アンヌ:花柄模様の陶器の犬が出てきたので、『とびらをあけるメアリーポピンズ』(P.L.トラヴァース作 林容吉訳 岩波少年文庫)の「王さまを見たネコ」を思い出し、きっと、この犬もきっと動きだすぞとわくわくしながら読み始めました。思ったとおり、クッキーの甘さにほっとできるような別世界が開く物語でした。ただ、もう少し物語の展開をのんびりしてもらいたかったような気もしました。本の中から出てくるのが、動物とお菓子。これを1日にしないで、動物の日、お菓子の日、音楽の日、で、もう1度音楽、くらいな流れはどうだろうと考えてみたりしました。でも、3回もサボったら、先生から電話がかかって、レッスンをさぼっているのがばれるから、2回が限度かもしれませんね。こんな風にあれこれ構成を考えてしまったので、他の作品を読んでみたくなり、『あひるの手紙』(朽木祥作 ささめやゆき絵 佼成出版社)を読んでみたら、これもおもしろく、見事な構成の作品でした。

レジーナ:おもしろく読みました。子どもの時に出会っていても、きっと楽しく読めた本です。ファンタジーの場合、世界を作り過ぎる作家もいますが、そうではなく、曖昧なままで終わるのが見事ですね。

レン:すいすい読めました。おもしろいけれど、どこか既視感がある感じ。賢治の『注文の多い料理店』と似ているかな。ピアノ教師の知り合いの話を聞くと、この主人公みたいに、まじめに練習しているのにできなくて追いつめられるような子は少なそうなので、書きだしのところでどこまで今の子が物語にのってくるかなというのは、ちょっと思いました。

きゃべつ:こういうふんわりとしたお話をどう読めばいいのかわからなくて、読んでいて、気になるところがずいぶんと出てきてしまいました。まず、気になったのが、情報が後出しじゃんけんになっているところです。最初に、音楽の練習に行きたくないという話が出てくるけれど、次のページをめくって絵を見るまで、主人公がなんの楽器をやっているのかがわからず、とまどってしまいました。「メヌエット」という言葉だけで、バイオリンとわかる人が多いのでしょうか。「谷戸」や「☆のように急がず」という言葉に、注訳が入っているのも気になりました。主人公がこの言葉を理解できていないのに、読者だけがわかるだなんて、へんな気もします。あと、「鳥ノ井驛」も旧字をすんなり読んでいたりして、そういったところに、作者の存在を感じてしまいました。この物語で不思議なのは、人が出てこないところで、たとえばすずめいろ堂にはじめて入るとき、他人の家に入るのに、主人公は住んでいる人の姿を熱心に探しません。そして、勝手に人の本を手に取ってしまう。なぜ、そこには本しかないのか、なんのために存在する場所なのか、など気になることはたくさんあります。たとえばそこにおじいさんでもいたら、そのあたり違和感なく、また注釈での説明を必要とせず、伝えられたのではと感じました。
この作品がいいのは、「すずめいろどき」という言葉(概念)を使っているところだと思います。でも、すずめいろいろどきってどんなだろう、ってうまくイメージができなくて、そのせいか、世界にひたることができませんでした。すずめいろどきのあいだだけの魔法というのが魅力的なのに、最後のところで主人公が「営業時間をのばしてくれるかも」と安易に言っているのが、少し興ざめでした。あと、小見出し、2行取りで鳥が2羽以上いるのは、窮屈な感じがすると思いました。でも、高橋和枝さんの絵は、やっぱり素敵ですね。とてもよかったです。

オカリナ:この本屋さんは異空間なので、現実的でないところがあってもいいんじゃないかな。かえってその方が、異空間にさまよいこんだ感じが出るので、著者はきっと敢えてそうしているのではないかと思います。人が出てきたりしたら、リアルな日常空間になってしまいそうです。子どもって、どうしていいかわからなくなったとき、自分で視点を変えることってなかなかできない。それが、本という異世界で別の視点を獲得すると、何か見えてくる。そんなことをこの本から感じました。

レン:あさのあつこさんの『いえでででんしゃ』(佐藤真紀子絵 新日本出版社)も思い出しました。いやなことがあって家出したあと、おかしな人といっぱい会って、そこから戻ってくる。ストレスをかわすのに、こういうお話はいろいろあっていいのかもしれないですね。

オカリナ:この作者の方は、研究などもしておいでだったようなので、谷戸などにもちゃんとわかるように注が入ってるんですね。

ジラフ:楽しかったはずの習いごとがいやになって、でも、「自分で(楽器が)ひけたら、どんなにうれしいだろう」という、習い始めの楽しかった気持ちを思い出すまでのことが、とてもうまく書かれていると思いました。見知らぬ駅が、不思議な異空間への入り口になっているのもよかったです。ただ、このファンタジーの背景になっている「すずめいろどき」という時間が、具体的にどういう時間なのかイメージできなかったので、最後まで霞がかった感じがぬぐえなくて、そのことはずっとひっかかりました。「すずめいろどき」という言葉に、私はこの本で初めて出会いましたけど、どこかの地域の言葉なんでしょうか。

オカリナ:空の色ではなく、暮れなずんできたときの街並みがすずめの色みたいに見えるんでしょうか?

レン:スズメの色を、あらためて見てしまいますね。

アンヌ:こうやって本を読んだ後に、ある時ふと黄昏に、「ああ、これが『すずめいろどき』なのか」と思ったりする楽しみがありますよね。

紙魚:朽木さんの本なので、もしや教養がぎっしりつまっている物語なのかしらと思いながら読み始めたところ、いえいえ、とってもおもしろくて、物語の中にどんどん入っていくことができました。感銘を受けたのは、音楽という、文章で表現するのがもっとも難しいものが、まるで自然と音がきこえてくるかのように表現されていたことです。ふだん私たちは音楽を、美術など芸術の範疇のなかで語りがちですが、朽木さんは、そこから見事に解放されて、音楽をおかしや動物との対比によって表現している。そうか、音楽って、好きなもの、楽しいものという範疇の中に入れて、こんなふうに表現すればよかったのかと、すがすがしく感じました。

ルパン:既視感があるお話なのだけど、不思議とそこがよかった気がします。子どもの本の王道、という感じですよね。斜に構えていないところがとても好感がもてました。大傑作ではないけれど、珠玉の佳作というか、くせも気取りもなくて、読み終わったあと幸福感があって、とてもいいと思いました。

オカリナ:読者対象を考えると、あまりひねっても仕方がないですもんね。

ルパン:「お約束どおり」にストーリーが進んでいく安心感が得られます。「平凡」なのではなく、「安心感」。おさまるべきところにすとんとおさまるうれしさ、みたいなものがありました。

紙魚:p84に、「そうだった。ずっとわすれていたけど、わたしもまえはそう思っていたのだ。大すきな音楽を、きくだけじゃなくて、自分でひけたらどんなにうれしいだろうって。」という文章がありますが、この本をずっと読み進めて、ここにたどりついた時、本当に心がふわっとして、私まで、ああそうだったという気持ちになれたんです。おそらく作者は、この境地を描きたかったのではないでしょうか。私も子どもの頃ピアノを習っていたのでわかるような気もするのですが、子どもの時って、どんなにピアノが好きでも練習はいやだし、うまくなろうと地道に練習しようと考えたりもしないんですよね。でも、お稽古をやめるときかれれば、やめたいわけでもない。小さい時って、先のことを考えずに、そのつど今を生きていますから。ただ、ふと「そうだった」と思う時もやっぱりあったりするんです。このあたりのことが、なんとも自然に描かれていて、すごいなあと思いました。

ルパン:最後のところで、ピアノを始めたばかりの頃の気持ちにもどるところ、「そう、そのせりふを待っていたの」と言いたくなりました。このお話のすべては、そのひとことに至るまでの道だったんだね、という、いい意味での予定調和ですよね。結末はわかっているのだけど、そこまでのプロセスがちっとも飽きさせなくて。

オカリナ:お話の長さもちょうどいいですね。これ以上長くなると、冗長になります。

パピルス:主人公の女の子の気持ちがよく伝わり、おもしろく読みました。高橋さんのイラストも可愛く文章とぴったりで、お話の世界に自然に入り込めました。年末は仕事だったり家庭のことで忙しくて落ち着いて読書ができないのですが、時間があるときに再度ゆっくり読みたいと思いました。主人公の女の子が本から「文字」を通してメッセージを受け取るのではなく、本を開くとクッキーが出てきたり、音楽が流れてきたりして、それらがメッセージとなって女の子に伝わるという設定に感心しました。対象読者である小学校低・中学年の子に、本を読む楽しさがわかりやすく伝わるなと思いました。

きゃべつ:あっ、今調べてみてわかりましたが、「すずめいろどき」ってほんとにあるんですね。たそがれどき、夕暮れどきのことを言うようです。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年12月の記録)