『わたしがいどんだ戦い1939年』
キンバリー・ブルベイカー・ブラッドリー/作 大作道子/訳
評論社
2016
原題:THE WAR THAT SAVED MY LIFE by Kimberly Brubaker Bradley, 2015

<版元語録>1939年。第二次世界大戦さなかのロンドン。足の悪いエイダは、けんめいに歩く練習をしていた。歩けさえすれば弟といっしょに疎開できる!――自分らしく生きるために戦う少女と、彼女をあたたかく包む村の人たちを描く。2016年ニューベリー賞次点作。

西山:これだけのかたくなさは、なかなかない、というのが一番の印象です。ひどい扱いを受けている子が描かれている作品は読んできましたが、「丸太をなだめているようだ」という表現があったと思いますが、心も体もここまで硬直している登場人物というのは、私はちょっと記憶にありません。幼児期に当たり前に面倒を見られない、それどころか、暴力も振るわれていたわけですが、それが、知識が足りないという次元ではなくて、自分が何を感じているのか感情自体が自分のものでないようなことになるのだと衝撃を受けました。例えば、p266の中ほど、「スーザンへの怒り(略)母さんへの怒り(略)フレッドへの怒り(略)」何事にも怒りとしてしか出てこない。未分化な感情に混乱するばかりの様子が繰り返し出てきて、圧倒されながら読みました。そういうエイダの内面もそうだけれども、どうなるか、どうなるかと先が気になって読み進めるタイプの本ですね。イギリスの戦時中の感じが、灯火管制とか、人を見たらスパイと思えとか日本と同じだなと思う部分と、それでもクリスマスを祝う様子とか、やはりまるで違う部分とか興味深かったです。

マリンゴ: 全体的に、すばらしい作品だなと思いました。引き込まれて、一気に読了しました。もっとも、穏やかな気分で読み終える直前に家が焼けちゃって、ええっ、ここで終わるの!?というショックはありましたが。あとがきを読んだら、続編が出るとのことで、それなら納得です。続編を早く読めたらいいなと思います。あと、1か所だけ気になったのは、2度目に会ったときの母親の態度。前半とあまりにも変わらないので、どうなんだろう、と。娘の変化と息子の成長を脅威に感じて、辛く当たるにしろ、もう少し態度が変わるのではないのかな、とちょっとだけ気になりました。

ハリネズミ:同じ時期のイギリスの子どもの疎開を書いて、同じように虐待されている子どもが、偏屈なつき合いの悪い大人と心を通わせていくという作品に『おやすみなさい、トムさん』(ミシェル・マゴリアン著 中村妙子訳 評論社)がありますね。最初に『おやすみなさい〜』を読んだときは、こんな母親がいるのだろうかといぶかったのですが、これを読んで、ああ、やっぱりいるんだな、と思ったりしました。また『おやすみなさい〜』は物語が直線的に進んでいきますが、こちらはやっといい方向にむかったと思うと、またパニックになったりして、とんとんとはいきません。後書きを見ると、著者はご自身も虐待を経験しているとのことなので、こちらのほうが、よりリアルなのかもしれませんね。それから、イギリスは階級社会ですから、労働者階級のエイダと中流階級のスーザンとは、日本語版で読む以上に隔たりがあるんだと思うんです。日本語に訳してしまうと、そのあたりはよくわからなくなってしまいますけどね。さっき、『春くんのいる家』(岩瀬成子著 文溪堂)の日向は大人っぽいという声がありましたが、この作品のエイダはもっと大人ですね。おかれた状況から、早く大人にならざるを得ないということがあるのかもしれません。

アンヌ:私はこの本に夢中になってしまい文字通り一気読みしました。列車の中から馬に乗った女の子を見るところから始まる、馬に乗り自由に走れることへの憧れや、馬との一体感がとてもうまく描かれていて、K.M.ペイトンの作品、例えば『駆けぬけて、テッサ』(山内智恵子訳 徳間書店)などを思い浮かべ、どんどん読みすすんで行きました。はっきり書かれていませんが、スーザンは多分レズビアンの恋人を失い、その関係性ゆえに村人や父親から疎外されたと感じているのだと思います。その喪失感から鬱状態になっていたところに、エイダたちが来て、だんだん立ち直っていく。子供たちの世話をしながら時々ひどいことを口にしてしまうのも、そのせいだと感じました。エイダは母親の虐待にひどく傷ついている子どもで、何度も何度も拒絶されたときの思いが甦って、相手を信じることができません。無知で人と会うこともなく育っているので、他人を拒絶する言葉をつい言ってしまいます。そんな彼女が変わったのが第36章のダンケルクです。自分が他者に対して何かできると知った時変わることができるのだと作者は言いたかったのだと思います。そうでなければ、ロンドンでもパニックになり立ち直れなかっただろうと思います。この本はとても心に残るので、ついつい続きを考えてしまって、早く続編が出ないと心が安まらない気がしています。

ルパン:たいへんおもしろく、夢中になって読みました。いちばん気に入っている場面は、エイダが警察官に向かって「足は悪いけれど、頭は悪くありません」と啖呵を切るところです。主人公に早く幸せになってもらいたい、という一心で読んだので、お茶の招待になかなか応じないところでは、「早く行け~」と心の中でさけんでいました。

よもぎ:とても読みごたえのある、いい本でした。冒頭の母親があまりにもすさまじくて、ディケンズの小説を読んでいるような……。こういう貧困家庭に育った子どもたちが、ミドルクラスの家に預けられるということがあったんですね。激しい虐待にあってもエイダが心の底に持っていた清らかな魂というか、それは弟に対する愛情によって辛うじて保たれていたものだと思いますが、その魂が馬や、スーザンや、村の人々によって、やがてほぐれて育っていく様子に感動しました。日本の学童疎開にも、いろいろなドラマがあったに違いないのですが、このごろはあまりテーマとして取り上げられないですよね?

ヘレン:この本も『春くんのいる家』のように、子どもの気持ちがよく感じられますね。

レジーナ:私も『おやすみなさい、トムさん』を思いだしながら読みました。p110に「わたしたち、暴風雨にもてあそばれてるね」とありますが、主人公は、戦争や家庭環境など、自分の力ではどうしようもないことに翻弄されます。でもp103に、自由とは「自分のことを自分で決める権利」とあるように、最後には自分で人生を選びとっていくんですね。それまでスミスさんと呼んでいたのが、p184ページからはスーザンと呼ぶようになります。主人公の気持ちが変わる重要な場面だと思いますが、どうしてここでそうなるのか、気持ちの変化についていけなくて、ちょっと唐突な印象を受けました。

何人か:そこは、それでいいんじゃないかな。

ネズミ:ひきこまれてぐいぐい読みました。エイダがどんなふうに成長していくか、目が離せない。「外国の小説」という感じがしました。日本の作品だと、相手はこう思うだろうと思いながらも、人と人があまり直接的に思いをぶつけあわないけれども、この作品の場合、エイダとスーザンが、面と向かって言葉で伝えていく場面が多いですよね。人間関係の作り方の違い、関係性の違いなのでしょうね。そういう違いがおもしろくもありますが、時には息苦しくなるほど。英米の作品に慣れている子どもじゃないと入りにくいかなと思いました。

ヒイラギ:疎開を取り上げた日本の作品は、いじめとか空腹などがテーマで、こんなふうに、それを機会に成長するとか、新しい出会いがあるなんていうのは少ないですね。角野栄子さんの『トンネルの森 1945』(KADOKAWA)はちょっと色合いが違いましたが。

よもぎ:『谷間の底から』(柴田道子作 岩波書店)は、疎開児童が初めて書いた作品として出版当時は話題になりましたが、今でも読まれているのかしら?

ネズミ:この本の表紙はすてきですが、中身のイメージと違うかな。飛行機乗りみたいで。

エーデルワイス(メール参加):読み応えがあって、一気に読みました。まるで昔話の継母のような、主人公エイダに対する実母の仕打ちは、無知なる生い立ちのせいでしょうか。最近いとうみく作の『カーネーション』を読んだばかりですが、母親に愛されないというところは、なんともいえない切なさがありますね。エイダが、虐待による後遺症で、呼吸困難になったり、人に触られる恐怖を感じるところは、具体的でリアルでした。弟のジェイミーが環境の変化でおねしょをする場面では、どんな母親でも恋しいのだろうと思わされました。里親のスーザン・スミスは最初は頼りないように思えましたたが、毎晩エイダとジェイミーに本を読んでくれたり、ジェイミーが学校の担任に左手を矯正されるのに対し毅然とした態度で言い負かすところに惚れ惚れしました。ラストは感動的。続編はどのような展開になるのでしょうか?

(「子どもの本で言いたい放題」2017年11月の記録)