ネズミ:デンマークのこうした事実を知らなかったので、そういう意味では興味深かったです。少年たちがあまりにも無謀なことをするのでドキドキしましたが、著者がインタビューした時点で生きて話しているので大丈夫だろうと。ただ、聞き書き部分と地の文が区別しにくく、物語のような文章のおもしろさ、わくわくする感じはあまりありませんでした。ノンフィクションを読み慣れないからか、読みにくいところや、実際にどういうことかよくわからない箇所が多少ありました。

西山:とにかく少年たちがあまりにも無謀。最初の写真の何人かは亡くなるかもしれないとずっとはらはらして読みました。クヌーズの語りとそうでない部分は、縦線を入れて形上は区別してますけれど、文体が同じだから、かなりわかりにくかったです。「カギ十字」という名称の方がなじんでいるのに、「逆卍(ぎゃくまんじ)」というのは、矢印を書き込んだ抵抗の落書きを視覚的にも説明するためでしょうか。違和感がはありました。それにしても、なんでこんなに無事だったんだろう……。金髪碧眼のアーリア人だったから? などとちょっと皮肉っぽく見てしまいました。たとえば、p154の並んで撮られた写真など、私の目にはヒットラー・ユーゲントの少年たちと風貌的には一緒に映ります。ところで、ドラ・ド・ヨングの『あらしの前』『あらしのあと』(吉野源三郎訳 岩波書店)では、オランダが早々に降伏したことは、国民が死なずにすんだということで否定的ではなかったと記憶しているのですが、実際のところどういう感じだったのでしょう。怒りつづける若者たち、という点ではYA文学として共感して読めるとも思いました。別の場所、時代だったら彼らが次々とやらかすことは、ハックやトムや、たくさんの児童文学作品の中のエネルギーに満ちたいたずらをする子ども像ともとれる・・・とはいっても、やっぱり命がかかりすぎていて、複雑な思いで読みました。そういう意味では新鮮でした。

サンザシ:私も、クヌーズが話している部分と地の文の区別がもう少しはっきりするといいな、と思いました。たとえばクヌーズの部分はですます調にするとか、何か工夫があったらよかったのに。クヌーズの部分は始まりの箇所は名前が書いてありますが、終わりはちょっとした印だけなので、そこに注意していないと、あれ?となってしまいます。それと、この少年たちは、ナチスの犯罪についてわかっているわけではなく、自分の国が侵略されたから破壊活動を始めるんですね。それに書きぶりが、戦争に行って敵を殺すのとあまり変わらないところもあって、同じ「敵をやっつけろ」というレベルじゃないかと私は思ってしまったんです。

さららん:私もそこは気になった。

サンザシ:少年だから上っ調子なのはしょうがないとしても、この作品が新しい戦争反対文学だとはなかなか思えなかったんですね。銃が暴発する場面など、戦争ごっこみたいだし。落ち着かない気持ちを抱えながらの読書になってしまいました。訳は、p34の「クヌーズ大」は「大クヌーズ」のほうが普通なのでは? フォークソングという言葉が出てきますが、この言葉を聞くと、私はどうしてもアメリカのプロテストソングを思い浮かべてしまうので、ちょっと違うのかなあと思ったり。あとp125の4行目の「相手」は、これでいいのかな? p189の収監されている部屋の鉄格子を切る場面は、私だけかもしれないけど、実際にどうやったのかよくわかりませんでした。

コアラ:p192の写真を見てもよくわからないですよね。

サンザシ:そういうところまでわかると、もっと臨場感が出るのに。細かいところですが、p240に「練り歯みがきが容器からぴゅっと出てくるようにしたらどうだ」とありますが、今の子どもは容器からぴゅっと出てくるのしか知らないから、よくわからないと思います。p246「頭を撃ちぬいた」は、射殺した人の頭を、とどめをさすために打ち抜いたのか自分の頭を撃ちぬいたのか、言葉を補った方がいいかと思いました。

コアラ:まず、本のつくりが変わっていてちょっと読みにくかったです。地の文があって、黒い線で区切られた注釈が入って、さらにクヌーズ本人が話す形式の文章も挟まっていて、断片的な感じがして最初は戸惑いました。内容としては、デンマークの状況や抵抗運動のことは知らなかったので、そういう面ではおもしろかったです。ただ、少年たちの破壊活動は、読んでいてあまりいい気持ちはしませんでした。ここまでやるか、という感じで。それでも、少年たちの行動が、あきらめていた大人や他の子どもたちが立ち上がるきっかけや刺激になったということで、こういうことがあったというのは、知っておいていい話だと思いました。

ハル:こういう少年たちがいたということを私も知らなかったので、タイトルを読んでわくわくしました。でも、本の中身からは、それ以上のものは得られなかったかなぁと思います。少年たちがどうやって武器を盗んだかとか、どうやって破壊活動を行ったかとか、そういうことを知りたいわけではないですし。記録として必要な本だと思いますが、子どもの本とするなら、題材が題材なだけに、本のつくり自体、もう少し配慮や工夫があってもいいのかもしれません。ノンフィクションがいいのか、小説がいいのかということも含めて考えたほうがいいのかも。キャプションも、もうちょっとていねいに教えてほしかったです。

鏡文字:彼らに直接関係する写真と、そうでないのが混在しているのでちょっと戸惑いますね。この本は、いろいろ考えさせられました。でも、おもしろいかっていうと、そうでもないな、というのが正直なところです。特に、前半が退屈でした。子どものごっこ遊びめいているのに、けっこうヘビーで、それが読んでいてきつかったです。ギャングっぽい、というか。ナチスというものを絶対悪として置いてますよね。悪の自明性というのか、そのことに寄りかかった作品だと感じました。もっと問いがほしい。それから、結局暴力なのか、という思いがどうしても拭えなくて。絶対的な非暴力という考えもある中で、彼らの暴力性をどうとらえたらいいのだろうと、考え込みました。レジスタンスを否定するわけじゃないけど、これでよかったんでしょうか。もう一つ、カールの遺書を読んで、ああ、戦時中の日本の若者と変わらないではないか、と思いました。デンマークにこういうことがあったと知ることができた、という点で、読んで無駄だったとは思いませんでしたが。あとがきに「無鉄砲さがおそろしくなってしまう」という言葉があったことにちょっとほっとしました。

さららん:読んでいて、どこかすわりの悪さを感じました。無抵抗で占領されたデンマークの大人たちに反発して、ナチスへのレジスタンスを始めた少年たち。骨のある子たちだと思ういっぽうで、「こんな活動をしていたら、いつか君たち、敵の誰かを殺しちゃうよ」と思いました。だから誰も殺さないうちに逮捕されて、少しほっとしたんです。戦争という暴力に対するレジスタンスは、良いことなのかもしれないけれど、つきつめれば暴力性は同じ。主人公たちが敵の武器を奪い始めたあたりから、暴力で悪をやっつけることの危うさが気になりました。戦争を描いた他国の作品でも、戦後まもなく出たものでは、しばしばレジスタンスに協力する子どもが一種の英雄として登場します。権力への抵抗そのものは大事な価値観。でも「レジスタンスをしているオレたちは善」というスタンスのノンフィクションを、子どもは今もカッコいいと思って読むんでしょうか?

ネズミ:みなさんの話を聞いているうちに、こういうふうにふりまわされて、よくわからないけどあれこれやってしまうというのも、戦時を生きる子どもの悲劇のひとつか、という気がしてきました。

サンザシ:でも、子どもがこの本を読んでそこまっでくみ取れるでしょうか?

鏡文字:そこを読み取ってほしいなら、そういう書き方が必要ですよね。現状だと、「やったぜ」という書き方ですから。

さららん:そういえばドイツの隣国、オランダの歴史を読んだことがあります。ナチスが侵攻するやいなや、政府と国王一家はロンドンに亡命。ユダヤ人の強制連行に、市民が連帯してストライキをするなど、デンマークの大人たちよりはがんばる人たちが多かったようですね。

サンザシ:ロイス・ローリーの『ふたりの星』(講談社/童話館出版)は、デンマークの市民や子どもが、ナチスの目を盗んでユダヤ人をスウェーデンに逃がすという設定でしたね。7000人くらいは同じようにして逃がしたらしいので、デンマークにもがんばる人たちがいたようですよ。

レジーナ:サンディー・トクスヴィグの『ヒットラーのカナリヤ』(小峰書店)も同じようなシチュエーションだったと思います。

さららん:知らないことばっかりだった、という意味では、とてもおもしろい本。

レジーナ:レジスタンスというと、まずフランスを思いだしますが、似たような状況でたくさんの人が亡くなっていますよね。この子たちが無事だったのは、少年だったから? 政府の姿勢が違うから? 西山さんがおっしゃるように、金髪碧眼だから? 人を傷つけかねないことをしているというのは、そうなのですが、今の日本に、ここまで行動力のある若者はいるでしょうか。それを考えると、大人から見ると無鉄砲だったり、考えが足りなかったりしても、ナチスに抵抗しない大人をふがいなく感じてアクションを起こす姿は、今の子どもたちに刺激をあたえると思います。

マリンゴ:デンマークが戦争中にどういう状況だったのかよく知らなくて、スウェーデンと似たような感じだったのかな、と思っていたのですが、この本でいろいろな事実を知って、とても興味深くて、引っ張られるように勢いよく読了しました。少年たちのやっていることは、今の日本ならただの不良というか、破壊行為です。だから、読んでいて後味は決してよくない。ただ、だからこそ戦争というものが、いかに破滅的で何も生み出さないものであるか、ということを改めて感じました。このヒーローたちの後日談が、必ずしも幸せではないところもリアルでした。おとなの文学で、こういう少年たちを取り上げるほうが読み応えがあるかも。児童文学だと、どうしても「このヒーローたち、すごいよね」という方向に行くので。ちょっとせつないですけれど、でも「その後」を知ることができてよかったです。

西山:p142、これはなんですか? イメージ写真?

さららん:レジスタンス博物館に展示されていたものでは?

西山:ああ、なるほど。しかし、それならそうとキャプションを付けてくれないと、いつだれが撮ったのかとひっかかりました。まさかとは思いつつ、戦争中にこんな武器の記念写真撮ってたの?と一瞬考えました。さっき言い忘れていました。p174の最後、罪を軽くしようとする弁護士を全く無視して、同じ証言を繰り返す、言うこと聞かないにもほどがある様子は一瞬笑えました。でも、殺されるかもしれないという恐怖感、危機感のなさに、やっぱり複雑な気分になったところです。

サンザシ:デンマークの少年だから生意気なことも言っても殺されないけど、ドイツの白バラの人たちは、どんどん殺されて行きますよね。クヌーズたちは「どうせたいしたことにはならないさ」と、多寡をくくっていられたということなのかな。

西山:これだけのことをして無事な話は初めて読みました。

サンザシ:グループの中にはユダヤ人の少年もいて、とっても危ないんじゃないかとはらはらしましたけど。

ネズミ:疑問に思った箇所を思い出しました。p88の4行目、「クヌーズとイェンスは、チャーチルクラブのことを家族からかくすのに大変な苦労をしていた」とあるのに、2つ先の文は「ただ、秘密がばれないようにするのは、いくつかの点で、そうむずかしくはなかった」となっています。最初の「大変な苦労をしていた」というのは、「なんとしても家族に知られまいとしていた」というようなことでしょうか。気になりました。

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エーデルワイス(メール参加):題名は『ナチスに挑戦した少年たち』ですが、その中心はクヌーズなんですね。時代背景、作者とクヌーズとの出会い、交流、クヌーズ自身の証言、当時の写真の数々。読んでいくとあれこれ散乱していて、落ち着かなくなりました。まだあどけない15,6歳の少年たちはデンマーク政府に抗議を込めてレジスタンスを始めます。若さゆえの正義感ですね。その後捕まって刑務所へ。その後遺症で生涯悩まされます。クヌーズの晩年の写真は、いいお顔ですね。好きな美術の仕事を得てよかった。比較的背が高く金髪、青い目が多いデンマーク人にヒトラーが理想人種をみたというのは、やりきれません。この本、読書感想文の課題本にいいですね。書きやすいと思いました。

(2018年12月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)