日付 2000年1月27日
参加者 ウンポコ、愁童、ウォンバット、ひるね、裕、ウーテ、モモンガ
テーマ このごろのよかった本 気になる本

読んだ本:

『青い図書カード 』
ジェリー・スピネッリ/著 菊島伊久枝/訳 いよりあきこ/挿画   偕成社   1999.10
THE LIBRARY CARD by Jerry Spinelli, 1997 (アメリカ)
<版元語録>どこからか舞いこんできた一枚の青いカード。町一番のワルガキ二人、テレビづけになった少女、母親の愛に飢えた少年が見つけた愛の証、恋人に裏切られたパンク少女と、さびしい女の子。一枚の図書カードがひきおこす、小さな小さな四つのドラマ。


『ひねり屋 』
ジェリー・スピネッリ/著 千葉茂樹/訳   理論社   1999-09
WRINGER by Jerry Spinelli, 1997(アメリカ)
*98年度ニューベリーオナー <版元語録>毎年「鳩の日」には、大量の鳩が解き放たれ、そして銃で撃ち落とされる。地面に落ちた鳩は「ひねり屋」と呼ばれる少年たちによって回収される―。殺戮の対象である鳩を愛した少年パーマーの孤立無縁の戦いと成長の物語。


『きみ去りしのち 』
志水辰夫/著   光文社(光文社文庫)   1995.06

※ 児童書ではないが、子どもに関連して読むことにした。 <版元語録>小学生から中、高、大学生を主人公とする透逸な作品4編。ミステリアスに物語が展開するなかで、それぞれの年代特有の感情の起伏、心象風景を丁寧に描き、抒情的でせつない。少年が大人に脱皮するときの、憧れ、思慕、屈折、真摯さ、惨めさ、哀しさ…。過剰なる情熱は過剰なる喪失感をもたらすものなのか。読後、余韻に浸りたくなる。


『自分にあてた手紙〜カメのポシェの長い旅 』
フローランス・セイヴォス/作 クロード・ポンティ/絵 末松氷海子/訳   偕成社   1999.10
Pochée by Florence Seyvos, 1997 (フランス)
<版元語録>ある日とつぜんにこの世でいちばんたいせつな人を失ったとしたら、あなたはどうしますか。最愛の夫を失ったカメのポシェは、手紙を書くことを思いつきました-。最愛の人との別れのあと、自分自身を取りもどしていく物語。


『青い図書カード』

ジェリー・スピネッリ/著 菊島伊久枝/訳 いよりあきこ/挿画
偕成社
1999.10

:よくできている話だと思いました。ひとつのテーマでつながった連作短編っていう意味では、『不思議を売る男』(偕成社)『種をまく人』(あすなろ書房)と同じ系列よね。この本は、不思議な図書カードがもたらす4つの物語だけど、大人がアクセスできない子どもの内面をうまく表現してる。短編だからこそ描けた世界だと思う。4編(「マングース」「ブレンダ」「ソンスレイ」「エイプリル」)の中でとくによかったのは「マングース」と「ブレンダ」かな。「ブレンダ」はテレビ中毒の女の子の、ちょっと病的なところもコミカルでおもしろいし、本を読みましょうっていうメッセージもわかる。うちの息子にも、ぜひ読ませたい。そういえば、私スピネッリってドイツ人だと思ってた、ずっと。この本読んで初めて知ったけど、アメリカ人だったのね。

ウーテ:名前から考えると、ドイツ系なんじゃないかしら。それと、メッセージ性が強いから、ドイツっぽい感じがしたのかも。

一同:メッセージ性、強いよねー。

愁童:そうだね。メッセージ性は強いけど、おもしろかった。4編の中では「ブレンダ」が、ちょっと残念かな。

ひるね:ところで「図書カード」っていう言葉、ちょっと違わない? あんまりなじみがないよね。「ライブラリーカード」といえば、カッコいいけれど……。原題は The Library Card で「青い」とはいってないんだけど、どうして「青い」とつけたのかな。アメリカでは青いのが一般的とか?

一同:そうかなあ。(といいながら、自分の貸出カードの色を各自チェック。青の人もあり)

:本文に「青い」って出てくるからタイトルにも持ってきたんじゃない?

モモンガ:それより「図書カード」っていうと、図書館の貸出カードじゃなくて、本を買うためのプリペイドカードの方を思い出さない?

一同:そうだね。

ひるね:とにかくメッセージが強烈よね。意志的なものを感じさせる文学。この本の担当編集者は「ソンスレイ」がイチオシだって。ほろりとさせられますっていってました。「ソンスレイ」には思い出の本が出てくるんだけど、日本ではそういうのってあまりないわね。外国では映画でも、共通の体験として「本」が登場するっていうの、よくあるけど。あと前作『クレイジー・マギーの伝説』『ヒーローなんてぶっとばせ』と比べて翻訳がいちだんとよくなってると思う。とくに男の子の会話が生き生きしてる。

ウォンバット:私は「マングース」と「ブレンダ」がよかったです。とくに「マングース」。図書カードがきっかけで、「知識」というものに目覚めていく様子がとてもいいと思う。こういう目の前がぱあーっとひらけていく感じって現実にあると思うし。最後の場面、取り残されたウィーゼルがかわいそうなんだけど、そういう寂しさもまたいいし、彼は彼でこれを乗り越えて元気でやっていけそうなバイタリティーをもってると思うから。「ブレンダ」もメッセージは強烈だけど、テレビ中毒のコミカルな描写なんかはおもしろかったな。でも、あんまりメッセージばかりが勝っちゃうとつまらなくなっちゃうから、そのあたりのバランスが問題かもしれない。

ウーテ:私は「ソンスレイ」は、何かが欠けているような気がして嫌でした。このごろのヘルトリングもそうなんだけど、苛酷な現実を包む、何かこう温かいものが欠けてると思う。私がヘルトリングから心が離れた理由は、まさにそれなの。以前の彼の描くものには温かさがあったのに、このごろの作品はなんだか寒々として無残な感じなのね。たぶん彼自身に余裕がなくなったからだと思うんだけど。それと同じようなものを「ソンスレイ」にも感じました。いちばんよかったのは「マングース」。終わり方もいいし、少年の心がよく描けていると思う。作者の言いたかったことは「マングース」だけで充分言い切ってるんじゃない? ほかの作品はなくてもいいくらい。

ウンポコ:ぼくも「何かが足りない」っていうのに同感。『クレイジー・マギーの伝説』『ヒーローなんてぶっとばせ』のときにも思ったんだけど、どうも気持ちが愉快にならないんだよね。子どもの内面を描こうとしているのはわかるんだけど、クリアリーなんかとくらべると、スピネッリの作品は「もう1度読みたい」っていう気持ちにならないの。どうも人間性が、ぼくとはすれちがうみたい。理屈じゃない、何かふわっと包みこむものが足りないんだよね。あと、この本は、挿絵がどうも。「物」はいいけど、人物は出さないほうがよかったと思うなあ。表紙もイマイチ。他の本に紛れちゃう表紙だね。前作と比べても同じ作者のものとしての統一感がないから、損だよね。

モモンガ:私もスピネッリって、どうも読みにくいのよね。どんどん進めないの。

:叙述的なところと心情とが、パッパッと切り替わるからじゃない?

モモンガ:そうかもしれない。大人っぽい書き方で、これが今のものなのかな、とも思うんだけど。図書カードをひとつの窓口として使ってるという良さはあるけど、4つの物語がばらばらだから、もっと関連性があってもよかったと思う。「ブレンダ」は冷たくて、ナマの子どもじゃない感じ。なんだかあんまりメッセージがわかりすぎるとつまんない。

 

(2000年01月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『ひねり屋』

ジェリー・スピネッリ/著 千葉茂樹/訳
理論社
1999-09

ひるね:どうしてこんな残酷な話にしたのかしらねえ。両親が救い主というのは、とてもアメリカ的な感じ。イギリスだったら、こうはいかないでしょう。アメリカ映画とイギリス映画の違いみたいなもので、アメリカものはどこか甘いのよね。スピネッリというのは、家庭的な人なんだなーと思いました。『青い図書カード』と同じく、メッセージが強く伝わるけれど、2度は読みたくない本でした。

ウーテ:私は、積極的に嫌だったの。少し読んで、自分の意志でもう読むのをやめました。だって楽しくない読書に意味があるの?

:私は、視点を上手に使っていて、うまいと思いました。作者との距離をうまく操作する巧妙さがある。これもまた、ドイツ的な感じ。『きみ去りしのち』とは対照的なクールさがある。ドロシーをいじめるところなんかも、子どもの意識を上手にひろってるし。子どもの成長の一過程をきちんと描いてると思う。

愁童:いいか悪いか、判断に迷うなあ、この本は。『クレイジー・マギーの伝説』(偕成社)もそうだけど、スピネッリはわざと異様な状況をつくって、主人公自身が越えなくてはいけないハードルを設けるんだよね。頭がいい、うまい作家だと思うけど・・・。でも、脇が甘いところも気になるなあ。救い主が両親っていうとこ、ドロシーとの関係が都合よすぎるところなんかね。少年が大人になるプロセスで、親を疎ましく思っていたのに、ぶつかってみたら案外よくしてくれたなんてことも、あるにはあると思うけどね。

モモンガ:今まで読んだスピネッリの4冊のうちで、私はこの本がいちばん読みやすかった。でもねー、変わった本だと思うけど、子どもにはあえて薦めないな。全体としては、どうも後味が悪くて、すかっとしないの。子ども時代に読める本は限られているんだから、あえてこの本を読まなくてもいいって感じ。だって、5歳のときに読む本、10歳のときに読む本っていうふうに考えたら、そのとき読める本てとっても少ないでしょ。そう思うとねえ・・・。だってあんなにいじめられてたドロシーが、なにごともなかったように主人公を許して仲良くなっちゃうなんて物足りないし、両親に関しても、温かい両親だっていうことはわかるけど、お父さんとの関わり方がどうも納得できないのね。おもちゃの兵隊のエピソードも中途半端でしょ。父と子のふれあいを、もう少しきちっとおさえてほしかった。ハトの飼い方とか、首をかしげるハトのかわいらしいしぐさとか、ククーって鳴く様子なんかは、みんなうれしく読むだろうし、子どもを惹きつけると思うんだけどね。

ウーテ:一昨年の直木賞を受賞した桐野夏生の『OUT』を読んだときに思ったことなんだけど、『OUT』は作品としては、とてもよくできていておもしろいし、バーッと読んだんだけど、後味が悪くて、不毛な感じにもう耐えられなかったのね。それで、ストーリーが上手ということ以外に、こういう本を読む意味があるんだろうかと思っちゃったの。そしたら新聞で、賞の審査委員長が『OUT』を評して「おもしろければいいってもんじゃないと、吐き捨てるように言った」という記事を読んで、我が意を得たり! だったんだけど。だって「書いてドースル、読んでドースル」って感じじゃない? 通過儀礼を描くにしても、なにもこんな異様な状況をつくりださなくても、別の状況でも描けるわけでしょ。

モモンガ:大人のものならいいけど、子どもにあえてこういうものを読ませなくてもいいよね。

ひるね:でも、アメリカには実際にこういう町もあるのかもよ。

一同:(しーん)

ひるね:だって、ほら、作者の住むところの近くで実際このフェスティバルが行われているのかもしれないし、それだったらあんまり抵抗ないのかも。

ウォンバット:小さいときからこのお祭りを見ていたら、たしかに抵抗ないのかも。私はこの本を読みはじめたとき、現代の話じゃないと思ったのね。あまりにも設定が強烈だから、昔の話かと思って。ローラ・インガルス・ワイルダーの「大草原の小さな家」シリーズにでてくる博覧会のような、地域のお楽しみ会なのかなと思って読み進めていったら、現代の話だったからびっくりしました。あと、この本は装丁がカッコイイですね(装丁:坂川事務所)。とても目立つし、黄色と黒が印象的。大人向けの本みたい。内容は、みなさんのおっしゃるとおりなんだけど、『ひねり屋』ってタイトルはいいと思う。

: Wringerっていうのは「ひねる人」って意味でしょ。首をひねって鳩を殺す人っていうだけじゃなくて、「ひねくれもの」って意味もあるんじゃない? 彼はこの町では、ひねり屋になりたくない「ひねくれもの」なワケだからさ。

(2000年01月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『きみ去りしのち』

志水辰夫/著
光文社(光文社文庫)
1995.06

:感覚的にダメだった。気持ち悪くて。なんだか嘘っぽくて、男のいやらしさがそこここに出ている感じ。ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』を思い出しちゃった。大人になってから子ども時代を回顧して書くという系統のものだから、根本的に違うでしょう、子ども向けのものとは。大人向けのものと子ども向けのものの違いを再確認しました。4つの物語が収められた短編集(「きみ去りしのち」「Too Young 」「センチメンタル・ジャーニー」「煙が目にしみる」)だけど、とくに「Too Young 」は現実的じゃなくて、いかにも男の人が書いたものという感じ。

ウンポコ:「Too Young 」は、たしかにリアリティがないね。看護婦さんの弟がちょろっと出てくるんだけど、それがどこにもつながっていかないから、なんのために登場したのかよくわからない。「きみ去りしのち」も、子どもが描けていない。主人公の男の子は小学校高学年っていう設定だけど、それにしては幼稚すぎるよ。女の子もだけど・・・。この作家、子どもいない人だなと思ったね。今現在を生きている、ナマの子どもを知らないんじゃない? 志水辰夫は、サスペンスもののうまい作家だから、「読ませるなー」と思うところは多々あるんだけどねえ。

愁童:そうだね、うまいと思うけど・・・でも、設定がうまくないんだよ。「きみ去りしのち」は、子どもが語る形式にしたところに無理があると思う。「煙が目にしみる」も、大学生が主人公なんだけど、大学生ってこんなに幼稚なものかなあと疑問を感じた。だって大学生にもなって、こんなに鈍感なわけないんじゃない? それにしても、心のひだをひっくり返してルーペでのぞくような小説は、どうも好みじゃないんだな。

ひるね:なんだかレトロ調よね。文章そのものが、男の子の口調ではないですね。女性の描き方も、外見が美しいとか醜いとか表面的なことばかりで、それもお母さんや看護婦さんなど美しい人は心も美しく描かれているのに対して、主人公に意地悪をする役の紀美子なんて、外見も気の毒なくらい醜く描かれているでしょ。おとぎ話といっしょよね、キレイな人は心もキレイって。「きみ去りしのち」でも、叔母さんがお父さんを奪っていったというのなら、なにか具体的なエピソードが必要でしょう。ただ「この人は、いつも人のものをほしがるんだから」っていうだけでは、納得がいかない。最後の1行にリアリティがないのは、そのせいだと思う。きちんと説明しないで、あいまいに表現することで、終わらせようとしているのよね。説明がなくてもわかる読者にはいいけれど、わからない人には、物語が成立しない。それでもいいっていうスタンス。

ウンポコ:要するに、「女の人は不可解で美しいものだ」ということを書きたがる男の作家ということかな。

ウーテ:私も、物語が上手だってことは認めるわ。上手か下手かといったら上手。でも気にくわないの。この作者「なにさま系」の人なのよ。自分だけが一段高いところにいて、人を判断するタイプの人。「きみ去りしのち」の華やかで美しい3姉妹のからみなんて、よく描けていると思うけど、いかにも「男が描く女」という感じ。だいたい、細部が時代錯誤じゃない? ひとりよがりで不気味だし、へんなセンチメンタリズムがあって、虫が好かない小説でした。

ウォンバット:私も、好きになれませんでした。登場人物がみんな、美しい人を陰からそっとのぞくだけで、何か行動を起こすわけでもなく、美人の傍観者である自分に酔っている。ただ見ているだけでわかったような気になっている自己満足小説。スタンダードナンバーからタイトルをとっているようだけど、内容とタイトルのつながりがわからないし、歌との関係もちっともわからなかった。

ウーテ:これでは、有名な歌の題名をタイトルにもってくる意味ないわよねえ。

(2000年01月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『自分にあてた手紙〜カメのポシェの長い旅』

フローランス・セイヴォス/作 クロード・ポンティ/絵 末松氷海子/訳
偕成社
1999.10

モモンガ:とてもよかったです。共感するところが多かった。低学年でも読めるような体裁についてはいいか悪いか判断がわかれるところだと思うけど、でも「気分の持ちようは、自分が操るしかないんだ」ってことは、子どもも知ったほうがいいと思うなあ。落ちこんだときって、自分がなんとかしなければ、立ち直れないでしょ。自分で嘘の手紙を書くとか、「今日はもうおしまいにして寝ましょう」っていう感覚も、よくわかる。女性の一面
をよく表していると思う。あと、お母さんがたずねてくる場面で、本当はとても悲しい気持ちなのに、泣きついたりしないで、「元気よ」っていうあたりもとても好き。

ウンポコ:ぼくも、好感をもったね。自分の孤独をあてはめながら読むとしたら、小学校高学年くらいから読めるかな。主人公がカメっていうのも、カメの「哲学する動物」というイメージとの重なりぐあいがぴったり。自分で自分に書く手紙というのも新鮮だった。

ウォンバット:私も、今日の4冊の中でこの本がいちばん好き。もう、とってもとってもよかった! 大切な彼プースが死んでしまって、ポシェは悲しくて落ちこんじゃうんだけど、絶望的な気持ちを受け入れて、自分自身でなんとかしていこうとする気持ちがけなげで、胸を打たれました。悲しい設定なんだけど、本人は「いかに悲しいか」ということを訴えているわけじゃないし、文章も淡々としていて冷静だから、おしつけがましさがない。ポシェが書く手紙もとてもいい。はじまりの「大好きなプースへ」というところだけで、もうどーっと涙がでてしまいました。人の心に直接響くのって、案外原始的なことで、しかけとか飾りは必要ないのかもなあと実感しました。それから「頭に石がゴツン!」とか、ユーモアがきいているのもいいと思う。

ウーテ:水をさすようで悪いんですけど、私は好きになれなかった。自分で手紙を書くっていうのはよかったけれど、ファンタジーのレベルが統一されていないのが気になって。擬人化が中途半端なんだもの。2本足で歩いているのに、マロニエでできた葉っぱを日傘にしたりするのは、ヘンじゃない? ふつうの日傘でいいのに。そうかと思えば、パイを焼いたりなんかして、統一されてないのよ。小さなことといえばそうなんだけれど、ひとつ気になりはじめると、もう全体が気にいらなくなっちゃって……。アバウトなんだもの。安っぽく思えてきてしまう。タイトルもよくないと思う。原題
Pochee なんだから、『かめのポシェ』でよかったのにね。

ひるね:こういうアバウトさが「フランス」っていう感じで、私は好き。最後もそうよね。最後にポシェの孫がでてくるんだけど、ということは、プースが死んだあとだれかと再婚したってことでしょ。そういうふうになんの説明もなく、ぱっと時がとんで別
の人と結婚してたことがわかるっていうのも、お国柄という感じ。だって、ほかの国のもの、たとえばバーバラ・クーニーの『ルピナスさん』がもし結婚して、夫が死んでしまったら、そのあと一生ひとりで、亡き夫の小さな写
真を暖炉の上に飾って暮らすと思うのよ。この作品はいわば歌みたいなもの、シャンソンのようなものだと思うのね。だから、こういうのもアリでいいと思う。

愁童:これは「カメ版『女の一生』」だね。生きていればいいこともあるさと、元気が出る本。その孫のことなんかも、あっけらかんとしてるよね。はじめは『葉っぱのフレディ』と同じ路線かと思って先入観があったんだけど、一味ちがってた。文章がよくて、読後感がとてもいい。今、「癒し」って流行っているけれど、ぼくはどうも「癒し」って好きじゃないんだよ。なんだか他人まかせな感じがして。この本も「癒し系」とかいわないほうがいいと思うな。