『本泥棒』
マークース・ズーサック/著 入江真佐子/訳
早川書房
2007.07
原題:THE BOOK THIEF by Markus Zusak

版元語録:わたしは死神。自己紹介はさして必要ではない。好むと好まざるとにかかわらず、いつの日か、あなたの魂はわたしの腕にゆだねられることになるのだから。これからあなたに聞かせる話は、ナチス政権下のドイツの小さな町に暮らす少女リーゼルの物語だ。彼女は一風変わった里親と暮らし、隣の少年と友情をはぐくみ、匿ったユダヤ人青年と心を通わせることになる。リーゼルが抵抗できないもの、それは書物の魅力だった。墓地で、焚書の山から、町長の書斎から、リーゼルは書物を盗み、書物をよりどころとして自身の世界を変えていくのだった……。『アンネの日記』+『スローターハウス5』と評され、アメリカ、イギリス、オーストラリアなどで異例のベストセラーを記録した、新たな物語文学の傑作。

ジラフ:とにかく文体が新鮮で、語り口が魅力的でした。ナチス政権下のドイツっていうシチュエーションで、こういう女の子が主人公の話は、ほかにもあるかもしれないし、あり得ると思うんですけど、作者がノートに自由に書きつけていったみたいな、みずみずしいアプローチにぐいぐい引かれて、読み進んでいく感じです。訳者のあとがきによると、最初は100ページくらいの、もっと短い話を書くつもりが、ナチス時代のドイツというシチュエーションを得たことで、物語がふくらんで、こんなに長くなってしまったそうです。登場人物の心象風景がすごくビビッドに伝わってくる表現もいっぱいあって、それは、物語の展開を、語り部の死神が「上から」見ているせいかもしれません。

アンヌ:とても読みづらく、苦戦しました。特にプロローグ。死神のモノローグで始まるので、SFなのかと思ったりしました。その後も、まさか語り手として死神がずっといるとは思わなかったので、なかなか物語の中に入り込めませんでした。死神というものが、神なのか神のしもべなのか、よくわからないせいかもしれません。いきなり、かくまわれているユダヤ人の青年が絵本を書き、それがそのまま文中に出てくるのも斬新でした。主人公のリーゼルが本を読むことを覚え、やがては防空壕の中や隣家のおばさんに朗読するようになる物語には感動しました。養父母が実は優しい人だとわかってくるとホッとしました。特に、お父さんがとても魅力的でした。飢えている人にパンを与えずにいられないとい人。けれど、それが、罰せられる社会に震撼しました。ヒトラー・ユーゲントについて書かれていることも衝撃的で、このように、与えられた言葉を唱えることの方が重要だという教育を受けると、自分でものを考えない大人になっていく、自分で物事を判断しない、ただの兵士が出来上がるのだなという怖さを感じました。

パピルス:読みにくい本でした。中盤までは一文一文読んでいたのですが、後半は斜め読みをしてしまいました。ちゃんと読めていなくて消化不足なので、あれこれいうのは気が引けますが。まずは文体が特徴的でした。短文でパッパと展開していく印象を受けました。死神の視点で物語が進んでいくというのがおもしろいと思いました。主人公が預けられた家の人たちは、最初は冷酷な人たちに思え、主人公には悲惨な日々が待ち受けていると思われました。ツライ物語かと。が、実は皆良い人だったので安心しました。予想も裏切られておもしろかったです。本を通して主人公が文字を覚えていくところが好きな部分です。ナチス政権下に生きる人々を描いた作品では、『ベルリン1933 』(クラウス・コルドン著 酒寄進一訳 理論社)を読みました。コルドンの作品では、時代背景の描写がもっとしっかりしていてよく伝わり、その時代に懸命に生きた人々の姿が鮮明に描かれていました。なぜ「ナチス政権下のドイツ」をテーマにしたのかがわかりました。ちゃんと読んでないので間違っているかもしれませんが、今回の作品は「皆さんご存知の絶対悪のナチスや、皆さんご存知の絶対悪のヒトラーが」というように、小説を書くための単なる要素の一つとしてナチスを扱っているような印象を受けました。

オカリナ:ここ10年でいろいろ読んだ中で、私はこれがいちばんといっていいほどおもしろかった。死神とあるけど、英語では大文字のDeathでしょうね。日本語では神となっているけど、一神教の場合は神のほうが位が上。だから、別に矛盾はないと思います。それから、ナチスはドイツでも絶対悪というふうには捉えられていないと思います。悪魔のしわざではなく普通の人がああいうことをする流れになっていったのが怖いのです。この作品も、そのあたりをうまく書いています。生と死、愛と別れ、狂気と正気、そういうものをとてもうまく書いている。そして死神にも個性や情をもたせているのもうまい。この作品は言葉の問題も扱っていますが、ヒットラーの言葉と、庶民がつながっていく言葉が別種のものだということがわかる。それから、登場人物の一人一人がとても個性的で、ちょっとしたことから性格やその人の世界観がわかるようになっています。一つ気になったのは、小見出し(死神の言葉)の扱い方。原書でセンター合わせになっているからといって、日本語でもセンター合わせにしたら読みにくい。あんまり考えないで編集してますね。

紙魚:これはきっと、原書がそうなっていたんでしょうね。横書きだとセンター合わせでよいでしょうが、縦書きでこうするのは間違いだと思います。

オカリナ:人物像もそれぞれがくっきり現れてきます。養母も悪態ついてるけど、実はいい人だというのも読んでいるとわかってきます。ヒトラーの言葉と、ふつうの人がつながっていく言葉はちがう、と書かれている部分なんかも深いです。リーゼルの父親への愛情も心を打ちます。だから死神もリーゼルを特別扱いするんですね。

ルパン:すみません、まだ途中までしか読んでいないんですど、出だしのところから、「死神が語っている」という設定が子どもにわかるのかなあ、と思いました。あと、各章のはじめに見出し? みたいなものがあるのですが、これがわかりにくかったです。ストーリーの先取りのようですが、じゃまをして話の世界にどっぷりつかれないように思います。

オカリナ:ここは必要だと思いますけど、訳が不十分なので、有機的につながっていないんじゃないでしょうか。

紙魚:そもそもは一般書だったのに、アメリカでヤングアダルトとして刊行したらすごく売れたという話を聞いて気になっていたので、じつは映画を観てしまっていました。なので、すでにあらすじが頭にあり、みなさんよりは読みづらくはなかったと思うのですが、それでもやはり難航しました。この本の印象は、読み手がどう死神とつきあうかで変わると思うのですが、本のつくりのせいなのか翻訳のせいなのか、どうも死神にうまく引っ張ってもらえなかったように思います。でもこの本は、死神を語り手にしたからこそ、時間も場所も自在に移動できたんですよね。好きだったのは、地下室でリーゼルが本を読む場面です。そのシーンが読みたくて、読み進められたといってもいいくらいでした。弟も死んでしまい、両親とも別れ、なにも持っていない女の子が、言葉を手に入れることで生きる力を得ていくということが書かれている物語です。ああ本っていいものだなあとあらためて素直に思えました。私も本の世界にたずさわる者として、なんだったら、盗んででも本を読んでほしいなあとさえ思いました。実際のところ、状況はまったく別ですが、もしかしたら将来、本の世界がやせ細り、読みたい本が読めない時が来てしまうかもしれないと、最近、危機感を抱くこともなくはないんです。

きゃべつ:売れる本だけをつくろうとすると、多様性が細っていくような気がするので、そうならないようにできればと思います。

紙魚:自由に好きな本が読める喜びを、本の中で感じました。途中、マックスの書いた寓話が入っていますが、あの部分、よいリズムを生み出していますよね。それにしても、アメリカでベストセラーになった本で話題性もあったというのに、なぜ日本では売れなかったんでしょうかねえ?

オカリナ:日本語版の体裁や、死神の台詞の部分が読みにくいですよね。私は、小見出しをとばし読みしました。私も映画をDVDで見ましたが、映画より本のほうがおもしろかったです。せっかくの内容なのに、編集の仕方で損をしてるのかもしれませんね。

ルパン:もし書店や図書館でプロローグだけ立ち読みしたら、そのまま棚に戻していたかもしれません。

アンヌ:字を太くして強調されると、逆に読みにくくなってしまうと思います。

オカリナ:英語で太い字になっている部分を機械的に太くしているのでしょう。もっと配慮した編集をしないと、いい本だって売れないですよね。もったいない。

きゃべつ:字を大きくしたりするのは、ハリーポッターから目立つようになった気がしますね。

ルパン:アスタリスクも気になります。内容はいいんですけどね。気に入っているのは町長の奥さんが「盗んででも本を読んでもらいたかったの」というところです。

レン:ごめんなさい。まだ3分の1くらいしか読めていないんです。おもしろいと言われたので、どこかですっと読みだせるだろうと期待してきたんですけれど、まだ入りこめていなくて。語り手が死神であることも、50ページくらい行ったところで、ソデの「わたしは死神。」というのを読んで初めてわかったのですが、それがわかっても、やっぱりなかなか進みませんでした。
 
レジーナ:数年前に読み、非常に心を動かされました。しかし、日本語が読みにくい部分もあるので、それを含めて考えたくて、この読書会で読みたいと思っていました。語り手は、人間らしい感情を持つ死神です。毎日のように空襲があり、収容所へ向かうユダヤ人の行進が町を通る時代です。どこにも希望が見出せず、死さえも救いとなるような状況は、いわば神なき世界であり、そうした中では、神は死神となるしかない。しかし、この死神は死をもたらすだけではなく、人間らしい生き方を貫いた者、他者への思いやりを持ち続けた者に目を留めます。言葉に生かされるリーゼル、死んでいく敵国人パイロットのそばにクマのぬいぐるみを置くルディ、ユダヤ人にパンを差し出す父親……。死神は、瓦礫の中に最後まで残る人間性を照射しているのです。リーゼルを支える周りの人々の描写が温かいですね。父親は、煙草を売って本を手に入れ、読むことを教え、出征の前には、「防空壕で本を読み続けるように」とリーゼルに言います。この時点では自分でもまだ気づいていないのでしょうが、リーゼルにとって物語がどれほど大切か、父親はちゃんとわかっているんですね。リーゼルを愛する母親やルディも、深い悲しみの中を生きるフラウ・ホルツアプフェルも、粗野で武骨で、文学に関心があるわけではありませんが、豊かなものを持っている人たちなのでしょう。

 この本には、人がいかに言葉に生かされるかが描かれています。一番心に残ったのは、リーゼルが、収容所に向かうユダヤ人の列の中にマックスを見つけ、「ほんとうにあなたなの?」「わたしが種をとったのは、あなたの頬からだったの?」とすがりつく場面です。マックスはリーゼルに物語を書き、リーゼルは、病気のマックスのために石や羽を拾っては、それにまつわる物語を聞かせます。そんなマックスが収容所に送られたことで、リーゼルは、言葉というものを信じられなくなったのではないでしょうか。人は嘘をつくし、上っ面だけの言葉を言うこともあります。マックスはどうしようもなく去っていくのですが、それでもリーゼルは、マックスを失って、世界は生きるに値しない、言葉で語るに値しない、言葉は役に立たないと感じたのではないでしょうか。

 私は4歳の時から毎日、日記を書いていますが、数年間どうしても書けなかった時期がありました。本当に絶望したとき、人は言葉を失い、自分のことを語れなくなります。リーゼルは、町長夫人の言葉をきっかけにして、悲しみを乗り越え、自らの物語を書きはじめました。長田弘さんの詩に、「ことばというのは、本当は、勇気のことだ。人生といえるものをじぶんから愛せるだけの」とあります。言葉は、世界や人生への信頼に根差したものなのだと思います。リーゼルという名は、ドイツ語の“lesen”(読む)という単語に少し似ています。言葉を渇望し、物語を愛した少女にふさわしい名前です。国際アンデルセン賞の受賞スピーチで、画家賞を受賞したホジェル・メロさんは、「言論の自由が奪われた時代に育ち、政府に好ましくないことを書いたために連れて行かれる人々を目にする中で、言葉がどれほど力を持つかを知った」と語っていました。言葉には大きな力があり、だから権力者は言葉を恐れて焚書を行う。ナチスは中身のない言葉やスローガンを植え付け、考えない国民を育てる。先月、『ベルリン』三部作を書いたクラウス・コルドン氏が来日しました。若い人に向けて歴史小説を書く意味についてお話され、「歴史的な出来事の真実を書きたい」とおっしゃっていました。真実を語ること、同時に、真実を語れる環境を守っていくことが必要ですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年12月の記録)