愁童:3冊並べると、取り合わせの妙でおもしろかったんですけど、この作品は積極的にコメントしたいような内容じゃなかったな。子ども向けじゃないものね。小学校6年生の子が読んでも、好きになれないんじゃないかな。

ハリネズミ:子ども時代を書いた本は必ずしも子どもの本ではないんで、これは大人の本ですよね。大人から子どもの時代を見てる。ふじこさんっていう個性的な人と出会って、成長したということを、大人になってからの目線で、大人の文体で書いてる。ふじこさんが魅力的な人だというのは伝わってきましたけど。私もこの会で話し合う本ではないと思い、それ以上考える気になりませんでした。

愁童:「子どもだって絶望する」なんて書かれても困っちゃうよね。

ハリネズミ:「子どもだって」って、この「だって」にひっかかりますよね。私は、子どもの方がよっぽど絶望すると思うから。だって、時間的にも空間的にも大人より自由度が少ないでしょ。ほかの2冊に比べると、この本は、子どもに対する認識度が違いますね。

みっけ:こういうふうな息苦しさを感じている子どもは、今までにもいっぱいいたろうし、今もいるんだろうと思います。それと、このふじこさんは、親や教師以外の大人、一昔前の映画や物語でいうと、ちょっと無責任的なところがあったりして、その分自由で外の風を運んできてくれる独身のおじさんやおばさんみたいな存在なんだろうな。この本を読んで、すごく嫌だ、とまでは思わなかったんですけれど、なんか、日本の子どもって勢いないなあ、という感じはしました。この子は疲れていて、しかも、自分でなにか積極的に動くわけでもないでしょう? ふじこさんに会ったのだって、すごく強い気持ちがあって出会ったのではなく、非常にネガティブにふらふらしていて、いわば偶然に出くわしたわけだし。大人を斜に見ていながら、自分は積極的なアクションに出ていない。こう子の物語を読んでも、今渦中にいる人は、そんなにおもしろくないだろうなあ、という気はします。

ジーナ:両親が別居中に、お父さんのつきあっている女性が現われて、これまでの価値観をくつがえすような衝撃を与えるという設定が、長嶋有の『サイドカーに犬』(『猛スピードで母は』に収載 文藝春秋社)と似ているなとまず思いました。みなさんがおっしゃるように、私はこれは大人が読む作品だと思ったし、そうだとすると『サイドカー〜』のほうがおもしろかったです。学校も家庭もたいへんだと書かれていて、結果として絶望していると言葉では言っているけど、具体的にどういうことがあったかはあまり書かれていないから、感覚的で胸に迫ってこないんですよね。それに、ダンナをこきおろしてばかりで子どもを見ていない母親や、鈍感な父親を、そういうものだと決めつけて描いているところが、似たような世代の子を持つ者としては不愉快で、子どもに手渡したいと思いませんでした。

メリーさん:子どもが共感するかというと、ちょっとむずかしいかなと思いました。ただ、この著者の初期の作品は、女の子の気持ちによりそっていて、共感できるものが多かったなと思うのですが。個人的には、このような世界はけっこう好きで、著者の言おうとしていることはわかる気がします。「ふじこさん」という名前から、きっとおばあさんだろうと思いながら読み進めたのですが、見事に裏切られたのもおもしろかったです。「絶望」という言葉が議論になりましたが、自分の進むべき方向がわからない、というくらいの意味だと思います。主人公が、自分の道を模索しているときに、突破口としての大人。自分と違う魅力を持っていて、主人公を子ども扱いせず、対等に見てくれる人。やっぱり出会いというのは宝物なのだ、という実感がよく伝わってきました。

げた:みなさんおっしゃったように、子ども向きの本ではないと判断して、私の図書館では一般書の棚に置いてあります。いきなり「子どもだって絶望する」なんて、衝撃的なんですよね。自分は子どものころこんなこと考えてたかな、自分の子を見ても、こんなふうじゃないとは思いますね。でも、確かに学校と塾のだけの生活の繰り返しで、身勝手な親たちに振り回されてると、考えるのかな? 創作だから、極端につくってるんだろうけれど、一般的な雰囲気としてこんなのがあるとすると怖いな。小学生は読みたいとは思わないだろうし、中学生、高校生でも、どうかな。生きる力を与える本にはならないと思うな。

小麦:他2冊とはまるでちがう1冊。アメリカの能天気な小学生に比べると、日本の小学生は息苦しそう……。まあ、この作品は、主人公が大人になってからの回想というスタンスで描かれているので、比較にはなりませんけど。好きだったのは、ふじこさんがイタリアの椅子と出会って、夢に向かって留学することを主人公に打ち明けるシーン。この時のふじこさんはきらきらぴかぴかと光っていて、主人公はそのまぶしさの前に、夢を見つけて光りだした人の前では、どんなに自分がふてくされようが、駄々をこねようがなんにもならないと悟るんですよね。自分だけの宝物を見つけ、自ら人生を切り拓く希望のようなものが、おしつけがましくなく提示されていて、すごくいいと思いました。ふじこさんの造型も、風変わりすぎず、自然でいいと思いました。私の周りの友だちなんかに、いかにもいそうな感じ。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年9月の記録)