日付 2013年7月18日
参加者 ルパン、夏子、クプクプ、レジーナ、プルメリア、アカシア
テーマ 謎と不安

読んだ本:

『怪物はささやく 』
パトリック・ネス /作, ジム・ケイ/絵 シヴォーン・ダウド/原作, 池田 真紀子/訳   あすなろ書房   2011.11
A MONSTER CALLS by Patrick Ness, 1995
版元語録:ある夜、怪物が少年とその母親の住む家に現われた—それはイチイの木の姿をしていた。「わたしが三つの物語を語り終えたら、今度はおまえが四つめの物語をわたしに話すのだ。おまえはかならず話す…そのためにこのわたしを呼んだのだから」嘘と真実を同時に信じた少年は、なぜ怪物に物語を話さなければならなかったのか…。


『ふたつの月の物語 』
富安陽子/作   講談社   2012.10

版元語録:養護施設で育った美月と、育ての親を亡くしたばかりの月明は、中学二年生の夏休み、津田節子という富豪の別荘に、養子候補として招かれる。悲しみのにおいに満ちた別荘で、ふたりは手を取りあい、津田節子の思惑を探っていく。十四年前、ダムの底に沈んだ村、その村で行われていた魂呼びの神事、そして大口真神の存在。さまざまな謎を追ううちに、ふたりは、思いもかけない出生の秘密にたどりつく…。


『サースキの笛がきこえる 』
エロイーズ・マッグロウ/作 斎藤 倫子/訳 丹地 陽子/絵   偕成社   2012.06
THE MOORCHILD by Eloise McGraw, 1996
版元語録:妖精の世界を追放され、人の子として育つサースキ。皆と違う自分に苦しむが、やがて自分の道をみつけていく、成長の物語。


『怪物はささやく』

パトリック・ネス /作, ジム・ケイ/絵 シヴォーン・ダウド/原作, 池田 真紀子/訳
あすなろ書房
2011.11

レジーナ:私はこの作品を、翻訳される前に読みました。原書を読むときは、距離をとって冷静に読むことが多いんですが、この作品は違いました。コナーが、不条理な現実に怒っているがゆえに素直になれないことを、「ちゃんとわかっているし、それでいい」と、母親が語る場面など……。電車の中で読みながら、涙が止まりませんでした。圧倒的な力を前に、どうすることもできない深い無力感や、行き場のない憤り、声にならない叫びが、漆黒の深遠で待ち受ける正体不明の怪物との対峙に表わされています。一方、話をするようせまる怪物は善悪を超えた存在です。大きな問いをぶつけ、私たちを根底から揺るがすんですね。そして受け入れまいと抗う中で、怪物は突然、コナーを外側から脅かすものではなく、内側から支えるものに変容します。「12:07」を待つ耐えがたい苦しみのときこそ、最後の恵みのときであり、愛する人がのこすことのできる全てなのだと感じさせます。そのことに、人間はそれぞれの「12:07」を繰り返すことでしか気づけませんが、この物語は、目をそらすことなく勇気をもって、その真実を描いた力強い作品です。人生に対する作者の誠実な向き合い方を感じますね。善と悪、弱さと力強さ、正義と過ち、人間は多面的な存在ですが、それでも怪物が人間に注ぐまなざしは率直で曇りなく、厳しくも温かく、人間に対する作者の信頼そのものだといえます。物語というのは、火を囲んでいた太古の昔からあるもので、そこには真実が含まれているんですね。コナーは怪物に自分の物語を語り、「早く終わってほしい」という本当の気持ちを話すことで、目に見える現実の奥にある真実を知り、自分の物語を生きる、いわば本当の人生を生きはじめます。p40の「わたしが何を求めているかではない。おまえがわたしに何を求めているかだ。」という台詞からは、怪物とは、人間が自ら働きかけてはじめてこたえる存在であることがわかります。p44の「飼いならされない」というのもそうですが、ナルニアのアスランを思い出しますね。冒頭の「その過ちをいますぐ修正することをおすすめする」という翻訳は、少し不自然に感じました。

クプクプ:挿絵と構成に工夫が凝らしてあり、気迫のこもった本だと、まず感じました。挿絵も、集中して見るうちに見えてくるものがあり、物語創りの一端を担っています。母さんの死を前にした少年コナーが、その不安を受け止めきれず、怪物を呼び出してしまう。かならず12時7分に登場する怪物は、「私はこれから三つ物語を語るが、四つ目はおまえが真実を語るのだ」といい、それが物語の外枠を作り上げています。この少年の真実とは、心の中の秘密とは、一体なんなのだろう、と好奇心を強くそそられました。怪物の語る二つの物語の中では、正義だと思えたことが結末でひっくりかえる。タイプは違う本だけれど『これからの「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル著 鬼澤忍訳 早川書房)を思い出しました。意外な結末のほうが、「えっ、こんなのあり? なぜっ」て、読者に考えさせる力が大きく働くのかもしれませんね。そして二つ目の物語のあと、怪物はコナーの現実の中で破壊を行い、三つ目の透明人間の物語では、結末が出る前に怪物がコナーに絡むハリーを殴り飛ばす展開となる。それはすなわちコナー自身の衝動的な暴力を意味していて、ここで、物語そのものが壊れて現実の行動に取ってかわられる。ほんとに上手い作家です。「12時7分」の持つ意味も、最後に符号がぴたっと合うようにできている。ただ、コナーの隠していた真実が、私の予想通りだったことが、残念といえば残念だったかな。異形の者が登場する点、家族の死と生がテーマになっている点で『肩甲骨は翼のなごり』(デイヴィッド・アーモンド著 山田順子訳 東京創元社)に通じるものも感じたけれど、料理の仕方が違いますね。暴力も破壊も描き、人間の心の暗闇、ダークな面にまで踏み込んでいているけれど、葛藤を越えて母さんの死の瞬間を受け入れるまでを、ものすごく丁寧にすくいとっています。めったに無い作品で、感動しました。タイムファンタジー的な部分、時空を越えた物語のスケールの大きさも楽しみました。

夏子:これと『ふたつの月の物語』(富安陽子作 講談社)を2冊続けて読めたということが、よかったです。共通点と違いが見えて、両方の本への理解が深まったという気がします。『怪物は〜』は圧倒的におもしろくて、めったに出会えない傑作だと感じました。最初はやや読みにくかったな。「怪物」というのはつまり少年コナーが感じている恐怖や孤独が樹木の形をとっているのだろう、とつい思って読んでいました。こういう普通に心理的な読み方は、つまんないですよね(と反省)。それにしても3つの物語はストンと心に落ちるものがない、ヘンだなあと読み進んでいくうちにクライマックスへ。コナーは厳しい状況のなかで、疲れています。過大な負担から逃げたい、つまり「早く死んでほしい」という気持ちが心の奥にあって、それが自分で許せない。クライマックスは、私には衝撃的でした。クプクプさんは、コナーが隠していた真実が予想どおりだったと言っておられたけれど、私は予想していなかったのです(笑)。自分で自分が許せない気持ちを持つことがあること、でもその気持ちは心の全てではないわけで、つまり心は多面体なんですよね。この事実が圧倒的な力で迫ってくると同時に、多面体であることを知って、読者も深く慰撫される。子どもたちにぜひ読んでもらいたい本です。ところでこの本は、イラストがたくさん入っています。イラスト入りの小説というのは、斬新な試みですよね。文章はどんどん先を読みたくなりますが、絵はゆっくり見たいという気持ちを起こさせます。つまりイラストのおかげで、本のページをめくる速度が落ちるので、読みに独特なリズムが生まれていると思います。ただ文を縦書きにしたために、絵が裏焼きになっているんですよね。裏焼きになったがために、原書と印象が違っているものもあるように思いますが、皆さん、いかがですか?

ルパン:衝撃的な作品ですね。でも、最終的には、コナーの心の葛藤って、「早く死んでほしい」っていうことだけじゃないって思いました。後ろめたさを感じてるのは確かだけど、「終わってほしい」ということと「お母さんに死んでほしい」っていうことはイコールではないと思います。「行っちゃ嫌だ」ってストレートに言いたくても言えなかったのが、葛藤だったんじゃないでしょうか。「死んじゃだめ」って面と向かって言えない。そっちの方がつらいんじゃないかなって。すべてつらい状況ですね。やっぱり「ぼくを遺して死なないで」って言うのが、この子の本当の気持ちなんだと思います。大人が老人を見送るのとは違うので。母の死と向き合わなければならない子どもの悲しみをリアルに壮大に描いた作品だと思います。

アカシア:怪物は、意識下にあるものが夢として現れるんでしょうね。ある意味、少年が自分でつくりあげているわけなんでしょうけど、主人公の心の中にそういうものが登場する穴があいてるんですね。母と離婚した父親にはまったく理解されず、学校ではいじめられ、面倒を見てくれる祖母のことは好きになれない・・・この少年が、これ以上ないほどの孤独を感じているのがわかります。この絵がなくて文章だけだとまたずいぶんと違った印象になるでしょうね。その絵まで含めて、大した作品です。無意識から立ち現れた怪物ですが、受け入れるところから少年の心も少しずつ解放されていく。他の作家が書き残したアイデアから、ネスはどんなふうにこの物語を紡いでいったのでしょうね。それを知りたいです。

「子どもの本で言いたい放題」2013年7月の記録)


『ふたつの月の物語』

富安陽子/作
講談社
2012.10

夏子:力のある作品だな、と楽しく読んでいたのですが、最後で拍子抜けしてしまいました。おもしろかったのは、ふたりの性格の違う女の子がビビッドに描写されている前半です。里親に返されてしまい養護施設で育って、心を閉ざした美月と、愛されて育った月明(あかり)。美月がどうやって心を開いていくのかと、期待しました。しかし後半は、事件の謎解きが中心となります。孫を亡くして悲しんでいる津田さんというおばあさんの後悔の気持ちには、充分に共感を寄せることができます。とはいえ『怪物』の感想でも言ったとおり、後悔は、人間の心の一部ではないでしょうか。魂を呼び寄せる儀式をするあたりから、津田さんの後悔が身勝手に思えるようになってしまいました。心を閉ざした子どもが置き去りにされて、津田さんの物語になってしまったようで、そこが不満でした。とはいっても、独特の民俗的な雰囲気のなかで繰りひろげられるサスペンスは、酒井駒子さんのイラストの魅力もあって、楽しかったです。

レジーナ:活動的な月明とおとなしい美月という対照的な双子には特別な力が備わっていて、出自には秘密がある。こういう設定のファンタジーは陳腐になりがちですが、この作品は、最後まで読者をぐいぐい引っぱっていきますね。情景が目に浮かぶように描かれているからでしょうか。サスペンスの要素もあります。取り乱してわめく江島さんの姿は常軌を逸し、山んばのようにおそろしくて、先へ先へと読んでしまいました。結末はひっかかりました。愛する人を失って、それでも生きねばならないのが人生ですし、児童文学もそうした視点で書かれるべきものだとすれば、つらいのはわかりますが、津田さんの選択が「逃げ」のように感じられて……。

クプクプ:美月と月明のふたりを主人公とする世界に、すぐに引き込まれました。孤児院に誰かがやってきて、条件付きで子どもを引き取るという設定や、外界から離れた山荘を舞台にした設定はよく見かけますが、富安さんはお話作りがとにかく巧い! 美月には、人にはわからないにおいを感じ取る不思議な力があって、月明にお調子者のポップコーンのにおいを感じたり、津田さんには悲しみのにおいとして、梅雨のころの雨上がりの地面のにおいを感じたり。そういうディテールの部分で、何度もはっとさせられました。そんな数々の工夫が、全体を豊かにしていますね。また月明は、危ないところまで行くと、別の場所に飛んでしまう力があるんです……。でも自分たちが引き取られた本当の理由を調べていたふたりは、津田さんの悲しみの原因を見つけ、そちらの物語のほうがだんだん大きくなっていく。愛しい孫を死なせてしまった津田さんが、よみがえりのために夜神神社の真神の力を借りようとするんですが、ふたりの祖父も息子を蘇らせようと真神の力を借りていて、ここで話が響きあい、重なりあう。そのあたりが見事ですねえ。津田さんの儀式のなかで、美月と月明はただ石の笛を吹くだけ、というのは、少し物足りない気がしましたが。ふたりのお母さんで、真神の贄となった小夜香がどんな結婚生活を送ったのか、書かれていない部分も知りたいです!

アカシア:おもしろかったです。夏子さんは、美月を「里親に返されてしまい養護施設で育って、心を閉ざした」っておっしゃったけど、そう心を閉ざしているわけではないでしょう? 最初からずっと謎があって、それで読者をひっぱっていくのは、うまいですね。生き返るということについての安易ではない扱い方もいいし、どんでん返しもあって、読者を飽きさせません。私は、美月と月明がふたごだっていうところで、ちょっととまどいました。ふたごである必要があったのかな? それから最後に、景山の目が青く光るという描写があります。とすると、景山は、この子たちのお父さんなんでしょうか? 読み終わってもまだ謎が残って考えてしまうところが、またすごいです。

クプクプ:なにをテーマにしたかったんでしょうね。

アカシア:生と死じゃないでしょうか。

クプクプ:取りもどせない時間かな。

夏子:津田さんを描きこんでしまうと、女の一生になってしまって、すごく重いものになりますよね。わたしはやはり、ふたりの少女を描きたかったんじゃないか、と思います。ただそれがちょっと中途半端に終わった印象です。でも、あの、『怪物はささやく』の迫力とつい比べてしまって、申しわけない。こちらはこちらで充分おもしろく読めるのですが……

アカシア:石笛は、縄文の昔から神事などに使われているんですね。

プルメリア:次の展開が見えてくる部分がたくさんありますが、わかっていてもなぜか読ませる作品でした。二人にはなにかあるって予想を持ちながら、読んだのがおもしろかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年7月の記録)


『サースキの笛がきこえる』

エロイーズ・マッグロウ/作 斎藤 倫子/訳 丹地 陽子/絵
偕成社
2012.06

ルパン:最後まで読んでいないんですけど、今までのところで一番気になっているのは、取り替えられて妖精の国に行かされた子はどうなったんだろう、っていうことです。

夏子:そこは、読めばわかるようになっていますよ。アメリカで出版されたのが1996年で、確かニューベリー賞候補になったんですよね。そのころ英語で読みました。でも今回翻訳で読んだ方が、印象がよかったです。まわりから浮き上がってしまう子どもは、今のほうがリアリティがあるのかもしれない。翻訳がだいぶおくれて出版されたおかげで、タイムリーになったところがあるかもしれませんね。

レジーナ:自由な魂を持ち、人間の世界になじめない妖精のサースキは、自分をもてあましているようで、すぐにかんしゃくをおこし、自分でもどうしていいのかわからないんですね。この作品では、荒れ地という土地に力があり、精霊が住んでいて、トポスともいうべき特別な場所です。そうした荒れ地と強く結びついているサースキの、心の奥底に押し込められた不安や孤独が、丁寧に描かれています。この作品の魅力のひとつは、サースキという人物像にあるのではないでしょうか。クモの巣のプレゼントに、けげんそうな顔をした母親に対し、「おばあちゃんにあげる」ととっさに言うサースキは、機転が利き、とても魅力的な女の子です。アンワラもヤノも、とまどいながらもサースキを愛し、バグパイプをもたせてくれます。妖精のサースキには、本来は感情がないはずですが、両親の気持ちにこたえ、恩がえしをしようとするんですね。そのように考えると、これはアイデンティティをテーマにした作品であると同時に、母と子の物語でもあるのではないでしょうか。感情がなく、享楽的な妖精と対比することで、人を愛したり憎んだり、さまざまな側面をあわせもつ人間の複雑さが浮き彫りになっているように感じました。ところで、デビルという名のヤギがでてくるのが不思議でした。悪魔とヤギが結びつくのはわかりますが、自分のヤギにデビルという名前をつけるものでしょうか。

クプクプ:お父さんはお父さんなりに、お母さんはお母さんなりに、サースキのことを愛していて、例えばバグパイプを持たせてくれるところにその愛情を感じました。サースキは、みんなの役に立ちたいと願い、例えばおばあちゃんのために薬草を摘む。お父さんのためには移動するミツバチを必死で追いかける。さまざな薬草に名前があり、薬効があり、ミツバチにはミツバチの生態があり、自然と共に生きる、こんな暮らしもいいなって感じます。異端として生まれた子が、自分の場所をどうやって見つけていくかというテーマとあいまって、時代を超えた作品になっているって思いました。派手ではないけれど、また読む力のない子はお話に入っていくのに時間がかかるかもしれないけれど、読みはじめたら、絶対にいい作品だと感じてくれるはず。

アカシア:いい作品です。まずはなにより、半分人間で半分妖精という存在を、人間の社会の中で描くのは難しいと思うんですけど、この作品では説得力のある描写になっていますね。物語世界にきちんとしたリアリティがある。妖精の世界に行ってしまったお父さんも、その心情がわかるし、「取り替え子だ」と言っているおばあさんのベスも、最後にはサースキに愛情を注いでいる。自然とともに生きているようなタムが、外見にとらわれずにサースキに理解を示すのもいいですね。ベスは最初から勘づいているんですけど、だんだんに確信をもっていく過程、そしてそれにもかかわらずいとしさを感じるようになる過程も、うまく書かれています。音楽の楽しさについても、読者にうまく伝わってきます。今は自分の居場所がないと感じている子どもがかなりいると思うので、そういう子たちの手に渡って読んでもらえるといいな。

夏子:物語世界が美しく構成されていて、作者の力を感じました。そういえば今回読んだ3冊には、どれもおばあさんがでてきて、存在感がありますよね。児童書には魅力的なおばあさんがつきものですが、また3人も増えた!

クプクプ:奇をてらわず、描写がきちんとして、人物像がきわだっていて。力のある作品ですね。

夏子:人間の世界で育った子どもだから妖精の世界には戻れないだろうなあ、と心配していましたが(笑)、放浪の民になる終わり方は、文句のつけようのない素晴らしいエンディングでした。

プルメリア:すっきりした感じで透明感のある作品だなって思いました。挿絵がよかったです。今回の3冊の中では、私は『怪物がささやく』が一番おもしろかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年7月の記録)