑問だったのですが、柳瀬さんはちゃんと理解して独特な訳にしている。

カーコ:大げさな表現が出てきますが、読み始めてすぐに、ああこれはユーモアものだなと思って、そのノリで読んでいきました。次々と出てくる奇想天外な場面を楽しんでいくお話。書かれたのは1964年と古いのに、こうして新たに訳され、新しい装丁で出ると、新しい読者がつくんですね。昨年映画になったので、小学生は「チャリチョコ」と呼んで、学校の図書室でもよく貸し出されているようです。

紙魚:映画化で話題になってから、ふだん児童書の話などしたことのない友人の一人に「この話って、あっちいったりこっちいったりして、最後はもとの場所に戻るだけだよね」と言われたんです。その人としては、こんなシンプルなものが子どもに受けるの? と驚きだったようなのですが、子どものときって、それがおもしろかったんですよね。まさにそのお手本のような本です。

きょん:おもしろいものを次から次へと投げ込んだ、エンターテイメントのお話。しかし、だんだん読み進めていくと、ひとつひとつは、奇想天外でおもしろいのかもしれませんが、それがどうしたの?という気分になって、ちょっと物足りなくもなる。しかし、こそれは大人だからで、もしかして、子どもはこういうのが好きなのかなと思いました。なにも理屈ばかりではなくて、ただ単におもしろいというそういうのも大切なんだなと気づかされました。

愁童:最初読んだときはおもしろかったですね。同世代では好きな人、多いんですよね。時代的背景もあって、チョコレートなんて憧れのお菓子みたいな感じも残っている頃だったし…。子どもと一緒におもしろがって遊んじゃう、みたいな書き方も受けたような気がします。

トチ:ダールの作品そのものよりも、後書きで田村隆一さんの旧訳を揶揄して新訳を自画自賛しているので、だいぶ反感をかっているようですね。脱訳が多いという人もいますが、ウンパルンパ族の箇所などは、ダール自身が改訂版を出したときに削っているんですよね?

アカシア:最初の本ではアフリカからピグミーを連れてきて働かせているという表現になっていて、人種差別じゃないかと問題になったんです。だからかなり早い時期に原作が変わってるんです。おそらく作者自身が変えたんだと思いますよ。

トチ:改訂版にダールのインタビューが載っていておもしろかったのですが、ダールは「子どもが笑うところで自分も笑える」というようなことを言ってるんですね。それから「悲惨と笑いは紙一重」とかね。この物語はダールのそういうところがよく出た作品だと思います。私は大人のものも子どものものもダールの作品が大好きだから、ついつい文句が多くなるのですが、柳瀬さんの訳はダールのにおいよりも訳者のにおいがきつくて、好きになれませんでした。歌を訳すときに英文と同じように訳文も脚韻を踏むというところなど、大胆で、おもしろい試みだとは思うのだけど、そのためにわかりにくくなったり、楽しさが半減したりしているのでは?

むう:ダールっていうのは、とても意地の悪い人だと思います。この作品もそうだけど、視線がシニカルで、悪い子はこれでもかというくらい、徹底的にやられちゃう。そこが、子どもの感覚に合うんでしょうね。なんというか、子どもの描く世界のリアリティのなさにジャストミートしている気がします。バーチャルとは違う意味でのリアリティのなさ。さらにいえば、実に「男の子」の目線だと思う。イギリスでは、子どもの人気は絶大ですね。わたし自身はこの人の大人の作品はともかく、子どもの作品はあまり好きじゃありませんけれど。わたしは、今回柳瀬さんの訳は図書館で何十人待ちだったので読めなくて、田村さんの訳で読んだだけですが、差別用語はともかく、全体としてはそれほどまずい訳だとも思いませんでした。

ポロン:図書館で予約したら、43番目。借りられるのは3か月先だと言われました。

ケロ:選書するときに、この本でやりとりするのは野暮だとは思ったんですが、映画のことや新訳の事もあり、皆さんのお話を聞きたいな、と思いました。この本は、本当に突飛な発想だけど、やはりペンの力ってすごいなと思いました。工場の大きさとか、もちろん可能性という意味でも、こんな工場あり得ないのに、「ある」と書けば、その世界で読者が自由に遊べるのだから! ただ、さびしいことに、今読むと想像力が疲れちゃうんですよね。年取ったのかな? 映画は観たいような観たくないような。想像が制限されちゃうような気がして。

げた:うちの図書館でも、ずっと基本図書として置いていますが、しばらくの間動きが止まっていました。でも、映画が公開されてからは、動いています。今の子どもに、チョコレートがそれほど魅力的かと疑問に思っていましたが、映画でイメージが変わったのでしょうか。新版は判型が小さいので、小学生向きでないですね。それにしても、こんなに訳がちがうとは。

たんぽぽ:前の訳と全然ちがいますね。読後、結局ものわかりのいい子が残ったのかと思いました。新訳では子どもの名前も新たな訳語になり、その子の性格がわかりやすいです。子どもたちは、前の版は大きくて厚いので自分には読めないけど、新しいのは小さいサイズで読めると思うようです。

アカシア:児童文学というよりは、児童向けエンターテイメント読み物。しかも、登場人物が極端で、気にくわない、よくないやつを最後に徹底的にやっつけてしまうのは、昔話と同じ手法です。ダールは、子どもが何をおもしろいと思うか、というつぼをおさえていたんですね。自分がパブリックスクールでさんざんいじめられた体験もあるので、そういったものが作品に出てくるのかもしれません。新訳の方は、とてもよく売れてるそうですよ。脚韻を踏んだ詩にしたのは、翻訳者としての柳瀬さんの挑戦だったのでしょう。 プロの訳者としての心意気を感じます。工夫があちこちに見えてなるほどと感心したのですが、ゆったりと流れる味わいのようなものは、田村訳のほうがあったかもしれません。おじいちゃんのへそくりで買ったチョコレートをチャーリーが食べる気になれないというあたりは、田村訳で読んだときはほろっときたもの。

しらす:映画だとわからなかった悪い子たちの名前が、この本ではわかりやすかったです。語感もおもしろいですし。アゴストロングのにくにくしさったら! 児童文学だとやってはいけないと思ってしまいそうなこともやってるなあと思いました。

小麦:もともと不謹慎だったり、突飛だったりするものが大好きなので、この本の突き抜けた残酷さやブラックユーモアが、子どもの頃に読んだときは、やたらとおもしろかったのを覚えています。時を経て、いい大人になった今でもやっぱりおもしろい。私自身は、訳も映画も古いバージョンの方が好きです。判型もハンディサイズに変わって洗練されたんだけど、昔の、いかにも児童書然とした判型の方が、ダールの破天荒な感じや気持ち悪さが伝わってくるような気がします。映画も、ティム・バートンのリメイク版は映像もすごいし、昔なら不可能だった表現も思いのままなんだけれど、オリジナル版のいかにも手作り感の残る映画の方が、洗練されすぎていない分かえって不気味だし、チョコレートもおいしそう。あまりに作り込みすぎちゃうと、元々の手触りはどんどん奪われてしまうんだな、と思いました。

ハマグリ:旧版の本は、以前映画化された時にそれに合わせたカバーをつけています。もとの表紙絵と全く違う絵なんですが(みんなに見せながら)。今回の改訂版でいちばんよくなったのは、挿し絵。この導入の部分、子どもはきっとおもしろがると思います。見て、このよぼよぼのおじいちゃんおばあちゃんの絵! しかも、おじいちゃんおばあちゃんが、もう一組いる。ベッドが1つしかないから、たがいちがいに寝ているんですよ! なんなんだこの家は! と読者の気持ちは一気に物語の中に入っていくと思います。しかも、これほどにまで貧しい男の子にクジがあたるという、とてつもない飛躍! かならず子どもの心をつかみます。差別表現があって、しばらくのあいだ、図書館でもすすめていなかった本で、改訂版が出たのはよかったけれど、ヤングアダルト向きで、小学生には手に取りにくい装丁になってしまったのは残念。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年1月の記録)