『帰ってきた船乗り人形』
ルーマー・ゴッデン/著 おびかゆうこ/訳 たかおゆうこ/絵
徳間書店 
2007.04
原題:HOME IS THE SAILOR by Rumer Godden

版元語録:子どもたちと人形たちの悲しみや喜び、わくわくする冒険を名手ゴッデンが繊細に描く、正統派英国児童文学の知られざる名作。

いずる:シャーンが人形たちの言葉を理解できているのかいないのか、よくわかりませんでした。最初は、わかっていないのかなと思いながら読みました。途中から理解できているんじゃないかと思ったりして……。最後にカーリーが、汚れてぼろぼろになって戻ってくるんだけど、人形がどういう冒険をしてきたかなど、まったくわからない小さい子なら汚れたことを嫌がるのではないかと思いました。でも、シャーンはそれを大喜びで受け入れるので、本当は人形の言葉はすべて理解しているのかな。ハッピーエンドの終わり方はちょっとできすぎだと思います。全員が戻ってくるのもご都合主義な感じがしました。大人になってから読んだから、そんなふうに思うのかもしれません。これを小さい時に読んでいたらどうでしょうね。私は自分も人形を持っていて、台詞をつけて遊んだりしていたので、楽しく読めたかもしれません。

サンシャイン:最初の方で、人間のシャーンと、人形たちの会話がごっちゃになって混乱しました。なんども前に戻って名前を確認しながら読み進みました。原文もこういう書き方なんでしょうかね? 日本語で読むと、人間と人形の書き分けがまったくされてないので、戸惑います。人間の世界にも人形の世界にもメイドがいるし、わかりにくい。まあ、受け入れちゃえば読めますが。ベルトランが人形を拾ったあたりから急にいい子になるのは、ちょっとどうなんでしょう? 話を進めるには必要だったんでしょうが、あまりにも突然改心しすぎるように思います。ちょっと苦しいんじゃないかな……

みっけ:私も、人形と人間が同じように書かれているのを読んで、ちょっと混乱しました。特に最初の方は、人形は動きませんというルールがあるはずなのに、なんだか動いているような感じで、あれ?という戸惑いがありました。後の方になると、作者がきっちり「風で飛ばされたのでしょうか」とか、「手が震えていて落ちてしまったのかもしれませんが」という形でフォローを入れているので、動いていないんだな、と確認できたのですが。

ハリネズミ:私もそこは気にして読んだんだけど、最初から最後まで人形は動いてないですよ。そこはきっちり書かれてるの。

みっけ:ベルトランがかなり急激に改心することについては、私はあんまり気になりませんでした。というのは、ベルトランは元々優等生で、本人は悪気がないのに、周りの人の気持ちがきちんとくみ取れないために嫌われるというタイプでしょう? だから、周りが自分を疎んじていることにいったん思い至れば、後はわりと楽にいい子になれると思うんです。私がこの本で一番印象的だったのは、ベルトランが海に飛び込んでカーリーを拾うシーンでした。人形が海底に落ちていって、海藻がゆらゆらと揺れて、という場面。とても印象的でした。今考えると、切迫した状況と、カーリーののんびりした感じ方のギャップが妙にリアルだったからかもしれませんね。とにかく全体に、お人形さんごっこでお人形がしゃべるのと、実際には動けない人形がいろいろなことに巻き込まれていく様子とのかみ合わせが、なんかしっくり来ませんでしたね。昔『人形の家』(ルーマー・ゴッデン著 瀬田貞二訳 岩波書店)を読んだときにはそんなふうに感じなかったんですけれど……。年を取ると気になっちゃうのかなあ?

メリーさん:『人形の家』の延長にある物語と聞いて、そちらとあわせて読みました。人形は、自分では動けないけれど意識はちゃんとあって、強く願えばその思いはかなうーーその設定が踏襲されたお話でした。主人公のカーリーも、そんなわけで自分では動けないけれど、強く願う。その思いが偶然を呼んで、事件を解決に導く。今の子どもたちは人形遊びをしないから、この物語はピンとこないかもしれないなと思いつつ、でも、人形たちは人間の知らないところでこんなことを考えているんだよ、という人形の側からの種明かしのような気もして、おもしろく読みました。

ハリネズミ:冒頭の部分は、登場キャラの数が多すぎるから確かに混乱しますね。カーリーが外に出て、ベルトランと出会うところからがメインだとすれば、最初の部分はもっと整理した方が読みやすかったのにね。ベルトランが出てくるあたりからは、登場人物もカーリーとベルトランの2人になるから、ぐっと読みやすくなります。でも、全体的に古すぎません? 最初に「この人形の家には、おとなの男の人形はいませんでした。なのに、どういうわけか、家の中には、魚とりあみや、剣、角帽といった、男の人形のためのものがありました」ってあるのね。「角帽というのは、大学の先生が卒業式のときにかぶる、黒くて四角くて平たい、ふさのついた帽子です」とも書いてある。今は女性の大学教授だっているし、女だって釣りくらいするでしょ。それ以外のところでも「男は強くたくましく」という価値観が貫かれていて、気になります。イギリスの児童文学は、長いこと中流階級以上の人が、中流階級以上の読者に向けて書いてきたんですね。この作品も、いかにもそんな感じですね。作品の根底にある価値観が古くさい。
それと、ベルトランが妹に頼んでシャーンに人形を送るシーンは、住所があやふやなのに、奇跡的に届いたという設定。あとでベルトランはカーリーを自分でシャーンの家に返しに行くんだから、まず自分宛に人形を送ってもらえばいいのにって思ったけど。あと、P164の「この町にカーリーと同じような水兵人形が売っている」という表現は誤植かな。

サンシャイン:この本は、ずっと訳されていなかったんですね。

ハリネズミ:出されていないものには、それなりの理由がある場合も多いですよね

げた:人間と人形がごっちゃになっているって感じたのは、私だけじゃなかったと知ってちょっとホッとしました。ドールハウスの人形はどうしたって動かないんだから、人間が人形を動かした結果にストーリーを与えて、物語をつくったっていうことなんですかね?このお話、ラストはみんな落ち着くとこへ落ち着いて、ハッピーエンドになっているのは、読み手に安心感を与えますね。カーリーも大佐も、友だちからも、親や家族からも疎まれていたベルトランも、帰るべきところへ帰ることができて、よかったねって。

小麦:私も人形と人間の会話が混同してしまい、最初の方は読みづらかったです。イラスト入りの登場人物表をつけるとぐっと読みやすくなったのでは? あと、『人形の家』のイラストは、いかにも人形という絵なのに対して、『帰ってきた船乗り人形』のイラストはより人間っぽい。カーリーなんかは、生きている人間の男の子に見えます。イラストをもっと、状況説明に利用してもよかったのかなと思います。これは好みの問題ですが、装丁も、最初見たときには翻訳ものというよりは、日本人作家の作品に見えて、ゴッデン作なんだとすぐには気づかなかった。ゴッデンの世界観が伝わるようなクラシックな装丁だったら、 読む方もある程度心構えができたような気がします。人形たちが人間の与り知らぬところで、いろいろなことを繰り広げているというのはいくつになっても心おどる設定で楽しめました。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年6月の記録)