日付 2003年7月24日
参加者 アカシア、ペガサス、愁童、羊、カーコ
テーマ 神話や伝説とのかかわり

読んだ本:

『伝説の日々 』
ジュマーク・ハイウォーター/著 金原瑞人/訳   福武書店   1989
LEGEND DAYS by Jamake Highwater, 1984(アメリカ)
<版元語録>アマナが男に変わったのは、10歳の冬のことだった。力強い戦士がアマナの中に入りこみ、出ていこうとしなくなったのだ。同じ冬、白い巨大なフクロウがアマナの父のテントを襲い、テントは炎上した。その晩から父は、原因不明の病にたおれ、村人たちも次々に同じ病に侵されていった…。一族にしのびよる滅びの影の中、大きな霊力を与えられて、生き、成長しようとする少女の姿を描く、心をうつ物語。白人侵入の時代に生まれたインディアンの女性アマナの、数奇な生涯を描く〈幻の馬〉物語、第1巻堂々の登場です。


『神の守り人 帰還編 』
上橋菜穂子/著   偕成社   2003.01

<版元語録>アスラは自らの力にめざめ、サーダ・タルハマヤ“神とひとつになりし者”としておそろしい力を発揮しはじめる。それは、人の子としてのアスラの崩壊を意味していた…はたして、バルサたちはアスラを救うことができるのだろうか。


『アースシーの風 ゲド戦記V 』
アーシュラ K. ル/グィン著 清水真砂子訳   岩波書店   2003.03
THE OTHER WIND by Ursula K. Le Guin, 2001(アメリカ)
<版元語録>待望の最新作/故郷の島で、妻テナー、幼い時から育てた養女テハヌーと共に静かに余生を楽しむゲド。ふたたび竜が暴れ出し、緊張が高まるアースシー世界を救うのは誰か?


『伝説の日々』

ジュマーク・ハイウォーター/著 金原瑞人/訳
福武書店
1989

アカシア:アマナが女になったり男になったりするというのはアイディアとしておもしろいんですけど、ジェンダー的には、新しい女性像を打ち出すのではなく、従来の価値観どおりの男と女を行き来するだけ。特に目新しさがないんですね。先住民と白人の相克で言うと、白人の食べているものをまずそうと書いているのがおもしろかった。

愁童:ハイウォーターはわりに好きだが、これは印象に残らなかった。切り口に新味がない。アカシアさんが言ったように、男が入りこんできたと言っても、そこで新しい価値観を提示していない。馬を駆る高揚感を描いているが、わざわざ出してくることはない。

カーコ:私は、アマナの成長物語として、北米先住民の世界観を描いた物語として、結構おもしろく読みました。慣習的な女性のあるべき姿にあてはめられるのを拒否する奔放な精神は、いろいろな作品で語られてきたテーマだと思います。新しい女性像が提示されていないと言われて、今、そうかなあとふりかえっているのですが。
それから、先住民の文化ということで言うと、訳者あとがきで、作者の希望によって、あえてあまり説明をしなかったと書いてあるように、わかりにくいところもあるのですが、それが逆にひっかかりにもなっている。名前のつけかたや、自然との向きあい方など、白人とぜんぜん違う世界を持っているのに、保留地に追いやられて、白人の世界にとりこまれていく時代のようすが興味深かったです。

(2003年07月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『神の守り人 帰還編』

上橋菜穂子/著
偕成社
2003.01

:来訪編がおもしろかったので、バルサのこれまでの話も読みたくなって、1から読み始めました。おもしろいと思ったのは、バルサが30くらいの女性で、恋人がいて、師がおばあさんで……そういう人々の中にいろいろな子どもたちが関わりをもってくるところ。バルサは、悲しいものを背負っているのだが、カッコいい。

カーコ:シリーズを全部読まないといけないと思いながら、結局これしか読めなかったんですよね。第一印象として、読者を選ばないファンタジーなのかな、と思った。『アースシーの風』に比べると、こちらは格調高そうでいて、それほど深くない感じがしました。テンポがよく、文も短く、情景が次々に描かれていく。最低限のイメージを与えて、物語をつなげていくのがうまい。だから、それほど読書に慣れていない子どもたちにも読めるのかなと。私は、いろいろな物が独特な名前で呼ばれているのになじめませんでしたが。バルサとアスラについては、女でなければいけない必然性をあまり感じなかったんですよね。だから、女の物語という印象はなかった。女の子が読んだときに、女主人公のほうが身を寄せて読めるのかな? 全体として、栗本薫の『グインサーガ』シリーズ(早川書房)とイメージが重なって、私としては、それほど評価が高くなかった。

アカシア:バルサがなぜ用心棒になっているのか、そこのところを知らなければ、この作品はわからないかも。苦しみを乗り越えてきているから、バルサはアスラに心を寄せる。やはりシリーズの最初から読んでいくと、それが理解できる。文の一つ一つが、文学的に際だってすぐれているわけではないかもしれないけど、お話を作っていく構成力はすばらしいと思う。絶対的な力が目の前にあって手に入りそうなのに、人は意志の力で拒否することができるのか、というテーマは、『指輪物語』と同じですね。それを日本人作家が、エンタテイメントとして書いた作品だと思う。ハリポタのように、何でも魔法を使ってしまえ、というのではないところがいい。タンダとバルサの関係は、思わせぶりに書いていて、ちらっちらっと出てくるので、これからどうなるのかな、と読者をひっぱっていく。ハイウォーターの作品では、敵を殺すことに高揚感を感じているけれど、バルサは殺し続けることに対して、うしろめたさをいつも感じている。その辺は、新しい人物像かもしれませんね。

愁童:自分の力を維持するための努力や、他人に対する恩義といったものが、うまく書けている。人間臭さがちゃんとあるところがいいね。

アカシア:単にエンタテイメントではなくて、深い「ゆれ」のようなものが描けている。

愁童:女用心棒としての、バルサの大変さがよく書けている。説得力があるね。

アカシア:体力のない女ならではの戦い方もするのよね。

:養父との関係に折り合いをつけなければならない、というところに、せつない厳しさを感じた。アスラに接するうちに、父とのことも理解していく。とても傷つき、重いものを背負っているんだけれど、生きなければならない。そこがとっても悲しいのね。

カーコ:バルサが谷から落ちて、冷たい川に落ちても生きているところ、私はちょっと気になりましたね。

アカシア:この場面だけ見ると、ご都合主義の筋立てように思えるかもしれないけど、バルサに心を寄せていれば、生きていてよかった、と思うんじゃない?

:終わり方ですけど、アスラが死んでしまうのでなく、まだ目がさめない状態で終わらせている。このおさめかたは、よかった。

アカシア:意識を消さなければ、生きられないからだと思う。このシリーズは、文が短くて読みやすいし、本の嫌いな子にも読めるのでは?

ペガサス:友人が、20代の社会人の娘と一緒に、このシリーズを熱心に読んでいるんだって。児童文学に関係ない主婦の人なんだけど、続編が出るたびに娘が買って来て、争って読むとか。とにかく、バルサがカッコいいって。

愁童:カッコよくはないんじゃないの? いろいろと悩んでいるし、チャーリーズ・エンジェルみたいなカッコよさは、ちっともないじゃない。カッコいい女性を描こうという意識は、作者にはないのでは?

カーコ:何て強い人だ、と他の登場人物が評する場面はありますよね。

アカシア:アスラが呼び出してしまったものを、バルサだけはよけることができたりするんだから、カッコいいと思うよ。ところで、この表紙の絵は、バルサなのかな? 神がのりうつったアスラなのかな? わかりにくい。

愁童:挿し絵が多すぎると思うな。もっと、読者の自由なイメージで読ませてほしかった。

ペガサス:でも、挿し絵がないと、子どもには読みにくいんじゃない?

アカシア:いろんな人が登場するしね。

(2003年07月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『アースシーの風 ゲド戦記V』

アーシュラ K. ル/グィン著 清水真砂子訳
岩波書店
2003.03

アカシア:この巻では、英雄ゲドは魔法を使う力をなくして普通の人になってます。でも、4巻目の時ようにただ力を失っただけではなく、日常生活をしているがゆえの知恵をしっかり身につけているのね。ハンノキが市の国に呼ばれることから始まって、レバンネンなど、たくさんの登場人物が出てくるけど、最後にはみんなが解放されて、それぞれ自分の道を選び取るのがおもしろかった。

ペガサス:これは、1冊だけ読むのではなく、最初からのつながりで考えないといけない作品。4巻目が最後の書と言われながら、読者を混乱に陥れて終わっていたのが、この巻で希望をもって進んでいけるというので、やっと納得できたと思う。作者が最初の巻を書いてから何十年もたち、主人公も年老いるわけだが、全巻を通してみると、一人の人間が人生をどう生きるかという物語とも読めるし、人類全体の変遷の物語とも読めると思う。また、作者の世界観の変遷が見られる。魔法使いとしてこれほどまでに修行して力を獲得していくのに、結局その魔法はよほどのことがないと使えないわけね。使えば宇宙の均衡を崩してしまうから。河合隼雄さんが『ナバホへの旅 たましいの風景』(朝日新聞社)のなかで、魔法使いになる修業をナバホのメディスンマンの修業と結び付けて、「結局のところ大魔法使いになればなるほど何もしなくなるのだ」と述べている。確かにこの物語には、人類が築き上げてきた文化的な価値でなく、アニミズム的なものや、動物の本能的行動など、もっと違うところから学んでいくという態度も描かれていて、おもしろいと思った。力を獲得するために奮闘して、目的を達成して終わり、というのではない。

愁童:アカシアさんみたいな読み方があったのか。「ゲド戦記」の大切な部分は3巻までに書かれていて、これはキャンディーズのさよならコンサートみたいなもんだと思ったんだよ。文章でいくつか気になるところがあって、編集者も翻訳者ももう少し気遣いをしてほしかったな。

アカシア:4巻目は、作者がジェンダー的に全体を考え直して書かずにいられなかったんだと思うのね。だけど思想が前面に出すぎてた。だから作者についての研究をするには面白いけど、物語としてはあまりおもしろくなかった。でも、この5巻はおもしろい。

愁童:作家が若い頃書いた作品と、いろいろ考えて年を経て書いた作品では、迫力も違う。2巻目でテナーが、自分で自分の道を選び取っているときに、すでにジェンダーの意識はあったと思うんだ。それが、4巻目で薄汚いおばさんに書き直されなければならなかったのか。

アカシア:私はテナーが薄汚いとは思わなかったな。ル・グィン独自の視点は、影をどう扱うかにあらわれてますよね。今のネオ・ファンタジーは「主人公は善であり正義であって、悪は外にいる」という、ブッシュみたいな単純図式が多いけど、この作者は、闇や悪は自分の分身という認識ですよね。3巻目までは、頭で考える知識(男の領域)と、日常の暮らしの中から学ぶ知恵(女の領域)とが分離していた。それが、4巻からあとは違うのね。

愁童:でも、3巻めまでの輝きが4巻、5巻にはないじゃない。

アカシア:その輝きって何? ヒロイズム?

ペガサス:4巻、5巻がなければ、3巻までで輝いているけれど、5巻まで読んだときに感じるおもしろさは違ってくる。5巻まで読んで、もう一度前をふりかえりたくなる。

愁童:4巻で一番納得がいかなかったのは、最後に竜が出てくるところ。

アカシア:竜は5巻につながるカギなんです。この巻では、幼いときに虐待されひどい火傷を負って生きてきたテハヌーが竜になって空にのぼっていく。そこのイメージがいいんですよ。「テハヌーは両手を高くあげた。炎が手を走り、腕を走り、髪の毛に入り、顔に入り、その胴体に入り、大きな翼となってその頭上に燃え上がると、テハヌーのからだが宙に浮いた。全身火と化した生き物は、今、空中に美しく光り輝いていた。テハヌーはことばにならない、澄んだ叫び声をあげると、首をのばして、高い空へと、まっしぐらに飛んでいった」っていうんだけど、テハヌーが自分らしさを回復し、解放されるのがよく出てると思った。

ペガサス:4巻、5巻を読んで意見が分かれるところも、この本の価値なのでは。

(2003年07月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)