ハリネズミ:ちょっとここはどうなのかな、と思う点がいくつかありました。たとえば、不思議なおばあさんの登場は必要だったのだろうか、とか、同じクラスの根本舞子ちゃんが理央がリストカットをしているのではないかと疑ったり鷹を飼っているのを知らなかったりするのは不自然じゃないか、とか。小さな町という設定だと思うので、理央が毎日鷹を腕にとまらせて外を歩いていれば、すぐにみんなに知れ渡るんじゃないでしょうか? それから、死んでしまった遙ちゃんですが、その後は手袋が登場するだけで、理央が遙のことを思い出したりすることがないため、重い心の傷になっていることがあまり伝わってきません。でも、全体としては、とても好感を持っておもしろく読みました。理央が徐々にモコを知っていき、悩んだり、考えたり、工夫したりする姿がとてもよく書けています。しかも鷹なので単なるペットではなく、野性的な面も活かしていかないといけないということで、人間と動物との間の距離を考えるにもいいなあ、と思いました。鷹を飼ううえでどんな工夫をしていったかが具体的に書かれているので、読者も物語の中に入り込めます。会話が福岡弁でかわされているのもいいし、実在の石橋美里さんがモデルだという平橋さんもとてもさわやかですてきでした。

紙魚:きっと作者は、おばあさんは不思議な存在のままにしたかったのではないかと思います。理詰めではなく、どこかで何か、不思議な力が働いている物語にしたかったのではないかと。

タビラコ:さわやかな、いい作品だと思いました。なにより福岡弁で書かれているのが、魅力的。その地から生まれた言葉の力を感じました。魚住直子さんの『園芸少年』(講談社)もそうでしたけど、ものを育てていく過程が詳しく書かれているところがいい。これを読むと、ペットの犬やネコを飼うのが、なんだかやわなことに思えてきて。おもしろかったのは、鷹匠がカラスの被害を防ぐという社会的な活動をしていること。この作品を読むまで知りませんでした。ただ、冷凍のヒヨコを食べさせるところは平気だったけど、食用のカラスを輸入するというところで、ちょっと引いてしまいました。でも、よく考えれば猛獣や猛禽類を飼っている動物園などでは当然のことで、現場から遠いところにいる私のような人たちが気づかないか、気づかないふりをしているだけなのよね。そういうところまで、きっちり書きこんでいるところがいい。そういうところで引いてしまう私は、まだまだ修行が足りん!と思いました。

ハリネズミ:そういう部分を気持ち悪がる人はいると思いますが、この間私はゲイハルター監督がつくった「いのちの食べかた」っていうDVDを見たんですね。人間の食事が見えないところでとんでもないことになっているのが、よくわかりました。人間は、チャップリンの「モダン・タイムス」に出てくるようなことを、命あるヒヨコでも、牛でも豚でも野菜でもやってるんです。冷凍のヒヨコや生きたカラスを鷹に食べさせたりするのは、それに比べればずっと自然です。

レン:この女の子が鷹を飛ばせられるだろうかというのと、友だちの死を克服できるかという二つのストーリーにひきつけられて一気に読みました。さわやかで感じのいいお話。三人称だけれど、かぎりなく理央ちゃんの気持ちに近い書き方ですね。康太もいろいろな思いを抱えて物語を持っていますね。お母さんとのことや、だからこそお寺のことを一生懸命やるとか、この子の話でもうひとつ小説が書けそうなくらい。でも、これは理央ちゃんの話だから、あまりつっこまずに、さらっと流しているんでしょうね。理央ちゃんが、一つ一つ発見しながらやっていくのがいいですね。うまくいかなくて、人にきいてみると向かい風の方が飛びやすいと教えられるところなど、とてもいいと思いました。

レジーナ:昨年、まはらさんの『最強の天使』(講談社)を読みましたが、より完成度の高い作品に仕上がっていると感じました。「帆飛」というタカ特有の飛び方や、「向かい風が吹いていた方が飛びやすい」など、人の人生に通じるような細々とした要素が盛り込まれている作品です。康太にとっての向かい風が、養子として育った生い立ちというのは、エピソードとしては少し弱いようにも思いました。理央が友人の死を乗り越えるきっかけをくれるおばあさんの存在が唐突で、結末まで読み進めても、よく理解できませんでした。また平林さんの描写ですが、主人公のロールモデルとなる人物なので、もっと目の内に映るようにいきいきと描いてほしかったです。

プルメリア:すごくおもしろかったです。主人公理央が鷹匠を目指す過程と、亡くなった友だちへの思いがこの作品にあり、二つが平行しながら進行していくストーリーとして読みました。話題になっているおばあさんの言葉は、少年にとっては産みの母とのふんぎり、主人公には友だちとのふんぎりになっていると思います。お友だちが寺に来たとき、「こ、こ、こ」と言った場面、この子は康太のことを言ったと思うんですけど、理央には鶏の鳴き声に誤解されて、すぐ誤解は解けますが、かわいいな、と。お寺の日常生活が書かれていたのでお寺さんにちょっと親しみを持てました。お友だちにかえしてあげようと、鷹が手袋を持っていく場面、いい終わり方だと思いました。

サンシャイン:「鷹匠」の話というので興味深く読みました。小説の中の中学生と、実在する高校生の鷹匠の交流など、流れはいいと思いました。「鷹匠」というと思い出す作品があります。戸川幸夫の『爪王』(国土社)です。鷹と鷹匠の戦いなんですね。暗いところに1週間置いておいて飢えさせて、鷹匠が与える生肉を食べるかどうか。それが印象が残っているので、それとの関連でとらえると、現実の高校生の実話の方に確実に力があります。正直言って、フィクションのお話の主人公の方が、どうしても弱い。新しい友だちが出てくるけれど、同じ街の中のこととして、友だちが死んだことくらい、知っているだろうとか、街中で鷹を腕に乗せて歩いていたら、みんな知っているだろう、だから腕の傷を見て「リストカットしたの?」という質問も嘘くさい。結末の手袋が消えてなくなるあたりも、筆者にファンタジーの発想があるんだろうと思うんですね。ファンタジーよりも現実の話の方が圧倒的に力があると思います。

タビラコ:でも、フィクションがノンフィクションを超えることは、よくあることだし・・・。

ハリネズミ:私は、実在の高校生の石橋さんが、この物語では、平橋さんの中だけでなく、理央の中にも、かなりの部分、入り込んでいると思いました。平橋さんと理央と、二人が一体になっているような気がします。

レン:実際の鷹匠の女の子は強さがあるのでしょうけれど、誰にもまねできないような人のことを書いても、普通の中高校生は、あの人は別だと思ってしまうのではないかしら。でも、理央ちゃんが、何気ない出会いから新しいことをはじめ、自分なりに進んでいく姿は一般性がありますよね。そして、あきらめないでやっていく。これはこれなりに意味があると私は思います。優等生の物語というか、この人だからできるんだろうというのではなくて。

紙魚:作者のまはらさんは、この作品の前に、中学校弓道部を舞台にした『たまごを持つように』(講談社)、工業高校機械科を舞台にした『鉄のしぶきがはねる』(講談社)を書いていて、この『鷹のように帆をあげて』と同様、現実を取材したうえでフィクションを書きあげるという方法をとっています。3作とも、物語を読んでいるうちに、弓道、旋盤、鷹匠という知らない世界について、自然と知っていくという経過をたどります。どのくらい現実を注ぎこむのがいいのか、その塩梅は難しいと思うのですが、中学生の読者が読むには、難しくなりすぎず、自然に物語を楽しめるというようになっていると思います。それから、一概にはいえないかもしれませんが、それなりに年齢を重ねている作者が書く作品というのは、自分のことをわかってほしくて書くというよりも、他者に思いを寄せて書くという姿勢が強くて、安心して読めるような気がします。

レン:女性の書き手だと、4、50代で、子どものために書くんだという覚悟を持っているなという人を何人かあげられるけれど、男性だと60代以降はいても、それ以下だとすぐに思い浮かばないんですよね。売れると、大人の作品に行ってしまうのか。残念だし、これからどうなるのかと思います。

*この後、誰かが「絵本はいるけどね」と言い、一同、「そうそう」という会話がありました。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年9月の記録)