プルメリア::とても厚い作品だし、ちょっとわかりにくい言葉で書かれていたので、解読しながら読んでいくみたいで疲れました。主人公が男の子か女の子かわからなかったのですが、ひげが生えてきたとあったので、後で男の子だとわかりました。主人公と父親は山の中で暮らしていて、訪れる人もわずかです。登場人物がやたらと変身し、忍者なのかな、空想なのかな、とも思ったりしました。お父さんが、いきなり小さくなったり、元にもどったりするのも、ついていけないところの1つでした。また、お父さんが、子どもにお酒を勧める場面が出てくるのが不思議でした。地震が起きたことで、山の様子や海の様子が変わりストーリーも変わるスケールの大きな展開ですが、タイトルと内容の意味が今ひとつわからなくて、絵の感じはよかったけれど、登場人物像は最後までつかめませんでした。

アカシア:この本の後ろには、絶版になった『ひげのあるおやじたち』もそのまま入っていますし、どこが問題になったかの説明もありますね。その後に書かれた『ひげがあろうがなかろうが』は、前の作品あってのタイトルなんでしょうね。毎日新聞では斎藤美奈子さんがこの作品を絶賛していました。作品に登場するのは、サンカと呼ばれていた人たちでしょうか。サンカは、マイペディアでは「少数集団で山間を漂泊して暮らした」とか「川魚をとったり、箕や箒・籠つくりなどを生業とし、人里に出て売ったり米などと交換した」とあります。肉体的に異能の持ち主だという説もあるし、原日本人だという説もある。竹細工に秀でた人たち、遊芸に秀でた人たち、占いのできる人たちもいたようですし、忍者の源流だという説もあるようです。犯罪者集団として排斥された歴史もあるらしい。そのあたりを少し知ってから読むと、この作品はとてもおもしろい。
その部分を除いてもおもしろいと思うのは、たけの育て方です。どんどん危険なこともやらされて育っていく。生きていくのが楽ではないと親も知っていて、過保護とはほど遠い育て方でたくましく生きぬく力をつけさせようとしているんでしょうね。でも突き放すというわけではなくて、p54には「お父はいろんなことをたけの前で自分がやってみせるだけで、/(こうやるんだ)/と、教えてくれている。たけは見よう見まねでやってみる。お父は見て見ぬふりの顔でいて、たけがそれなりにできるようになると、「ん」とうなずいてくれる。目が小さく笑っているのを、たけは見のがさなかった」と書かれています。本当に命が危ないような時は、大人があらわれて助けてもくれる。逆になんでもできる大人は、たけにとって尊敬の対象です。それだけの存在感を大人たちが持っているのがいいなあ、と思いました。ただ長いですよね、これ。地の文が語りの口調になっているところと、そうでないところがあって、それが意図的なのかどうかはわからないんだけど、読者を混乱させるように思いました。あと本づくりに関してですが、厚い紙を使っての無線綴なんで、壊れやすいんじゃないでしょうか。

ダンテス:本の厚さに圧倒されて、結局ぱぱっと読みとばしてしまいました。なんか、お母ちゃんが消えちゃったり、鳥になったり、ついていけない感じでした。一方、手取り足取りはしないけれど、父親から息子へ生きるすべを伝授している話と読めばおもしろいと思いました。

バリケン:なんか、よくわからなかったというご意見を聞いて、正直いってとてもショックでした。子どもが読んだらわからないのでは……とは思いましたが、ストーリーの運びや、場面の描き方に力があるので、わからないままにどんどん読んでいくのでは? 大人になって、ああ、そうだったのかと思ってもいいと思うのね。大人の読者の私としては、「どうしても書かなくては、いま書いておかなくては」という作者の思いがひしひしと伝わってきて、言葉では言い表せないほど感動しました。前作の『ひげのあるおやじたち』では書けなかった、歴史の表面にあらわれてこない人々の豊かな暮らしを書こうとしたのだと思います。『ひげのあるおやじたち』のどこが問題になって絶版になったのかは、実は今ひとつわからないのですが。『ひげのあるおやじたち』も確かにおもしろく巧みに書けていると思いますが、作者の伝えたいという思いは、こっちの作品のほうが格段に強く、深いと思います。大学で教えている人から、部落差別のことを知らない学生がいると聞いて、これもまたショックを受けたのですが(まあ、その学生自身の問題もあると思うんですけどね)、数年前に『被差別の食卓』(上原善広/著 新潮新書)という本を読んで、とても感激したんですね。自分自身が被差別部落に育った作者が、世界中の被差別の人々が食べていた、食べているものをルポしてまわった本なのです。最近では、サルまわしの村崎太郎さんの本(『ボロを着た王子様』『橋はかかる』ポプラ社)もありますよね。いつまでも『夜明け前』(島崎藤村/著)や『橋のない川』(住井すゑ/著)だけでなく、これからだんだん変わっていくと思います。それにしても、今江さんとか上野瞭さんとか、この時代の児童文学作家はすごいなと思いました。上野瞭さんの『ちょんまげ手まり歌』(理論社)などは、今でも手に入るのでしょうか。この間の読書会でも言ったように、身の回り3メートルの作品ではなく、こういう作品を書く人がもっと出てほしいなと思いますね。

アカシア:私はでもね、こういう本は、大人が読んでどうかっていうのと、子どもが読んでどうかっていうのを、両方考えないといけないと思うんですね。子どもが読むと、この書き方ではわからなくて辛いな、って。それに、中上健二が描く人物像はもっと立体的に浮かび上がってくるんですけど、今江さんが書くと、みんなヒーローみたいになってしまう。差別される側や抑圧されている側のことは、当人じゃないと書くのがむずかしい部分もあるんじゃないのかな。

バリケン:『谷間の底から』を書いた柴田道子さんは、狭山事件をはじめとして、被差別の問題をずっと考えてきた児童文学作家なのですが、自分自身がそうではないという立場から書く難しさや辛さが、いつもつきまとっていたのではないかしら。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年3月の記録)