オカリナ:この作品、私はいいと思えませんでした。自分で創りあげた雰囲気に、一緒になって酔っちゃってるみたい。とくに気になったのは、いちばんはじめのお話「カシワの葉」。どうしても日本語でひっかかる。たとえば「雪ひら」っていう言葉が出てきますけど、今の日本語では、落ちてくる雪のことを、「雪ひら」とはいわないでしょ。現代日本語で「ゆきひら」といったら鍋のこと。確かに雰囲気はなんとなくわかって、使いたくなる言葉なのかもしれないけど、日本人だったら使いたくても使えない。作者が外国人だから使ってもいいと思われてるとしたら、あんまりいいことじゃないと思う。それからp20ページに「ありがとう、こころやさしい友よ」ってあるんだけど、昔の子どもの本でこういう翻訳ってあったけど、今はないよね、こういう言い方。それから「お話なら、いくらでも語ってあげようとも」とかオオハクチョウのお話が終わったところで、キツネが、「(お話)まだ、とまらないで」っていうのとか、ヘンじゃない? 「お話がとまる」って日本語。まあ、作者は外国人だから仕方ないとしても、本づくりにかかわる人たちはその辺気をつけて、アドバイスしないといけないよね。前に、松居さんの本にかかわった人から、彼女はイメージで文章を書いているから「どういうシチュエーションですか?」って具体的にきかれると困ってしまうっていう話を聞いたことがあるの。あんまりリアリティを考えずに、なんとなくのイメージを文章にしてるのかな? 私は、もう途中で読めなくなった。だって、キツネとウサギが仲よくすりゃいいってもんじゃないでしょ。松居さん、せっかく北海道に住んでるんだから、自然をきちんと見つめて描いてほしかったなあ。

ウンポコ:松居さんは善意の人なのね。善意の人が観念で書いてるって感じ。カシワの葉っぱが最後まで落ちないっていうところなんかは、よく観察してるなと思うけど、キツネとウサギの同席は不自然。読者は、やさしいあまい世界にだまされちゃいかんと思う。救いは絵だね。山内ふじ江さんの絵は好き。うまいね。絵を見て、この本を好きになろうなろうと努力したけど、やっぱり好きになれなかった。

ウォンバット:私もおもしろく読めなかった。どうも松居スーザンさんの作品ってよさがわからないの。日本語を母国語としない人がこれだけの文章を書くのはすごいと思うけど、毒にも薬にもならない感じ。ただただ平和な世界でさ。登場する動物は、キツネもウサギもただ名前だけで、どんな生態の動物なのかとか、どんな性格のキツネなのかとか、いっさい物語には関係ないみたいで。

ひるね:みんな同じで、ただ名札が違うだけなのよね。

ウォンバット:そうそう。中に出てくるお話も、おもしろい? なんだかいつも同じような話だけど。詩もすばらしいの? どうも、よさがわからない。

愁童:今江祥智さんが、昔よくいってたよ。「歌入り観音経なんてヤメロ」って。物語の中に気楽に詩なんて入れるもんじゃないって、すっごい馬鹿にしてた。ぼくも読むのに苦労して、結局半分でヤメた。若い女の人がはじめて書く作品に、こういうのが多いんだよな。そこらへんを読者ターゲットにして、こういう本が出るのかな? 編集者の間に、こういう作品を敬遠する雰囲気があったように思うけど、最近は違うのかな? 日本児童文学の戦後50年はどこへいってしまったのかと、さみしい気持ちになった。さっきも言ったけど、『魔女からの贈り物』と比べると、書き手の姿勢がまるっきり違うよね。何が言いたいのか、さっぱりわからない。ムードばかりで、とらえどころがなくて。自然描写が乏しいし、白鳥が飛ぶときの描写なんかも、ちょっとねえ……。

モモンガ:私は、なんとも、たらんたらんとしたところが、嫌だった。松居さんは、たしかに善意の人だと思うのね。自然を愛し、動物を愛し、お話を愛し、ご自分の世界をていねいにていねいに創っていらっしゃるのはわかるんだけど、こっちに迫ってこないから「どうぞご勝手に」って感じなの。松居さんの本って、他のもみんな似たような感じだし。3つめのお話「キツネの色ガラス」に、赤いガラスのかけらを目にあてて、「赤ちゃんのとき、まるくなって、おかあさんに体をぴったりくっつけて、目をとじると、こころの中が、こういう色になっていたような気がするな」っていうところがあるんだけど、そんな感覚、子どもにわかるかしら。見た目は子ども向けにつくってるけど、子どもにはわからない感覚じゃないかな。動物たちのセリフがどれもおもしろくない。「カシワの葉」でオオハクチョウに「ありがとう、こころやさしい友よ」っていわれて、キツネが「こおりついた白い国から、はるばるとんできた、けなげな友よ」と思わず言ってしまいましたってところ、ここはおもしろいと思ったけど。

ひるね:でも実際には、「けなげ」なんて言葉が言えるわけないわ。だって、このキツネは子どもって設定でしょ。

モモンガ:登場人物が動物だからカムフラージュされて、まだ許せるけど、これが人間だったら、おかしくて耐えられないと思わない?

ひるね:『十一月の扉』(高楼方子著、リブリオ出版)の中の童話みたい。

愁童:これだったら、ビデオやゲームのほうがいいんじゃない? もっとおもしろいもの、いっぱいあるでしょ。

ねねこ:いったい何を書きたかったのかしら。「童話もどき」って感じがするけど。

オカリナ:読み通した人は少ないのね。

ウォンバット:あら、今日は私、貴重な存在。

ひるね:キツネとはどういうものか、ウサギとはどういうものかということをちゃんとおさえていないと、だめよね。食うか食われるかの生存競争をしなければ生きていけない動物たちを、血の通う存在と思って書いてはいないみたいね。動物たちをこんなふうに描くのは失礼だと思う。

(2000年04月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)