日付 2002年1月31日
参加者 トチ、愁童、ブラックペッパー、アサギ、すあま、アカシア、羊、
ねむりねずみ、ペガサス、紙魚
テーマ 戦争

読んだ本:

『壁のむこうの街 』
ユーリ・オルレフ(ウーリー・オルレブ)/作 久米穣/訳   偕成社   1993-03
THE ISLAND ON BIRD STREET(英語では)by Uri Orlev, 1981(イスラエル)
<版元語録>父さんが強制収容所へつれていかれたあと、ぼくはハツカネズミのスノーと、くずれかけたアパートで暮らしていた。アパートの壁のむこうはポーランド人街で、むかいの建物の窓に見える少女の横顔をながめながら、ぼくは、いつかその子とスケートをするのを夢みていた。第二次大戦のさなか、ポーランドの廃墟でひとり生きぬいた少年の物語。世界各国で紹介されたイスラエルの作品。


『霧の流れる川 』
岡田依世子/作 荒井良二/絵   講談社   1998.07

<版元語録>そのころ戦争はさまざまな形で、ふつうの人たちのふつうの生活にいくつもの影を落としていた。そしてその闇は、今…。戦争中、ぼくの村でなにがあったのか?第37回講談社児童文学新人賞入選作。


『弟の戦争 』
ロバート・ウェストール/作 原田勝/訳   徳間書店   1995.11
GULF by Robert Westall, 1993(イギリス)
<版元語録>イギリスで子どもの選ぶ賞複数受賞 ぼくの弟は心の優しい子だった。弱いものを見ると、とりつかれたみたいになって「助けてやってよ」って言う。人の気持ちを読み取る不思議な力も持っている。そんな弟が、ある時「自分はイラク軍の少年兵だ」と言い出した。湾岸戦争が始まった夏のことだった…。人と人の心の絆の不思議さが胸に迫る話題作。


『壁のむこうの街』

ユーリ・オルレフ(ウーリー・オルレブ)/作 久米穣/訳
偕成社
1993-03

アサギ:途中、自分の意志で読むのやめたの。私、専門柄、こういうものをいっぱい読んでるんだけど、食傷ぎみ。でも、子どもたちにはいいと思う。『シンドラーのリスト』を見たときも、「私はもういい、でも若い世代にはぜひ見せたい」と思ったのね。若い世代があまりに過去について無知だから。あの映画そのものにはいろいろ問題があると思ったけど(「やっぱ、ハリウッド」って)、それでも「スピルバーグ」の名につられて、ふだんならああいう作品を見ようとしない若者が見に行ったから、それはそれで評価してるの。その意味で、こういう作品も子どもたちには読んでもらいたい。私は年のせいか、シリアスなものがだんだんつらくなってきた

ブラックペッパー:映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』なんかもそう。見終わって後悔したもの。

トチ:山中恒さんが講演で、「今の子どもに戦争をどう伝えるか」、「どうしたら戦争を被害者の立場ではなくてホール(whole、全体)として伝えられるか」ということを語っていましたが、私もこの3作を、そこのところを気にしながら読みました。ドイツ兵は徹底的に悪者にしているけれど、その他の人々はいい人と悪い人を分けずに、行動で描いているところはいいなと思った。つらくて読めないというところもないし、最後も大団円がくるわけではないところもいい。壁の向こうの女の子もユダヤ人だったことを知るなんていうところも、経験した人でなくては書けないでしょうね。人間の描き方がステレオタイプじゃないところは、『小さな魚』(エリック・C・ホガード作 犬飼和雄訳 冨山房)なんかと、共通している。被害者の側からだけ書いても、描き方によって、一面的じゃなくてホールとして伝えられるんだなと思いましたね。

愁童:今月の課題のうちでは、ぼくはいちばんよかった。今の子には『ロビンソン・クルーソー』みたいな冒険もの感覚で読めて、案外説得力あるんじゃないかな。

ペガサス:オルレブが来日したときの講演会を聞いて、今でも印象に残っているのは、「いちばん書きたかったところは、子どもというのはどんな状況におかれても、楽しいことを求めるということだ」と言っていたこと。戦争は悲惨だし、この物語は本当に彼の体験したことで、そのことは重いけれど、ささいなことにも楽しみを見出す子どもの姿が描かれているのが、この本のいいところだと思う。

ブラックペッパー:今回、テーマが戦争と聞いて、気が重くなっちゃったんだけど、これとウェストールの『弟の戦争』はおもしろかった。主人公が大人になっていく様子がきちんと伝わってきた。こういう機会がなければ読まない本だけど、読んでよかったなと思いました。最後、お父さんとは再会できないだろうと思っていたんだけど、うまくさっぱり出会えて、無理なく感動させられました。ただし表紙はいや。あと、この子は12歳って設定ですけど、幼いところもあったりして、どうなんでしょうか。

紙魚:戦争の物語って、小さい頃からなかなか読めなかったんです。それは、小学校とかで読まされて読書感想文とかを書かされるじゃないですか。自分から進んで読むというよりは、読まなくちゃいけない本というような印象。必ず、感想文の最後に「だから戦争はいけないと思います」でしめくくるような。にもかかわらず、この本はけっこうひきこまれて読みました。たったの半年たらずのことなのに、主人公の男の子がみるみる成長していくのがビリビリ伝わってくる。部屋をつくったり恋をしたりなんてところも、おもしろかった。

:私は、これまで戦争ものと障害者ものにはケチをつけちゃいけないと思ってたのね。でも、この主人公は、たくましいじゃない。楽天的だったり、恋をしたり、サッカーをしたり。自分もくっついて体験しているような気がした。戦争ものでいい本ありませんかときかれると、「火垂るの墓」(『アメリカひじき・火垂るの墓』 野坂昭如作 新潮文庫)とかになっちゃいがちなのよね。平和教育って言われるけど、実際の子どもたちは、戦時中でも遊んでた、悲しくてつらいだけじゃなかったって聞きました。どんなときにも楽しいものを見つける子どものたくましさを感じましたね。

アカシア:子どもはどんな状況でも楽しいところを見つけるっていう部分では、たしかに共感したけど、この本のバックにあるものは好きになれないな。まずp6に「さいわい私の伯母は、パン屋をしておりましたので、毎日わたしにパンをくれました。その伯母の店の前の歩道に、少年がじっとうずくまっていて、とうとうそこで死んでしまったこともありました」ってある。その時代に生きていくというのはたいへんで、ぎりぎりだったのはわかるけど、作家として「さいわい」っていうのはどうかと思いますね。p23にも、貯蔵室のドイツ兵をやっつけるのに、「うしろからやればもっとかんたんだろう。そんなことをするのは紳士的ではないかもしれない。でも、すべての掟を最初にやぶったのはドイツ兵だから、かれらにたいしてはこっちも正々堂々とやる必要はないと、いつか父さんは、ぼくにいった」という箇所がある。p26では、「頭のおかしいやつが指導者にえらばれたらどんなことになるかを、ほかの人たちが知るように歴史のページにのこしておかなきゃ。…そうすれば、子どもたちでさえ武器をもつよう、おしえなくちゃならない時代があったってことを、のちの世の人もみとめるだろうからな」と、ポラックじいさんが言う。このあたり、過去のある時代の被害者という意識が強すぎて、今だってヒットラーはいなくても無理やり兵士にさせられている子どもがいっぱいいるという事実が、この作家の視野には入ってないのかな、と気になる。それに、お父さんやユダヤ人のお医者さんは、「友だちや家族をすくうため、国をまもるためなら、敵の兵士を殺してもいい。それは勇敢な行為なんだ」って、この子に教えてるのね。とうとう出会ったお父さんにピストルを返す場面でも、この父子が気にしているのは、人を殺したという部分ではなくて、引き金を引く手がふるえたかふるえなかったか、ということになっている。
そりゃあ、あのナチス支配下のユダヤ人社会ではこれが現実だったのかもしれないけど、体験談ではなく、フィクション作品で今こう書かれると、かなりヤバイという気がします。戦争なんて、だいたい自衛っていう名目で行われてるんだし、どんな手を使ってでもビン・ラディンを仕留めるって言いながら民間人を誤爆しているブッシュに行き着く。自分は正義、相手は悪という前提が平和をつくり出すことはない。私は、感動的に書かれているだけに、この本はよけい子どもに読ませたくない、と思ってしまいました。片方の側からだけ書いて、戦争をホール(whole)にとらえることなんて、できないのでは? それから、リアリティに関しては、男の子が縄ばしごを始終使っているのに一度も見つからないなんてありうるのかとか、お父さんはいったいこの間どこにいっていたのかなど、疑問が残りました。

ねむりねずみ:これの前に『砂のゲーム』(ウーリー・オルレブ作 母袋夏生訳 岩崎書店)を読んだときに、ユダヤ人はひたすら被害者という姿勢を感じたんです。この物語も、ロビンソン・クルーソーなんだなとか頭ではわかるんだけど、感動として迫ってこなかった。たとえば、ロバート・キャパ(ユダヤ人)の写真展に行ったときに、彼はとても厚みのある戦争の写真を撮っていて、その一方で建国直後のイスラエルの写真を撮ってるんだけど、彼にとってはイスラエルの建国が文句なしにプラスなんだっていうことがよくわかった。そのとき、あっと思っちゃって、そういうスタンスを感じると、ちょっと待てと思っちゃうんですよね。子どもらしさの点でいっても、ネストリンガーの作品『あの年の春は早くきた』(上田真而子訳 岩波書店)のほうがよく書けてると思う。これは、なんか、いい人はいい人で、悪い人は悪い人っていう感じがした。本当に生きるか死ぬかっていう状況になると、相手を殺すか殺さないかってなっちゃうのかもしれないし、ずっと追われて放浪を続けてきたユダヤの人にとっては、こういうふうな形になってしまうんだろうけど、でも・・・。

アカシア:極限状態のときはこうなってしまう、という書き方には思えなかったのね。自分だって加害者になるかもしれないという視点が欠落してるもの。視野が広がるような書き方をしてないじゃない。

トチ:それは難しいところよね。たとえば、『少年H』(妹尾河童作 講談社)みたいに、あの時代に思っているはずがなかったこと、今だからこそ言えることを、子どもに思わせたり、言わせたりすると、嘘になるし・・・。

アカシア:『アンネの日記』みたいなノンフィクションは、その時代に見えたことだけが書かれてても当然なんだけど、これは創作だから、いろいろな方法がとれるはずでは? お父さんはお医者さんとは違う考えの大人を登場させたっていいわけだし・・・。この本を読んでいると、ブッシュがだぶって見えてくる。

ブラックペッパー:私はブッシュと同じとは思わないけどな。読んでるときも、ストーリーにどっぷり、になっちゃって、ぜんぜんそういうことは思い浮かばなかった。今言われてそういう見方もあるのかと、ハッとさせられた。でも、たしかに切り捨ててしまったのは悪いことかもしれないけど、だからこそ物語が骨太になっててぐいぐい引きこまれて読んだというのもあると思う。不十分な描き方なのかもしれないけれど、こういうほうが物語性は生きてくるのでは?

アカシア:だから恐いんじゃないかな。

トチ:戦争って、もうこういうかたちでは、創作として書けなくなってきてるのかも。だから『弟の戦争』のような作品があらわれたんでしょうね。

ペガサス:今、戦争の話で、子どもが読んでも大丈夫な本って、少ないよね。

:オルレブさん自身みたいに、強烈な経験をしてしまうと、被害者意識がどうしても前面に出て、ホール(whole)で書くのって難しいんじゃないかな。『あのころはフリードリヒがいた』(ハンス・ペーター・リヒター作 上田真而子訳 岩波書店)なんかは、ドイツ人の子どもの目で書いてるからまた違うけど。

アカシア:ナチス支配下のユダヤ人の悲劇は、もちろん書かれるべきだけど、そればかりが評判になったり、日本でも山のように翻訳されたりするのは、どこか胡散臭い。今だって、世界のあちこちでいろいろな戦争の被害を受けている子どもたちがいるのに、そっちからは逆に目をそらさせことになるような気がするんですよね。

ペガサス:書き方が問題。ピストルを撃つとき手がふるえなかったことを誇りに思ったというのは、本当にそういう気持ちだったのもたぶん事実ではあるけれど、それを感動的に書いちゃってるのが問題なのよね。前書きとかで、作者のことが出てきちゃうから、一面的にとらえられがちでしょ。

アカシア:戦争のことって、事実としてはちゃんと知っておかないといけないんだけど、日本の子どもの本では原爆とかナチスとユダヤ人というようなところだけがフィーチャーされて感動的に語られることが多いからみんな知ってて、ほかの部分についてはあんまり知らないという現状ですよね。そうじゃなくて、今を考える材料にしないと、意味がない。

(2002年01月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『霧の流れる川』

岡田依世子/作 荒井良二/絵
講談社
1998.07

すあま:いっしょうけんめい書いたんだなという作家の人の気持ちは伝わりました。カナちゃんという女の子の話かなと思って読んだら、途中から主人公は保君というお兄さんということがわかって、カナちゃんの影が薄くなるのは残念。最後、お父さんがいきなり出てきて正論をとうとうと語るので困ってしまいました。作者の言いたいことをぜんぶお父さんに語らせるなよ、と思いました。これで保くんは、納得できたのでしょうか? もし花岡事件を伝えるんだったら、花岡事件のことも書いてもよかったのかな。最初の作品だったということで、よくがんばりました、というところでしょうか。戦争をまったく知らない年代の人が、加害者の立場として書いたんでしょうね。

トチ:花岡事件を書かなきゃという熱意はうかがえるけど、手法が目新しくない。最初読むだけで、ストーリーがわかっちゃう。はじめから風景描写が長々と続いているから、物語に入りにくい。これが書きたいと思ったら、どういうふうに書いていったらいいのかを考えなくてはいけないのだけれど、日本の児童文学って、テーマだけで、よくぞ書いたとほめられるのよね。妹からお兄さんへ視点が移るのもわかりにくいし、妹のカナちゃんにもいまひとつ魅力がない。志は高いけど、書き方がどうもという感じがしましたね。

愁童:この人、自分が戦争をしょってないじゃない。どっか自分たちの世代は関係ないみたいな意識がすけてみえるような気がする。まじめな人だなと思うけど・・・

紙魚:いちばん気になったのはやっぱり、妹が主人公かと思って読んでったら、途中から保に変わっちゃうところ。最後まで、どこを頼りに読んでいくかがつかめなかった。頼りにできる確かな視点がほしい。それに、保が自分でレポートを書きながら発見していくのかと思いきや、すべてお父さんが語って結論づけたりしているところも気になった。ただ、戦争ものって、私自身も体験がないし、自分の立場をどこに置いていいかすごくこわいです。

トチ:戦争についていうべきことって、たったひとつだと思うの。だから、大事なのは書き方よね。

ペガサス:子どもの文学の戦争もので大事なのは、主人公の子どもが、どれだけ自分の眼で真実を見ようとしていくか、という点が描けているかどうか。それが評価の基準になると思うのね。この本の扉に、「戦争中、ぼくの村でなにがあったのか?」と書いてあったので、こういうスタンスなら期待できそうだぞ、と思ったんだけど、やはり途中で視点が変わってしまうとか、がっかりするところがあって、期待したほどではなかった。それにこの人の文章は、読みながら順々にイメージを形作っていく作業をするときに、ひっかかってうまく流れないことが多々あって、大変読みにくかった。自然な流れでイメージが結べないの。冒頭の情景描写からして、目線があっちこっちに飛ぶので、私は混乱してしまいました。うまい文章を書こうという意識があるためか、修飾節を長々とつけすぎるきらいもあると思う。

トチ:核心に迫るために情景を書くんじゃなくて、日本児童文学の常套的な手法なのよね。

アサギ:一般的に、登場人物にえんえんとしゃべらせるのに、優れた文学ってないわね。シリアスなものってそうなりがちだけど。

トチ:自然描写にしても、それにふさわしい登場人物の心の動きがあるのにね。

愁童:対して『壁のむこうの街』は描写が適切ですよね。主人公の心象ともぴったりじゃないですか。

ペガサス:キーパーソンであるおじいちゃんに対しての愛情があまり感じられなかったのも気になった。

ブラックペッパー:おじいちゃんを突き放して書いているのは、そこがリアリティの見せどころよって思ったんじゃないかな。私はまださっきの『壁のむこうの街』が尾を引いていて、戦争を描くのも難しいけど、読書も難しい・・・と思っているところ。気分を変えてこの本にいってみますとですね、表紙はきれいな本ですが、目次を読めば、もうだいたいわかっちゃう感じ。よくできてるんですけど、優等生の人が一生懸命書いたんですね。これは、そう書きなさいと言われたのかもしれないけれど、後書きの「この国で最後の戦争が終わって、ちょうど二十年めの年に、わたしは生まれました」という一文を読んで、私とは気が合わないなと思いました。あとね、p122の少年が夢を見るシーン。夢に見ちゃ、だめよねー。

:読み始めて、だから戦争ものは嫌なんじゃん、とすぐ思ってしまって。この人は、自分の田舎を書きたかったのかな。荒井良二さんの絵で救われた感じ。いっぱい挿絵があれば、もっと読み進められたかな。子どもの本のなかで嫌いなのは、大人が割り込んでくる本。

アカシア:荒井良二の絵が、イメージを豊かにするのに大きく貢献してますね。花岡事件について、この30代の作家がまじめに取り組もうとしているのは、よくわかったし、この人なりに考えぬいているのも好感がもてました。そんなに嫌味だとも思わなかった。考えぬいたものを伝える技術がまだ未完成なんでしょうね。お父さんが子どもに話すとき標準語なのは、どうして? 方言だったら、もう少し演説風じゃなくなったかもしれないな。

ねむりねずみ:前に、この会で花岡事件を扱ったノンフィクション(『花岡1945年夏』野添賢治著 パロル舎)を取り上げたとき、かなり厳しい評価を受けていたから、若い人がフィクションで花岡事件を取り上げるなんて、がんばってるな、っていうのがまずありました。村の人たちが自分たちのやっちゃったことを悔いながら、ひた隠しにしようとする、そういう日本的なところは書けていると思うし、カナの「ごんぼほり」の性格のところなんかもほほえましかったけれど、夢で見ちゃったりするのはやっぱりお手軽。学校で中学生相手に戦争の授業をするとき、講義になっちゃうとまるで相手の心の中に入っていかないし伝わらない。その意味で、こうやって大人にぜんぶ語らせちゃうのはまずい。戦争を伝えるというときに、一つ前の段階にさかのぼって人間がもっている残酷さに立ち返って伝えるっていうやり方があって、それはとても有効なんだけど、だからといって過去の事実を伝えないままでいいということにはならない。現実に若い友だちが南京に行って、南京で何があったか知っていたことで、中国人との関係ががらっと変わったというし。でも、実際に過去の事実を心に届くように伝えるのは本当に難しいんですよね。

(2002年01月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『弟の戦争』

ロバート・ウェストール/作 原田勝/訳
徳間書店
1995.11

すあま:もともと弟がエスパーだった、ていう設定には驚いた。この手の話だと、弟が主人公になっていそうだけど、傍観者であるお兄さんが主人公っていうのはおもしろい。弟の名前が2つあるところも、手がこんでいる。今の子がこれを読んでどう感じるのか興味がありますね。これもある意味SF的な物語。どんなに悲惨な話でも、やっぱりおもしろくないとだめだと思う。

アサギ:いちばん感心したのは、手法。彼はこういうテーマで、説得力あるものにするために考えたんでしょうね。次どうなるかなという、本を読ませる原点がきちっとあった。なるほど、こういうかたちで湾岸戦争をとりこんだのかと。それから最後のところがよかったですね。弟が普通の子になってしまったお兄さんの寂しさ。そのへんの感覚がよく出ていた。p164のところが、いちばん言いたいところですよね。それから、p14のあたり、3歳でこんなに思うかな。リアリティとしてひっかかりました。

トチ:今の子どもたちに、被害者の立場ではなくて戦争をどう伝えるかということを、ウェストールはさんざん悩んだ末に、こういう手法を考え出したんでしょうね。メッセージをストレートに伝えるのでは、上滑りしてしまう。その点、うまい手法に卓越した才能を感じたけれど、それ以上に「これを伝えたいんだ」という作者の熱い思いに感動しました。では、次はどういう手法をつかったらいいかというと、とても難しいことだと思う。今の日本の児童文学にどれくらい現代の世界を描いている作品があるか、という点についても、考えさせられたわね。

愁童:たしかに設定はうまいし、感動もあるけど、好きになれない。こういうふうにしないと戦争を語れないというのもわかるんだけど、この設定に惹かれるあまり、兄弟を描くことに力を費やせなかったんじゃないかな。例えば父親のラグビーに同行したときのエピソードなんかでも、試合後のシャワーを英国中年男性の平均的楽しみなんて書いてる。回顧として書いてるのは分かるけど、13歳の少年の印象を語るのに、なぜ中年男性の平均的楽しみが出てくるの?

ペガサス:今、言われてみればたしかにそうだと思うけど、読んでいるときはとにかく弟の変化に目を奪われてしまい、そういうことに気づかなかったな。作者のテクにはまってしまったか・・・。『霧の流れる川』の後だったから、不必要な形容詞もなく、一文一文が短くて読みやすかった。結局、戦争っていうのはどちらかの立場に立つことしかできないわけだから、両方の立場を書くとしたら、こういうのは実にうまい設定だと思った。そのことによって、子どももいろいろ考えるだろうし。

ブラックペッパー:すっとんきょうな設定にびっくりして、だんだんひっぱられて、戦争を描くにはいい手法なんでしょうと思ったんですけど、お母さんが(最後に一段落してから)人助けの仕事に戻らなかったというのは、働く女性としてくくられるのはどうかなと思いました。邦題はいまいち。

トチ:原題は、GULF。湾岸戦争と、人と人との断絶とか亀裂とかいう意味のダブルミーニングでしょ。

アサギ:お母さんの話は、フィギスもいなくなってしまったというくくりでってことじゃない。冒頭と最後は呼応しているのよね。

アカシア:このお母さん、最初は自分と関係ない余裕のある立場で人助けのチャリティーをしてたのが、こんどは自分の家族が大きな問題を抱えこんでしまったわけよね。そこでいろいろ悩み苦しんだんでしょうね。で、一段落したからといって、以前と同じように、いわばお気楽に人助けなんてできなくなったってことなんじゃないのかな。

トチ:私も、そこはかえってリアルだと思ったわ。

紙魚:物語の構図のおもしろさというのはあったけど、構図ばっかりに気をとられてしまって、物語はあんまり楽しめなかったです。たしかに、いろいろな立場にたって戦争を描く必要があると思うけど、この物語は、戦争を体験するのは主人公の弟、しかもその弟が体験しているのは自分の国が戦っている相手国。この複雑な構図に、子どもの読者がどうやって入っていくのかは気になりました。

:あっち側にもこっち側にも戦争があるという手法はうまいです。どちらも書けるんだから、作者は本当に才能があるのね。

アカシア:それにウェストールは『‘機関銃要塞’の少年たち』(越智道雄訳 評論社)や『猫の帰還』(坂崎麻子訳 徳間書店)もそうだけど、戦争は悪いということが書きたいわけじゃなくて、戦争の中でも人間はいろいろな体験をするものだ、ということをユーモアを交えながら書いてますよね。おもしろさを追求しながら、自分もよく考えている作家だと思う。湾岸戦争が起こったのは1991年、この本が出版されたのは1993年。作家としてすばやく反応してますよね。湾岸戦争はお茶の間でテレビ中継された戦争だったわけですけど、大人は大したことなくても、子どもには大きな影響をあたえるんだっていうことを、この作品はよく伝えている。

トチ:1993年にウェストールは亡くなっているから、最後の作品なのではないかしら。声高に戦争反対を唱えていないけれど、相当突き動かされて書いたということは、はっきり伝わってくる。日本の児童文学作家も、第二次世界大戦のことだけでなく、もっと「現代」と切り結ぶ作品を書いてほしい、そういうものが読みたい、とつくづく思いました。

ねむりねずみ:前にウェストールにはまっていたころに読んで、こういう書き方があるのかと、まずそれでぶっとんだ。はるか遠くで起こっている、子どもにとってはまるで関係ないようにしか思えないことを、ここまでぐいっとひきつけて書くのはすごい。どうするんだ、どうするんだ、とはらはらして、最後には弟がこわれちゃうんじゃないかと思ったくらい。ただひたすら圧倒されるばかりでした。ウェストールって、男の子を書かせるとほんとうにうまいですよね。切り口と勢いでうまく持っていったなという感じ。ほんとうにうまい。まわりに無関心な世相に対する批判もあったりして、この人の作品の中では独特ですね。

(2002年01月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)