『レッドフォックス』
原題:RED FOX by Charles G.D. Roberts, 1905
チャールズ・G.D.ロバーツ/作 桂宥子/訳 チャールズ・リビングストン・ブル/挿絵
福音館書店
2015.10

版元語録:数々の危険をくぐり抜け、荒野でたくましく生きるキツネの姿を描く。カナダの美しく苛酷な大自然が生んだ動物物語の傑作。

さらら:久しぶりに動物の物語を読みました。レッドフォックスの視点に、ぐんぐん引きこまれます。鋭い観察眼に基づく情景描写が的確。野生動物の動物らしさにも魅かれます。人間と動物の視点を分けて書き、複数の価値観が響きあうところも好きです。対象年齢は高学年以上とありますが、本をたくさん読んでいる子でないと、読みこなせないかもしませんね。

ルパン:なんだか懐かしい思いで読みました。子どもの頃読んだ椋鳩十を彷彿とさせる感じで。数十年ぶりにこういう作品を読んだ気がします。動物にいっさいせりふがなく、くどくどと心理描写をしていないところがいいですね。

アンヌ:最初にこの本を見た本屋では表紙を見せて飾ってあって、なんとなく、クリスマスのプレゼントに魅力的な本だなと思いました。実に淡々と成長の過程や狐の生活が描かれています。ジャック・ロンドンの『白い牙』とか『荒野の呼び声』(新潮文庫)、ニコライ・アポロノヴィッチ・バイコフの『偉大なる王(ワン)』(新潮文庫)を読んで育った身としては、たまらなくおもしろかった。けれど、火事の場面やキツネ狩りの場面など、いくらでもドラマチックに盛り上げられる場面もそうせず、静かに終わっているのには、驚きました。大人でも、読み続けていくのは難しいかもしれない量で、今の子どもには無理かもしれません。たとえ全て読み通せなくても、狐の見事な死んだふりの場面とかを読むと、「狐のルナール」(『狐物語』 岩波文庫)とか、日本の民話とかを読み返したくなったので、そういう物語の入口になればいいと思います。動物好きの子どもに手渡したいなと思います。

マリンゴ:子どもの頃、家に『シートン動物記』の完全版がありました。大人向けだから小学生にはちょっと手強かったんですが、それでもおもしろく読んだのをなつかしく思い出しました。『シートン動物記』が、「オオカミ王ロボ」など、動物に固有名詞をつけて感情移入させやすくしているのに対して、『レッド・フォックス』は、人間に寄せて書くのを極力排除しています。それが、とても興味深くて、楽しく読みました。ただ、大人の今だからそう思うのであって、子どもだったら、もしかして読みづらいのかな?という気もしました。あと、1905年に刊行された本が、なぜ今、日本で発売されるんだろう、ということが不思議です。あ、決して悪い意味じゃなく、素朴にどうして「今」なんだろう、と。

アカシア:とてもおもしろく読みました。「まえがき」で、「レッド・フォックスが示す感情は、人間の感情ではなくキツネ本来のものだ」とか、「けっして、一部の批評家が言うように、人間の感情を下等動物にあてはめているのではない」と繰り返していますね。シートンの動物物語にもそういう批判があったと聞きますが、その批判は当たっていないということをまず言っておかないと、という意気込みが感じられます。これだけの物語を書けるのは、森林がある環境で小さいうちから動物を身近によく見て観察した人ならでは。一定のスピードで読むと引き込まれてどんどん読めますが、今の子どもの読むスピードだと、ふんだんにある自然描写に手こずるかもしれませんね。オリジナルの絵の下に文字をいれたりして、クラシックな感じですね。表紙ももともと布張りに箔押しで金を使ってあるのでしょうけど、それを生かそうとした装丁ですね。

さらら:情景描写の翻訳は難しいんじゃないですか。翻訳者は見ていない情景を想像し、目に見えるような場面にして読者に差し出すわけですから。

草場:おもしろく読みましたが、高学年でこういう話が好きな子じゃないと読まないかも。レッド・フォックスは頭のいいキツネで、死んだふりをするんですね。サバイバルできてよかったです。それにしても、野生の動物なので、最後に環境が変わってもいきられるのでしょうか?

アカシア:まったく同じ場所でなくても、似たような環境の場所なら充分生きられるのではないでしょうか。

パピルス:著者が森に住む動物たちをとても細かく観察しているため、様子が目に浮かぶようです。1章ごとに日々の森での生活が描かれていますが、出会いと別れ、そして成長があり、物語として上手に組み立てられているなと感心しました。翻訳本を多く手がける出版社の編集者が、「翻訳本の良いところの一つに、古い作品でも訳を変えればまた新しくなることだ」と言っていました。この作品は1905年に発表されましたが、日本では2015年に出版されました。100年以上前の作品にはなりますが、表現や言い回しで「古い」ということで、読んでいて気になることは全くありませんでした。

西山:久しぶりに、こういうものを読みました。全体を通していちばん思ったのは、自然界では、若いというのは愚かということで、愚かでは生きていけないんだなぁということ。人間の話だったら、特に児童文学では、若者の好奇心や、無謀な行動も、それで失敗することがあっても、根本的には価値あるものとして捉えられていると思うんです。それに対して、自然界は、若さは馬鹿で命を落とす。翻って考えれば、人間の社会は、弱くて愚かでも生きていける、それが人間が作ってきた社会なわけで、弱肉強食的自己責任論とか、人類の歴史に逆行しているのだなと改めて思いました。「那須正幹の動物ものがたり」(くもん出版)と、並べて読んでみるとおもしろいかもと思いました。272ページの、捕まってしまった場面で、つながれた鎖から逃れようとして、干し草に埋めて、見えなくしたら、鎖をなくせるんじゃないかと試みるところがありますよね。あれなんか、ものすごくおもしろかったです。そういう行動をするんでしょうね。見えないと存在しないと思うのは、幼い子ども同じでしょうか。あと、みなさんもおっしゃっているように、挿絵の下に文章をそえてあるのが、懐かしくて、その懐かしさが新鮮でした。『岸辺のヤービ』(梨木香歩/作 福音館書店)もそういうクラシックな作りにしていましたよね。福音館の本作りのポリシーの表れでしょうか。

レン:とてもおもしろかったです。文章がいい。きびきびしていて、ひっかかるところがなく、すっと入ってきました。すごい観察力ですね。今の子どもがどのくらい読めるかはわからないけど、小さなエピソードを読んで聞かせたら、ひきつけられて読むのではと思いました。絵はやや地味な感じもしますが、しっぽの付け根とかヤマアラシのとげとか、絵があるおかげでよくわかってよかったです。狐でもかしこいのとかしこくないのがいるんだ、というのがおもしろかったです。テレビのように映像でぱっと映せるものがなかった時代に生きていた人はすごいですね。よく見て、すべて言葉で情景を浮かび上がらせていく。そういう力や辛抱強さを、私たちは失いつつあるなという気がしました。

さらら:テレビや映像に浸かっていると、言葉に再構成された情景を、自分の頭で想像するのが苦手になり、まどろっこしいと感じるかも。

レン:すぐにはイメージできないこともあるでしょうね。事件が立て続けにおきて、ひっぱっていくようなストーリーじゃないし。絵本、幼年童話、中学年と、物語を読むことを積み重ねて、こういう本を読めるようにしていきたいですね。

アカシア:本をいろいろ読むだけでなく、実体験もないと情景が浮かびませんね。深い森に入った体験とか。

レン:ああ、そうですね。何が進歩だろうって思います。

レジーナ:キツネの視点で描いていて、しかも、ほかの動物との関連性の中でキツネの生活を描いているのがおもしろいと思いました。ちょっと長すぎる気もしますけど。表紙も美しく、献辞のページで、挿絵が逆三角形に配置されたデザインも素敵です。クラシカルで好きな文体ですが、今の小学生が読むには難しいかもしれませんね。大人が少しずつ読み聞かせてあげるといいのでは。

紙魚:最近の本は、会話や心理描写が多くて、そこまで聞こえてこなくてもと感じることも多いですが、この本はそうでないので、読んでいて静かな興奮を味わいました。人は、小さな声にこそ耳をすませることもあると思うからです。動物を主人公に三人称で書くということは、作者がどれくらい、その動物に自分が想像した感情をのせるかということが問われると思うのですが、ところどころレッド・フォックスの感情は書かれているものの、それが大袈裟すぎない塩梅が絶妙でした。文章での執拗なまでの情景描写と、時折差し込まれる挿絵が、充分に想像を助けてくれたと思います。ただ、今の子どもたちがこれをおもしろがるかと考えると、疑問も残ります。なぜ今、刊行したかということを、ぜひ版元さんにきいてみたいところです。

花散里:学校図書館に勤務していて、かなり読書力のある子どもたちもいますが、この本は中学生以上だと思います。「シートン動物記」シリーズとも比べられるかもしれませんが、動物物語としてレッド・フォクスが描かれているのだと思います。椋鳩十の作品のおもしろさを知っている子は読めるのではないでしょうか。最近、刊行された『ゆうかんな猫ミランダ』(エレナー・エスティス作 津森優子訳 岩波書店)のように、動物を描いていておもしろかった本もありますが、この本は自然の中でのサバイバル物語として、動物たちが描かれていると思いました。スカンクにとびかかって呼吸困難になるほど強烈な一発をくらい、その臭いのために巣にも入れてもらえなかったけれど、そのあと狩りがしやすくなど、動物の世界のおもしろさが、楽しめました。「シートン動物記」などとも、一緒に薦めてみたいと思う印象的な本でした。

さらら:物語はキツネの父親、母親と子どもたちの話から始まるのですが、主人公となる「レッドフォックス」の名前を出すタイミングが、絶妙でした。

アカシア:原文は最初は小文字のred foxで、途中から大文字のRed Foxになるのでしょうか? 椋鳩十さんの動物物語はもっと情緒的で、ぎりぎりの冷徹な観察に基づいたものとは違うように思います。ただ椋さんの物語を入口にして、こういう作品にも向かってくれればいいですね。

西山:情緒過多じゃないのが、逆に、本が苦手な子には読みやすいということもあるかもしれません。気持ちを読み取るのが苦手で、本が苦手という声を聞くことがありますから。

紙魚:まえがきで、作者が、「けっして、一部の批評家が言うように、人間の感情を下等動物に勝手にあてはめているのではないのです。」と書いていて、その気持ちはよくわかるものの、子どもが最初にこれを読まされたら、あまりおもしろくはないのでは。原書はまえがきなのでしょうが、あとがきに持っていってもよかったのではと感じました。

さらら:この作品は、シートンより少しあとに発表されています。シートンが当時受けた批判をかわすために、こんな前書きをつけたんじゃないでしょうか。

アカシア:一つ一つの文章も、今の子にすると長めなんだと思います。だからといって、今の子に口当たりのいいものだけを出していればいい、というもんじゃない。裏表紙には「小学校上級から大人まで」となっていますね。

(2016年9月の言いたい放題)