原題:TOUCHING SPIRIT BEAR by Ben Mikaelsen, 2005
ベン・マイケルセン/著 原田勝/訳
鈴木出版
2010.09
版元語録:15歳の少年が引き起こした傷害事件。過ちから立ち直ってゆく少年の成長を描きながら、犯罪にどう向き合うかを考える意欲作!
うさこ:すごい話だなあと思って読みました。好きな作品です。サークル・ジャスティスという試み、制度を知らなかったので、罪をおかした人に再生のチャンスを与えてくれるこういう仕組みは、人間に対する深いまなざしがあっていいですね。文章も力強い。描写などとてもリアルで情景がありありと浮かんでくるところが多かったです。島でスピリットベアにやられて、骨が折れて体を動かせず、ミミズやねずみを食べたりするところ、描き方がリアルすぎてぞっとしたくらい! 毎朝の冷たい水浴びなども、この作家の表現力はすごさが随所に感じられました。父からの暴力の被害者でもあり、ピーターへの加害者でもあるコールの更生を助けるカービィ、古老など大人の存在もよかったです。
プルメリア:長い作品ですが、止まらないで一気の読むことができました。最初クマとの戦いで野生の生き物に対して大きな力を感じ、次に自然との闘いで自然の力を感じ、ピーターへのつぐない、家族との絆、更生する気持ちなどコールの心情が周りの人たちに助けられながら変わっていく。無人島で小屋を燃やしてしまうところは反発。いろいろなことに向き合いながら、だんだん変わっていく。ピーターが自殺をはかったところは、大丈夫かなと思いました。水浴びをしないと落ち着かない。水浴びをすることで強くなっていく。内容と表紙の白いクマがマッチしているんだなと作品を読み終わって思いました。
アカシア:私は『ピーティ』(鈴木出版)を読んでベン・マイケルセンってすごい作家だと思い、この本も出たときにすぐ読みました。今回は時間がなくて読み返せなかったんですけど、物語の中のリアリティをどこまでも追求する作家だな、という印象です。コールの悪さ加減も半端じゃなく書いています。後半はちょっと甘いかもしれないけど、YAなので1つの理想の姿を描きたかったんだと思います。アメリカでは犯罪を犯した子どもに対していろいろな選択を用意してるんですね。この本に出てくるのはサークル・ジャスティスですけど、ポール・フライシュマンの『風をつむぐ少年』(片岡しのぶ訳 あすなろ書房)は、少女を車でひき殺してしまった少年に対し、アメリカ大陸の四隅に犠牲者の女の子代わりの「風の人形」を立てるという業が課せられて、少年はその過程でいろいろな人々に出会って成長していきますよね。収監か放免かではなく多様な選択肢があるのが、すごい。
ダンテス:読み始めて、とにかく15歳という設定なんだけれど、15歳とは思えない悪い奴ですよね。家庭にもめぐまれず、すぐキレる。ピーターをぼこぼこにして、身体的傷だけじゃなくて、脳にまで損傷を与えてしまうし、警察でも反省の色なし。大人をなんとかだましてやろう、という徹底的に悪い奴を最初に登場させて、この子が変わっていくのを、 嘘くさくなく、読者である私をどう納得させてくれるのかなと思いながら読み進めました。そういう意味ではしっかり物語にひきこんでくれましたから、いい作品であると評価します。結果的に、宗教性を感じさせる自然の力もあるんだけれど、古老の2人の力も大きく働いて、この子が変化・成長したことが腑に落ちます。 ピーター自身も被害者であって、自殺未遂を繰り返してしまう状態であったのを、救う方向に持っていっているのがすごい話だなと思いました。ちょっと気になったのは、腕や足がかなりダメージを受けていたはずで、傷を負っている描写が後半になると減ってしまって、普通に行動しているように読めてしまうのがどうかなと思いました。作品全体としては、犯罪の加害者だけでなく被害者の癒しというのがテーマでしょう。
ajian:先住民族の儀式や、スピリットベアとの不思議な交流もおもしろいですが、何よりも主眼は、加害者が、被害者とどう向き合うのか、ということだと思います。現代の裁判のシステムでは、それがうまくなされていないという指摘と、対案としてジャスティスサークル、という試みがあることを興味深く読みました。ただ、物語自体は、ややご都合主義的なきらいがなきにしもあらずで、とくにコールが更生していくくだりや、ピーターがコールの存在を受け入れていく過程は、ちょっと甘いかなと思いました。コールはちょっとものわかりがよすぎますよね。にもかかわらず、印象的な場面が多々あり、作者の筆力を感じます。
自分がおもしろいと思ったことを羅列していくと……たとえば、ダンスで動物と同化し、その動物について理解する、というくだり。うまく踊れたときというのは、リズムと一体化していて、意識が集中し、かついろいろなことを忘れて、自分から離れてしまえる状態。あの高揚感、忘我状態のなかで、自分から離れて別のものになるという感覚までは、ほんのもう一歩なんじゃないかという気がして、全然知らないことなのに、よくわかる!と思ってしまいました。それから、スピリットベアに会おうと、雨にうたれて自分を無にしようとする場面、ここもおもしろかったですね。雨が額から頬にしたたるのを感じ、ついで周囲の世界へと、感じる範囲が広がっていく感覚。座禅のワークショップに参加したとき、香港から来たお坊さんに、意識を外へ外へ向けろ、と言われたことを思い出しました。よく書けている本や文章というものは、読者の体験や思い出とつい響き合ってしまうものですが、この本もそうだと思います。裁判にしてもそうなんですが、近代的なシステムではすくい上げられないような軋轢であったり心であったりを、この本では「ダンス」であったり「トーテムを彫ること」という、一見なにも関係のないような行為を通じて、いやすことを描いていると思います。それが不思議と納得出来るのがおもしろいです。
まったくの余談ですが、自分がこれまで怒りをコントロールして来たか、殴りつけた相手と向き合って来たか、というと非常に心もとないものがあります。何か、コールの姿は、ここまで極端ではないにしても、あまり他人事とは思えませんでした。今更どうしようもないですが、エドウィンのように、コールのように、別の形で返していくしかないのだろうなあと……。
三酉:私の感想はあんまりよくないんです。『ピーティ』の作者だと聞いて、あちらはすごくよく書けていると思ったんですね。でも、これはこんなに甘い話でいいのか、と。サークル・ジャスティスはいいと思うんですけどね。でもその制度のすばらしさにほれこむあまり、作品がゆるくなったかな、という気がしました。作者はサークル・ジャスティスで感激して、ひいきの引き倒しをしてしまったと思う。それとたぶんこの取材の過程で、孤島一人で暮らすというのを実地に体験して(たぶんヴィジョン・クエストなのだと思いますが)、すごい感激した、それもあってここまで書いちゃったんじゃないかと思います。
アカシア:私は15歳という年齢ならあり得ると思って読みました。この作家は、クマも飼ってたんですよね。
三酉:『ピーティ』同様、夢というか、「お話」であっていいのだけれど、「お話」の出来が悪いと思うんですよね。
アカシア:私も作品としては『ピーティ』の方がよくできていると思ったんですが、こっちの方が課題図書になったんですね。
メリーさん:私はとてもよかったです。とくに前半部分、主人公が瀕死の重傷を負うところ。クマに相当痛めつけられて、もう死んでしまうかというところで、心から生きたいと願う主人公。どん底に落ちて初めて、世界はなんと美しいのかと感じる心。極限の状態まできて、ようやく世界が見えてきた、そんな描写が圧倒的でした。後半は多少ご都合主義に陥っているきらいはあるけれど、毎日を祝いの日々にするという部分、日常をいつくしみ、自分の視点で楽しいものにしていこうというところは、どん底を経験した人たちだからこそ言えることだなと共感。一気に読んでしまいました。
三酉:だんだん思い出してきて、もうちょっとポジティブに言うとね、6ヶ月後っていって、内部的な葛藤のようなものがもっと書きかれていると、もっとよくなった。
ダンテス:最後の10ページくらいのところ。ピーターは、コールに仕返しするわけです。そのときにコールは自分は反撃しないと決めていて、ピーターがある意味気の済むように仕返しをする。そこで初めて両者対等になって、そこからが本当のスタート。二人の関係改善が暗示されて物語が終わります。今の法律では、被害者自身の手で加害者に仕返しすることは認められていないわけです。
ajian:その反撃しない場面、コールが急に「おれという人間は大きな輪(サークル)の一部なんだ」とか言い出して、ちょっと「どうした?」って感じですよね(笑)
(「子どもの本で言いたい放題」2011年12月の記録)