:これは事実に基づいた物語なんですよね。

アカシア:カバーの袖に「ノンフィクション」って書いてあるけと、いいのかしら? 事実に基づいてはいても、これはノンフィクションじゃなくて創作でしょ。紛らわしいな。

ハマグリ:前にこの会で『炎の謎』(ヘニング・マンケル/著 オスターグレン晴子/訳 講談社)と『家なき鳥』(グローリア・ウィーラン/著 代田亜香子/訳 白水社)を取り上げましたね。どちらも、こんなにつらいことがあるだろうかという内容なのに、主人公の女の子が自分をしっかり持って、前を向いて歩き出すという物語だったので、多くの人に読んでもらいたいと思い、あの後、よく紹介しました。『炎の謎』は、主人公が『炎の秘密』より大人になっているので、抱える問題も複雑になっていますね。パキスタンのチョリスターン砂漠で生きる女の子を主人公にした『シャバヌ』(スザンネ・ステープルズ/著 金原瑞人、築地誠子/訳 ポプラ社)も、日本の読者には想像もつかないような異文化の境遇の中で自分を見失わずに生きる女の子の物語という点では似ていて、これも成長してからの続編と2部作になっています。『炎の謎』は3冊目も予定されているようですね。知らない国の文化や風習には興味が尽きないし、主人公の身に起こるあまりにも劇的な運命に、一気に読んでしまう。

ポロン:前作は、読んだのに細部を忘れていたのですが、それでもすーっと読めました。こういう状況があるというのが、実感としてよく伝わってきました。こまかいことですが、気になったことがひとつあって、それは「おなかが冷たくなる」という表現。「背筋が凍る」という意味なのかと思ったら、本当に冷たくなったというふうに書かれているところもあって不思議に思いました。本当に冷たくなるってこと、あるのかな。それとも、これはアフリカならではの表現?

アカシア:アフリカならではということはないでしょう。あるとしたら、原著が書かれたスウェーデン語の特殊表現でしょうね。物語全体が夢みたいで不思議な雰囲気を持っているし、前作でいろいろな困難を抱えてしまった女の子が、元気に生きているということがわかって、よかったですね。ただ、おそらく文学的な作品だからなんでしょうけど、一人称と三人称が混ざって出てくるのでちょっと読みにくかったですね。私がいちばん気になったのは、繕いをたのまれたお客さんの青いシャツを切っちゃうところ。繕い物を受け取ったおじさんは、気づかなかったんでしょうかね? それに、P117に、この女の子自身(お姉さんとの共有かもしれないけど)も青いブラウスを持っていることが書かれているんですね。ここで、読者の私は一気に興ざめしてしまいました。だって、ここまでは大事なお客さんのシャツの布を切ってまで少年に会いたいのだと思っていたのに、自分も青い服を持っているんなら単なる身勝手としか思えないじゃないですか! ここは、読者が主人公と一体化できるかどうかという点でも、大きいところですよ。原文が同じ「青」という言葉なのだったら、作者に言って変えてもらったほうがよかったですね。

紙魚:なるほど。シャツを切られちゃって気づかないのはおかしいけど、このおじさんって、なんだか味わい深く書かれているので、もしかして気づいてもあえて言わなかったのかなと読みました。

アカシア:ほかにも細かいところ、気になりました。p18に「マリアはローサの姉弟でもあった」ってありますけど、どうして弟という言葉が入っているの? あと、「バスタード」と呼ばれている人が出てきて、「名前はバスタード。ぴったりの名前だ」って書いてありますが、バスタードの意味が説明されていないので、読者には何がぴったりだかわかりませんよね。こういうところこそ注をつけてほしい。p158の「クランデイロ」に「魔術師」という注がついていますが、魔術師というと魔法を使うみたい。呪術医とか伝統医という意味でしょうか? このクランデイロのことを母親は「ノムボーラさま」と呼んでいるのですが、p193の母親の台詞は「ノムボーラのところへ行ってね」と呼び捨てになっています。それに、p160ではお姉さんがクランデイロのところに行くと決心しているのに(「母さんとローサが決心したのだから」と書かれています)、p168だと「母さんは毎日ノムボーラさまのところへ行きなさい、とうるさくいっている。姉さん自身が決心するまで、そっとしておいてあげればいいのに」と、まだ決心していないような記述になっています。もっとていねいに本造りをしてほしいなあ。それに、バスタードが畑を奪おうとしますが、どういう背景でそうなるのか説明されていないので、ご都合主義的なストーリーづくりと思われてしまいます。挿絵は、ふくらみがあって、夢のような物語とうまくマッチしていました。マチャムバはmachamba、テムバはTembaでしょうか? だとすれば、マチャンバ、テンバでいいと思いますけど。

紙魚:この本の中でいいなあと思った部分は、主人公が恋の喜びを味わうところ。エイズの本というと、異性と付き合うのはこわいことです! みたいなものがあったりしますが、この本はそういう立場には立ってなくてよかったと思いました。とはいえ、とても夢見心地に進んでいく物語なので、途中、主観で語られる詩のような部分は、ちょっと読むのがつらかったです。エイズって、いろんな問題のまさに縮図で、恋愛、性はもちろん、家族、社会、国、貧富の差、経済など、問題が渦巻いているので、それをぐるりと丸くとらえられる本というのがあるといいなあと思います。

トチ:私も袖にある「ノンフィクション」という言葉には、えっと思いました。いろいろな子どもの話を集めたんでしょうか。この本も『沈黙のはてに』も、登場人物だけではなくて、その後ろにいる大勢の子どもたちの姿が見えてきて、辛かったです。ただ、こっちの本は、作者が文学を書こうとすればするほど、詩的に描こうとすればするほど、現実感が無くなっていっているような気がしました。また、最後のところで主人公と男の子の距離が縮まっていくんだけど、こういう状況に置かれた主人公に自分の恋とエイズに対する危機感が全く無いのがふしぎでした。あと、「(主人公の)おなかが冷たくなる」という表現ですが、初めのうちは「背筋が冷たくなる」と同じようなことかなと思っていたのですが、あんまり何度も出てくるので「ひょっとして病気の兆候なのかも」と思ってしまった。

アカシア:ソフィアは、地雷で足を失っているので、血液の循環がよくないのかも。

ハマグリ:だとしたら、そのことについて、ふれてほしいわね。

トチ:スウェーデンの表現なのか、アフリカの表現なのか、それとも本当におなかが冷たいのか?

紙魚:「おなかがきゅーっとする」というのは、ありますよね。

トチ:お母さんの台詞が、ぶつぶつ切れていて、ぶっきらぼうなのが気になりました。『沈黙のはてに』のお母さんのほうは、しなやかな、体温を感じられる言葉で話している(訳している)けれど……。よく、テレビのテロップや吹き替えでも、黒人の言葉を荒っぽく、野卑な感じに訳しているのを見たり聞いたりすることがあるけれど、なんかそんな感じがして、あまり愉快ではありませんでした。

愁童:前作の『炎の秘密』もそうだったんだけど、この作品にもあまり共感出来なかった。作品の背後に作者の白欧主義的な目線を感じちゃって……。地雷もエイズも確かに過酷で深刻な生活環境だけど、そこで必死に生きている人達への目線があまり温かくない感じがする。作者が、登場人物にきちんと寄り添って書いている感じがしないんだな。それと訳文でちょっと気になったんだけど、最後のエピローグの出だしに、「屋根にあたる雨だれがポツン、ポツン、だんだんと間遠になっていったとき」ってあるんだけど、日本語として変だよ。雨だれって軒先から落ちる水滴を表現する言葉のはずだけど。

:私は、前に読んだ『炎の謎』の方が好きでした。青いシャツのことですが、おじさんは深いものの見方ができる人で、シャツのことを知っていながら気が付かないふりをしていたんじゃないかな。ソフィアも初恋をして、たぶん普通に考えれば、親密につきあっていけば怖いこともあるかもしれない。さらに病院で治療も受けられないという状況にあって、そんなに気楽にいられないのにと思ってしまうけれど、母親が「人間として、人を愛することは最高の贈り物なの」って言って、異性への愛を肯定してくれるところは良かった。

アカシア:私はこの作品にはアフリカっぽさを感じませんでした。なぜかしら?

トチ:原作者と訳者のあいだに距離があるのかもしれませんね。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年3月の記録)