日付 2004年7月29日
参加者 ハマグリ、アカシア、雨蛙、ケロ、むう、カーコ、紙魚、羊、愁童、アサギ、すあま
テーマ 老人と子ども

読んだ本:

『亀になったおばあさん 』
シルヴァーナ・ガンドルフィ/著 泉典子/訳   世界文化社   2004
ALDABRA La tartaruga che amava Shakespeare by Silvana Gandolfi,2000
オビ語録:「死をうまくかわすには変身すればいいのさ」/世界10カ国で翻訳/心のなかに、ふっくらとしたやさしさを与えてくれるちょっと哲学的なファンタジー小説


『エンジェル エンジェル エンジェル 』
梨木香歩/著 (新潮文庫 2004)   原生林   1996

版元語録:コウコは、寝たきりに近いおばあちゃんの深夜のトイレ当番を引き受けることで熱帯魚を飼うのを許された。夜、水槽のある部屋で、おばあちゃんは不思議な反応を見せ、少女のような表情でコウコと話をするようになる。ある日、熱帯魚の水槽を見守る二人が目にしたものは――なぜ、こんなむごいことに。コウコの嘆きが、おばあちゃんの胸奥に眠る少女時代の切ない記憶を呼び起こす……。


『ウィッシュリスト 』
オーエン・コルファー/著 種田紫/訳   理論社   2004
THE WISH LIST by Eoin Colfer,2000
版元語録:死んだ少女の魂がまた現世にもどって老人の四つの願いをかなえることになった。成功すれば天国に行けるが,ダメなら地獄いき…。


『亀になったおばあさん』

シルヴァーナ・ガンドルフィ/著 泉典子/訳
世界文化社
2004

ハマグリ:私は、この本はものすごくおもしろいと思いました。最初は、「〜です。」という文体が鼻につく感じで、大人が無理に子どもの言葉にしてやっているという感じがしたのですが、だんだんその普通ではない文体が合っているように思えてきました。『エンジェル エンジェル エンジェル』と同様、娘と母と祖母の話なので、並行して読んだら少し混乱しました。タイトルの訳はまずいと思う。だんだん亀になっていくところがおもしろいのであって、最初から「亀になった」と言っっちゃったらどうしようもない。皮膚がごわごわしたり、しゃべり方がおかしくなったり、どうなっちゃうんだろうと思うところがおもしろいのに。原題は、「シェイクスピアを愛した亀」なんですよね。
実際にはこんなことはありえないんだけど、すごくリアリティがあった。おばあさんなにの亀、亀なのにおばあさんというところが、よく出てる。絵が好きなおばあさんは亀になっても絵を描くんですよね。メールで知り合ったマックスとのやりとりは、つくり話めいていて、マックスが正体を表わすところも期待はずれだった。でも、ひじょうにオリジナリティのある不思議な話だと思う。出版社は大人向けに出していますよね。でももともとは子ども向けに書かれていると思う。死とか老いということを、そういう言葉を使わなくても、子どもにわかる形で描いた物語だと思うので、大人が読むよりも子どもが読むほうが、真価を発揮するんじゃないかしら。

雨蛙:訳文の調子に慣れるのに時間がかかりました。ストーリーのおもしろさにひかれて、気にならなくなりましたが。子どもの視点を出すには、いまひとつ合わなかったのでは。書名を見たとき、ほんとに亀になるわけないしと思ったんですが、ほんとうになっちゃうところはおもしろかったですね。突拍子もない展開で、主人公が疑問に思う目線が読者とは違うなと思いました。そのへんのギャップもおもしろかったです。やっぱり子ども向けにしてほしいですね。シェイクスピアも、もっと読んでおけばよかったですね。マックスが出てくるのは、物語をこんがらがらせていますよね。

ケロ:マックスって、どんな人なのかなってひっぱるわりには、なんか生きてないですね。

ハマグリ:ネット上に出てくるから、不思議な存在としてうつるしね。

:私もおもしろかった。母親がおばあさんに会いに行かないっていうミステリーにもひっぱられた。私の母もそうなんだけど、だんだん腰がまがっていって、ほんとに亀になっちゃうようなのよね。いっしょうけんめい、母親に知らせないように、おばあさんを守ってあげるんだろうと思ったりして、心のひだまでよく描けてた。『シカゴよりこわい町』(リチャード・ペック著 斉藤倫子訳 東京創元社)のように、このおばあさんなりの口調があってもよかったかも。マックスが寝てるのは不自然ですよね。寝てる場合じゃない。ボートでも持ってきてつれていってほしかったのに。無理やりひっぱってきて疲れたのかしら。うさぎも唐突に感じました。母親のほうは、どんな思いがあったのかということにも興味がわきました。

ケロ:ベネツィアの地形、どういう状態で水が入ってくるのかというのが想像がつきにくかったのは、残念でした。また、おばあさんが香水を飲んでしまって精神病院に入れられちゃったという錯乱状態が、本当はどうだったのかというところも、わかりにくかった。本当のところ、おばあさんは過去の一時期ヘンだったのか(だとしたら、娘の非はあまりないように感じる)、何かの誤解でおばあさんはずっとまともなのか(とすると、娘は取り返しのつかないことをしたことになる)、もしくは今もずーっとヘンなのか?? ぼんやりとしかわからないので、そのへんが描かれていると、二人の和解の過程がもう少しわかったのかも。全体に、ベールを通して見ている感じ。どうしてかな? 最初に言った、いろいろ分からないことがあるからかな? それとも、これがイタリアだからなのかな? そうは言いつつ、おばあさんが頭に手をやる場面が印象的だったり、魅力的な本でした。表紙の絵のおばあさんの顔もいいですよね。また書名も印象的、最初に聞いたときは、「神になったおばあさん」かと勘ちがいしましたが。

:亀ふうになるのかと思ったら、ほんとに亀になっちゃうんだもんね。

カーコ:奇妙でおもしろい話を読んだなと思いました。書名については、ハマグリさんとまったく同じで、「もともとこういう題名だったのかしら」と、思わず原題を確かめてしまいました。最初から、おばあさんがそのうち亀になると思って読むのと、「亀はおばあさんだったのか」と読みながらわかっていくのとは違う。タイトルによって、物語の読み方が左右されるんですね。文体は入りにくかったです。お母さんの口調にひっかかりを感じました。場面によって口調がバラバラ。子ども向けの本だと知りつつ、大人向けに訳したために、中途半端になってしまったのでしょうか。全体に、『ヘヴン・アイズ』(デイヴィッド・アーモンド著 金原瑞人訳 河出書房新社)とはまた違う、不思議なお話でした。

ハマグリ:お母さんとおばあさんの間には深い問題がありそうに書きながら、最後にお母さんがおばあさんを見て、すぐに母とわかり、わだかまりが急になくなるのも唐突な感じがしました。

紙魚:私もおもしろかったです。亀って本当に、生と死との境、もしくは現実と物語の境にいるようなたたずまいじゃないですか。おばあさんが亀になっていく過程と、死にむかっていくさまが、すっと重なって物語になっているようでした。

愁童:ぼくは、好きになれなかった。人間の老いを、こんな形で子ども向けに書くことにどんな意味があるんだろう? おばあちゃんが亀になっていくのっておもしろいねっていうことか。ほんとだったら、見てられませんよね。しわのできかたとか老人の表情とかの描写、うまいと思うけど、人が老いると言うことを外見的な変化に着目させて亀のイメージを作り上げ、そこへ子どもの読者の関心を引っ張ってくるという手法に違和感を感じちゃった。「死をうまくかわすには変身すればいいのさ」って、そんなもんじゃないでしょ。

ハマグリ:ほんとだったら、おばあさんが亀になっていくのを見てられないっておっしゃったけど、子どもの目から見てそうなっていくのをあらわしているんじゃない?

愁童:描写力があるから亀になっていく様子に真実味があるだけ、こっちの違和感が深くなっちゃう。

ハマグリ:おばあさんが変わっているのに女の子が驚いたりするでしょ。長いあいだに起こった変化を、亀になったとあらわしているんじゃない。亀になったおばあさんは幸せそうよ。シェイクスピア読んだりね。

愁童:なんでシェイクスピアなの?! こういうことを、こういう形で書けるという作者の人間観がいやなの。確かに、年寄りと亀のある部分は似ているかもしれないけどね。魔法が使えりゃ人生なんてチョロイっていうハリポタ風メッセージと似たような印象。

すあま:私は楽しく読めなかった。おばあさんが亀になっていくのがとてもリアルに描かれていて、かなり怖かった。子どもにとっても生々しいのでは? それから、マックスは登場しなくてもよかったのではないかと思った。

愁童:おばあさんが老いていくのは自然の成り行きで仕方がないことだけど、亀に変身して目先の死はかわしたけど、先へ行って結局最後は亀として死を迎えることになるわけでしょ。人間として終わりたいんじゃないのかな。死はかわせないから死なんだよね。

ケロ:さきほど私は、魅力的な本だと言いましたが、今のお話を聞いていて、「死」や「老い」をかなり身近に感じる年配の世代の人が読んだら、どう感じるのか、知りたくなりました。単純だ、とか、甘い、とか感じるのかな? この本は、「老い」を、亀のようなしわしわの肌とかに重ね合わせてはいるけれども、老いや死を残酷に描いているとは、私は感じなかったから。おばあさん本人が解き放たれてハッピーになっていくように感じられたし。死は免れられないけど、それをそのまま描くのではなく、死を迎える方も、そのまわりの人たちも、こんなふうに受け流していけたらどんなにいいかな、という希望として読めました。

愁童:亀の寿命は400年。だからまだ2分の1っていうのもなぁ、算術じゃないでしょ人生は。

ハマグリ:でも、亀はいやなもの、汚いものとは表現していないんだから。

紙魚:私は、精神的な象徴としての亀なんだと読みました。

愁童:でも、これは実際におばあさんが亀になるんですよ!

アサギ:私は何がおもしろいんだか、さっぱりわからなかった。お母さんがミステリアスで、設定が変わっているし、イタリアの作品は少ないので、最初は読もうと思ったんですけど。あとがきで理屈がわかるという感じでしたね。話ってただ変わってりゃいいってもんじゃないですよね。この子の年齢にしては、大人っぽいし、訳が合っていないですよね。ストーリー展開の必然性も感じられなかったので、なんでこんな本出したんだろうと思いました。ぜんぜんおもしろくなかったですね。

カーコ:このあとがきは、『すべての小さきもののために』(ウォーカー・ハミルトン著 河出書房新社)と同じように、おしつけがましさを感じました。読者の読みを邪魔せずに、しかも作品に興味を持たせるというのは難しいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2004年7月の記録)


『エンジェル エンジェル エンジェル』

梨木香歩/著 (新潮文庫 2004)
原生林
1996

すあま:おばあさんとおかあさんと女の子が登場して、おかあさんのいないところでおばあさんと女の子が時間を共有する、というところが『亀になったおばあさん』と共通していた。さわことこうこの話をもっと交差させればよかったのではないか。この作家の作品には、おばあさんと孫がよく出てきますね。

雨蛙:タイトルどおり『エンジェル エンジェル エンジェル』づくしの本ですね。文体を変えておばあさんの出来事を語ってますが、これだけでおばあさんは極楽浄土にいけるんでしょうか? 熱帯魚に興味がないせいもあり、この作品はいちばん感情移入をしにくかった。

アカシア:梨木さんの作品の雰囲気は、大庭みな子の作品にちょっと似てますけど、私は大庭みな子のほうがうまいと思います。この作品は、おばあさんの人生がおもしろく伝わってこない。エンジェルフィッシュが共食いするのなんか自然の摂理なのに大げさなのも、いやでしたね。

愁童:図書館で借りられなくて、評判の高い本だし、知り合いの中学生にあげてもいいと思って買って読んだんだけど、期待はずれでした。同じ著者の『裏庭』(理論社)も精神医学に詳しいことにからめて評価されてたけど、どうもそう言う部分で迷路に入り込んじゃってる感じがしました。『亀になったおばあさん』と発想が同じ。はめ絵がはまるようにぴたっと決まったという納得感が得られなくて、消化不良のまま放り出された感じ。

ハマグリ:梨木さんは苦手だけど、これはなんだか食い入るように読んでしまった。でも読んだあと、いやーな感じが残った。今と昔が交錯している構成によって、次第にわかっていくことがあるのかと思って読むんですが、最終的にわからないこともあって不満が残る。エンジェルをモチーフにしているのはわかるけど、何の意味があるのかわからない。おばあさんになっても残っている悔恨を描いたの?

アカシア:心の揺れ動きみたいなものをうまく書いてるんでしょうけど、世界が狭いのが気になりますね。

紙魚:『亀になったおばあさん』は冷たいと思わなかったんですが、これはちょっと背すじが凍るようなおそろしさがありました。感覚的な表現はとってもうまくて、すごいなあとは思いましたが、なかなか愛着が持ちにくい物語ですね。オリジナル版は、おばあさんの章は文語体でなく茶色い文字で印刷されています。文庫化するときに、2色刷りができなくて、改稿したのでしょう。

カーコ:私はこの作家に苦手意識があって……。「狭い世界」というのは、そのとおりですね。小さいなら小さいなりに、細部に目をみはるような新鮮さがあればいいけれど、そういうわけではない。この女の子とおばあさんの関係も深まっていくというのでもない。つかみどころのない気持ちの悪さが残りました。

むう:『裏庭』読んだとき、なんだか未消化の心理学や洋もののファンタジーのごった煮みたいでいやだなと思って、それ以来あまり印象がよくないんです。この作品は短いし、すいすいと読めるのは読めたんですけれど、読後感がよろしくない。脂ぎったエンゼルフィッシュの印象に収斂しちゃう感じ。おばあちゃんの少女時代にしろ、主人公の現在のことにしろ、一皮めくった底意地の悪いところがじわっと出ていて、決して積極的意地悪じゃないんだけど、不作為の意地悪とでもいうのかな。一見きれいなエンゼルフィッシュもそうだし、おばあちゃんがツネに対してフォローしないで放っておくこともそうだし、「わたし」が思いつきでエンゼルフィッシュを飼い、共食いを見ているだけなのもそう。これだけ強烈な印象を残すのは、ある意味では作家の腕がいいんだろうけれど、読んでよかったという気持ちになる本ではない。人間の嫌な部分をびらびらと見せられているような気色の悪さがあります。随所に、最後のつねの木彫りの天使が飛び出してくるところとか、鮮烈なイメージを残す場面があって、うまいなあと思ったけれど、全体としては好きじゃありませんでした。

ケロ:この作品は、1回目読んでよくわからなかったので、2回読んだんです。古い、茶殻まいて掃除したりするディテイルは好きです。自分の悪魔的な部分を見て絶望するという部分と、自分のエンジェル的な部分と悪魔的な部分の折り合いがつかないあたりは、よくわかりました。でも、自分のそれと、おばあちゃんのそれが、ぴったりはまっているように感じられなかった。それに、おばあちゃんも、過去のことが解決して安心して死んだというわけではないですよね。それぞれのちょっとだぶっている部分を交互に描いた、という感じで、読後に「うまい!」とは、思えなかったです。

:私は、図書館で何人も予約が入ってて借りられなかったの。人気があるのよね。

アサギ:文庫版にするとき、なんで旧仮名遣いに変えたのかしらね。ただ書いているっていう感じで、作品の必然性を感じなかったわね。ただ、部分的に風物とか、シュークリームとか、おもしろいところがあったわね。解説のように、はめ絵がぴったり合う感じはなかったわね。それと、どこか心理の奥に死に向かうものがあったんじゃないかしら。また死んじゃった、また死んじゃったと楽しんでいるような。

ハマグリ:あとがきの人、孫娘にコウちゃんという名前をつけるわけじゃない。それはぞっとしたわ。

(「子どもの本で言いたい放題」2004年7月の記録)


『ウィッシュリスト』

オーエン・コルファー/著 種田紫/訳
理論社
2004

ハマグリ:あまりおもしろくなかったので、途中から斜め読みになってしまった。携帯電話を使ったりする現代的な世界と、天使と悪魔という昔ながらの世界の対比のおもしろさを出そうとしてるのかしら。コメディータッチで軽く読めそうなのに、あまり入っていけなかった。他の2冊のようなおばあさんと孫娘の話はよくあるのに、おじいさんと女の子の取り合わせは珍しいわね。最近は見た目はおもしろそうに作っているけれど、読むとそうでもないのが多いのよね。

アカシア:こういうドタバタ的なものを、日本語でも笑えるように訳すのは難しいですね。3分の2ぐらいまで読んだんですけど、おもしろくなくて途中でやめました。編集が荒っぽいですね。もっと工夫すれば、日本の子どもでも笑えるようにできるのでは? 翻訳の記述の矛盾もあちこちで気になったし、34ページは「おまえ」なのに、次のページは「きみ」。その辺も読みにくい原因かもしれません。43ページは聖ペトロですよね。英語ならおもしろいのだろうけれど、普通に訳したのではおもしろくない。

アサギ:そういう工夫がないからおもしろくないの? それともストーリーが?

アカシア:おじいさんの人生が透けて見えないといけないのに、見えてこないから、物語としてもおもしろいとは言えないかも。でも、キリスト教圏の人は細部でおもしろいと思うかもしれませんね。

雨蛙:帯の「めちゃくちゃ笑えて」で楽しいのかと思って読み始めた。今の子は、これでもクスクス笑いながら読み進めてしまうかもしれませんね。この内容にしては、ボリュームがありすぎますね。メグという子は、年からいっても深めてほしかった。作者がどのくらいの内容で何を目指しているかが見えてこなかった。

すあま:同じ著者の『アルテミス・ファウル』(角川書店)は、妖精がコンピューターを操っていましたが、今回のは、それを天国と地獄におきかえたんですね。これを読んで、森絵都の『カラフル』(理論社)を思い出しましたが、こちらは盗みに入ったおじいさんのところでボランティアをする、という設定で比較的おもしろく読めました。死んじゃった女の子と、死にそうな老人とののロードムービーみたいな物語で、テレビの連続ドラマにしたらおもしろいかな。でも、帯にあるような「めちゃくちゃ笑えてハートウォーミングな話」ではないですよね。最後どうなるんだろうかとひっぱられて読まされる話。

アサギ:日本人には、聖書にかかわる基本的な知識がないから、こういうの訳すの難しいのよね。それから、もともと笑わせるのって難しいのよね。人間の脳って、サバイバルを目的にしているので、もともとネガティブなことに対してのみ敏感にできているんですって。暗闇を歩いているときライオンに襲われたりしたらどうしようと心配するふうにできているんですって。だから愉快なことには鈍感なんですって。だから、やっぱり笑わせるのって至難の業なのよね。

ケロ:確かにスピード感があって、おもしろかったんだけど、キリスト教関連のギャグや、アメリカの人気番組に関するギャグなど、細かいところがよくわからないので、ふうん、とさびしい思いをしました。きっと、こういうことなんだろうな、と想像しながら読むしかなくて。翻訳もので現代の設定だと、ほかの本でもそういう部分があるんですが、この本には特に一抹の寂しさを感じました。あと、犬と人間がまじっちゃったり、実体のないコンピューターのキャラ、なんていうのは、日本ではあまり見ないものですね。イメージの新しさを感じました。

むう:『アルテミス・ファウル』を読んだときは、そんな大ヒットするような本かなあと思ったので、それに比べてこれはどうかなと思いながら読みました。結論としてはやはり今ひとつ。言ってみれば、ぺらぺらの色つきセロファンで飾り立てているような安っぽいところがありますね。スピード感があって、子どもを引きつけるだろうなって思うし、ドタバタしたところとハイテクが売りなのもわかりますが、それ以上のものは感じられない。この人のアイデアには、けっこうやるなあ!というものもいろいろあって、たとえば途中で、悪を働こうとしている者たちが、ふたりの人間のあいだに愛という100%の善が生まれたとたんに、その余波で吹っ飛ばされるという顛末や、死期が近い人には幽霊が見えるけれども、そうでない人には見えないといった設定など、なるほどと思わせるのだけれど、それらが全体としてひとつにまとまってどうというところまではいっていない。勢いが命のような面のある作品だから、訳文で意味のわからないところが出てきてスピードが止まるのは苦しいですね。

紙魚:あんまりおもしろい本ではなかったけれど、この軽めの装丁がいいですね。ひとりよがりな世界を作るのではなく、読者を喜ばせようとしている作者の姿勢はよく伝わってきますが。帯の文章は、ちょっと内容と違うかなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2004年7月の記録)