『ダンデライオン』
メルヴィン・バージェス/著 池田真紀子/訳
東京創元社
2000.02
原題:JUNK by Melvin Burgess, 1996(イギリス)

<版元語録>見知らぬ都会へ家出してきた十四歳の少年と少女はアナーキストを名乗る青年たちに拾われストリートの知恵を学びながら、占拠された空家で暮らすことに。時あたかもパンク時代。見るものすべてが新しい―だがドラッグの陥穽が二人を待っていた。繊細な筆致と冷静な人間観察が描き出す、悲しい青春のかたち。全英の話題をさらった、衝撃の物語。カーネギー賞・ガーディアン賞受賞作。
*ガーディアン賞、カーネギー賞

愁童:これは、おもしろかった。すいすい読めたね。レベルの高い作品だと思う。でも、今回の「家出」というテーマでとりあげるのは違和感があるな。家出するシーンから始まるんだけど、「家出」そのものというよりは、そこに端を発したディープな世界を描いた物語だからね。だけど、この作品をフィクションとして世に問うっていうのは、どういうことなんだろう? とっても現実感があって、よく描けていると思うけど、これだったら、ルポを読んだ方がいいんじゃないかって気がするんだ。どうも読後感がよくなくて。おもしろくてレベルの高い作品だけど、「これをどう評価するか」ということになると、迷うよね。いいのか悪いのか、よくわからない。大人が文学として楽しむのはいいけど、あえて子どもに読ませたい内容ではないからね。何かストンと落ち着かないものがあってさ。最初の3分の1くらいで、もう結末も想像がついちゃうし。あと、文体なんだけど、一人称で章ごとに話者がころころ変わるから、こんがらがるね。原文は、どうなんだろう。もっと識別しやすくなってるのかな? それにしても、16歳から失業保険がもらえるなんて、イギリスはすごい国だねえ。

モモンガ:私はこの本、図書館で借りられなくて、昨日買ったの。だから、まだ途中なんだけど、おもしろく読める本ね。とくに女の子が生き生きと、よく描けていると思う。これは、書店では一般書、大人向けの文学の棚においてあったんだけど、作者は、だれに向けて、だれに読んでもらいたいと思って書いたのかなあ。

ねねこ:私も、やっと昨日借りられたの。まだ30ページしか読んでないから、ちょっとコメントは無理みたい。

ひるね:これは、ガーディアンとカーネギーのW受賞作品なのよね。そのころ、私ちょうどイギリスに滞在していたんだけど、普通の先生や図書館員たちは、この作品の受賞に眉をひそめてた。こんなに暗いものを、あえて子どもに勧めることはないのにって。そういうこともあって読みそびれてたんだけど、今回読んでみたら、おもしろかったわ。そして、痛ましかった・・・。バージェスの作品に出てくる子どもたちは、みんな普通の子なのね。そういう子が、泥沼にはまっていく様子が、よくわかった。キャラクターが、実にはっきりと描かれているし、登場する大人もステレオタイプじゃなくて、いいわあ。あと「家出」と「ドラッグ」って、全然関係ないように思ってたけど、実は、密接な関係にあったということに気がついたの。家出した子がドラッグと出会ってしまうのって、道ばたの石ころでつまずくようなアクシデントではないのね。当然のことだったんだって、はじめて気づいた。家出するのもドラッグにはまるのも、動機はいっしょなのよ。両方とも「ここから脱出したい、逃避したい」というところから始まるわけでしょ。この作品、若い人はどんなふうに読むのかしら。バージェスファンの子は、あまりのひどい状況に「もうやめてよ」と、思いながら読んだって言ってたたけど。たしかにひどい状況なんだけど、ラストのジェンマの選択には、希望が感じられて、よかった。
バージェスって、一見冷たくて、つきはなした描き方をするんだけど、最後まで読むと、何かあったかいものが感じられるのね。人間、まちがえちゃうこともあるけど、まちがえたら軌道修正しながら、生きていけばいいんだよっていうような。あとタイトルなんだけど、この本、原題は
Junk なのよね。私は、日本語のタイトルは『ダンデライオン』でよかったと思うけど、もしバージェスが知ったら、嫌だと思うかもね。あますぎるって言うと思う。全体に、訳がとてもよかった。この人の訳、『シズコズドーター』(キョウコ・モリ著、青山出版社、1995)は、いまひとつだったけど、今回はよかった。あれは作品としては、おもしろかったんだけどね。そういえば、『シズコズドーター』はアメリカではYAの棚に置かれてるのに、日本では、大人の外国文学の棚に置いてあるわね。あと、どうしてこの本、あとがきが訳者じゃないのかしら。そんなに特別なことが書いてあるわけでもないのに。

ウーテ:私はこの本読めなかったんだけど、なぜかタイトルだけはよくおぼえてたの。書評で見かけたのかしら。たくさんとりあげられてた? 今ここで見せてもらってたんだけど、ちょっとびっくりしちゃった。「〜なのよ」とか「〜だわ」という口調! 今の女の子って、こんなふうにしゃべらないでしょ。これは抵抗あるなあ。リアリティがないと思う。

オカリナ:でも、これは子どもの本ではなくて大人の本として出版されているから。大人の本では符牒になっちゃってるからね、こういう口調。子どもの本の方がそういうところ、神経を使ってるんじゃない?

ウーテ:翻訳専門語っていうの、あるわよね。それにしても、この会話はキレイすぎる。30年前の言葉じゃないの?

ねねこ:たしかに本の中にしかない言葉って、存在すると思う。今現実には、ほとんど使わない言い方。幼い女の子が一人称で「〜だわ」を多用するファンタジーなんか、時代は確実に変わっていると思う。

ひるね:先月もいったけど、キムタクのドラマ「ビューティフルライフ」の会話は、リアリティがあって、そのへん、とても上手だったわよ。

オカリナ:私、今日は資料をいろいろ用意してたのに、忘れてきちゃった。原本とかバージェスのインタビューとか、みんなに見せようと思ってたのにな。私も、この作品おもしろかった。救いがなくて、暗い気持ちになったけどね。ウチも上の子が裏街道系だから、こういう思考ってすごくよくわかるの。主人公の二人は、14歳の男の子と女の子なんだけど、男の子は性格的に弱いって設定なのよね。彼の明るい未来が感じられないまま、物語は終わってしまう。ヘロイン中毒は脱出したけど、メタドン中毒のままで、ジ・エンド。女の子の方はすっかり立ち直って、希望のもてるラストになってるんだけど。
私は、タイトルは『ジャンク』のままの方がよかったと思うんだ。日本には今、ヘロインってそんなに入ってきてないけど、安心していられる状況ではないでしょ。日本の子どもたちにとっても、そのうち麻薬は人ごとじゃなくなると思うのね。不安や不満をいっぱい抱えてるティーンエイジャーにとって、ヘロインとかLSDって大きな誘惑になると思うから。それでね、この本の登場人物タールやジェンマに共感できるような子たちにぜひ読んでもらいたい本なのに、『ダンデライオン』っていうタイトルでは、そういう子は、手にとらないと思うの。裏街道系の10代には、アピールしないタイトルじゃない? だから、ちょっと残念。アメリカ版はJunk ではなくて、Smackというタイトルだった。あと、最初に登場人物紹介があるけど、これが中途半端でよくなかった。だって、たとえば「リチャード=アナーキスト」って書いてあるんだけど、読んでいくと必ずしもそうじゃないのよね。

ひるね:登場人物の紹介が最初にあるのって、大人のミステリー本の作り方よね。

オカリナ:図書館の人なんかに、人物紹介があった方が子どもにはわかりやすくていいって言われたんだけど、紹介文を工夫してほしい。前もいったけど、私は今「現代児童文学における家族像の変遷」というテーマで考えてるの。「家族」っていう単位に、求心力がなくなってきて、バラバラになっちゃってるでしょ。何かで読んだけど、今、イギリスの家庭の3分の1は、血のつながってない子どもを育ててるんだってね。親が親として機能しない、というかちゃんと親の責任を果
たせない人が、親になっちゃってる時代よね。この物語では、ジェンマの家庭はまあ普通だけど、しいていえば親が過干渉。タールのところは、典型的な暴力父とアル中母。それで家を出て、自分の居場所を探しにいくわけだけど・・・。今の家庭に希望がもてなくて、外に出て新たな自分の家族を探すっていう物語は、たくさんあるよね。『ジュニア・ブラウンの惑星』(ヴァジニア・ハミルトン著 掛川恭子訳 岩波書店)とか、スピネッリの『クレージー・マギーの伝説』(菊島伊久栄訳 偕成社)とかね。もう、これって文学の中だけの問題じゃなくなってきてる。今の子どもたちにとって、身近な、切実な問題になってきてるんだよね。

ウーテ:だからといって、この作品、若い子が共感できるかしら?

オカリナ:表面的ではない、ひとつの体験ができると思うな。まあ、疑似体験だけどね。

ウォンバット:私はリアルに疑似体験しすぎて、読んでるうちに身体に変調をきたしちゃった。なんだか気持ち悪くなっちゃって。ヤクの禁断症状がいっぱい出てくるからじゃないかと思うんだけど。具合悪くなりながらも、早く続きが知りたくてばーっと読んじゃった。おもしろかったな。イギリスのダークな部分を強く感じた。やっぱりパンクの本場イギリスはちがうなあと思ったね。音楽でも、日本やアメリカのパンクロックって、形だけっていうか、あまっちょろい雰囲気があるけど、イギリスのパンクは「魂の叫び」って感じ。やっぱり歴史のある国は、抑圧に反発するパワーがたくさん必要なのかなあ。「スクワッター」っていえばね、4〜5年前、姉と自由ヶ丘かどこかを散歩してて、ここしばらくだれも使ってませんって感じのビルの前を通りかかったことがあったの。それで私が「こんなに栄えている場所に、突然荒れ果てたビルがあるのって不気味だね」っていったら、姉が「イギリスだったら、こういうビルなんて、占拠されちゃうんだから」って言いだして、私はそのときスクワッターって知らなかったから、「えっなにそれ。こわーい」とかなんとかいったんだけど、そのときの会話を思い出した。これのことだったのねえ。だけど、ここに出てくるスクワッターってよくわかんないな。ポリシーがありそうで、なさそう。
あと、さっき登場人物紹介の話があったけど、私は人物紹介はなくてよかったと思うな。こういうところにパンクって書いてあるのも、ヘンな感じ。あんまり有効な情報とは思えないし。ま、それはいいとして、彼らがずぶずぶ泥沼にはまっていく様子が、とってもよく描けてると思った。14歳とか15歳って、いちばん危険な年頃よね。なんだかわけもなく、不満があるというか、なんでもないことなのに、無性に腹が立ったりして。そういうイライラ感を、なつかしく思い出しましたね。

ウンポコ:ぼくはねえ・・・こういう本って苦手なんだなあ。なんとか半分くらい読んだけどさ。登場人物のだれにも共感できないんだよ。ドキュメンタリーを読むような興味だけで、なんとかここまできたけど、全部読むのは苦痛だね、たいへん。こういう「単なるスケッチ」みたいな作品は、好きじゃないの。角田光代の『学校の青空』(河出書房新社)にも、同じことを感じたんだけど、切り取り方の問題だと思うんだよ。ぼくは作者のメッセージを、しっかり感じたいタイプなんだよね。だから、作者の姿勢が見えてこないのは、どうもだめだ。

愁童:この本のメッセージって、なんなんだろう?

ひるね:「麻薬は怖い」というだけではないと思うのよ。何かを大々的にばーんと掲げているわけではないんだけど・・・。さっき「救いがない」っていう話があったけど、最後の方に出てくる、タールのお父さんとジェンマとのふれあいが、唯一、救いといえば救いよね。

ウーテ:話は変わるけど、ティーンエイジャーが自分たちのことを書くっていう作品もあるでしょ。この作品はそうではなくて、大人がティーンエイジャーを描いているわけだけど。今まさに渦中にある若者が執筆するのと、大人になった作者が10代のころを振り返って執筆するのって、何か違いがあるのかしら? やっぱり大人になってから書くと、そこに評価や追憶が加わるのかなあ。私の目下の関心は、それだわ。ねえ、みなさんはどう思う?

(2000年05月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)