シア:公共図書館での予約者がたくさんいて延長できずに返してしまったので、あやふやな記憶ですみません。タイトルからSFかな? と思って読み始めたのですがそんなことはなく、現代の学校に通う子供たちが抱える問題を描いたお話でした。腑に落ちることが多く、なかなか面白く読めました。p.25の「ゆるみそうになる気持ちを」というところがとても辛くて、学校でずっと緊張しなければならない子どもがいるということは間違っていると思いました。でも、これは事実なんですよね。学校というところは窮屈な存在になってしまっています。そういうところはどうしたらいいのか、暗澹たる思いでいっぱいです。本を休み時間に読んでいると変だというのは、他の本にも出てきましたが決めつけのように感じます。本など読まないでみんなと話してみようと言う人もいますが、人と話ができないとか人前で話せない子どももいますよね。でも、それも決めつけなのかもしれませんね。干渉してくるわりに寛容でない世界ですよね、学校って。親以外は放っておいてほしいと思います。p.28辺りの「相談室ってネーミングが悪い」というのはわかります。「何か困っていることはない?」と突然聞かれた子も困るのではないかと思います。急に近づかれても、距離感を持って接していかないと難しいのではないかと思います。p.38の「悪いところばかり注目していると」というのは子どもにわかりやすいメッセージだと思います。強くてわかりやすい言葉というのは、読解力不足が叫ばれている昨今では、とくに必要なのではないかと思います。引用する側としても使いやすくていいですね。しかし、他の海外の2冊は「ありのままの自分」を大切にして、周囲もその子を分け隔てなく受け入れようというのが今後の展望も含めて感じられるのですが、この本はあくまでその子は「火星人」ではあるけれど地球人として受け入れてあげようという、異質は異質として扱うという感が否めません。お国柄の違いなのでしょうか? まあそうだとしても生徒たちに読んでほしいと思います。

マリンゴ:テーマはとてもいいなと思いました。困らせている子じゃなくて、困っている子。さらに何に困っているのか自分でもわからない子。そういう子をすくい上げていくのは非常にいいし、火星との紐付けも、うまくいっていると思いました。ただ、全体的にリアリティのない部分が多くて、物語に寄り添えない感じがしました。たとえば富士山に登るシーンですが、雨音が聞こえるほどに降っているのに、数時間後はめちゃくちゃ晴れています。雨雲を飛ばすほど風がとても強いという描写は特になくて・・・。物語をこういうふうにする、というのがあらかじめ決まっていて、そこに向かってストーリーを引っ張っていっている印象がありました。

花散里:読後感から言うとよくありませんでした。確かに上級ぐらいの子が読めるのかもしれませんが、p60からの会話の後の美咲の「そんなつもりはなかったのに、声をかけていた」、「やっぱりね、という意地悪な気持ちが頭をもたげる」とか、p64「いい気味だった」など、美咲の気持ちの表現の仕方に後味の悪さを感じました。特に前出の表現だけではなく全体的に読み進んでいって、子どもたちに読んでほしいという感じが持てない作品でした。

コアラ:私は、読みやすくておもしろかったです。クラスのあの子はこの登場人物に似ているとか、子どももおもしろく読めるのではないでしょうか。強く見える人の弱さとか、感情とか考えとか、他人には見えにくい部分も描かれているので、自分と違うタイプの子のことも理解できるようになるかも、と思いました。ただ、感情の描き方が荒っぽい。特にp40〜p41、和樹が泣くのが唐突で、話の運びが強引だと感じました。それから、火星の大接近について調べたら、2018年7月31日。今となってはあまりピンときませんが、発行日を見ると、2018年2月6日となっているので、発行のタイミングはよかったと思います。火星の大接近というのは、小・中学生にとって、どのくらいのイベントだったのかな。あと、p221の3行目、「同級生の四人」とありますが、湊はp14で「隣のクラス」となっています。同じ学年、という意味で「同級生」と言うのでしょうか? 私はひっかかりました。

アンヌ:初読の時は何もかもぴんとこなくて、最後に山に登らせて終わりとは、なんて古風なつくりだろうと思いました。2回目に読んだ時は、物語がうまく噛み合っていく感じはうまいなと思ったけれど、やはり登場人物の抱える問題に納得がいきませんでした。分かりやすかったのは聡くらい。これだけ問題がある子供同士が山に登るのに、カウンセラーの教師がついていかないところも奇妙に感じました。

ルパン:前に1回読んだんですけど、内容がまったく思いだせななかったので、もう1度読み返しました。そうしたら、前とまったく同じ感想を持ちました。前半はともかくうるさい。ずっと説教されている感じ。でもまあ、読んでいるうちに慣れてきちゃいました。「これ言葉に出して言っちゃうんだ」っていうところが多々見られて、演劇の台本を読んでいる印象でした。ただ、ストーリーから汲み取る力がない子どもにとっては、わかりやすくていいのかもしれません。他に気になった点は、おばあちゃんが年取りすぎていること。小学生のおばあちゃんならもっと若いと思います。この感じ、ひいおばあちゃんだったらわかるのですが。

きび:さっき予約がいっぱいというお話がありましたが、私の住んでいる区の図書館では、最初に借りたときも2度目も予約はゼロでした。地区によって違うのかしらね。いろいろなタイプの子どもが登場するし、作者がいいたいことがずばりと出てくるので、すらすら読める本だというのはわかります。でも、こういう子どもたちを登場させよう、こういう風にまとめようという作者の構想があって、その枠の中から出ていない作品だと思いました。物語って、作者の作った枠を飛びこえて、作者自身も思いがけなかったものに育っていくというところがあるんじゃないかな。小さいころも今も、私はそういう作品に感動してきたような気がします。それから、スローガン的な、生な台詞が、特に後半は目立っていて気になりました。たとえばp205の「同じように生まれたのに、どこかがちょっと、人と違う。それでも、同じように生きていきたい。誰かを大切にし、大切にされて、幸せになりたい」という3行とか。「この3行を物語で書いてよ!」と思ってしまいました。子どもは、たしかにこういう下りが好きかもしれないけど、なんだか危険な気がします。内容こそ違っても、戦時中も少年雑誌などの「決め台詞」で愛国心を奮いたたせた子どもたちがたくさんいると聞いていますので。それから、主人公のおばあちゃんと、駄菓子屋のおばあさんの話し方が気になりました。今時のおばあちゃんは、こんな話し方をしないと思うし、いくら同じ町で育っても、同じ話し方をするかな? ちょっと変わった人を「火星人」というのも、ひと昔まえの言い方じゃないの?

木の葉:再読です。出版後すぐに、おもしろく読んだ記憶があります。「困っている子」という設定がいいな、と。再読して印象が変わることはありますが、気づかなかったことに気づける場合と、気にならなかったことが気になってしまう場合があるような気がしています。今回は、ちょっと残念ですが、後の方でした。先ほどから出ているおばあちゃん問題については、この作品に限らず、創作における祖父母の類型的な表現は前から気になっています。今時のおばあちゃんを考えてよ、と思うんですね。表紙のイメージは、中学年の印象でしたが、高学年の物語なんですね。キレる少年の和樹のボキャブラリーが豊富なのに少し驚きました。三人称ではあっても視点はあくまで和樹なんですが、配慮、無罪放免、職務怠慢、痛感、自暴自棄、ちなみになどなど、難しい言葉がたくさん。これを新鮮と採るかミスマッチと感じるかは人によって違うかもしれません。視点が変わる短編連作風な構造なので、読み通した後で、あまり強い印象を残さないかもしれません。それから、初めに決められたストーリーがあって、それに合わせて引っ張っているという感じが否めませんでした。言いたい言葉が先行しているというか。たとえば、p120の駄菓子屋のおばあさんのセリフ。「どんな子だって、未来であり、希望なんだ」といった唐突な印象の言葉です。それから、ラストp217の「誰もが、生きていることに感謝した」みたいな言葉は不要だなと感じました。

さららん:自分も空気が読めないタイプなので、登場人物の中で、かえでの気持ちや行動に共感できました。善意で、言ってはいけないことを言ってしまうところや、しまったと思うと、「ごめんなさい」と、つい言ってしまう気持ちもわかります。ただ全体に作者の意図が強く出てしまって、そこが残念。特に和樹のお母さんの造形に無理を感じました。かえでのおばあちゃんも大事な存在ですが、物語の流れで必要な言葉を並べた印象が残ります。オムニバス形式なのでテンポは軽快だけど、今の文体だと一人の心理にあまり深く入っていけないです。とはいえ、一日中、学校で気を使っている子どもたちが読みたくなるテーマ。読んだあと、救われた気分になる子もいるかもしれないです。

ヘレン:まだ読み終わっていません。今日の3冊のテーマの繋がりを感じました。表の表現と裏の表現が異なりますね。一人称、三人称が混ざっていて読んでいて混乱しました。p38「言葉は魔法だ」というところ、そういう影響はあるし信じることができます。和樹は大人っぽい、むしろ子どもらしくないと思いました。でも、自分の体が衝動的、直感的というのはいいことだと思います。いろいろな場面の説明はいいと思うのですが、時々冗長すぎますね。

まめじか:あまりひっかからず、さらっとおもしろく読みました。伝えたいことがはっきりあって、書かれた本ですね。同調圧力とか、外からは見えなくても、ひとりひとりがいろんなものを抱えていることとか。

西山:おもしろく読んだのですけれど、その印象だけで具体的な中身を思いだせないという情けない状態です。一話一話すっと切っていくから、浅くなる部分はあるのかも知れないけれど、ハードルの低い易しさはマイナスばかりでもないと思います。「空気が読めない」かえでの側から語られているのは、新鮮に読みました。

ハル:私の好みの問題なのかと思っていましたが、全体的にすごく、お芝居の中の人たち、という感じがしました。お芝居の中の人たちでも、その中で成立していればいいんでしょうけど、この子がどうしてこういうことを言うのか、いったいこの子はどんな子なんだ? と、登場人物の像が結べない感じがありました。たとえば、駄菓子屋さんのおばあさんの「どんな子だって、未来であり、希望なんだ」とか、台詞がいちいちかっこいので、こういう言葉が胸に響く読者もいるのかもしれませんが、とくに、普段小説をあまり読まない子だったら、「これだから小説は・・・」と空しく感じないだろうかと思いました。

ハリネズミ:様々なタイプの子どもたちが、お互いに認め合い、仲間になっていくのを書こうとしているのは、いいと思うのですが、それぞれのタイプがいまいち描き切れていない、というか、つきつめられていないように思います。そのせいで、ウソっぽくなっている。特に和樹とか岩瀬美咲は、こんな子リアルにいるのかな、と疑問に思ってしまいました。中学生と湊の会話もウソっぽいです。生徒たちに「みなさん仲良くしましょうね」と、無神経に猫なで声で言っている教師のイメージが浮かんできてしまいました。こんなにゆるゆるのキャラだと翻訳物では出版してもらえないですね。実際の子どもと面と向き合うことなく頭の中だけで書いているようにもとれてしまい、そうだったら、子どもに失礼だなとも思いました。この表紙ですが、変わった子のことを今でも「火星人」って言うのでしょうか? 今は、火星にはこんな姿の生命体は存在しないとわかっていますよね? そして、ひょっとすると理科の時間にそういうことも習うかもしれないのに、こんな表紙でいいんでしょうか? 子どもには、知識の点でも物語の点でも、できるだけ本物を提供してほしいと私は思っているのですが、この作品には「子どもだまし」的な甘さをいろいろな面で感じてしまいました。p65の「貸したものは返さないと」は、「借りたものは返さないと」かな。

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エーデルワイス(メール参加):文章構成力はさすが!と思いました。「火星」をキーワードにかえで、湊、和樹、美咲、聡のそれぞれの生き辛さをくっきりと浮かび上がらせています。最後に富士山登山の頂上で終わらせるとは・・・。残念なのが表紙の絵(裏表紙はいいけど)と挿絵です。内容としっくりこない。『セカイの空がみえるまち』のような表紙、挿絵の方がよいかしら?

(2019年06月の「子どもの本で言いたい放題」より)