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ブルンディバール

アメリカの絵本。第二次大戦中、チェコ北部テレジンにあったナチスの強制収容所で、子どもたちが上演していたオペラをもとに描かれた絵本です。オペラを作曲したハンス・クラーサもユダヤ人で、テレジンに収容され、後にアウシュビッツで亡くなりました。この絵本は、ユダヤ系アメリカ人のセンダックが初めて正面からユダヤ人の歴史に取り組んだ作品といっていいと思います。子どもたちが力を合わせて悪者を追い払うというストーリーに、センダックの思いがあらわれているのではないでしょうか。
(装丁:森枝雄司さん 編集:上村令さん)

「ニューヨーク・タイムズ」ベストテン絵本に選定

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<この絵本について>

この絵本は、アドルフ・ホフマイステルが台本を書き、ハンス・クラーサが作曲して1938年に完成したオペラにもとづいてつくられました。このオペラは、チェコのプラハにあったユダヤ人の孤児院で1942年に初演され、そのあと、チェコ北部のテレジンにあったナチスの強制収容所で、子どもたちが55回にわたって上演しました。子どもが演じたオペラなので、絵本の中のブルンディバールも子どもの姿をしています。

第二次世界大戦のとき、ナチス・ドイツはユダヤ人、政治犯、知的障碍者、外国人捕虜などを強制収容所に入れ、じゅうぶんな食べ物をあたえずに働かせたり、ガス室に送って殺したり、とてもひどい扱いをしました。テレジンの強制収容所にはガス室はなく、芸術活動も行われていました。収容されていた子どもたちが描いた絵もたくさん残っていて、子どものオペラも盛んに上演されていました。

絵本の中で300人の子どもたちが助けにくる場面では、中央にドイツ語でARBEIT MACHT FREIと書いてあります。「働けば自由になる」という意味で、この言葉はナチスの強制収容所のスローガンになっていました。しかし、ガス室のない収容所であっても、じっさいは自由になるどころか、無理に働かされて病気になり死んでいった人もたくさんいました。テレジンに収容されていた子どもたちも、多くがそこで亡くなったり、あるいはアウシュビッツなど別の強制収容所に送られて殺されたりして、生き残った子どもは15000人中132人だけでした。このオペラを作曲したクラーサも、テレジンに収容されていましたが、1944年にアウシュビッツで亡くなりました。また、絵の中に出てくる六角の星はユダヤ民族の象徴で、「ダビデの星」と呼ばれています。当時ナチスはユダヤ人すべてに「ダビデの星」を衣服にぬいつけることを強制していました。

この絵本は、2003年にアメリカの「ニューヨーク・タイムズ」という新聞が選ぶベストテン絵本に選ばれています。また、モーリス・センダックは2003年にこのオペラを演出し、2005年には舞台美術も手がけています。

なお、「ブルンディバール」というのは、チェコ語の方言で「マルハナバチ」のことだそうです。

さくまゆみこ


マイケル・モーパーゴ『モーツァルトはおことわり』さくまゆみこ訳

モーツァルトはおことわり

イギリスの物語。語り手は新米ジャーナリストのレスリー。世界一有名な天才バイオリニストのパオロ・レヴィにインタビューをすることになり、緊張のあまり上司から話題にするなと言われていたことをたずねてしまいます。レヴィはなぜモーツァルトを演奏しないのか? それには深いわけがあったのです。読んで行くにつれ、ナチスの強制収容所にとらわれていた音楽家たちの悲劇とその後の物語が、浮かび上がってきます。
フォアマンの絵は、青を基調にしたヴェニスの風景と、収容所を描く暗い色調とが対照的です。
マイケル・モーパーゴは、あとがきでこんなふうに語っています。

(前略)オーケストラの前をならんで歩かされた者たちの多くはガス室へと送られました。そこでしょっちゅう演奏されたのが、モーツァルトでした。
そんなつらくて苦しい状況で演奏させられた音楽家たちは、どんな気持ちでいたのでしょう? 中には、私のようにモーツァルトが大好きな人たちもいたはずです。その人たちは、その後の人生では何を考えながらモーツァルトを演奏したのでしょうか? この物語は、そんな想像から生まれてきました。もうひとつ、きっかけになったのは、ある晩ヴェニスで目にした小さな男の子のすがたです。アカデミア橋のたもとにある広場にいたその男の子は、パジャマすがたで三輪車にまたがり、辻音楽師の演奏に聞き入っていました。たしかにすばらしい演奏だと私も思いましたが、その子も、身動きひとつせずにうっとりと聞き入っていたのです。

(装丁:岡本デザイン事務所 編集:板谷ひさ子さん)

*SLA夏休みの本(緑陰図書)選定