日付 | 2018年10月30日 |
参加者 | アカシア、カピバラ、さららん、しじみ71個分、すあま、須藤、西山、ネズミ、花散里、ヘレン、マリンゴ、レジーナ、(アンヌ、エーデルワイス) |
テーマ | 古典を今によみがえらせる |
読んだ本:
富安陽子/文 山村浩二/絵 三浦佑之/監修
偕成社
2017.11
<版元語録>『古事記』の上巻におさめられた神話が、富安陽子さんの息のかよった文章で生き生きとよみがえりました。全ページ、山村浩二さんによる挿し絵入りで、迫力のあるイメージが広がります。子どもから大人まで、初めて読む『古事記』の決定版です。
日本児童文学者協会/編 平尾直子/絵
偕成社
2017.03
◆村上しいこ 作「やねうらさま」、二宮由紀子 作「魚心あれば?」、廣嶋玲子 作「迷い家」、小川糸 作「三びきの熊」 <版元語録>古典をモチーフにした4つの物語を収録。不思議をテーマにしたそれぞれの作品の最後に著者メッセージ、巻末に古典への読書案内を掲載した。
原題:FOLO, IL CENTAURO by Roberto Piumini, 2015
ロベルト・ピウミーニ/作 長野徹/訳 佐竹美保/絵
岩波書店
2018.05
<版元語録>舞台は古代ギリシア。若いケンタウロスのポロスは英雄ヘラクレスに出会い、英知を得るための旅に出た。ヘラクレスやアマゾン族に育てられた少女イリーネらの助けをかりて、ポロスは試練をつぎつぎに乗り越えるが、そのころ故郷では悪がはびこりつつあり……。イタリアの言葉の魔術師、ピウミーニによる「行きて帰りし物語」。
絵物語 古事記
富安陽子/文 山村浩二/絵 三浦佑之/監修
偕成社
2017.11
<版元語録>『古事記』の上巻におさめられた神話が、富安陽子さんの息のかよった文章で生き生きとよみがえりました。全ページ、山村浩二さんによる挿し絵入りで、迫力のあるイメージが広がります。子どもから大人まで、初めて読む『古事記』の決定版です。
西山:諸般の事情で借りられずに買いましたが、山村浩二さんの絵の力で繰り返し読んでも楽しい本かなと思っています。子どものころ、今のように創作児童文学があふれている状況ではなかった時代、物語好きにとっては日本の神話やギリシャ神話はごく普通に親しむもので、神話や伝説をファンタジーとして楽しんでいました。でも、娘は日本神話とか多分、読んでないと思います。すっごく久しぶりでなんだかなつかしく楽しんだのですが、絵がなくてお話だけで伝わってほしかったなという気もしてしまう。なんだか、物語の記憶の仕方が絵や映像に主導されがちなことにうっすら抵抗を感じます。視覚的に思い浮かべるばかりが、物語を受け取る想像力ということでもないだろうと。例えば「内はホラホラ、外はスブスブ」という言葉自体がものすごく印象深く残っていて、妙に好きなのですが、これは、映像の記憶ではありません。あと、さらにプライベートに懐かしかったのは、私は、生まれが「天の岩戸」の岩戸で、アマテラスがこもったのはここで、神様たちが集まって騒いだのは狭いけどこことか、引っ越した先は高千穂の峰が近くて、小中学生のスケッチの題材だった高千穂の峰はまさにp188の挿絵の形だったとか、またまた引っ越した先は、鵜戸神宮が近くて「うがやふきあえずのみこと」が祭神で、その意味はp243で今回初めて知りましたが、なんか久しぶりと感慨深かったりでした。普遍性のまったくない思い出話ですみません。
ネズミ:「古事記」は恥ずかしながらこれまで手にとったことがありませんでしたが、富安さんの語りは読みやすく、すっと入れました。でも、だんだんと神様の名前が増えてくると、頭が飽和して混乱しながら追っていく感じ。そんなふうに物語にとりこまれていくのも神話の楽しさかなと思いました。毎ページ入っている絵は、ユーモラスだけれどグロテスクな面もあって、好みが分かれるかな。私は好きでした。話の展開に奇想天外なところも多くて、こんな世界だったのかと驚きました。最後まで楽しいと思って読みとおすか途中で離れてしまうかは、子どもの読書力によるでしょうか。岩波少年文庫の福永武彦の『古事記物語』と比べてみたいと思いました。
レジーナ:昔の人の豊かな想像力にふれ、神話という物語のおもしろさを堪能できる1冊です。絵の連続性は絵巻のようで、いきいきとしたイメージがひろがります。くさびで木に割れ目を入れ、そこにオオナムヂが入る場面など、言葉だけではイメージできないですよね。ページ数はありますが、半分は絵ですし、今の子どもたちが手にとりやすい形で出たと思います。勤め先の中学校でもよく借りられていますよ。
ヘレン:はじめは、オーストラリアの大学の学生に読ませようと思ったのですが、神様の名前が複雑で、漢字ではなくすべてカタカナなのはどうしてなんでしょう? 展開も予想できないので、日本語に慣れていない学生だと難しいかもしれません。
アカシア:原文はすべて漢字ですが、たとえばイザナミは伊邪那美で、音を漢字にしている部分もあるので、漢字で書くと逆にわかりにくくなるからじゃないでしょうか。
さららん:絵の魅力に補われて、お話が語られているのを強く感じました。文章だけではよくわからず、これはどういうことだろう?と思う部分を、絵の中に読みとることができました。空飛ぶ船の絵が出てきますが、これは自由な想像なのでしょうか? それとも調べこんだからこその絵なのか、どっちなんでしょうね。
レジーナ:最初上がってきたのは普通の船の形をしていたのが、もっと自由に描いてほしいと言われて、こうなったそうですよ。もしかしたら、そこで調べられたのかもしれないけど。普通、船を描いてと言われて、この形は出てきませんね。
さららん:なんか宇宙船みたいですね。海にもぐるのも、潜水艦みたいで。そういうのも、子どもにはおもしろいでしょうね。絵があるから、文章をこれだけシンプルに保てたのでしょう。子どものころは、稲羽の白うさぎのお話が大好きでした。昔読んだ本では、うさぎを助けたのはオオクニヌシノミコト。この本の中ではオオナムヂと書かれていて、同一神なのだけれど、出世魚のように神様の名前が変わっていく。それがおもしろくもあり、やや煩雑にも感じました。死んだ妻をさがしに黄泉の国にいったイザナギの話は、オルフェウスの話に通じるし、ヤマタノオロチの首は8本あるけれど、他の西洋の物語の竜の首と数が共通しておもしろいと思いました。ちなみに古事記の特にアマテラスのエピソードが大好きな友人が海外に何人かいるのですが、日本人の自分は古事記と聞くだけで、警戒する部分がありました。天皇制に利用された物語、という印象が刷り込まれているからですが、そのあたりを、みなさんはどう思って読んだのか伺いたいと思います。
アカシア:「古事記」は上中下と3巻あり、中と下は天皇の系譜につながる部分がたくさんありますが、これは上だけなので、物語としておもしろく読めるんじゃないですか。
しじみ71個分:「古事記」は、子どものころに、1つのお話ごとの絵本がうちにあって、昔話として慣れ親しんでいました。もう少し大きくなってからは神話物語として読むことがあって、学生時代は日本思想の分野の研究対象として読んだ経験があって、向き合い態度を変えながらずっと触れていたものでした。なので、子どもの読み物として改めて読むと、自分の持っていたイメージとずれてくることがあって、それはおもしろいと思いました。改めて読んでみると、基本的に、神話=神様の物語の形式となっていても、中身を読むとほとんどは部族間の戦争みたいなもので、部族戦争が神の物語として描かれているのかな、という印象を持ちました。「人間」の話だとしたら、神様といっても人間くさくて、怒ったりすねたり、プリミティブな感じの、人間らしい正直な気持ちや素朴、粗野な行動が書かれていても納得できるなと思いました。
「古事記」の物語世界は、何をどう頑張っても空想するしかない世界なので、いろいろな解釈もできると思います。ですが、こうして絵がついてしまうと、イメージは限定的になるかなと思いました。日本列島のつくり方とかは、私の頭の中ではまったく違っていたし、神様がこんな服を着ているのは事実なんだろうか?とか引っかかるところはありました。また、山村さんの絵は白黒だけなのに、相当にインパクトがあって、タッチにも臨場感があるので、ヤマタノオロチの血が川に流れ込むあたりは怖いくらいだし、逆にヤマタノオロチ自身はけばだった感じが自分のイメージと違うと思いました。絵の力があるだけに、これを真実と思い込むことはないのかな、という疑問を感じます。白うさぎに騙されてうさぎの皮をはぐのはワニかサメかという論争があったけれど、ここではサメを選択して絵で書いていますね。原文ではワニになっているので、どうなのでしょうか?いずれにしても、この本文では絵と本文でサメ説を採ったのだなぁと思いました。全体的には、この物語は内容も絵も本当に力強いので、改めて読むと、ただの昔話と思って読んでいたのより、とてもおもしろいと感じました。
花散里:絵がとても気にかかりました。小学校高学年からを対象に作られた本かなと思うけれど、p34の「黄泉の国」の絵など、絵のインパクトが全体的に強すぎると思います。学習指導要領に伝統的な言語文化に触れる学習指導が求められ、昔話、神話・伝承など、たくさんの本が出版されています。何故、今、富安さんが古事記を取りあげたのか、山村さんの絵はどうなのだろうかと考えてしまいました。古事記は、稲羽の白うさぎなど絵本でもいろいろな形で出ています。この本を子どもたちは、どう読んでいくのでしょうか。古事記は発達段階が進んで、もっとよく理解できるようになってから別の形で読んでもいいのではないかと思います。
さららん:もともと山村浩二さんはアニメーションで「古事記」を制作しています。そういう形で、映像から古事記に入る人もあるだろうし、漫画の『ぼおるぺん古事記』(こうの史代著 平凡社)から入る人もあるのが現状です。入り方はさまざまでいいんじゃないかな?
アカシア:今は「古事記」ばやりなので、いろいろ本が出ていて、漫画やラノベにもなっています。復古的な意識のもあるし、そればかりじゃまずいと言うんで『松谷みよ子の日本の神話』(講談社)なんかもある。ちょっと前ですけどスズキコージさんの挿絵で『はじめての古事記』(竹中淑子+根岸貴子文 徳間書店)も出ています。そういう流れの中に、この本もあると考えたほうがいい。この本で最初におおっと思ったのは、イザナミとイザナキが夫婦になる場面なんですけど、原典では女神のイザナミが先に声を掛けると、女性が先に声を掛けるのはよくないとイザナキが言って、交わってもひるこが生まれる。高天原の偉い神様に相談すると、そこでも「女が先に行ったのが悪い」と言われる。そこでやり直して、イザナキが先に声を掛け、今度はうまくいく、ということになってるんですね。そこを読んだときは、ずいぶん女性差別的だなあ、と思ってたんです。でも、富安さんもそう思われたのかどうかはわかりませんが、この本では「女が先だったらだめ」という部分は省いてあるんです。ただ単にわかりやすくしてるだけじゃないんですね。
それからさっき神様の名前が多すぎるという声がありましたが、原典と比べると、マイナーな神様の名前はずいぶんと省かれています。そして、p97の「さて、これでひとまず、スサノオの話はおしまいとしよう」みたいに、途中で言葉を入れてわかりやすくしているのも富安さんの工夫だと思います。地獄に言ったら振り返っちゃダメとか、三枚のお札みたいな話とか、異界の食べ物を食べたら戻れないとか、世界の神話や昔話に共通するモチーフが、とてもわかりやすく語られているのも、いいですね。山村さんの絵ですが、私はこの本はグラフィックノベルだと思いました。ひどい絵の本もたくさんあるなかで、私はいい絵だと思いました。神様を人間っぽく描いていて、裸ん坊の姿も出てくる。あえてそう描いているのだと思うと、好感がもてます。
カピバラ:この本は5、6年生の子どもに読んでほしいと思って作られた本だと思うんですけど、「古事記」を今の子どもに楽しんでほしいという気持ちが表れていていいと思います。富安さんの文章はおもしろいし、全ページに絵をつけてあるので文章がページの半分しかないのも読みやすい。短編集のように、おもしろそうな話だけ読んだっていい。私たちが子どものころって、絵本などで「いなばの白うさぎ」「やまたのおろち」などの話を他の日本昔話と同じように知る機会は多かったのですが、今はそうでもないですから、「古事記」に触れる、という意味でこういう本を今出す意味をわたしは買います。もうちょっと大きくなってから、ちゃんとしたのを読むとっかかりになると思いますね。それと、私はこの表紙がとても好きです。何か変な人や、怪物みたいなのや、動物がちりばめられていて、ちょっとおもしろそうって子どもが手にとるんじゃないかな。
マリンゴ:最近の「古事記」ブームを私は知りませんでした。今、刊行数が増えてるのですね。私は「古事記」そのものにあまり馴染みがなくて、この本のおかげで、「やまたのおろち」や「いなばの白うさぎ」など、今まで断片的に記憶していたことが物語としてつながって、とてもよかったです。もともと山村さんの絵が好きなので、イラストが全ページに入って、しかも富安さんの文章なんて、奇跡のコラボみたいな本だなぁと思いました。絵のインパクトが残る子どもは多いでしょうけど、これで「古事記」に興味を持った子は、ほかの本も読むでしょうし、読まない子は、この本で「古事記」を知っておいてよかった、ということになるでしょうし、存在意義のある本だと感じました。
須藤:とてもよくできていると思いました。全ページにわたって絵が入って、そのため文章は短くかりこんでいるんですが、ちゃんとお話はまとまっているし、何よりおもしろい。いい本だなと思います。「古事記」自体は子どもの頃、赤塚不二夫のまんがで読んだっきりで、実はきちんと読んだことがあんまりなくて……。個々のエピソードがこういうふうにつながっていったのか、と改めて思いました。どぎついところはうまくごまかしたり削除されていたりして、それでいて神様がみんなめちゃくちゃなところはよく出ているし、子どもに「古事記」の世界を紹介したいときに、この本があるととてもいいんじゃないでしょうか。それから、途中から来たので前半聞けなかったのですが、絵については意見が出ていたんですか? ぼくはとても好きな絵でしたけど……。p202で、木花咲耶姫が燃えさかる産屋の中で赤ん坊を産む場面の、この迫力ある顔とか。
西山:絵の好きずきというより、物語に絵で触れることはどういうことなのか立ち止まって考えてみたいと、私は思ったんです。絵にしなくても物語は理解できるのに、視覚的「わかりやすさ」がそんなに大事かなと思います。入りやすいのは確かにそういう面はあるだろうけれど、物語の流動的なイメージ世界が限定されていかないか気になります。
しじみ71個分:好き嫌いというより、頭の中の造形と絵のイメージがちょっとずれるところはありますね。
西山:絵にしなくても、物語は理解できる。くまなく目に浮かばなくたっていいと思うんです。いつもいつも視覚的な理解が先立っているような気がします。
レジーナ:昔話は、絵にすると残酷だったり、絵では伝わらない要素があったりするので、絵本にするのは難しいという意見は昔からありますね。神話についても、同じように思われる方がいらっしゃるのかもしれません。私は、お話と絵の出会いが良い形であれば、それでいいように思います。「古事記」のお話を生で語れる人は、あまりいませんし。
しじみ71個分:おもしろいなと思うのは、ギリシア神話だと文字だけの本でも子どもが読んで、おもしろいって言うんですよね。特に男子でその傾向が強いような気が…。
花散里:今は歴史読物でも、織田信長がイケメン漫画の主人公のような表紙だったり、どうかと思うような児童書が出版されています。「古事記」も、登場人物がイケメンのような絵のものも出ている。学校図書館にもそういう本が入って行くのか、そういう出版の流れはどうなのかと思います。
しじみ71個分:最初のひる子流しの話は省かれていますよね。どろどろしたような話は省かれているのでしょうか。なので、個別のお話はある一定の方針で選ばれているんだなとは感じました。あの話は子どもの頃からいちばん気にかかっていた部分だったのですが。
須藤:絵のことでいうと、p169で事代主がのろいの逆手を打つ場面などはおもしろかったですよね。「手の甲と甲をうちあわせ」とあるけど、こうやって打つのか!って思いますよ。
アカシア:ここは絵がないとわからないですね。
しじみ71個分:だけど、これは本当にそうなんでしょうか?これも一つの解釈だと思うのですが…。
アカシア:調べてもわからないことはいっぱいあるかとは思いますが、監修の先生がついているので、今の説ではこうなっているという点は、おさえてあるのではないでしょうか。
すあま:「古事記」の話って、1つ1つ別々に知ることが多いですけど、この本ではすべての話がつながっているところがいいなと思いました。読みやすくてわかりやすかったです。絵については、第一印象ではあまりよいと思わなかったけれど、読んでいくうちに話の雰囲気に合っているように思えてきました。「絵物語」ということですが、大人だとある程度わかっているようなものも、子どもにはなかなかイメージしにくいことが多いので、全部注で説明するよりも絵でわかる方がよい、ということだと思いました。神様がとんでもなくてユーモラスなところもおもしろく読めます。でも、神様がいっぱい出てくるので、わからなくなってきました。人物の名前がおぼえられなくて海外文学が読めない、という人が多いようなので、登場する神様の紹介があるといいと思います。
アカシア:旧約聖書もそうですけど、系譜を長々と書いていくのは、そういう形式でリズムを作っているのかと思うので、いちいち紹介がなくてもいいように、私は思います。ちょっとわからなかったのは、私がコノハナサクヤヒメとおぼえていたのが、ここではコノハナサクヤビメとなっていて、他にもスセリビメというふうに「ビメ」があるかと思うと、クシナダヒメのように「ヒメ」もある、というところ。
しじみ71個分:Wikipediaで見ると、コノハナサクヤビメは木花之佐久夜毘売、スセリビメは須勢理毘売命・須世理毘売命、クシナダヒメは櫛名田比売となっているので、もとの漢字が違うのかもしれませんね。私も昔はみんなヒメと読んでいました。監修が入って厳密になっているのかもしれませんね。絵も物語も、神々が非常に人間くさく描かれていますが、もしかするとあえて、神性を否定的に描いているのかなとも思いました。
西山:原田留美という私の仲間が『古事記神話の幼年向け再話の研究』(おうふう 2017.12) https://honto.jp/netstore/pd-book_28883127.html というのを出してます。ワニかサメかについても、大変詳細に分析、考察されていますよ。
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アンヌ(メール参加):せっかく語り手が富安陽子さんなのに、最初の出だしがとても男性口調なのにはがっかりしました。古事記の語りは女性というイメージだったので(さくま:稗田阿礼については、一時期女性だという説が強かったのですが、今は男女両方の説があるようです)。絵については神々を極力美しく書かないで、身近な感じにしようとしたのかなと思いました。私は、伊藤彦造とか池田浩彰の挿絵で読んでいたので、神話の神々は美しく色っぽい神々という印象が残っています。
エーデルワイス(メール参加):絵物語ということで、全ページ挿絵があることに感心しました。読みやすかったです。ただ絵が大人好みなので、子どもが手に取るかな? 偶然ですが、こちらのグループで毎月『えほんの読書会』をしています。今月とりあげたのが山村浩二さんで、たくさんの絵本の絵を描いていて、有名なアニメーション作家であることも知りました。2002年『頭山』で国際アニメーショングランプリをとったことは記憶にありましたが。横道に逸れますが、山村浩二著『アニメーションの世界にようこそ』(岩波ジュニア新書)はおもしろかったですよ。
(2018年10月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)
迷い家
日本児童文学者協会/編 平尾直子/絵
偕成社
2017.03
◆村上しいこ 作「やねうらさま」、二宮由紀子 作「魚心あれば?」、廣嶋玲子 作「迷い家」、小川糸 作「三びきの熊」 <版元語録>古典をモチーフにした4つの物語を収録。不思議をテーマにしたそれぞれの作品の最後に著者メッセージ、巻末に古典への読書案内を掲載した。
すあま:これは「古典から生まれた新しい物語」というアンソロジー・シリーズの1冊です。古典というので、いわゆる「古典」と呼ばれるものをイメージしていたら、昔話や国内外の名作もモチーフとなっていたのが意外でした。この『迷い家』でも、作家がかなり自由に発想しているので、読んだ後に元になっている原作を読みたいと思うのかどうかは疑問に思いました。短編としておもしろければよいのですが、物語の後に作者の説明があるものの、うまく古典への橋渡しになっているとは思えませんでした。
ヘレン:まだ読み終わっていないのですが、けっこうおもしろかった。『絵物語 古事記』(富安陽子文 山村浩二絵 偕成社)より読みやすかったです。オーストラリアの学生にも読ませることができるかも。古典というと日本のものかと思っていました。4編の中では「迷い家」がいちばん日本的でおもしろかった。別の話もおもしろかったです。
レジーナ:p106の「カチューシャ」の、名前の説明は不要では? 本の造りとしては、ほかの巻にはどんな作家が書いているか、わかったほうがいいと思いました。
ネズミ:住んでいる区の図書館にはなく、隣の区の図書館で借りました。100ページしかないのに、この束を出して、読んだ満足感を与えるような造本ですね。お話自体は、さらっとおもしろく読めるけれど、それほど印象には残りませんでした。「作者より」という形で、それぞれの作者が原作との関係を説明しているのは、もとの本を知っている大人が読めば、そう変えたかと、おもしろがりそうですが、子どもは、そこから元の作品に行くかというと、そうでもなさそうな気がします。大人と子どもでは、この本の楽しみ方が違うかもしれませんね。絵や文字組などは、読みやすそうでした。1か所気になったのは、p36のせりふのなかの「手も足も出せない」という言い方。「手も足も出ない」では?
須藤:その前に「手が出せない」とあるから、わざとかも。
さららん:慣用表現じゃなく、遊びで持ってきたのかもしれませんね。
マリンゴ:1つ1つのお話は、とてもおもしろく読みました。ただ、おもしろかったからといって、ネタ元の古典にまで遡ってみたいと考える子は少ないかもしれませんね。あと、児童書のアンソロジーについて常日頃気になっているのが、表紙に著者の名前を入れないという習慣です。一般書だと、もちろん入っているので、「この作家さんの作品があるから読もう」と、買うきっかけになります。でも、児童書では大半のアンソロジーが名前を載せない。表紙の文字が多くなって子どもが見づらいとか、子どもは作家の名前で本は選ばない、などの理由があるのでしょうか? この本の場合、出版社のホームページの書籍紹介にさえ著者名が出ていない。村上しいこさん、二宮由紀子さん、廣島玲子さん、小川糸さんに加えて宮川健郎さんの解説だったら、喜んで読みたい、と思う人は多いと思うのですが。この本は、地元の図書館にも近隣の図書館にも入っていなくて、結局買ったのですが、図書館に入ってない理由は、こういうところにもあるのかもしれません。
カピバラ:「古典から生まれた新しい物語」というのは、作家さんたちが書きやすいように一つのテーマを設けた企画だと思います。これをきっかけに古典に手をのばしてもらおうというよりは、ちょっとしゃれた短編集、軽く読める本という感じを受けました。有名な作家たちが手慣れた文章で書いていますが、それぞれの書きぶりは個性もあり、古典との取り組み方もそれぞれでおもしろく読めました。デザイン的な挿絵も好感を持ちましたが、本の造りはあまり子どもが手に取りやすいとは思えません。
アカシア:私は、古典に向かわせる本というより、これはこれで楽しむ本かなと思って読みました。村上さんの物語はとてもおもしろかったけど、あとはそんなに惹きつけられませんでした。「迷い家」は、もっとリアルな現実と接点を持たせて、なるほどと思わせてほしかったです。「三びきの熊」は昔話そのものの方がおもしろい。どうして蛇足みたいな続きをつけてるんでしょう、と、失礼ながら思ってしまいました。
花散里:住んでいる所の図書館には所蔵されていなかったので他の図書館から借りました。小学校の図書館に入れても、紹介しないと手に取らないだろうし、読まないのではないかと思いました。「迷い家」はおもしろいなと思ったけど、子どもたちに遠野物語のおもしろさが伝わるかどうかは疑問です。日本児童文学者協会は最近、アンソロジーを結構、続けて出しているようですね。
西山:アンソロジーはよく企画に上がってきます。
花散里:日本児童文学者協会の人たちと話をしたときに、外国の児童書を読んでない人が多いなと感じました。外国の作品も読んで、書かれているのかなと思っていたのですが・・・。
さららん:古典的なものを読んでないってこと?
花散里:最近の新しい作品もです。YAなど特に読んでないですね。よい作品がたくさんあるのに。
アカシア:べつに外国の作品を読んで書かなくてもいいんですけど、いろいろ読んでいる作家のほうが視野が広くて、国際的にも通用する作品になってくるんじゃないかな。
須藤:いま読んでいたのですが、「やねうらさま」はおもしろかったですね。あまりにサキっぽいから、サキの元ネタがあるのかと思ったけど、オリジナルらしい。解説で引かれている「開いた窓」はサキの有名作ですが、それとこの「やねうらさま」はストーリーとしてはまったく違う話なので、サキらしさをうまくつかんだ、ほんとうのオマージュになっている。
カピバラ:子どもは、パロディには興味持つかもしれませんね。
アカシア:私も「やねうらさま」がいちばんおもしろかったのですが、ほかはパロディとしてもイマイチのように思います。
マリンゴ: このシリーズは、テーマの縛りが二重になっているのですね。古典を元ネタに書く、というのと、「ふしぎな話」を書く、というのと。だから著者は、自由に書く場合に比べて、制約があって不自由ですね。
ネズミ:花散里さんが、これだと手に取らないとおっしゃったのは、どうしてですか? 表紙を見ても、小学生がおもしろそうと思わないということですか?
花散里:書架に並んでいるときに、この背表紙だけでは内容が分からないし、面出ししていても、この装丁では作家の名前も分からない。
カピバラ:「古典」を強調せず、「ふしぎな話」をもっとアピールしたほうがよかったですね。
マリンゴ:小学生も、作家の名前を見て、本を選びますか?
花散里:勤務していた学校図書館では児童書の書架は著者名順に配架していたので、富安陽子さんとか、好きな作家の棚の下に座り込んで選んでいる子もいました。シリーズ本などは次から次へと読んでいるようでした。
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アンヌ(メール参加):『遠野物語』は大好きで、時たま読み直しては、あれは本当はどうなんだろうと色々考えてしまいます。「迷い家」は、家そのものが意志を持つようで、無機質なものに対する恐怖と、その家について知っている人々がいて、後であれこれ言うというところに、村という共同体についての恐怖を感じます。今回は、家の主のおばあさんが出てきて説明してしまうので、わかりやすいけれど、家への恐怖が薄れてしまうのが残念な気がしました。けれど、その分、家の主と主人公のおばあさんへの恐怖が増して、おもしろい後口になっている気がします。
エーデルワイス(メール参加):4人の作家が古典を題材に自由に書いている感じがしました。どの作家も大好きなのですが、子ども向けの短編って難しいと思いました。なんだか中途半端な感じがしました。個人的に気に入ったのは「迷い家」で、すっきりと読めました。昔話だと残酷に思いませんが、現代版『迷い家』では、真に嫌な人間ではあるものの園子がこの世から消えてしまうのは、怖いと思いました。
(2018年10月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)
ケンタウロスのポロス
原題:FOLO, IL CENTAURO by Roberto Piumini, 2015
ロベルト・ピウミーニ/作 長野徹/訳 佐竹美保/絵
岩波書店
2018.05
<版元語録>舞台は古代ギリシア。若いケンタウロスのポロスは英雄ヘラクレスに出会い、英知を得るための旅に出た。ヘラクレスやアマゾン族に育てられた少女イリーネらの助けをかりて、ポロスは試練をつぎつぎに乗り越えるが、そのころ故郷では悪がはびこりつつあり……。イタリアの言葉の魔術師、ピウミーニによる「行きて帰りし物語」。
しじみ71個分:残念ながら手に入らず、途中まで図書館で読んで終わってしまいました。しかし、最初を読んだだけでも本当に格調高い翻訳で、お話自体もとてもおもしろくて、途中までになってしまったのは残念でした。これも、挿絵がついていますが、絵が気になることはまったくなく、逆に引き込まれるようでした。お話は素直に頭に入って来て読めました。
花散里:登場人物が多かったので、最初は「おもな登場人物」の紹介を何度も開いては確認していたのですが、読んでいったら気にならずどんどん読み進めました。小学校の図書館で「ギリシャ神話の本はありますか?」とよく聞かれたのですが、その「ギリシャ神話」が好きな子どもたちにこの本を薦めたかったです。善人と悪人がわかってしまうのはそれほど気になりませんでした。空想上の生き物ケンタウロス、神様と人間、半神半人と登場人物が不思議な話で、図書館に入れたら、特に男の子たちがおもしろがって読むんじゃないかなと思いました。
アカシア:私もとてもおもしろかった。男の子が旅に出て様々な研鑽を積んで、賢くなって帰ってくる、という定型ではあるけど、物語としてよくできていると思いました。ギリシア神話をある程度知っていると、ゼウスとかアルテミスとかヘラクレスなどなじみの神様が出てくるのに加えて、オリジナルなキャラクターが出てくる、そのバランスがおもしろい。欧米の子どもたちだと、そんな楽しみ方もあると思います。日本の、ギリシア神話を知らない子どもたちは、カタカナ名前が多すぎると思うかもしれないけどね。冒頭がケンタウロスの走っている場面で、最後も、違うシチュエーションではあるけど、やっぱりケンタウロスが走っている場面。そういうところも、おもしろいなと思いました。佐竹さんの絵もとてもいいですね。最後のところは、異類婚姻譚ですよね。上橋さんの『孤笛のかなた』(理論社/新潮文庫)を外国に紹介しようとしたとき、「西洋の人は、人間が非人間になることを選択するという結末は受け入れられないんじゃないか」と言われたんです。でも、これも、人間がケンタウロスになる道を選んでるじゃないですか。女の子が勇気をもってそういう道を選択するのも、『孤笛のかなた』と同じですね。
カピバラ:神話に出てくる神々は、荒くれ者だったり、怪力だったりと単純な性格づけで表されるけれど、ポロスは粗野で熱しやすく冷めやすいというケンタウロスのなかにあって、思慮深く深みのある人物像として描かれているところにまず惹きつけられます。数々の試練にあいながらどうやって生き延びるか、このポロスにぴったりくっついて先が知りたいという思いでページをめくりました。佐竹さんの絵もとても合っていて、大自然の中にケンタウロスを小さく描いているのがいいと思いました。「行きて帰りし物語」と書いてありますが、一昔前に多かった児童文学のように懐かしい感じもあり、久しぶりに読み始めたら止まらない読書ができました。
マリンゴ:すごくおもしろかったです。1つ1つの章がびっくりするほど短いのだけれど、それがとてもよくまとまっていて、次の話が魅力的に展開するので、小学校の“朝読”などにも向いているのではないでしょうか。わたしは、ときどきギリシャ神話をもう1度ちゃんと勉強しなきゃ、っていう病気にかかることがあるんですけど(笑)、この本はギリシャ神話を一味違う切り口から紹介してくれていて、勉強ではなく楽しく読めます。絵は、まるで原書に添えられているイラストのように、世界観に合っていますね。あと、地図があってよかった! キリキアからドドナってこんなに距離があるのか!とか、細い海峡ってこんな感じなのかとか、地図のおかげでよくわかりました。
西山:文体がおもしろいと思いました。例えば、以前ここでも読んだ『チポロ』(菅野雪虫著 講談社)はアイヌの神話はあくまでも素材で、ファンタジーを読んだという感触を得ます。けれども、これは、創作作品なのに神話を読んだという感触でした。ヘラクレスとか、「荒くれ」ぶりといい、そしてそのとんでもない展開が「・・・・・・した」「・・・・・・した」とぐいぐい進むのが、近代の小説的でない。あまり描写をしないせいでしょうか。ていねいに文体を分析したらおもしろそうだと思いました。
ネズミ:とてもよかったです。きびきびとした緊張感のある語りに惹きつけられました。ヘラクレスが襲ってきた男たちをいきなり殺してしまう場面など、ぎょっとしながら、どんどん先が読みたくなりました。ちょっと前に読んだのに内容をぜんぜん覚えていない本がときどきありますが、この本は途中でしばらく休んでも、前の内容をわすれていなくて、物語の力の強さを感じました。金の羊毛とかアマゾンとかをきっかけに、ギリシャ神話も読みたくなります。佐竹さんの絵はすばらしかったです。波乱万丈の物語のなかには、この辺でおもしろいことを出して読者を惹きつけようとばかりに山場が次々と用意されている作品がありますが、この物語は変化にもお話の必然が感じられて説得力がありました。
レジーナ:神話の登場人物を使いながら、それに負けない壮大な物語をつくりあげています。物語に勢いがあり、格調高い訳文です。神々もケンタウロスも人間くさくておもしろいですね。佐竹さんの絵は、楽しんで描いてるのが伝わってきました。賢者マウレテスのどことなくユーモラスな感じ、ポロスとネポスの戦いが、盾に映っているかのように丸く切りとられているのとか、魅力的な挿絵です。最後の場面は、ゼウスの視点で俯瞰しているかのように描かれています。このアングルで描こうと思ったのがすごいです!
さららん:よく知られているヘラクレスと、あまり知られていないポロスを最初に登場させるあたりに、作家の選択の巧みさを感じました。おなじみの神の名やふるまいで読者を惹きつけ、一方でポロスを主人公にさせたからこそ、自由にお話をつむげる。1つずつのエピソードで読者をはらはらさせながら大団円に向かっていく、お話創りが見事でした。一方で「神は、ひさしぶりに地上に降りる口実を見つけたことに満足していた」(p193)「ゼウスはこれまで、こんなに楽しい思いをしたことがなかった」(p195)という細かい表現を通して、ゼウスのいたずら心も十二分に伝わってくる。短い文章に、脇役としてのゼウス像もしっかり立ちあがってきます。ピウミーニを、無駄のない、ひきしまった翻訳で読むことができてよかったです。
すあま:ケンタウロスを主人公にしたというのがおもしろいと思います。ポロスが本当にギリシャ神話に登場するとわかり、もう一度読んでみようかと思いました。ポロスはケンタウロスというなじみのない存在ですが、馬扱いをされたり、様々な苦難を乗り越えていくところが共感を得られると思います。でも、「古事記」同様、やはり登場人物の名前が難しいですね。子ども時代の読書では、神話,伝説を好んで読む時期があるということなので、うまく手渡せるとよいと思います。挿絵については、一時期ファンタジーと言えば佐竹美保さん、という感じでしたが、この本ではまったく違うイメージで描かれ、しかも作品にとてもよく合っているのがすごいと思いました。ケンタウロスを大きく描いていないのも、読み手の想像を邪魔しないのでよいと思います。
さららん:裏表紙に、子ども時代のケンタウロスのポロスがいるのがかわいい。
須藤:これは佐竹さんによれば、ポロスとイリーネの子どものつもりだそうです。最後の場面の絵もすごい。ドローンで撮影しているみたいだと思いました。
西山:わあって女のケンタウロスの方に向かって行くところですよね。所詮ギリシャ神話って、女好きの神々の狼藉だらけだったよなとか思って、なんか笑ってしまいました。
アカシア:いかにもケンタウロスらしいし、あえて女の方を描いてないのもいいですね。
さららん:この左のほうのにじみは、ゼウスにも見えるけれど…。
カピバラ:あ、ほんと。顔のように見えますね。
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アンヌ(メール参加):ケンタウロスは思慮深い生き物だと思い込んでいたので、少しびっくりしました。悪役が少々卑小で、あまりスケールが大きい話ではないのが残念でした。
エーデルワイス(メール参加):ケンタウロスのポロスを主人公にした物語で、嫌みなくすっきりとおもしろく読めました。最後にイリーナと結ばれるところに好感が持てました。『絵物語 古事記』にも出てきますが、大事な時に心と体を清める「みそぎ」は古代から西洋東洋共通なのが興味深いですね。佐竹美保さんの挿絵は、とても合っていました。
(2018年10月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)