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『ひねり屋』
ジェリー・スピネッリ/著 千葉茂樹/訳
理論社
1999-09
原題:Wringer(アメリカ)98年度ニューベリーオナー

ひるね:どうしてこんな残酷な話にしたのかしらねえ。両親が救い主というのは、とてもアメリカ的な感じ。イギリスだったら、こうはいかないでしょう。アメリカ映画とイギリス映画のちがいみたいなもので、アメリカものはどこか甘いのよね。スピネッリというのは、家庭的な人なんだなーと思いました。『青い図書カード』と同じく、メッセージが強く伝わるけれど、二度は読みたくない本でした。

ウーテ:私は、積極的に嫌だったの。少し読んで、自分の意志でもう読むのをやめました。だって楽しくない読書に意味があるの?

:私は、視点を上手に使っていて、うまいと思いました。作者との距離をうまく操作する巧妙さがある。これもまた、ドイツ的な感じ。『きみ去りしのち』とは対照的なクールさがある。ドロシーをいじめるところなんかも、子どもの意識を上手にひろってるし。子どもの成長の一過程をきちんと描いてると思う。

愁童:いいか悪いか、判断に迷うなあ、この本は。『クレイジー・マギー』もそうだけど、スピネッリはわざと異様な状況をつくって、主人公自身が越えなくてはいけないハードルを設けるんだよね。頭がいい、うまい作家だと思うけど……。でも、脇が甘いところも気になるなあ。救い主が両親っていうとこ、ドロシーとの関係が都合よすぎるところなんかね。少年が大人になるプロセスで、親を疎ましく思っていたのに、ぶつかってみたら案外よくしてくれたなんてことも、あるにはあると思うけどね。

モモンガ:今まで読んだスピネッリの4冊のうちで、この本がいちばん読みやすかった。でもねー、変わった本だと思うけど、子どもにはあえてすすめない本。全体としては、どうも後味が悪くて、すかっとしないの。子ども時代に読める本は限られているんだから、あえてこの本を読まなくてもいいって感じ。だって、5歳のときに読む本、10歳のときに読む本っていうふうに考えたら、そのとき読める本てとっても少ないでしょ。そう思うとねえ…。だってあんなにいじめられてたドロシーが、なにごともなかったように主人公を許して仲良くなっちゃうなんて物足りないし、両親に関しても、温かい両親だっていうことはわかるけど、お父さんとの関わり方がどうも納得できないのね。おもちゃの兵隊のエピソードも中途半端でしょ。父と子のふれあいを、もうすこしきちっとおさえてほしかった。ハトの飼い方とか、首をかしげるハトのかわいらしいしぐさとか、ククーって鳴くようすなんかは、みんなうれしく読むだろうし、子どもを惹きつけると思うんだけどね。

ウーテ:一昨年の直木賞を受賞した『OUT』を読んだときに思ったことなんだけど、『OUT』は作品としては、とてもよくできていておもしろいし、バーッと読んだんだけど、後味が悪くて、不毛な感じにもう耐えられなかったのね。それで、ストーリーが上手ということ以外に、こういう本を読む意味があるんだろうかと思っちゃったの。そしたら新聞で、賞の審査委員長が『OUT』を評して「おもしろければいいってもんじゃないと、吐き捨てるように言った」という記事を読んで、我が意を得たり! だったんだけど。だって「書いてドースル、読んでドースル」って感じじゃない? 通
過儀礼を描くにしても、なにもこんな異様な状況をつくりださなくても、別の状況でも描けるわけでしょ。

モモンガ:大人のものならいいけど、子どもにあえてこういうものを読ませなくてもいいよね。

ひるね:でも、アメリカには実際にこういう町もあるのかもよ。

一同:(しーん)

ひるね:だって、ほら、作者の住むところの近くで実際このフェスティバルが行われているのかもしれないし、それだったらあんまり抵抗ないのかも。

ウォンバット:小さいときからこのお祭りを見ていたら、たしかに抵抗ないのかも。私はこの本を読みはじめたとき、現代の話じゃないと思ったのね。あまりにも設定が強烈だから、昔の話かと思って。「大草原の小さな家」シリーズにでてくる博覧会のような、地域のお楽しみ会なのかなと思って読み進めていったら、現代の話だったからびっくりしました。あと、この本は装丁がカッコイイですね。(装丁:坂川事務所)とても目立つし、黄色と黒が印象的。大人向けの本みたい。内容は、みなさんのおっしゃるとおりなんだけど、『ひねり屋』ってタイトルはいいと思う。

: Wringerっていうのは「ひねる人」って意味でしょ。首をひねって鳩を殺す人っていうだけじゃなくて、「ひねくれもの」って意味もあるんじゃない? 彼はこの町では、ひねり屋になりたくない「ひねくれもの」なワケだからさ。