日付 2006年11月30日
参加者 アカシア、きょん、エーデルワイス、ミッケ、ウグイス、カーコ
テーマ 復刊の作品を読む

読んだ本:

『ブランコのむこうで 』
星新一/作   新潮文庫   1978/2005

版元語録:ある日学校の帰り道に、「もうひとりのぼく」に出会った。鏡のむこうから抜け出てきたようなぼくにそっくりの顔。信じてみらえるかな。ぼくは目に見えない糸で引っぱられるように男の子のあとをつけていった。その子は長いこと歩いたあげく知らない家に入っていったんだ。そこでぼくも続いて中に入ろうとしたら……。少年の愉快で、不思議で、すばらしい冒険を描く長編ファンタジー。


『この湖にボート禁止 』
ジェフリー・トリーズ/作 多賀京子/訳   福音館文庫   2006.06
NO BOATS ON BANNERMERE by Geoffrey Trease, 1949
版元語録:湖の島にこぎ渡ることを禁じられたビルたちは,謎を追い,島の持ち主アルフレッド卿に立ち向かう。傑作冒険物語が新訳で登場!


『小さい水の精 』
オトフリート・プロイスラー/著 はたさわゆうこ/訳   徳間書店   2003.03
DER KLEINE WASSERMANN by Otfried Preussler, 1958
版元語録:水車の池の底にある小さな家に生まれた小さい水の精は、髪も目も緑色の、元気な男の子。毎日池じゅうあちこち探検します。コイのおじいさんの背中に乗せてもらったり、人間の子ども達と友達になったり…。ドイツを代表する作家が、元気な男の子をいきいきと描く作品。原書の絵を忠実に収録し、新訳でお届けします。


『ブランコのむこうで』

星新一/作
新潮文庫
1978/2005

アカシア:私はおもしろくなかった。作品を構築していくというよりは、思いついたことを思いつくままに書いていくという感じですよね。この作品が書かれた頃は、夢の世界の描き方もこれで新鮮だったのかもしれませんが、今は多様なイメージのファンタジーが氾濫しているから、新鮮みもないし、作者のつくりごとに無理矢理つきあわされる感じになってしまいます。すなおに作品世界に入って楽しめなかったです。次の夢に入るというのも、どこかで読んだことがあるという感じでしたし……

カーコ:ここ数年の出版傾向として、ファンタジーとならんで復刊ものが多いと聞いているので、そうやって再び子どもに投げかけられた作品が実際のところどうなのだろう、というのを考えてみたくて、このテーマを選んだんです。この作品は、この表紙になってから、中高校生にもよく売れているという記事を読んだことがあったので選びました。調べてみると、もともと新潮少年文庫というシリーズの一冊としてで出ているもの。ほかのラインナップからすると大人の作家が若い読者向けに書いたものを集めたシリーズのようなんです。お話は、特に目新しくもないけど、短い言葉で場面をくっきり描いているところがうまいと思いました。場面が変わるごとに、どういうところに来たのか、よくイメージできる。ショートショートで、簡潔に場面を作りあげているからかなあ。取り立てて、心に残るというのではないけれど、ショートショートと一緒にこの本を手にとった読者が、長い作品にも近づいていければいいのでは?

アカシア:新潮の星さんの本は、シリーズ全体が新しい装丁になったので、中高生も手に取りやすくなったかもしれませんね。

ミッケ:星新一の本は、中学の頃かな、さくさくと読んでいた記憶があります。でも、今読むと、なんというか、時代を感じますね。星新一が出てきた頃は、とても新鮮だったんだろうけれど。この本に関していえば、次々に場面が変わっていくやり方は、次はどうやって変わるんだろう、どこに行くんだろう、という感じがあっておもしろかった。それに、砂だけの世界に入ってしまうところなんか、アイデアだなあと思いました。でも、全体としては中途半端。子どもの目線で書いているとは思えないな。夢の中でお父さんに会いそうになるのなんかはいいんだけれど、先のほうで、実際の世界で満たされないものが夢の世界で満たされるんだ、みたいな感じになるのは、理に落ちるというか、説教くさい。わがまま放題の王子とか、子どもを追いかけるお母さんの話とか、夢の中でひどい皇帝になっている人の中にかろうじて残っている良心が若者の姿で現れる話とか、子どもがほんとうに喜ぶんでしょうか? しらけるんじゃないかな。やっぱりこの作者はアイデアの人だと思った。

エーデルワイス:内容が薄いなっていうのが正直なところでした。夢に入っていくんですよね。ピアスの『トムは真夜中の庭で』を思い出しましたが、それとも違いますね。

アカシア:ショートショートなら、ぴりっとしたアイデアだけでおもしろいんですが、これはもっと長いので、ちょっとつらいですね。これだけでは物足りない。

ウグイス:ショートショートは、今の中学生にも読まれているんですか?

エーデルワイス:そうですね。好きな子は、次から次へと読破していますが、そればっかりになって、そこから出ることが出来ていない子も見受けられます。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年11月の記録)


『この湖にボート禁止』

ジェフリー・トリーズ/作 多賀京子/訳
福音館文庫
2006.06

きょん:すなおな冒険ストーリーで読みやすいので、どんどん読んでいきました。ボートを見つけて小島にわたるあたりまではよかったんですけど、宝探しがなかなか始まらない。出た当時は新鮮だったんでしょうか? 今読むと、とってつけたような結末で、ちょっとがっかりしました。

カーコ:今の読者向けに新しく出たのを評価している書評を読んだんですが、手にとってみると表紙の絵が古臭くて昔の本のようで、まず「えっ」と思いました。物語は、最後がどうなるのかに引かれて、思ったよりすらすらと読み進んでいけました。でも、やっぱり古くさい、一昔前の話だと思ってしまいました。この作品が出た1979年当時は、男の子が女の子に思いを寄せることをにおわせる場面があるというだけで、批判をあびたというけれど、今の子がワクワクして読むのかどうか疑問です。ただ、時代がかっているけれど、校長先生が尊敬できる人だと言うところだけは、いいなあと思いました。今の実情を照らし合わせると、こんなことはありえないのだけれど、日本の子どもの本では、たいがい先生や大人の影が薄いので。あと、会話のあちこちに、ひねりがあるのだろう、と思われる部分があったのだけれど、おもしろさが伝わってきませんでした。この本は、もともと難しい言葉で書かれているので、わざと同じように難しく訳しているのかと思ったほど。人に聞くと、イギリスの読み物は、アメリカの読み物よりも凝った文章のものが多いとは言われましたが。

アカシア:私は福武文庫で最初に読みました。そのときも古めかしい感じがしたんです。今度は新訳だから期待したんですが、もっと古めかしいですね。たとえばp171には「へえ、そりゃ、おことばだね」、p172には「してやったり」、p191には「はなはだ肉食のすぎる人に見受けられたわ」なんていう表現が続出します。今の子どもたちに読んでもらおうとするなら、ここまで時代色を出さなくてもいいのでは? 内容的にも、男女の役割分担がはっきりしていて、キャンプに行けば女の子が料理をするものと思われている。それに、アルフレッド卿という人が悪者というよりは軽蔑される対象になっているわけですが、イギリスの階級社会の中で商人の成り上がり者として下に見られている構図が見えて嫌らしい。そういう時代の枠組みを超えておもしろければそれでもいいのですが、話の運びもそうそうおもしろいわけではない。新訳でまたわざわざ出す意味がわかりませんでした。

エーデルワイス:ストーリーとしては結構おもしろかったんですけど、現在ではひと時代前のお話という印象。楽しくは読めました。シェークスピアの引用とか、千年前にノルマン人が来たとか、イギリスの子どもなら教養として知っているであろうことを前提に書いているのでしょう。裁判の場面、陪審員とのやりとりが、わかりにくかったですね。これも文化の問題かな。

アカシア:裁判のシーンのp324のところで、「もし〈埋蔵物〉ではないなら、国としてはそれ以上の関与はしない。発掘されたものは発見者の所有となる」とあるんですが、だとすると〈埋蔵物〉でないと証明されれば、発見者である子どもたちのものになるということですよね? だけどその後に「もしアルフレッド卿が、発掘された異物が〈埋蔵物〉ではないと証明することができたら、こちらとしてはひきさがるしかない」と出てきます。よくわからなくなっちゃうんです。このシーンは田中明子訳の福武文庫版の方がずっとよくわかります。

ウグイス:学研文庫で出たときのこの話は、少し前のいかにもイギリスらしい雰囲気を味わえるものとして人気があったんだと思います。古めかしい感じに良さあるので、新訳だからといってあまり今っぽくすると、逆に違和感が出てしまうんだと思うの。女の子はおしとやかにしてたほうがいいとか、古い価値観で描かれた部分があるので、訳文もある程度古くてもいいんじゃないかしら。女の子の言葉で、「…じゃないこと?」とか、「…ですわ」とか言っているのは、直したほうがいいけれど。しかしこの新訳には、わかりにくいところがたくさんあった。p191の4行目「そうすれば自転車で来るのもすこしはらくだと思うの」のせりふの意味がよくわからない。旧訳では、「自転車で往復しなくてすむし」となっていて、意味がよくわかる。p190の11行目で靴下を繕っているお母さんがジャガイモくらいある爪先の穴を見て「やれやれ、新ジャガの季節だものね」と言うんですが、これもわからない。学研文庫版は「そういう頃だものね」福武文庫版は「穴があくころなのよね」です。そろそろ穴があくころだったから仕方がない、というニュアンスなのでは? p76の4行目「するとアルフレッド卿は、まるで自分が保護区にいる…」も、わからない。旧訳よりわかりにくい訳になってしまったら、訳し直す意味がないのでは?

アカシア:歴史的に意味がある作品だというのはわかるけれど。

ウグイス:70年代に学研文庫で出たときは、当時としてはすごくおもしろかったのよ。だから、その頃からこの本が好きだった人は、ずっと手に入らなくなったのを残念に思ってたから、新しい版が出た、ウェルカムという感じなんじゃない? 図書館でも古いのはぼろぼろになったりしているから。

ミッケ:せっかくだからというので、旧訳と新訳を読み比べようと思って、まず旧訳を半分くらいまで読んだんです。それで、ふうん古くさいところもなくはないけれど、けっこうわかりやすい柔らかい訳だなあと思ったところで、時間切れであわてて新訳をまた最初から読み始めたら、なんかこの訳者は力はいりすぎてるみたいだ、これって男の子の一人称だからわざと堅くしたのかなあ、それにしてもちょっとやりすぎじゃあないかな、という感じで、結局、かえって古い訳のほうが読みやすいという結論に達しました。だから、皆さんがおっしゃったとおり、どうして新訳を出したの?という感じです。新訳は、よく意味の通らない箇所があるし……。さっきからお話を聞いていると、どうやら旧訳の訳者は、学研文庫の訳を福武の文庫本にするときにも、訳に手を入れているようで、ていねいだと思うけれど、新訳はちょっと……。アーサー・ランサムが一時期大好きだった人間からすると、同じ湖水地方の同じように湖と島の冒険なので、ついついランサムを思い出してしまうけれど、ランサムに比べると、かなり弱い気がします。

アカシア:私もランサムのほうがうまいと思う。ヨットの帆を操作する部分とか、情景とか、細かく目にうかぶように描かれていますよね。

ミッケ:たしかにランサムも、いかにも大英帝国という価値観とか、女性のあり方とか、今とはずれているところもがあって、古いといえばいえるけれど、でもやっぱりしっかり書けているからこそ、あれだけいろいろなエピソードが出てきて、物語が展開されていったわけで、それに比べるとこの作品はかなり見劣りがすると思う。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年11月の記録)


『小さい水の精』

オトフリート・プロイスラー/著 はたさわゆうこ/訳
徳間書店
2003.03

ウグイス:ほのぼのとして、安心して読めるファンタジーで、すごくよく読まれた本なんですよね。私は同じプロイスラーの『小さい水の精』と『小さい魔女』だと、『小さい魔女』のほうが好きだったんだけれど、水の精が大好き、という人もたくさんいます。『この湖にボート禁止』のような本と違って、ファンタジーなので古びないですね。旧版が手に入らなくなっているから、こういうのを出してくれるのはうれしい。3、4年生の読めるものは少ないからね。大塚勇三さんの訳は独特の暖かさがあって大好きだけど、新訳も、水の精のあどけなさとか、雰囲気をとらえて訳されていると思います。

エーデルワイス:いかにもドイツのお話というとらえ方でいいんでしょうか。かわいらしい感じ。

アカシア:ドイツはもっと理屈っぽい作品も多いから、プロイスラーの楽しさはむしろ例外かもしれませんよ。今回読んだ3冊の中では、今の子どもにもお薦めっていうのはこれ1冊ですね。訳も悪くなかったし、学研版と比べてそんなに変わっていない感じがしました。大塚さんとは持ち味が違うけど、新たに読めるようになってよかったなと思います。いたずらっ子で、危ないことまでやってしまうところも、子どもたちの共感を得るでしょうし、いやな釣り人をこらしめたりするところも、痛快に思うんじゃないかな。1章ずつばらばらでも読めるので、短いのしか読めない子にもいいですね。

ウグイス:大塚さんの訳って、「ええ」っていうのをよく使うじゃない? 古いほうのp94「……と、かんがえましたが、それもなんにもなりませんでした!……ええ、どうやってもだめでした」っていうふうに。そこは新訳でも「……とも思いましたが、それもなんにもなりません。……そうです、なにをどうやっても、だめでした。」となっている。これを見ると、プロイスラーが、もともとこういう語りかける口調を使っているようですね。

カーコ:昔小さいときに学研のシリーズをたくさん持っていて読みました。当時「ヤツメウナギ」がとても不気味だったのや、お祝いのごちそうがすごく不思議だったのをおぼえています。今読み返すと、家族がとてもいいですね。お母さんは心配するけれど、お父さんが水の精をどんどん連れ出す。だけど、肝心なところでは、しっかり守ってくれているんですよね。それと、端々の文章がおもしろかったです。たとえばp54、「空気」の話をしているところで、「空気っていうのは、その中では、泳げないものなんだ」とか。水の中から見るとこう見えるというところがいっぱいあって。小さい水の精はいたずらっ子で、次から次へといろいろなことをするので、だいじょうぶかなあ、と読者はハラハラすると思うんだけど、最後は、必ずおうちに帰って丸くおさまるので、安心感があるんですね。

ウグイス:表紙の絵はあまりかわいくないけど、中の絵はお話のほのぼのした感じが良く出ていて、かわいいと思う。

きょん:子どもの頃にうちにあって読んだんですけど、おぼえてなかった。今回あらたに読んでみて、とてもおもしろかったです。小さな水の精の感動が新鮮で、みずみずしく、読んでいて楽しかった。仲良しのコイのチプリヌスおじさんとのやりとりもおもしろい。読者対象は3,4年生かしら?

ウグイス:内容から言ったら低学年だけど、漢字も多いし、1,2年生には読めないわよね。あと、うちの近所の図書館には、旧版はあったけど、新版はなかったの。最近は図書館の予算も限られているから、古い版に問題があれば別だけど、まだ読める状態ならば新しいのは入れないのね。書名が変わったりすれば買うと思うけど。新しい書名でリクエストがくると、古い版を使うことはできないからね。この場合は書名がまったく同じだし、学研版にも問題はないから買い換えなかったのでしょう。そうすると、出版社は本が動かなくてたいへんよね。

ミッケ:現実の中での男性らしさとか女性らしさといった問題、ジェンダーの問題とは別に、原型としての父親の役割、母親の役割というのがあると思うんだけれど、この本には、それがちゃんと機能している世界が書かれている。そのなかでは、子どもが安心して子どもらしく育っていけるわけで、そういう世界がちゃんと書けている本は、幼い子どもが読む本として貴重だと思います。だからこの本は、時代を超えて古びずに生き残っていく本だろうなあと思いました。今時のこの本を自分で読める年齢の子からしたら、ちょっと幼稚すぎる感じもありそうだから、むしろ、おとなが1章1章語り聞かせるといいような気がします。アカシアさんが言ってたたみたいに、この本はひとつひとつの章が独立している感じだから、そういう読み聞かせも可能だと思う。訳は、両方ともよかったです。なんといっても主人公のいたずらなところがいいですね。それと、たとえば人間の子に、焼いた石(ジャガイモのこと)をもらって、お返しに食べ物を持って行くんだけれど、人間の子どもは決して口をつけない。それで、あきらめて今度は貝やなにかを持っていくというところなんかも、うまくするっと書いてあって、さっぱりした印象で進んでいくのがいい。おとなはこういうところで変にこだわりがちだけど、それがない。あと、最後に氷が張って冬眠するという終わり方もよかった。

ウグイス:今思ったんだけど、お父さんは外、お母さんは内を守るっていうような古めかしい役割分担なども、これがリアリズムの話だと、今の価値観と違うってことになるけれど、これは水の精の世界のお話で、人間世界とは違うということで、あまり目くじらたてないで読めるのかも。ファンタジーはそういう制約を受けないってこともあるんじゃない?

ミッケ:たとえば、主人公が粉屋さんの船にひとりで乗っていたら、見つかったものだから水に飛び込む。青くなった粉屋さんが、必死で主人公を探し続けるのを見て、主人公がp87で「…ずっと、さがしていればいいや! 粉屋さんが、木の箱をひとりじめしてるから、こんなことになるんだ!」って言うでしょう。この終わり方が、いかにも子ども目線でいいですよね。傘を持った男の人を池にはめちゃって、最後はミジンコなんかもいっしょにけらけら笑っていました、という終わり方も、子どもにすれば大喜びだと思う。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年11月の記録)