ジョン・ボイン『ヒトラーと暮らした少年』
『ヒトラーと暮らした少年』
原題:THE BOY AT THE TOP OF THE MOUNTAIN by John Boyne,2015
ジョン・ボイン作 原田勝訳
あすなろ書房
2018.02

<版元語録>ドイツ人の父とフランス人の母との間に生まれた少年ピエロは、パリで暮らしていた。しかし、相次いで両親を亡くし、叔母のベアトリクスに引き取られることに。住み込みの家政婦をしているベアトリクスの勤め先はベルクホーフ。それは、ヒトラーの山荘だった。7歳の少年ピエロは、期せずして総統閣下と寝食を共にすることになる。ヒトラーにかわいがられたピエロは、その強いリーダーシップに惹かれ、彼を信じ、彼に認められることだけを夢見て、変わりはじめた・・・・・・

カピバラ:純粋で無垢な少年の心情、周りの人々の人物描写が巧みで、次々と場所が変わるけれど情景描写もうまく、まるで映画を見ているようにおもしろかったです。後半、次第にヒトラーに心酔していくのですが、どんなところに惹かれたのかという部分が描き切れていないと思い、そこは少し物足りませんでした。だから唐突に変わっちゃった気がしました。最後にアンシェルと再会するところに希望が感じられてほっとしました。最初にアンシェルとの仲良しぶりがほほえましく描かれているところが、伏線としてここで生きてきます。物語として納得のできる終わり方でした。ベルクホーフは本当に美しいところだったようで、絵本作家ベーメルマンスの伝記にも、少年時代に暮らしたこの土地の美しさが出てきます。時々山の家にヒトラーが来て、人々が興奮する様子もありました。美しい場所だけに、そこで行われていることの恐ろしさが際立っており、その対比もうまいと思いました。

ハリネズミ:『九時の月』を読んでいる時と違って、翻訳にいらだつことなく、すーっと物語の中に入っていけました。文学作品は、こんなふうにていねいに訳してほしいと思います。原作もいいのでしょうが訳もいいので、登場人物がそれぞれ特徴をもった存在として浮かびあがってきます。ヒトラーはそんなに魅力的な人物ではないかもしれないけれど、ピエロはついつい惹きつけられて、間違った判断をしてしまうんですね。その怖さがリアルです。ピエロは孤独で、名前も変え、アイデンティティも失っている。そんなときに、ちょっと親切にしてくれのがみんなが崇拝している強くて偉い人だと、すっと取り込まれてしまう。子どもは、周囲の熱狂に左右されやすい、とも言えるのかもしれません。最後は希望も見えて、展開もおもしろく、子どもに手渡したいなと思いました。

コアラ:今回のテーマを聞いた時には、漠然といい出会いをイメージしていましたが、これは悪い出会いというか、恐ろしい出会いでした。読み進むについれて、主人公のピエロが、横柄で権力的に変化していくのが怖くなりました。7歳という年齢で、ヒトラーという、権力を持つ圧倒的な存在に出会って影響を受けていく恐ろしさを感じましたね。主人公に共感しながら読むというよりは、主人公を一歩引いた目で見るというか、少年が変化していくのを大人の目で読んだという感じですが、この本の対象年齢は何歳くらいでしょうか。本のCコードは0097となっていて一般向けなので、YA扱いでしょうか。最後のほうで、この本を書いたのがアンシェルだという展開になりますが、p280の後ろから3行目の「だが、もちろん、すぐに彼だとわかった。」の行のところから、主語がアンシェルの一人称になるところは、劇的でしたね。いい終わり方だったけれど、p282で、この本のテーマを全部言ってしまっているのが、ちょっと残念でした。読み取り方をまとめてくれているから、わかりやすいといえばわかりやすくなっているけれど、読者の自由な読み取りに委ねてもいいのではないかと思いました。

花散里:原書のタイトルには「ヒトラー」とは書かれていない。この日本語のタイトルでは、読む前から少年が出会ったのがヒトラーだったと解ってしまう。第1部の第5章ぐらいから読み進んでいって、その人物が「ヒトラー」なのではないかと思えるような場面の緊張感が削がれてしまっているのではないかと感じました。第2部からのヒトラーと出会ったことで性格が変わって行く様子は恐ろしいほどで叔母さんの死などは特に壮絶で一気に読ませます。同じ著者の『縞模様のパジャマの少年』(千葉茂樹訳 岩波書店)は結末が衝撃的で印象深かったのですが、この作品ではピエロが〈ピエロ〉に戻るエピローグまでを読んで救われる思いでした。ヒトラー死後の戦後までを、子どもたちはどのように読むだろうかと思いました。

アンヌ:タイトルを見て、ヒトラーと向き合うことになるんだなと思うとなかなか手が出ませんでした。過酷な孤児院生活の後、状況もわからないまま叔母に引き取られ、あっという間にヒトラーに取り込まれて行ってしまう。まあ、理解はできるのだけれど、釈然としませんでした。愛情をもって引き取ってくれたはずの叔母さんが、使命を持った二重生活を送っているから、ピエロと本当に話し合えなかったせいでしょうか。とにかく、最後のエピローグでアンシェルが出てきて、ほっとしました。

たぬき:タイトルと袖文句で、どういう本かわかっていまいます。なぜヒトラーにひかれたのか、だからこそこわいという見方もあるけれど、もっと子どもにわかるように書いてもいいのかと思います。

しじみ71個分:非常におもしろく読みました。フランスで孤児となった少年のアイデンティティが、ベルクホーフのヒトラーの山荘で家政婦として働くおばさんに引き取られ、ヒトラーと出会ってしまったことにより変貌していくさまが痛々しく、胸に刺さりました。ピエロのアイデンティティの喪失が、ペーターとドイツ風に呼ばれるようになり、父母がつけてくれた名前を奪われることや、自分の物として唯一持っていったケストナーの『エーミールと探偵たち』がいつのまにかどこかに無くなってしまって、代わりに『わが闘争』を含むヒトラーの書斎の本を読むようになっていくなど、いろいろ細かく描きこまれて、読み応え十分でした。また、おばさんのベアトリクスとか、それぞれの登場人物のキャラクターも明確に描かれていて、それぞれの役割がわかりやすいですし、料理人のエマがいい味を出していて魅力的です。メイドのヘルタは、最初は運転手のエルンストに懸想するような、軽い人物として描かれているのが、ヒトラーの死後、山荘を去るときには、ピーターに重々しい台詞を残して行くところが、急にりっぱな人間になったようで、おかしかったですが、戦後のピエロの魂の彷徨のきっかけにもなっていて、重みがありました。
子どもでも戦争の加害者になり、重い十字架を抱えてしまうという姿が描かれていますが、このピエロは、最初は間違いなく、第一次世界大戦の被害者です。父親が大戦後に心を病み、事故死し、働きずくめになった母親も死んで孤児になってしまいます。誰でも加害者にも被害者にも、簡単になり得るわけで。少年が力もなく、身寄りもなく、経済的にも困窮し、何もないところで強大な力にあこがれ、ヒトラーに自己を同一化していきますが、そのヒトラーという力へのあこがれは、常に恐怖に裏打ちされてもいるわけで、恐怖による支配としても描かれていました。なぜ人が戦争犯罪に加担していくかを考えさせられましたし、本当に読むと痛くて、胸にせまる物語でした。

オオバコ:『縞模様のパジャマの少年』は、作者も言っているように寓話として書かれているから、雪崩をうつようにエンディングに落ちていく迫力がありましたが、この本はもっとじっくりと描かれていて、より大きな物語の世界を創っています。序章と終章が円環のように結ばれている構成も、見事だと思いました。大変な作家ですね。心優しい、ケストナーを読んでいた少年がどんどん変わっていく有り様が恐ろしい。メイルストロムの大渦巻みたいに大きな力に吸いこまれていく人たちと、それに必死にあらがっている人たち。そんな群像に、現在の日本にも通じるものを感じました。だって、文書をなによりも大事にしている官僚たちが、平気で国会に提出する書類を差しかえたり、偽造したりするのって、身震いするほど恐ろしいと思いませんか? それと、良い意味でショックを受けたのは「加害者としての子ども」を描いているところです。戦時下の子どもは戦地に赴いて人を殺すこともないし、自分から戦争をはじめたわけでもない被害者であり、文学のなかでもそういうふうにしか描けないと思っていました。日本の創作児童文学も、圧倒的に被害者としての子どもを描いたものが多いですよね。中国に赴いた少年兵が主人公の乙骨淑子『ぴいちゃあしゃん』はありますが。でも、これほどドラマチックでなくてもピエロのような少年は日本にもいただろうし、こういう形で子どもたちの戦争を描くこともできるかもしれないと思いました。その点も、とても新鮮でした。原田さんの訳はいつもそうですが、今回も翻訳の上手さに圧倒されました。特に会話の訳が見事で、登場人物のそれぞれがありありと目に浮かび、生き生きと動いている。「まいった、まいった!」という感じでした。

レジーナ:主人公がヒトラーにひかれたのは、父親的な存在を求める気持ちからでしょう。無垢な少年が変わっていったという意見もありましたが、私はそうは思いませんでした。ピエロが特別、無垢なわけではなく、ふつうの子どもの純粋さをもち、成長してもその部分は残っていて、だからこそヒトラーに影響されたように見えました。p198でカタリーナにさとされても、「今のやりとりを記憶の中からとりのぞき、頭の中の別の場所に入れなおした」ように、良心がわずかに痛む瞬間はあっても、気づかないふりをしてやりすごします。以前読んだ本で、ドイツ人が、収容所から生還したユダヤ人に、「そんなことが起きていたなんてまったく知らなかった」と言い、「わたしたちはみんな気づいていたのだから、知らなかったなんて、ぜったいに言ってはいけない」と、奥さんに言われる場面がありました。p261のペテロとヘルタの会話で、そのシーンを思いだしました。ナチスがユダヤ人のまえに殺したのは、障がいのある人たちなので、アンシェルの耳が聞こえないことにも深い意味がありますね。場の雰囲気に流されるうちに、アンシェルや伯母やエルンストを切り捨てていくピエロにも、草花を愛するような優しい人だったのに、戦争で心が傷つき、暴力をふるうようになる父親にも、人間としての弱さがあり、それは私たちだれもがもっている弱さなのだと思います。p172で、エーファとフロライン・ブラウンと、表記が分かれているのですが、なにか意味はあるのでしょうか。

オオバコ:YAだから、原作のままに訳してもいいんじゃないかしら?

ハル:これは、ピエロが引き取られた先にいたのがたまたまヒトラーだったというだけで、ヒトラーに魅力があったということではなく、たとえば村長さんとか、そういった戦争に関係ない人だったとしても、権力があって、こわくて、ときどき優しくて、なんていう人の前に突然立たされたら、誰だってなびいてしまうんじゃないかと思います。戦争に限らず、学校や社会やいろんな日常で、いつのまにか強い力に染まっていた、という危険はいつもあると思います。純粋無垢であればあるほど。そうならないためにはしっかり勉強をしなければいけない。でも、その教育がすでに毒されていたら…?と、恐ろしくなりました。戦争が終わって、ピエロも自分の犯した罪を背負い、償いの日々を生きていかなければなりません。でも、そこに希望を見つけたような思いがしました。戦争があった(または、たとえばいじめの加害者になってしまった)。最悪だった。許されない。で終わるのではなく、過ちを認め、罪を背負い、償いながら生き続けることで、次の世代か、いつかの希望につながっていくんだなと思いました。

西山:希望とか絶望とかは考えませんでしたね。取り返しのつかなさをつきつけられて呆然とする感じ。ピエロの変質は不自然とは思いません。「力」にひかれていく様子がとてもわかる。近くにいる人たちをぴりぴりさせ、まわりの人間の生殺与奪をにぎっている総統と一緒に出掛けている自分を「羨望のまなざしで見るだろう」(p198)という場面、汽車の中で自分をいたぶったヒトラーユーゲントがその場にいたらどんなに驚き、恐れるだろうかと考えているだろうと、ピエロの高揚感が想像できてしまいました。権力のそばにいて得意に思う快感を理解してしまった瞬間、私もピエロと同じ側に立っているわけで、そういう意味でも実に怖い読書でした。

ハリネズミ:ピエロは、取り返しのつかないことをしてきたのですが、ぐるっと回って振り返ったときに、そこに自分を理解してくれるかもしれない友だちが確かにいる、というのは希望だと私は思ったんです。

マリンゴ:前作の『縞模様のパジャマの少年』は、あまりに衝撃的でした。後半、かなり力技になるんですけど、それに気づいたときはもう物語に引きずり込まれているんですよね。なので、今回の作品も期待したのですが、こちらのほうが早い段階から力技な感じがしました。決して、物語に入れなかったわけではないのですが、少し距離を置いて読みました。主人公が変わらなくて、まわりの人間たちが変わっていくのを観察する、という物語はよくありますが、主人公が変わっていってしまう、という展開になっているのはすごいと思います。変わっていって、そして自分がやってしまったことに気づく。幅広い世代に読んでもらえたらいいですね。今の日本でも、ネットなどを見ていると、大きな声に引きずられがちなように感じることがあります。この物語を、自分に置き換えて読んでもらえるといいのではないでしょうか。

オオバコ:これから主人公は自分の罪に向き合って、贖罪の人生を送っていく。そこに魂の救いがある……というところに、ちょっとほっとしました。

西山:『九時の月』でも、解説で、モデルになった女性が生きのびたことがわかってほっとしました。これもまた、一つの希望のある終わり方だと思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

エーデルワイス(メール参加):p261の「でもあんたは若い。まだ16なんだから、関わった罪と折り合いをつけていく時間はこの先たっぷりある。でも自分にむかって、ぼくは知らなかったとは絶対に言っちゃいけない。・・・それ以上に重い罪はないんだから」というヘルタの言葉が印象的でした。レニ・リーフェンシュタールも登場しますが、自伝を読んだり展覧会に行ったりしたことを思い出しました。『縞模様のパジャマの少年』と同様に映画になりそうな気もしますね。8月にNHKBS3でヒトラーを題材にした映画『ブラジルから来た少年』(1978年アメリカ・イギリス製作)を観ました。グレゴリー・ペックがメンゲレ博士を、ローレンス・オリビエがナチハンターの役を演じていました。サスペンス調でおもしろく、現代に警鐘を鳴らしていて、古さを感じませんでした。当時、この映画を観た人はどのくらいいたのでしょう? 地方でも今はマイナーな映画も上映されるようになったけれど、当時は上映されていなかったように思います。

(2018年09月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)