日付 2007年6月21日
参加者 げた、アカシア、驟雨、ネズ、ジーナ
テーマ 家族

読んだ本:

『レネット〜金色の林檎 』
名木田恵子/著   金の星社   2006

版元語録:チェルノブイリ原発事故の前日に生まれた徳光海歌。原発被災者の少年がやってきた一家に起きる小波を、北海道の情景を織りまぜて描く清冽な作品。


『ひとりぼっちのスーパーヒーロー 』
マーティン・リーヴィット/著 神戸万知/訳   鈴木書店   2006
HECK SUPERHERO by Martine Leavitt, 2004
版元語録:13歳のヘックは母さんと二人暮らし。心に病いを持つ母さんが、ある日突然失踪した。アパートは家賃滞納で追い出されヘックは家を失い、ストリートに放り出される。母さんを守ることができるのは、自分しかいない。母さんにとってぼくはスーパーヒーローなんだ! ヘックはスーパーヒーローになった自分の姿を心に描きながら、現実に立ち向かおうとする。母を想う少年の気持ちを、切なく描いた心あたたまるドラマ!


『天使のすむ町 』
アンジェラ・ジョンソン/作 冨永星/訳   小峰書店   2006
HEAVEN by Angela Johnson, 1998
版元語録:ヘヴンという町に住むマーリーは暖かい家庭で育った少女。よく手紙をくれる会ったことのないジャックおじさんが実の父親で、本当の母親は事故で亡くなっていたことを突然知らされる。血のつながりだけが親子ではないということにマーリーが気づくまでの成長を描く感動の作品。


『レネット〜金色の林檎』

名木田恵子/著
金の星社
2006

げた:チェルノブイリの話は、『アレクセイの泉』(本橋成一/アリス館)のあと児童書ではあまりなかったと思います。被災者した子どもたちを預かった家族が、なんで離れ離れになって、悲しい結末を迎えることにしなくちゃならないんだろう? チェルノブイリの話をとりあげるのなら、もっとあたたかい、ハッピーな形で終わる物語にはできなかったのかなあと思いました。セリョージャに対する気持ちは、自分のことを省みられなくなって、やきもちをやいているということじゃなくって、実はセリョージャに恋していたんだということは、後のほうでわかるんですけど、僕にはわかりませんでしたね。お母さんのことなんですけど、12歳でなくなった長男の身代わりのような形でセリョージャを迎えて、セリョージャが帰ってしまうと、その思いを断ち切りたいから、北海道を離れていく。なんで、そうなるの? 家族関係を壊すことないじゃないの? ちょっと納得いかない部分ですね。

アカシア:私はこの表紙や題名からは意外だったんですが、読んだらおもしろかったです。チェルノブイリの事件を日本の子どもも大人も忘れかけているときに、こういう取り上げ方もあるんだ、と思って。セリョージャだけだと、いい子で出来すぎかもしれませんが、レオニトっていうわがままな子も出てくるのが、いいなあと思います。ボランティア団体の恩恵を受ける側なんですけど。子どもらしくていい。お兄さんが亡くなって主人公の家族が暗いんですけど、セリョージャと暮らしているうちに、家族の関係が変わっていくんですね。たぶんお父さんとお母さんとみかちゃんは、セリョージャに対してそれぞれ違う思いを抱いていたんだと思います。三者三様の思いが書かれています。短い作品なので書き込めてないところもあると思うんですけど、こういう書き方もあるのかと感心しました。

驟雨:時間をかけてじっくり読めなかったというせいもあるのかもしれないけれど、私はなんだか入っていけなかった。ああチェルノブイリのことか、ああお兄ちゃんがいなくなっていろいろあった家庭のことか、という感じで、作者の書きたいお題目が次々に頭の中に浮かんできて、それでおしまいという感じでした。

アカシア:私は作者が書きたかったのは初恋だと思うのね。

驟雨:なんか、そういうふうには読めなかったです。最初の、お兄ちゃんが死んで家族がバラバラになりそうだ、というところから、途中のチェルノブイリときて、その段階で完全に構えが決まっちゃったようで、うまく読みとれませんでした。

ネズ:私も最後のところを読んで、「ああ、初恋を書きたかったんだ!」と思いました。どうりでセリョージャのイメージが、少女マンガに出てくる王子さまのようだと納得。でも、導入部はマンガとは大違いで、とにかく暗い。「なんだろう、この暗さは!」と思って読むのが辛かったけれど、金色の林檎の種が出てくる場面で、やっとイメージがはっきりしてきて、なかなかいいなと思うようになりました。幼いレオニトとかニコラウも登場して、動きも出てきておもしろくなった。けれども、やっぱり書きたかったのは、初恋なのかと、ちょっとがっかり。今の日本の児童文学はーーなんて威張って言えるほど読んでないけどーー自分の身の回り何メートルかのものを、ちまちまと書いているような感じがするんですね。この作品はチェルノブイリを扱っているので、もう少し広がりのある作品なのかと期待していたけれど、そういう問題も家族とか初恋とか、自分のまわりの小さな世界にぎゅっと吸い寄せてしまう日本の児童文学の力って、ある意味すごいなと……大上段にふりかぶった児童文学が必ずしもいいというわけではないけれど。

アカシア:でも、チェルノブイリ被爆者のことを日本の子どもにも引き寄せてフィクションで書こうと思ったら、こういう書き方になるんじゃないかな。確かにセリョージャは少女マンガ的だけど、初恋って相手のことがちゃんと見えなくて美化するようなところあるじゃない?

げた:日本にも、里親として、3か月ぐらいの期間、被爆した子どもたちの面倒を見て、体を強くして帰してやるという活動をしている人がいるというのを、初めて知りましたね。

アカシア:たとえ1か月だけでも健康な暮らしをするのがよいというのは、初めて知りました。今まで、新聞で受け入れる人たちの話を読んでも、自己満足じゃないかと思ってしまっていたんだけど。

驟雨:今、みなさんのお話を聞きながら、はじめのほうをめくってみたんですが、やっぱりべたーっとした印象で、好きになれません。息が詰まりそう。途中でやんちゃ坊主が出てくるところは、唯一息がつけましたが。

ネズ:林檎というのは、西欧の人々にとって、まさに「生命の木」というような特別な意味がありますよね。エデンの園の林檎ともイメージが重なって、生命の始まりと、チェルノブイリに象徴される人間の滅亡というようなーーチェルノブイリというのは、黙示録に出てくるニガヨモギを意味するときいたことがあるけれど。そういうイメージの美しさとか、力強さは感じられたけれど、とにかく暗いというか、ユーモアが無いのよね。ところで、こういうスカスカな、1行ずつ改行するような書き方って、よくあるのかしら。

ジーナ:『世界の中心で愛をさけぶ』のような大人向けのベストセラーも、改行だらけですよ。

アカシア:でも『レネットーー金色の林檎』って、この題でよかったのかしら。リンゴではなく、林檎って?

ネズ:「サヤエンドウのさやをむく」とか、「するっとさやをむく」という記述が度々出てくるけれど、これは「サヤエンドウの筋を取る」ってこと? それとも、グリンピースのことかしら?

(「子どもの本で言いたい放題」2007年6月の記録)


『ひとりぼっちのスーパーヒーロー』

マーティン・リーヴィット/著 神戸万知/訳
鈴木書店
2006

ジーナ:私はこれはダメでした。こういう状況におかれた子どもというのがいるのはわかるのだけれど、これを子どもの読者に投げかけて、何が言いたいのか、わかりませんでした。子どもに何を感じさせたいのでしょう? 最初のページから「ぺしゃんこな状態」というのが出てきて、このぺしゃんこという言葉が、あちこちで繰り返されるのだけれど、そのイメージがあいまいな気がします。感覚的な言葉で、わかったような気分にさせられるけれど、やっぱりわからない。原文はなんという語だったのか、知りたくなりました。

ネズ:“flat”ですね。

ジーナ:あと、ヒーローものになぞらえて、「善行」をして点数を稼ぐ、というふうに主人公が考えるわけですが、ゲームのたとえなら、『ごめん』(ひこ・田中著 偕成社)の「経験値」のほうが、ずっと読者にぴったりくるように思いました。この「善行」という言葉は、あまりピンとこないのでは?

驟雨:前に原書を読んだこともあるんですが、今回翻訳を読んでみて、あらためて、これを日本の子に紹介してどうするのかなっていうのが、正直なところです。袖に、母を思う子の一途な思い、感動の……といった惹句が入っているけれど、違う気がする。感動するどころか、悲惨な事実をそのまま無責任に投げ出されたような嫌な感じばかりが残る。このお母さんはなにやってるんだ、周りの大人はなにやってるんだ、これを読んで、子どもの一途な心に感動してすませるなんて、そりゃあおかしいだろ!みたいな……。表現として考えれば、おもしろい面がないわけではない。すっかりスーパーヒーローに成りきった子どもの主観で見た世界をどう書くか、という書き手にとってのおもしろさという点で。それにしても、SFとかコミックの素養がない私などは、聞き慣れないSF的な言葉に次々に躓いて、それも世界に入り込めない原因だったように思います。スーパーヒーローが好きな子が読めば、違うのかもしれませんが。

アカシア:最後まで読むのに時間がかかりましたね。もうちょっとていねいに訳してほしいなとも思ったし。スーパーヒーローって言葉自体、英語ではわかりますが、日本語ではスーパーマンとかバットマンとかスパイダーマンのこと、そうは言わないんじゃないかな。「善行」って言葉も、この物語には合わないと思いました。急に修身の本みたいになっちゃいます。「人助け」くらいでいいんじゃないかな。同じテーマなら、『タトゥーママ』(ジャクリーン・ウィルソン著 小竹由美子訳 偕成社)のほうがずっといい。スーパーヒーローごっこというのも。訳文がぴったりはまらない。ヘックの一人芝居だから、ヘックに感情移入できないと作品全体がおもしろくなくなっちゃう。途中からヘックが不安定になっていくところで、『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス著 小尾芙佐 早川書房)のような書き方をしてくれればよかったんですが。マリオンが最後自殺するところも疑問に思いました。

げた:よくわからなくて2回くらい読みました。全く読後感が悪い本でした。ヘックが出会ったマリオンという少年を自殺させたり、中学生のヘック少年を一人でがんばらせたりして、大人の都合で。最後に、ヘックが自分はもうスーパーヒーローじゃないと気づいたところで、少し救われたかな、と思えるんだけど。ヘックが心を閉ざしているから、友だちのスペンスが呼びかけても、なかなか応えられない。もっとスペンスに応えられるようなつくり方をできなかったのかなと。この表紙を見て、もっと単純で明るい話なのかな、と思ったら、イメージが全然違う。児童書には不向きだな。

ネズ:原書の裏にある推薦の言葉を読むと「読者は主人公のヘックを愛さずにはいられないだろう」と言う意味のことを言っているけれど、主人公に感情移入するのに時間がかかりました。とても幼い感じのところもあるのに、とっても難しい言葉を使ったりする。アメリカン・コミックに親しんでいるアメリカやカナダの読者はおもしろく読めるかもしれないけれど、難しかった。私は、ヘックよりもマリオンに親しみを感じてしまったので、なにも殺すことはないのに、残酷だなあと思いました。お母さんにも腹が立ったし……

アカシア:こういう状況の子どもは多いから、大人が自戒するために読むのならわかるけど、子どもに読ませてもね。

ネズ:どうしてこの子は母親に腹を立てないのかしら。なんで、ここまでお母さんを守りたいと思うの?

ジーナ:「守ろう」というより、お母さんと一緒にいたいっていう気持ちでは? 福祉事務所などに知られると、施設に送られるというのがわかっているから。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年6月の記録)


『天使のすむ町』

アンジェラ・ジョンソン/作 冨永星/訳
小峰書店
2006

げた:今日の3冊の中では、一番読後感がよかったな。読み終えて「心がほんわりとあたたかく」という気持ちになりました。マーリーは14年の間、実はおじさん夫婦に育てられたんだということを、ある日突然告げられ、動揺して、いらいらしてたんです。でも、お母さんのラブレターを読んで、自分がお互いに愛し合っていた父と母の子どもなんだ。たまたま事故で離れ離れにならなければならなかっただけなんだということを知って、ヘヴンという地名にふさわしい気持ちになっていくんですよね。気になったのは、そうはいっても、ジャックがどうしてマーリーを見られなかったのかなということですね。妻を失ったショックで、立ち直れなくなってしまってじゃ、おかしいんじゃないかな。逆に、俺に任せろと思わなくっちゃ。この舞台になった場所は、特定できるんですか?

驟雨:作者はずっとオハイオ在住で、オハイオの小さな町を舞台にした作品をいろいろ書いているようですよ。この作品の中にも実在の場所が何カ所か出てきますが、ヘヴン自体は特定できないみたいですね。

アカシア:この本は出たときに英語で読んで、日本語にするのは難しいな、と思ってました。小峰で出たのはよかったけれど、やっぱり売るのは難しいかもしれませんね。いい人たちが出てくるんだけど、人間関係がわかるまでに時間がかかるんですよね。ジャックが、どうしてこの子と暮らせなかったのかというのも説明されてないし。原書の表紙には、アフリカンアメリカンの女の子が出てますが、日本語版にはそういう情報もありません。アフリカン・アメリカンの家庭だとわかったほうが理解できることもあると思うんですが。焦点が一つに定まっていない点描のかたちで物語が進むので、読書好きの子は楽しいだろうけれど、そうでないと自分の中できっちりと像を結ばせていくのが難しい。最後は明るい感じで終わるのはいいですね。シューギーが、親を拒否しているんですけど、これがこの年齢特有なものなのか、それとも何か理由があるのか、よくわからなかった。

ネズ:これは不思議な本ですよね。この物語の前の出来事を、作者は次の本で書いているんですよね。赤ちゃんが生まれて、お母さんが死んでしまうまでのお話。同じ出版社から、別の訳者で出ている……

驟雨:『朝のひかりを待てるから』ですね。

ジーナ:よかったのは、人物一人一人が生き生きと描かれていたところ。ただ私は、いくら愛する妻が死んでしまったとはいえ、ジャックおじさんが幼い子を人にあずけて放浪に出てしまう、しかものんきそうに手紙を書いてくるというのが理解できなかったので、物語にのりきれませんでした。また、確かに自分の親が違っていたというのはショックだろうけれど、マーリーは育ての親に愛情を注がれて育っているわけですよね。さっきの本のヘックなんかと比べれば、ずっと恵まれた状況です。それが、血がつながっていないとわかったとたんにこんなになってしまう、というのがピンときませんでした。キャサリン・パターソンの『ガラスの家族』(岡本浜江訳 偕成社)の頃から、さまざまな家族の形というのが児童文学ではずっと書かれてきているのに。

アカシア:アメリカは、養子や里子には、きちんとそう話す場合が多いですよね。それを言ってこなかったというので、この子がショックを受けるんでしょうね。

驟雨:この作品は、かなりふわふわとつかみ所がないような描き方がされていて、たしかに読み取るのは難しいかもしれませんが、一方で、そのふわふわした感じが、天使が描かれたヘヴンのはがきに通じるし、揺れている主人公の気持ちを忠実に追いかけていく感じにも重なって、それがこの本の魅力になっているような気がします。ふわふわと揺れている点描の風景に忠実に寄り添っていくと、主人公の心の動きがとてもリアルに感じられる。前々から、養子ものというと、悲惨なものがついてまわる感じがしていたけれど……、

アカシア:70年代くらいからは、そうでもないよ。日本の作品でも。

驟雨:悲惨というか、つまり、養父母との関係の難しさとか、実の親との関係の難しさとか、金銭的なこととか、そいうことがつきまとってくる印象があるんですが、この本は、養父母とも実の親とも、関係がいいという設定で、アイデンティティーの問題がくっきり浮き上がってきているのがいいと思いました。この子は、養父母との家庭にきちんと自分の居場所があって、のびのび育ってきた。それが突然アイデンティティの足下をすくわれる。結局たいした変化はないじゃないか、ただ名札が変わるだけのことだろ、といわれればそれまでなんですが。アイデンティティが混乱してからまた捉え直すまでの過程がとてもよく書けていて、自分の中にそういう混乱を抱えている子はきっと日本にもいるだろうし、そういう子には響くものがあるんじゃないでしょうか。この子はすごく混乱して、今までのことがすべて嘘だったのかと思い、ドアをばんと閉めてみたり、トイレに閉じこもってみたり、いろいろするわけですが、そういう行動に出られるのも、養父母との関係がうまくいっていて、子どもらしくのびのびと育ってきたからだと思うんです。だから、読み終わったときに、ほんわり暖かいものを感じる。この子と養父母のような安定した親子関係の中にいる子が遭遇するさまざまな困難を取り上げた作品というのは、ややもすると地味だと見られがちですが、必要としている子はいると思います。今を生きる子どもたちに届ける本として、プルマンの『黄金の羅針盤』のように、子どもを利用することしか考えない親を持った子どもが、それでもタフに生きていく、というタイプの本も必要だと思いますが、一方で、大人といい関係が持てて子どもらしくあれる子の成長物語も、必要な気がします。

アカシア:『アンモナイトの谷(蛇の谷 秘密の谷)』(バーリー・ドハティ著 中川千尋訳 新潮社)と同じで、成長の過程で子どもが養父母を選びなおすっていうテーマですよね。でも、ドハティの方が児童文学としてはわかりやすいですね。

驟雨:あとひとつ付け加えると、たとえばジャックおじさんが昔のことを思い出している時に、同時に主人公も昔のことを思い出していたり、主人公の夢とボビーの描いている絵の中身が同じだったりと、さりげなく不思議な感じが醸し出されているあたりも、いいなあと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年6月の記録)