『夜明けの落語』
みうらかれん/作 大島妙子/絵  
講談社
2012.05

版元語録:人前で話すのがなによりもこわい、4年生の暁音。もちろん、落語なんて、できるわけがない!?19歳の現役大学生みうらかれん、注目のデビュー作! 第52回講談社児童文学新人賞入賞作。小学中級から。

ルパン:よくも悪くも「課題図書っぽい」って思いました。ほのぼのしていていいんだけど、おねえちゃんのせりふが臭いっていうか、こんなこと言うかなって。それでもわりと感情移入できたのは、自分も小さいときおとなしかったからです。ほんとに。先生にさされると蚊のなくような声でしか答えられませんでした。で、声が小さいって叱られると涙が出てきたり。だから、人前でしゃべれないこの子の気持ちがよくわかりました。作者もわかっているのかな。お父さんお母さんがあまり出てこないのが違和感ありましたが、うちも長女から三女までが11歳はなれている3姉妹で、次女と三女は親に言えないことを長女に話したりしているので、「あり」かもしれません。ストーリーは言っちゃなんだけど、普通っていうか、最初から「落語をやってしゃべれるようになるんだろう」ってわかっちゃう。予定調和的だけど、悪い意味ではなく、むしろこういうのはひねらないほうが安心できますね。ただ、「三島くんのおじいちゃんはいったいどこの人?」って思いました。三島くんは関西から引っ越してきたのに、このお話の舞台の町に昔から住んでいるらしきおじいちゃんも関西弁なのは「あれ?」という感じでした。ほかにも地域の設定には突っ込みどころが多々あります。三島くんがお笑いの本家である関西で落語やっていじめられてて、転校して東京(?)でまたやって東京の子には受け入れられる、っていうのも不自然な感じです。逆ならわかるけど。東京でシャイだったあかねちゃんが関西に越して落語に誘われてお笑いに目覚めちゃうとか。野中あかねちゃんに関していえば、人前でしゃべれないっていうのは、小学生のときはそんなに重大じゃない気がします。友だちとふつうにしゃべれれば小学校生活に支障はないですから。それより、クラスに友だちがいるのかどうかが気になります。あと、となりのクラスの初音ちゃんは、どうしてこの子のことをこんなに大事にするんでしょう。ふつう小学生ってクラスが分かれたら別世界の住人なのに。班が分かれただけで疎遠になったりしますもの。あかねちゃんが、同じクラスに友だちがいないことをおねえちゃんに訴えていないのが不思議な気がします。クラスに仲良しの女の子がいないことのほうが、小学生にとっては大問題ではないでしょうか。

アカザ:わたしは落語がとても好きで、桂小文治さんの会に欠かさず行っているくらい。ですから、こういう作品を子どもたちが読んで落語好きになってくれればいいなと、うれしくなりました。出てくる人たちも、みんな善意で、最後まで安心して読めました。ストーリーも、たぶんこうなっていくのではと予想がつきますが、この年代の読者が読むとホッとするんじゃないかしら。主人公の悩みも、それほど深刻じゃないので、安心して読めるのかもしれません。人前で話すのが苦手でも、けっこうハッピーな学校生活を送っているし。口数の少ない子って、けっこうハッピーなんですよね。私も昔そうだったから、よくわかります。主人公が寿限無をどうやって話したらいいかと悩むところで、お姉ちゃんがハムスターに名前をつけたときのことを話して妹に助言するところも、聞き手としてではなく噺家の修業のしかたを言っていて、おもしろいと思いました。それから、別に悪いことじゃないんですが、児童文学に出てくるおじいちゃんって、同じようなタイプが多いですね。庭のある一軒家、それも古い民家に住んでいて、ジュースではなくて麦茶が出てくるような。若い作家の方たちは、そういう暮らしに憧れているんでしょうね。現実は、そういう年寄りばかりじゃないのに。

トム:読み終えて、心穏やかにページを閉じられました。作者は大阪の人ですか? 標準語で書かれたお話って多いですけど、大阪の言葉とか、もっと方言で語られるお話を読みたいです。クラスの中に三島くんのような子がいたらいいなと思いました。三島くんの関西弁いいですね、方言って魅力があります。p150であかねちゃんが啖呵をきりますね、初音ちゃんとけんかして。言葉が少ないからといって心に何も無いのではなくて、胸の奥に言葉にならないで溜まっていたものがマグマのように噴火して、いい場面だと思いました。よかったな、こんなふうに言えてと、物語のこちら側にいる者に思わせる場面だと思います。作者は、内気であったり、思うことをたくさん抱えていても表現できないまま、自分の中に籠る子どもに温かく沿っている。後半になるとここまで書いてくれなくてもいいのに、っていう部分もありますが。p170の担任の先生が話す「やる勇気とやらない勇気が大事」というのは、10歳の子どもに理解できるかなと。読者の子どもにも。でも全てわからなくても、どういうことかなと思って心に残れば、いつか大きくなって「あっ」と納得する時が来るかもしれないし、そこが本の良さかもしれない。裏表紙で3人が階段のところにいる絵はいいですね。この物語は、自分で読むだけでなく、誰かに読んでもらったら楽しいと思います。落語の可笑しさを知って、出来れば関西弁もリズムよく語ってくれる大人に。

プルメリア:あかねちゃんみたいな恥ずかしがり屋さんの子どもはクラスには数名おり、日直で司会をする時の内気な子の心情をよくとらえている作品だなと思います。元気な子が主人公の作品はよくありますが、内気な子の学校生活を主にした話はあまりないので、同じような悩みを持った子供たちには勇気づけられる作品だと思います。内気な子をかばう頼もしい子も日常生活にはいるので、3人の関係がよくわかります。「まんじゅうこわい」、「番町皿やしき」、「じゅげむ」などの作品が登場するるので落語を身近に感じ。落語の本を手に取る子ども達が増えるきっかけになるかも。気になることは「日直」は1日の当番活動、1週間なら「週番」かな。帰りの会のスピーチ5分間はちょっと長いか。お姉さんの存在は、お母さん的なお姉さんって感じ。大学生が家にいる時間帯が多すぎ。おじいちゃんも関西弁なのに、どうして東京にいるのかな。この作品を読んで、共感する子どもたちは多いと思います。主人公は4年生ではなく、5年生でもいいかな。6年生くらいになると、はきはきしていた女の子が授業中急にしゃべらなくなったりする傾向が増えてきます。微妙です。

レンゲ:最初読んですぐに、『しゃべれどもしゃべれども』(佐藤多佳子著 新潮社)を思い出しました。読んだ後味はいいし、こういうお話を読むと子どもも元気が出そう。ただ、ちょっと納得がいかないところもありました。一つは、暁音が初音ちゃんとけんかをしたあと、クマ先生になぐさめてもらうところ。それまでにクマ先生とつながりが描けていればよかったのだけど、そうではないので嘘っぽい感じがしました。特にp169のクマ先生の「クラスはちがうけど…」から始まるせりふ。先生が子どもに、ほかの子のことをこんなふうに言うかなと。それと、中学生・高校生くらいになると、お父さんお母さんよりもお姉ちゃんとかほかの年上の人を頼るのはわかるけれど、4年生の子がここまで親を頼りにしないものかなと。3・4年生の子って、なにかあったときに、最後のところでもう少し親を求めるんじゃないのかな。お姉ちゃんはいい子だけど、親としてなのか、ちょっとさびしかった。こんなドライでいいのかなって。

プルメリア:おじいちゃんの家に行くとき、お菓子を持たせてくれたのは存在感が薄いお母さんです。

レンゲ:それとこの作品の裏には、プレゼン力を高めようということがしきりと言われる、今の学校の状況があるように思いました。私は普段から、そういうのは善し悪しだなと思っているのですが。人前で発表できることは大切だけれど、パワーポイントを使ったりして、上手にそつなく発表するというのは、本当の意味での表現とは違う気がするんです。小学校高学年から中学生までの発表を見ていても、論理性が積み上がっていくわけではなく、結局見栄えをよくすることに終始することも多いようです。作品とは別なことだけど、そんな学校のようすが頭にうかびました。

アカザ:よくしゃべる子って、なんにも見ていない。なんにも考えていない。しゃべんない子ってよく見てるでしょ。どっちがいいってわけでもないのよね。

プルメリア:なんにも考えないで見てる子もいます。

ハリネズミ:そのまま大きくなって大学生になる子もいる(笑)。私はそれなりに最後までさーっとおもしろく読んだんですね。私も落語は好きなので、こんなふうに落語を紹介できるのはいいなと思いました。しゃべるのが苦手な子が、右に行ったり左に行ったりためらっているのも伝わってきたのだけど、どこか意外なところとか、ステレオタイプではない人物も登場したりすると、もっと大きい賞もとれたのかな。

紙魚:近年、気持ちをうまく伝えられない主人公というのが多いですね。今、学校では、ディベート力やプレゼンテーション力なんていう力の重要性が言われることも多く、だからこそ反対に、しゃべれない子の気持ちがこうして取りあげられるようになってきているのかなと思います。しゃべるのが苦手な女の子が主人公で、そばに心やさしい男の子がいて、啓蒙するというよりは、まわりの人たちのやさしい気持ちによって、かたくなな心がほどけていくというストーリーには、どこか願望のようなものが表れているのだと思います。19歳の方のデビュー作ですが、自分のことで精一杯の時期に、こうして他者を思いやる物語を書いているのは、とても素敵だなあと思いました。欲をいえば、物語がまっすぐ進んでいくので、それも素直なよいところではあるものの、どこかにはっとするような転換があるとよかったです。全体的にはじめじめしていなくて、しゃべれない子どもが明るい空気で描かれていました。大島妙子さんの絵で、中学年対象というのを意識した本づくりもいいですね。

プルメリア:6年生の国語でディベートがあります。「自分の考えや意見を発表しよう」という主旨の学習です。

紙魚:吉本隆明さんが、「沈黙も言葉」だと言っているんですが、表現しないと何も考えていないことになってしまうというのは危険ですよね。だからこそ、こうした物語で、言葉に出てこない部分をあらわしていくのは大切かなと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年7月の記録)