しずかな魔女の表紙
『しずかな魔女』
市川朔久子/著
岩崎書店
2019.06

<版元語録>中一の草子は、学校に行けなくなってしまい、 今は図書館に通う日々を送っている。ある日ふとしたことをきっかけに、初めてレファレンスを希望する。やがて司書の深津さんから渡されたのは「しずかな魔女」というタイトルの白い紙の束。ふたりの少女の、まぶしい、ひと夏の物語だった。 物語を読み終えた草子の胸に、新しい何かが芽生える。それは小さな希望であり、明日を生きる力だった。

ネズミとてもおもしろく読みました。こういう図書館はないだろうと思いましたが、子どもを受け入れる場所としての図書館、ひとつの居場所というのが提示されていて、いいなあと思いました。魔女の修行の中で、ところどころに印象的な言葉がありました。たとえばp142の「魔法にはね、ひとつだけやってはいけないことがあるの」「それはね─人を操ること」というセリフ。生きることを後押しする、こういう部分にひかれました。それに、文章がとてもきれいでした。

ハル子どものころは特に、おとなしいことをネガティブにとらえがちなので、どちらかというと控えめなタイプの子は読んで励まされるでしょうし、ひかり側に共感できるような元気のいいタイプの子にとっても、新しいものの見方を示してくれる1冊なのではないかと思いました。構成やストーリーそのものも、決して目新しいものではないかもしれないし、時々ふと、そういえばこれは司書の深津さんが書いた小説(の体裁)なんだったな、と思い出すと、若干「いま、わたしは何を読んでるんだっけ?」という気持ちにもなりましたが、表現の豊かさによって、作品として成立しているのかなと思いました。みずみずしい描写で、刺激を受けました。子どもにとって夏休みがどれだけ特別か、「夏休み」の大きさをしみじみ感じます。

シア不登校の話で始まったので、またこの手の話かと思って読み始めました。市川さん、よく不登校の話を書いているなという印象です。『西の魔女が死んだ』(梨木果歩/著 楡出版ほか)を思い出しました。でも、作中の物語はすごくおもしろくてのめりこみました。肝心の主人公のことはすっかり忘れてしまっていました。蛇足だったかと思うくらい。キラキラなエンディングを迎えたのに、野枝ちゃんの将来が冴えなくてがっかりしました。しかし、レファレンスの回答として出典が明らかにされていない自分の小説を渡すというのはちょっと乱暴すぎではないでしょうか。それから、「図書館は静かな場所」というステレオタイプな考え方が、今の時代に合っていなくて古いと感じました。まるで『希望の図書館』(リサ・クライン・ランサム/著 松浦直美/訳 ポプラ社)と同じ時代みたい。

ルパン半年くらい前に読んだんですけど、「おもしろくなかった」ということしか覚えていませんでした。このたび読み返したら前よりは印象がよかったのですが・・・不登校の子の話が中途半端で不完全燃焼としか言いようがないです。作中の物語では「ひかりちゃん」のキャラクターがすご過ぎて、私はついて行けませんでした。

花散里私は図書館司書をしていますが、読んでいて、この設定はあり得ないと思うことが多く、いろいろと気にかかりました。司書が登場してくる作品としては『雨あがりのメデジン』(アルフレッド・ゴメス=セルダ/作 宇野和美/訳 鈴木出版)が大好きで、あの本の中の図書館司書が理想だと思っています。作中の物語も構成が弱いと感じました。ユキノさんの存在もわかりにくいと思いました。友達の両親が離婚してしまうかもしれないというときに手紙を書くということもあり得ないのではないでしょうか。読後感があまりよくない作品でした。

すあま市川さんの物語では、主人公を家族ではない大人が見守って助けてくれる。この本でも、司書の深津さん、ユキノさんがそういう大人です。物語としては、作中の物語が終わったところで今度は外側の話を忘れていました。中の物語はおもしろかったし、登場人物も魅力的だったけど、この話だけだったら物足りないかもしれませんね。中学生の草子が小学4年生の物語を読む、ということなんですが、実際に中学生が小学4年生に共感しておもしろく読めるのかな、と思いました。物語全体で、いい人ばかりが出てくるので読後感は悪くならないのですが、この著者の他の作品と比べると何か足りない気がしました。

サンザシ:不登校の草子に寄り添って読み始めたら、間に野枝とひかりの話が入っていてそっちの方が長いんですね。私には、間のこの物語を読めば草子が元気になるとは思えなくて、ずっと草子が心配でした。市川さんは文章がいいので、それにひかれてどんどん読み進められるし、間に入っている話にも共感はできるんですけどね。私は『小やぎのかんむり』(市川朔久子/著 講談社)がとても好きだし、あれは第一級の作品だと思っているのですが、それに比べると、この作品はちょっと小ぶりの佳作でしょうか。それから、p166の「あざやかな色のリュック」の若い男は、p15で「館長」に「ここの机って、勉強とかダメですかね? レポートちゃっちゃっと終わらせて、ついでに試験勉強もやりたいんスけど」とたずねる男だと思うのですが、ということは、この「館長」が自分の息子に一般利用者を装わせて、草子の前でたずねさせた、ということ? そこまで行ったらやりすぎじゃないかな。

エーデルワイス作者の市川朔久子さんは、この先、大人向けの小説家になってしまうような気がします。p144の9行目から12行目にある、「ひとつだけやってはいけないこと、人を操ること・・・」や、p145の13行目の「じぶんの心はじぶんだけのものですからね」のように煌く言葉がたくさんありますね。でも、ストーリーが凝り過ぎている感じもしました。

アンヌ初めは主人公の草子に興味が持てず、つらい場面も多くてなかなか読み進められなかったけれど、作中の物語が始まると楽しくて、ユキノさんをはじめとしたお年寄りの生き生きとした様子も魅力的で、近所に昔あった古い団地を思いだしました。洋服の色彩について鋭い感覚を持つリサちゃんについても、家族が「美大出身の友人は雷が鳴るとまず稲妻の色を見たがる。世界の見方が違うね」と話していたので、そんな風に様々な視点で世界を「見る人」がいるということが描けていて良かったと思います。1か所いらないかなと思ったのが、館長と息子の小芝居の場面。p15はともかく、それがバレるp165は、必要はあるのかなと。ただ、不登校の子がコロナ下のネットの授業は参加できたのに、対面授業になったら出られなくなったという話を聞いているので、草子がこんなふうに守られているのはよかったなと思いました。

しじみ21個分やさしい表現の、とても好もしい作品だと思いました。まず、図書館で働く者として、図書館が子どもたちにとって居心地のいい場所として肯定的に描かれているのはうれしいです。不登校の子が図書館で過ごすという描写は、やはり、鎌倉市立の図書館が夏休み明け前の8月に発信した「つらかったら図書館においで」というメッセージを踏まえているのかなとも思いました。ただ、p12に、図書館の司書は静かな人と描かれています。それはいかにもステレオタイプで、静かじゃない図書館員もいるしなぁ、とちょっと固定的な捉え方だとは思いました。見た目としても、物語の中に白いページがはさまっていて、目次もあって、さあ、これから物語が始まるというぞ、という工夫もおもしろかったですし、物語の入れ子構成も凝っていました。作中の物語も2人の女の子の理想的な夏休みが描かれていて、とても好ましいのだけど、正直好ましいというだけで終わってしまったかなという感じです。なんというか全般にリアリティがなくて・・・。図書館の可能性が表されているのはとてもありがたいし、ユキノさんという理想的な大人像も素敵で、こういう風に子どもに接したいとは思うのですが・・・。それから1点引っかかったのが、図書館でおばあさんに「学校はどうしたの?」と問われて、心の中で「くそばばあ」という言葉が浮かんだにもかかわらず、それを小学校のときの同級生の男の子の言葉にすり替えてしまっているところです。それはちょっと主人公がいい子すぎてずるいと思いました。自分の言葉で「くそばばあ」と心の中で言ってほしかった。作中の物語に任せてしまうのではなく、本編の物語で主人公の心の中の葛藤みたいなのがもっと深堀りされてもよかったんじゃないかなと思ったというところです。

まめじか草子は幼稚園の運動会で転んでしまったとき、大人の目を気にして自分と一緒に走りだした先生の欺瞞に拒否感を示していますが、深津さんや館長やユキノさんはそれとは対照的な存在として描かれていますね。おもしろく読んだのですけど、おばあちゃんとの魔女の修行というのが『西の魔女が死んだ』に重なり、あまり新しさは感じませんでした。視点を変えると新しいものが見えてくるとか、日々を丁寧に生きる生活の豊かさとか。中学生は子ども時代を思い出し、ノスタルジーを感じながら読むのでは。中学の1年1年ってとても大きくて、自分がガラッと変わってしまったように感じますよね。私はそうだったな。

西山市川さんの作品は、まず言葉が好きです。p57の「いいないいなあ」など、ほんのちょっとしたところでひかりの体温の高い感じが伝わってきたり、読むことの「快」を感じます。ベースとしては、草子の、学校という場に合わないというメンタルな部分ですが、お話の中で2人が迷子になるまでずんずん歩いたり、アリを見たり、ツリーハウスもどきを作ったり・・・この、中身だけでいいと私は思ってしまいました。読者対象の年齢によって違うのでしょうけれど、魔女修行が結局は心の持ち方を変えさせるという着地点は、本気で魔女になりたい子には肩透かしになるなあと思いました。自分が小学生の頃、吉田としの『小説の書き方』(あかね書房)にがっかりした経験を思い出してしまいました。入れ子構造が活かされた装丁もきれいだけど、どうなんでしょう?『コロボックル』シリーズ(佐藤さとる/著)とか、過去にいくつか例がありますが、全体を入れ子にしたことで、疎外される印象を受けたのを思い出しました。作り込んだフィクションのおもしろさも好きなのですが、この作品では、私は作中の物語だけの方がよかったかな。子どもが減った団地の有り様は、それとなく見まもる「小さなおばあさん」の存在含め、とても興味深かったです。

さららん前に読んだ時には悪い印象をもたなかったのに、あとから中身をよく思い出せませんでした。読み返してみて、文章の美しさを再認識。おいしいお菓子を食べているような気がしました。先ほども指摘があったけれど、草子の幼稚園の運動会のときのエピソードの出し方が見事で、それひとつで、大人のぶしつけな行動に耐えられない草子という子どもが見えてきました。中の物語も、子ども時代のきらめきにあふれていて、楽しかった。ただ、入れ子の外と中が組み合わさったときの感動が薄く、それが印象の薄さにつながったのかもしれません。中の物語では、最後に野枝がひかりの両親宛てに手紙を書いたことが功を奏して、ひかりが団地にもどってきてくれます。2人の時間のきらめきは、その時間の喪失を描くことでいっそう際立ち、読者の心に残ると思うので、2人が10年後に再会してもよかったかなーと思いましたが、でもそれでは大事な「魔法」の意味が描けなくなりますね。ひかりのすこし芝居がかった言葉遣いがほほえましく、赤毛のアンの姿が重なりました。また、子どもたちの体温の高さという点では、森絵都さんの本を思いだしました。

木の葉市川さんの文章が心地よくて、このまま草子さんの話としてずっと読んでいたかったです。作中の物語はアイテムとしても定番というか、割と平凡な印象でした。「しずかな子は魔女にむいてる」という言葉はとても素敵ですが、それが生かされているかというと、微妙です。入れ子にしたために、どちらも中途半端となってしまったような気もします。『西の魔女が死んだ』は、私も連想したのですが、あのおばあさんが苦手だったことを思い出しました。それから、野枝という名前は、私はどうしても伊藤野枝を連想してしまうので、少し違和感がありました。私も市川さんの『小やぎのかんむり』は好きな作品で、あちらの方がいいと思います。

カピバラ:2015年に鎌倉市中央図書館が「学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい」というツイートを出し、大きな反響を呼んだ、ということを思い出しました。これには賛否両論ありましたが、図書館側では、図書館はそういう子の居場所になれるんだという意識が生まれた、ということを聞きました。あくまでも見守るという姿勢は変えず、平日に毎日来る子がいたらなんとなく気にかけるようになったそうです。図書館はそういう場所であってほしいという思いが、著者にもあったのではないかと思います。深津さんは、まさにそういう子どもを見守る存在ですが、現実にこんな司書がいるのかな、とは思いました。やはり自分の水筒を貸すのはありえないし、図書館は出版物を扱う場所なので、いくら自分が書いたものだからといって、出版されていないものを渡すことはありません。でも、図書館はこうあってほしい、という意識が現れているのかな、と思いました。入れ子になった物語がある形式は、2つの物語がどういうつながりがあるのか、謎解きのおもしろさもあって魅力的です。「しずかな子は、魔女に向いてる」というのはすてきな言葉で、きっと著者はこの言葉がとても気に入っているのでしょうが、言葉の魅力が先に立って、それがどういうことなのか、という点は意外とあっさりしていたかなと思います。野枝とひかりのように正反対の子どもが仲良くなれるのか、という意見がありましたが、私は、ひかりのように屈託がなく、思ったことをすぐに言葉にできる子に野枝が惹かれるのはよくわかりました。

サークルK書き出しが柔らかい感じで表現が美しいので、読み出しやすかったです。表紙も本の森のページに入っていく感じがして、挿絵もかわいらしいですし。優しく詩的な日本語に触れられる作品だと思います。p163の「絶海の孤島に来ています」という司書さんの草子への手紙でストーリーを終わらせても良かったのではないかとは思いました。そのあと、「館長さん」とその息子とのやり取りや、司書さんとのやり取りなどは冗長に感じました。すべてに落としどころをつけようとしすぎている感じがして、もったいないと思いました。

マリンゴとても魅力的な物語でした。本編が実は、長い長い序章で、別の物語がすっぽり入り込み、最後にまた本編に戻るという構造が、わたしは非常にうまく機能していると思いました。自分の気持ちを伝えられるのは自分だけなのだ、というメッセージもとてもよかったです。あと、行こうと思えば世界のどこにでも行けるし、誰とでも会えるのだ、と不登校の子に、世界を広げるメッセージを伝えているのもよかったのではないかと。唯一、私が引っかかったのは司書さんですね。不登校のひとりぼっちの女の子に、実話と思われる2人の女子のかけがえのない友情の物語を読ませる司書さんって、デリカシーがどうなんだろう、と。とてもデリカシーある人として描かれているだけに、ちょっと気になりました。

たんぽぽ表現がきれいだなと、思いました。ラストは、「ああ、こういうことだったのだ」と、すっきりしましたが、そこにたどりり着くまで、ちょっと長かったです。「しずかな子は魔女にむいてる」という言葉が、少しイメージしにくかったです。

木の葉図書館を舞台にした作品は結構あって、私も、図書館の存在によって救われる物語は好きです。とはいえ、「図書館=いい場所」という描かれ方が前提となっているようで、そのことには少し疑問も感じています。すべての図書館がすばらしいわけではないですし、現実に問題や矛盾はあるはず。職員の待遇面もどうなのか、なども。本好きは本にまつわることをつい善的に捉えてしまいがちであることにも、注意が必要かな、という気がしています。

(2021年02月の「子どもの本で言いたい放題」より)