『世界の果てのこどもたち』
中脇初枝/著
講談社
2015.06

版元語録:戦時中、高知県から親に連れられて満洲にやってきた珠子。言葉も通じない場所での新しい生活に馴染んでいく中、彼女は朝鮮人の美子と、恵まれた家庭で育った茉莉と出会う。お互いが何人なのかも知らなかった幼い三人は、あることをきっかけに友情で結ばれる。しかし終戦が訪れ、運命は三人を引きはなす。戦後の日本と中国で、三人は別々の人生を歩むことになった。戦時中の満洲で出会った、三人の物語。

マリンゴ:非常にいい物語だと思います。私自身、満州での生活など、知らないことがいろいろあって勉強になりました。ただ、児童文学として子どもに積極的に推す気にはなれないかも。やっぱり大人向けの文学だと思います。というのも、引き揚げのとき、中国の人がいかに残酷だったかを描いているシーンがあまりに鮮烈で、そこが強く頭に残りそうだから。高校生以上だったら満州ができた経緯など、基本的なことを知っているので、その上でこの小説を読めるでしょうが、そのあたりの歴史をほとんど何も知らない中学生だと、日本はひどいことをされた被害者だ、という印象のみを強く持つようになってしまうかな、と。

ハル:途中読むのがつらくなるくらい、ドキュメンタリーのような写実性を感じるけど、小説として素晴らしい作品だと思います。一方で、日本人ってこんなに素直だったのかなぁとも思いました。当時のこの悲惨で過酷な状況の中で、「自分たちはこんなにひどいことをしたんだ」と、加害者としての立場をこんなに素直に受け入れられたのかなと、ちょっと主人公たちが都合よくまとまっているような感じもします。この作品にかぎったことではないですが、この先、戦争体験者もどんどんいなくなっていくなかで、記録や体験として残していかなければいけない。でもそこには、伝承者にも読者にも、主観や政治的思想もからんでくるので、戦争を語り継いでいく意義と責任と、改めてこわさも感じました。

カピバラ:育ち方や性格がまったく違う3人の少女が、3人3様の強さをもって困難を乗り越えていくところに感動しました。子ども時代は子どもの視点でよく描かれていて、例えば満州の広い広いトウモロコシ畑で働くシーンなど、ありありと情景が目に浮かびました。子ども時代の部分は児童文学でもいいかなと思ったけど、全体としては児童文学ではないと思います。とてもよく調べ、事実をもとにして書いていると思いました。わたしの母が子どものころ、叔父が朝鮮人の奥さんを連れて引き揚げてきた。その人が翡翠の腕輪をはめていたことや、「チョーセンジンと馬鹿にするな」とよく言っていたことを覚えているそうです。けれどそういう記憶をもってる人は、今はもう2世代前になってしまった。だからこういう本は貴重だし、広く読んでほしいと思います。

レジーナ:児童文学でないというのは、どういう点でしょうか。

カピバラ:戦争や人種のことなど、歴史的背景を知ったうえでないと、偏った印象をもつかもしれないという意味です。

アカシア:出し方が、子どもの本じゃない?

ルパン:出し方が児童文学じゃないというのは?

カピバラ:子どもには隠した方がいいというのではなくて、やはり描き方だと思う。後半、ショッキングな場面が続きますからね。

レン:非常に意欲的な作品だと思いました。最後にたくさん参考文献があるので、こういうことをこの作家さんは書きたいと思ったのだなと。でも、児童文学ではないと思いました。戦前、日本も貧しくて、国内では食い詰めて外国に出て行く人がいたこととか、学校でも政治の場でも暴力がまかりとおっていたのだなということなど、改めて考えさせられました。ただ、私もうは少しウェットに書いてくれるといいのになとも思いました。作者が意図的にそうしたのかもしれませんが、事実が積み重ねられていく感じの部分が多くて。読みながら、ロバート・ウェストールの『真夜中の電話』(原田勝訳 徳間書店)の、触ったものや匂ったものの感じが伝わる文章を思い出して、ひとつひとつの体感がもうちょっとあるとよかったなと。でも、朝鮮だから、中国だから、というのではなく、どこの国の人でもいい人もいれば、そうでない人もいるというのは、よく伝わってきました。もう少ししぼって書いたらYAになるのかなと思う反面、3人を描くことで、この当時の満州の群像劇になっているとも思います。なかなかないテーマに取り組んだ、力のこもった作品だと思いました。

レジーナ:この本は一般書として出版されているので、今回、みんなで読む本に選んでよいか少し迷いましたが、クラウス・コルドンの『ベルリン』(理論社)3部作や、マークース・ズーサックの『本泥棒』(早川書房)のように、戦争というものが多面的に描かれていること、日本人が中国人や朝鮮人の土地を奪ったり搾取したりしたことにも触れていて、加害者としての日本が子どもの目で捉えられていることを考えると、ぜひ中高生に読んでほしいと思ったので選びました。人が生きるというのはどういうことか、国を越えて人と人とが心を通わせるというのはどういうことなのか考えさせる作品です。日本がアジアの中で近隣諸国とどのように向き合っていけばいいか、そのヒントがここにあるように感じました。ウェットな描き方ではありませんが、凍りついたトイレなど、満州での生活の描写はリアルですよね。3人は、おにぎりのことを人生で何度も思いだしていて、その場面がリフレインのようにくりかえし出てくるので、最初はさらっと描かれているからこそ、あとになって胸に迫るように感じました。戦争の時代はすべてがつらかったように思いがちですが、けっしてそうではなくて、のどかな日常もあって、それを奪うところに戦争の悲劇性があるんですよね。

きゃべつ:日本の戦争児童文学では、これまであまり触れられてこなかった部分を描いています。角田光代さんの『ツリーハウス』(文藝春秋)は同じく満州から始まる親子三世代の話ですが、それが縦軸だとすると、これは立場の違う3者を主人公にしていて、横軸的。その当時の中国や朝鮮の人の暮らしを知らなかったので、とても新鮮でした。これだけのものを書きあげてくださったのは素晴らしいと思います。読んでいて、よく調べて書いたことが分かりますが、事実を積みあげていけばリアルに近づくのか、という疑問も持ちました。どんなに日本人の加害行為が描かれても、どこか、読んでいる日本人がほっとできるというか、やむをえないなどと責任転嫁できてしまう余地を残してしまうのでは? それが虚構だとしても司馬遼太郎の歴史小説のように、事実を積みあげているからこそ、読んでいてその部分を見抜くことができない。戦争を知らない世代が描き、戦争を知らない世代が読むということは、その恐れがつねにあるかもしれない。戦争に関する本に携わるとき、自分自身、事実を詰めこめば嘘にならないだろうと思ってしまうところがあります。まじめになりすぎて、当事者だったら入れられたであろうユーモアを入れられなくなってしまったりします。どうやって、軽みを出していくのがいいのか、考えていくきっかけになりました。

レン:先日、浅田次郎さんのお話を聞く機会があったのですが、戦争を知らない人間が戦争を書くのはおこがましいという人もいるけれど、生の形で伝わるように書かねばならないと言っていました。書くことは貴重だと思います。

アカシア:たとえばアメリカのアフリカ系でレズビアンの作家ジャクリーン・ウッドソンは、たとえば白人が黒人の問題を書くとか、レズビアンじゃない人がレズビアンを登場させるといったことについて、書いた人が自分の問題としてとらえているのなら、いいじゃないか、と言っています。表面的にとか、ファッションで書くんじゃなくてね。

きゃべつ:もっと、コミカルに描く作品があってもいいかと思います。

アカシア:当事者でも、そうでなくても、ユーモアを持って書ける作家はいます。ウーリー・オルレブなんか、ユダヤ人で戦禍に脅えているのに戦争ごっこなんかやってる子どもを描いているし、ソーニャ・ハートネットも『銀のロバ』(主婦の友社)で死にそうな脱走兵を子どもたちが興味津々で見に行ったりする。子どもはいつでも子どもだと捉えれば、そこにユーモアもおのずと出てくるような気がします。

アカザ:とても力のこもった作品で、感動しました。現代史を十分に学んでいない中高生もいると聞くので、ぜひ読んでもらいたいと思います。被害者としての子どもたちを描くだけでなく、バランスをとって書こうとしている作者の心配りが感じられました。3人の少女の個人史を語っているので、視点が広がっていると思います。児童文学として書かれたものではないけれど、3人が優等生すぎるというか、健気すぎるところが児童文学的。この作者には、もっともっと子ども向けの作品を書いてもらいたいと思いました。戦後の部分が駆け足になってしまった感じはしますけれど。

ルパン:たいへんな意欲作だと思います。子どもが読んでも、それほど善人悪人という色分けは感じないのではないかと思います。中国人が悪いとか日本人が悪いとかいう偏った書き方はしていないから。私がいちばん強烈に印象に残ったのは、にぎった手をこじあけられて、たったひとつのキャラメルを奪われる場面です。いろいろな意味で、リアルにぞっとしました。その記憶を持つ少女がおとなになって好きな人との結婚に踏み切れなかったのはせつなすぎました。児童文学という観点からすれば、主人公が必ず幸せになる予定調和がほしかった。

アンヌ:かなり読むのに時間がかかりました。児童文学だと思い込んでいて、ロシア兵に襲われる場面で違うと気づきました。3人のうちでいちばん心の傷が深いのが、ずっと日本にいた茉莉という設定には、少し納得がいきませんでした。孤児になってからの他人の仕打ちが心に残って、迎えに来た兄と慕う人と結婚しない。ここで茉莉が拒絶したかったのは何なのかが、うまく読み解けませんでした。私は祖父母や親の世代が、引き揚げてきた人たちについてこっそり話しているのを聞いた世代ですが、そういうことを次の世代にどう手渡せばいいのか、この小説を読みながら、考えさせられました。

げた:最初は、これってノンフィクションかなあと思いながら、読み始めました。フィクションなんだけど、ドキュメンタリーみたいだなあと思いつつ、一気に読みました。全編、泣きながら読みました。生命力の弱い幼い子から順番に亡くなっていくんですよね。ひどい話です。大人がいがみ合い、そのつけを幼い子たちが支払うなんてひどいです。許せません。こういった事態を作ったのは為政者、権力者ですよね。がそういう状況をつくってしまう。中国の人だけがひどく描かれているという風には思いませんでした。開拓団の土地はもともと中国の人たちのもの。それを奪ったのは日本人でしょ。作者は私よりずっと若い人なんですが、そんな若い人に書いてもらって申し訳ないという思いもありますね。この本は、歴史の勉強をしながら、高校生ぐらいの人たちに読んでほしいですね。

アカシア:おとなは、戦争はひどいことが常時行われていると知っていますけど、それさえほとんど知らない若い人が読むとどうなのか、という点に興味があります。さっき中国人の残虐性が強く印象にのこるんじゃないかという話がありましたが、珠子は、p265で「もうわらえない。わたしも日本人だから。酷いことをした日本人のひとりだから」と言ってるし、茉莉もp289から次のページにかけて「わたしの手を無理やりに開いてキャラメルを取っていったおばさん。わたしのお皿のじゃがいもを食べたおじさん。かっちゃんにみつけてもらうまで、だれもわたしを助けてくれなかった。養護施設ではひどい目にあわされた。/自分だけじゃない。道ばたで死んでいる人たちの懐から財布を盗んでいった人。空襲で親を失い、不自由な体になってなお、守られるどころか、いじめ抜かれた戦災孤児たち。/こんな日本人なんていらない。この世界に、憎むべき日本人を増やしたくない。/そして。/茉莉にはわかっていた。/日本人。それは、わたしも。/日の丸の旗を振って、進一お兄ちゃまをフィリピンに送り込んだ。鉄を集めて、弾丸切手を買って、鉄砲の弾を送った。シンガポール陥落のときも提灯行列をして祝った。『陥落』されたシンガポールの人たちがどうなったのか、考えもせずに」と思っています。だから二人の頭の中には中国人の酷さより日本人のひどさの方が強く印象づけられているんだと思います。でも、飢えの経験がない読者の中には、キャラメルやジャガイモを取られるより、権力者の宣伝に乗ってほかの国を侵略するより、引き揚げの際に満人が襲ってくる怖さの方を感じてしまう人がいるのも確かかもしれない。マリンゴさんがおっしゃるように。戦争が実感としてない世代にどう伝えればいいのか、難しいところだと思います。
 実際には戦争になると国家がおとなに加害し、おとなが子どもに加害するという弱肉強食の世界が生じる。で、より弱い立場の者がいちばん犠牲になるってことを、この作品はちゃんと書いてます。それと、立場も国籍も育ち方も違う3人の女性の生きていく様子を書いているので、視点が複合的になって全体がよくわかる。それがすばらしい。時代の流れの中で個々に人間の生き方を書くのは、日本の児童文学作家が苦手とするところだと思って来ましたが、この作家は書けますね。これからが楽しみです。それと、残虐なシーンがあるから子どもには読ませないというんだったら、『マザーランドの月』もだめですよね。あっちはもっと訳のわからない残虐さだから。

きゃべつ:『マザーランドの月』は、子どもがわかるだけの範囲で切りとられているので、そういう作品はもっとあってもいいのではないかと思います。読んだときにそれが何を指し示しているかわからなくても、大人になってからわかることもあります。興味を持つきっかけになればいいかと。

西山:私は、これは児童文学じゃないと考えています。私にとっての線引きは、残虐な描写があるかどうかとかいうことではなく、その作品の中心部分が、どういう世代にとっての切実か。それで考えたいと思っています。この作品は、子どもの切実がメインではない。ただ、児童文学を刺激する作品だし、作者も児童文学の人だと思うから今回みんなで読む本になったことにまったく異論はありません。好きな作品です。長いスパンで近現代史を描いているところが新鮮です。戦争を描くときにそれは必要だと思ってます。この作品には、いくつも屈折があって、戦争と人間の様がほんとうに多様で複雑だということを感じさせてくれるから、ネトウヨ云々の心配は感じません。珠子を育てた中国人の両親の印象が強いから、中国の兵隊が残酷だったなんていう印象がひとり歩きすることはない気がする。それと、過ごしてきた時間で家族ができるという家族観も貴重だと思いました。戦争を背景とする物語には、引き裂かれた家族の悲劇とか多いと思うんです。日本に帰ってきて母親含め肉親と再会したにもかかわらず、日本語をすっかり忘れてしまっている珠子の物語は厳しくて新鮮でした。3人の生活の違いもおもしろく、貴重だと思った点です。食い詰めて満州に行くような高知の寒村の暮らしと同じ時代に、おふろあがりにイチゴをつぶしてミルクをかけて食べるような暮らしもあったという。ほんとにおもしろいと思います。中高生と付き合ってて、戦争中は昔で、昔はみんな貧乏で、食べ物もなかったと思っているらしいと気づいたことがあるので、戦前のハイカラな生活が出てくるのは重要だと思います。あれが丸、バツというようにはならない、たくさんの側面が書かれているからこの作品を支持します。身体感覚に寄り添った表現がないと読むのがつらいという話もでてますが、私は、作品始まってまもなく、前の道路が広くて子どもたちが走ってしまうところなんかにあっという間に、心がわしづかみされた口です。多くの10代にはハードルの高い作品ではあるけれど、3人の人生に寄り添って読めるし、誤解しそうな子は最初から読まないから、どんどん紹介していっていいと思います。

レン:印象的な部分を2,3分朗読すると、読んでみようと思うかもしれませんね。この作品は方言がとてもいいですよね。

きゃべつ:きれいな日本語を話す美子が、方言をいっしょうけんめい覚えるところはおかしかったし、かわいかった。

アカシア:気の毒な人たちのことを代弁して書いてあげるという態度だと、自分のものにならないからだめですよね。子どもの時遠いお寺に三人で出かけて雨に降りこめられておむすびを分けあったエピソードですが、何度もくり返し思い出しては語られます。でも、最初の場面で、私はそれほど強い印象を持たなかったので、それを3人3様にことあるごとに思い出すのかなあ、と疑問に思ったんです。そこをキーにするなら、飽食の時代の若い人たちにももう少し強い印象が残るように書いたほうがよかったんじゃないかな?

きゃべつ:私も、饅頭の材料が小麦粉だと上等で、コーリャンだとあまりおいしくない、といった違いが、あまりよくわからないというか、身に迫ってきませんでした。

カピバラ:おにぎりを食べたとき、茉莉は特になにも感じずに大きいほうをもらって食べたけど、あとになっていろいろな体験を経るうちに気づくんですよね。それが美子たちとの唯一の記憶になるくらい大きなものになっていく。

アカシア:飽食の時代の読者にアピールするには、そこをもっと書き込んだほうがいいように思ったんだけどな。

西山:雨の中でのんきに歌ってる。あの場面も大好きです。おとなたちは村を挙げて生死を心配して駆けつけたというのに。そして、歌声を聞いて、おとなたちも笑ってしまう。あの、ほがらかな感じがとても好き。だから、そこにでてきたおにぎりも、場面丸ごとで重要な意味を帯びていくんだと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2016年4月の記録)