日付 2000年4月20日
参加者 ウンポコ、愁童、ねねこ、ウォンバット、ひるね、
オカリナ、モモンガ
テーマ 小学校中学年向きの本を読む

読んだ本:

『魔女からの贈り物 』
ジェニー・ニモ/作 ポール・ハワード/絵 佐藤見果夢/訳   評論社   2000.02
THE WITCHE'S TEARS by Jenny Nimmo, 1996(イギリス)
<版元語録>吹雪のあれくるう夜、貧しいテオの家に黒ずくめの不気味なおばあさんがやってきた。その時から、なんだか妙なことばかりおこるような気がして…。魔女が流した涙は水晶に変わる―?!魔女と幸運の黒ネコとテオ一家の吹雪の夜のすてきなファンタジー。


『冬のおはなし 』
松居スーザン/作 山内ふじ江/絵   ポプラ社   2000.01

<版元語録>光と影のもよう、風と雪と赤い木の芽、それからたくさんの小さな足あとが、みんな、冬のお話をそっと語ってくれます。ゆかいなお話や、ちょっと悲しいお話や、胸をときめかせるようなお話。松居スーザンが歌いかなでる森の童話集10作。


『バイバイわたしのおうち 』
ジャクリーン・ウィルソン/著 小竹由美子/訳 ニック・シャラット/絵    偕成社   2000.03
THE SUITCASE KID by Jacqueline Wilson, 1992(イギリス)
<版元語録>お母さんとお父さんが別れることになったとき、二人は、わたしをどうしたらいいかわからなかった。わたしは、お母さんの家とお父さんの家を一週間ごとにいったりきたりすることになった。もういちど、お母さんとお父さんの三人でくらせる日を夢みながら―。親の離婚と再婚で失った“自分の家”を求めつづける少女の物語。イギリスの子どもたちが審査員になって選ぶ「チルドレンズ・ブック賞」受賞作。


『徳利長屋の怪〜名探偵夢水清志郎事件ノート外伝 』
はやみねかおる/著 村田四郎/絵    講談社青い鳥文庫   1999.11

<版元語録>花見客の見守るなかで予告どおりに盗みを成功させた怪盗九印の正体をつきとめ、れーちの話の謎をあっさり解いた清志郎左右衛門が、幕府軍と新政府軍の戦から江戸を守るために、すごいことを考えた。江戸城を消す…。そんなことができるのだろうか。勝海舟や西郷隆盛を相手に名探偵の頭脳がさえる。名探偵夢水清志郎事件ノート外伝・大江戸編下巻、はじまりはじまり。面白すぎる。


『ぬい針だんなとまち針おくさん 』
土橋悦子/作 長新太/絵   福音館書店   1999.06

版元語録:小さな針箱に住む針の夫婦の物語。テーブルから落ちたぬい針だんなを探しに,まち針おくさんは果敢に家をでます。愉快な絵童話。


『魔女からの贈り物』

ジェニー・ニモ/作 ポール・ハワード/絵 佐藤見果夢/訳
評論社
2000.02

モモンガ:対象年齢ということを考えると、今回の5冊の中では、この本がいちばん3〜4年生にぴったり。怖い話好きの子によさそうな本。でも、こういう場で言うべきことがあんまりないな。結末に期待を持たせてるわりには、思ったほど盛り上がらなかったし。でも、現実的な妹と、魔女の存在を信じている男の子のやりとりは、とてもおもしろかったし、時計がカチコチいう音を効果的に使っていて、うまいなと思う。雰囲気を楽しむ、軽く読めるお話っていうことでいいんじゃない? では次、推薦者の愁童さんどうぞ。

愁童:そういわれると、ちょっと照れるな。『ハリーポッターと賢者の石』(J.K.ローリング著 松岡佑子訳 静山社)を読んで、魔法の世界が、あまりにアニメチックというか、おもしろいけど軽っぽいので、最近の他のイギリス人の書くものはどうかなということがあったのと、日本人の書くものとの違いは何かな、と思ったんだよね。それは、生活感覚に根ざしてるかどうかってことじゃないかと思うんだけど。まあそんなわけで、ちょっと考えてみたくなったわけだ。魔女について。この本を読んで、やっぱりnative の子どもの心の根っこには、今でも生きた魔女が、ちゃんと存在してるんだなと思ったね。この本が、作品として特別優れているというわけじゃないんだけどさ。でも、今回読んでよかったなと思うのは、たとえば、始まりをちょっと読んでみると、「たまらなく寒い日でした。息がこおるほど風が冷たく、空をまっ黒な雲が、野生の馬の形にちぎれて、流れていきます。」となってるんだけど、もうこの3行だけで醸し出されるものがあるでしょ。磨きぬかれた、とてもいい文章だと思う。『冬のおはなし』とくらべたら、それはもう全然違う。書き手の姿勢、skill、執念……そういったものをひっくるめた作家修行の結実の高さを感じるね。強烈な印象はないけど、でも上質な物語だと思う。

ウォンバット:同感。うまいと思う。その場面場面の雰囲気がとてもよく伝わってくる。でも、私も、とくに言いたいことはないなあ。おもしろいけど、どうってことない。魔女とか、そういう恐ろしくて不思議なものの涙が水晶に変わるというのも、どこかでそういうお話を見たような気がして、新鮮味はないし。

ウンポコ:そう? この本が5冊の中でとびぬけてよかったよ。登場人物の形象化が、とてもよくできている。ちょっとずつしか書いてないけど、人物像がとてもよくわかる。物語性も、一級品だね。あえて難点をあげるとしたら、本づくり。イラストの製版にバラつきがあるのが、どうも気になって。きれいに出ているところもあるけど、線がとんじゃってるところがある。ほら(と、ぱらぱら本をめくる)31ページとかさ、50ページ。

ウォンバット:ほんと。章の最初のページのイラストが、とくにひどいみたい。

ウンポコ:それから、改行が少なくて、息苦しいね。原文がそうなのかもしれないけど、3〜4年生向けだし、ちょっと考えたほうがよかったと思う。もうひとついいたいのは、タイトル。これ、原題はThe Witch’s Tears でしょ。『魔女の贈り物』とするより、原題どおり『魔女の涙』のほうがよかった。

モモンガ:そういえば『わすれられないおくりもの』(スーザン・バーレイ作  小川仁央訳 評論社)っていうのも、あったわね。

オカリナ:私も、タイトルは原題をいかしたほうがよかったと思う。「贈り物」だと、それだけで魔女が「いい人」って最初からわかっちゃうから。あと「オークじいさん」が出てくるんだけど、日本語で「オークじいさん」といってしまうと、ニュアンスが伝わらないでしょ。「オークじいさん」も「魔女」も、伝統的な妖怪のたぐいで、super natural な存在。そして、お互い疎ましく思ってて・・・ということが前提としてあるんだと思うけどね。でも、全体的には、ちゃんとできてるいいお話だと思う。

ひるね:うまい作者よね。好感のもてる作品が多いけど、ちょっとパンチが足りないって印象。『おおかみウルフは名コック』(安藤紀子訳 デイヴィド・ウィン・ミルフォード絵 偕成社)も、そんな感じだった。だけど、この本はよかった! まず、土に根ざした魔女の存在がよく描けているでしょ。現実と幻想のはざまにある魔女を、とてもうまく表現してると思う。子どものすぐ近くにいる、あやしい存在というのかしら。日本の作家が魔女を描くと、日常とかけはなれたハイカラなものとして描くことが多いでしょ。だから、あやしさ、こわさが感じられない。山婆でさえハイカラな魔女みたいに書いちゃうことがあるわけだから。坂東真砂子の『死国』(マガジンハウス)などは、土に根ざした世界だと思うけど、児童文学でもそういう世界を書いてもらいたい。それから、この作品はスリルがあるでしょ。やっぱり3〜4年生には、スリリングな話か、げらげら笑える話のどっちかでないと、ウケないと思うのね。ずいぶん前に、小さい子たちに読み聞かせしたことがあって、そのとき思ったことなんだけど、やっぱり大人と子どものうけとめ方はちがうでしょ。『たろうのおでかけ』(村山桂子作 堀内誠一絵 福音館書店)みたいな大人には単純な話でも、子どもは、「どうなっちゃうんだろう」って、すっごくハラハラしながら聞いているのね。

ウンポコ:五感を使って描いてるよね、この作者は。時計の「チクタクチクタク」という音とか、8章に出てくる「におい」。「洗濯して干してあるおばあさんの洋服から不思議なかおりがたちのぼってきて、台所のにおいを変えてしまいました。ほのかにオレンジマーマレードのかおりがしていた部屋の中は今、松林とせんじぐすりのようなにおいでいっぱいです」っていうところとかね。

モモンガ:私もその場面、うまいなーと思った! 描写が具体的で、イメージがくっきりと浮かんでくるよね。

ウンポコ:説明文と描写文の違いなんだよ。上手な人が書くと、描写文になるんだ。それから、魔女が泣くシーン。ネコのハラムとスカラムばあさんが再会するシーンで、「涙を流す」とは書いていなくて、「チリンチリンと音をたて、床の上にころがっていきます」となっているんだけどさ、本当にうまいよね。大体ぼくは、書き出しがつまんないと、読みたくないタチなの。この作品は、書き出しもイイね! 何か起こりそうだぞって予兆を感じさせる。非常に高く評価をしたい。パチパチパチ(拍手)。

オカリナ:なんだか今日は冴えてるわね。

ウンポコ:2か月休んじゃったから、リキはいってる。今日の俺は、ひとあじちがうぜ。

(2000年4月の「子どもの本で言いたい放題」記録)


『冬のおはなし』

松居スーザン/作 山内ふじ江/絵
ポプラ社
2000.01

オカリナ:この作品、私はいいと思えませんでした。自分で創りあげた雰囲気に、一緒になって酔っちゃってるみたい。とくに気になったのは、いちばんはじめのお話「カシワの葉」。どうしても日本語でひっかかる。たとえば「雪ひら」っていう言葉が出てきますけど、今の日本語では、落ちてくる雪のことを、「雪ひら」とはいわないでしょ。現代日本語で「ゆきひら」といったら鍋のこと。確かに雰囲気はなんとなくわかって、使いたくなる言葉なのかもしれないけど、日本人だったら使いたくても使えない。作者が外国人だから使ってもいいと思われてるとしたら、あんまりいいことじゃないと思う。それからp20ページに「ありがとう、こころやさしい友よ」ってあるんだけど、昔の子どもの本でこういう翻訳ってあったけど、今はないよね、こういう言い方。それから「お話なら、いくらでも語ってあげようとも」とかオオハクチョウのお話が終わったところで、キツネが、「(お話)まだ、とまらないで」っていうのとか、ヘンじゃない? 「お話がとまる」って日本語。まあ、作者は外国人だから仕方ないとしても、本づくりにかかわる人たちはその辺気をつけて、アドバイスしないといけないよね。前に、松居さんの本にかかわった人から、彼女はイメージで文章を書いているから「どういうシチュエーションですか?」って具体的にきかれると困ってしまうっていう話を聞いたことがあるの。あんまりリアリティを考えずに、なんとなくのイメージを文章にしてるのかな? 私は、もう途中で読めなくなった。だって、キツネとウサギが仲よくすりゃいいってもんじゃないでしょ。松居さん、せっかく北海道に住んでるんだから、自然をきちんと見つめて描いてほしかったなあ。

ウンポコ:松居さんは善意の人なのね。善意の人が観念で書いてるって感じ。カシワの葉っぱが最後まで落ちないっていうところなんかは、よく観察してるなと思うけど、キツネとウサギの同席は不自然。読者は、やさしいあまい世界にだまされちゃいかんと思う。救いは絵だね。山内ふじ江さんの絵は好き。うまいね。絵を見て、この本を好きになろうなろうと努力したけど、やっぱり好きになれなかった。

ウォンバット:私もおもしろく読めなかった。どうも松居スーザンさんの作品ってよさがわからないの。日本語を母国語としない人がこれだけの文章を書くのはすごいと思うけど、毒にも薬にもならない感じ。ただただ平和な世界でさ。登場する動物は、キツネもウサギもただ名前だけで、どんな生態の動物なのかとか、どんな性格のキツネなのかとか、いっさい物語には関係ないみたいで。

ひるね:みんな同じで、ただ名札が違うだけなのよね。

ウォンバット:そうそう。中に出てくるお話も、おもしろい? なんだかいつも同じような話だけど。詩もすばらしいの? どうも、よさがわからない。

愁童:今江祥智さんが、昔よくいってたよ。「歌入り観音経なんてヤメロ」って。物語の中に気楽に詩なんて入れるもんじゃないって、すっごい馬鹿にしてた。ぼくも読むのに苦労して、結局半分でヤメた。若い女の人がはじめて書く作品に、こういうのが多いんだよな。そこらへんを読者ターゲットにして、こういう本が出るのかな? 編集者の間に、こういう作品を敬遠する雰囲気があったように思うけど、最近は違うのかな? 日本児童文学の戦後50年はどこへいってしまったのかと、さみしい気持ちになった。さっきも言ったけど、『魔女からの贈り物』と比べると、書き手の姿勢がまるっきり違うよね。何が言いたいのか、さっぱりわからない。ムードばかりで、とらえどころがなくて。自然描写が乏しいし、白鳥が飛ぶときの描写なんかも、ちょっとねえ……。

モモンガ:私は、なんとも、たらんたらんとしたところが、嫌だった。松居さんは、たしかに善意の人だと思うのね。自然を愛し、動物を愛し、お話を愛し、ご自分の世界をていねいにていねいに創っていらっしゃるのはわかるんだけど、こっちに迫ってこないから「どうぞご勝手に」って感じなの。松居さんの本って、他のもみんな似たような感じだし。3つめのお話「キツネの色ガラス」に、赤いガラスのかけらを目にあてて、「赤ちゃんのとき、まるくなって、おかあさんに体をぴったりくっつけて、目をとじると、こころの中が、こういう色になっていたような気がするな」っていうところがあるんだけど、そんな感覚、子どもにわかるかしら。見た目は子ども向けにつくってるけど、子どもにはわからない感覚じゃないかな。動物たちのセリフがどれもおもしろくない。「カシワの葉」でオオハクチョウに「ありがとう、こころやさしい友よ」っていわれて、キツネが「こおりついた白い国から、はるばるとんできた、けなげな友よ」と思わず言ってしまいましたってところ、ここはおもしろいと思ったけど。

ひるね:でも実際には、「けなげ」なんて言葉が言えるわけないわ。だって、このキツネは子どもって設定でしょ。

モモンガ:登場人物が動物だからカムフラージュされて、まだ許せるけど、これが人間だったら、おかしくて耐えられないと思わない?

ひるね:『十一月の扉』(高楼方子著、リブリオ出版)の中の童話みたい。

愁童:これだったら、ビデオやゲームのほうがいいんじゃない? もっとおもしろいもの、いっぱいあるでしょ。

ねねこ:いったい何を書きたかったのかしら。「童話もどき」って感じがするけど。

オカリナ:読み通した人は少ないのね。

ウォンバット:あら、今日は私、貴重な存在。

ひるね:キツネとはどういうものか、ウサギとはどういうものかということをちゃんとおさえていないと、だめよね。食うか食われるかの生存競争をしなければ生きていけない動物たちを、血の通う存在と思って書いてはいないみたいね。動物たちをこんなふうに描くのは失礼だと思う。

(2000年04月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『バイバイわたしのおうち』

ジャクリーン・ウィルソン/著 小竹由美子/訳 ニック・シャラット/絵 
偕成社
2000.03

モモンガ:今日の5冊の中で、子どもがいちばん楽しんで読むのは、この本だと思う。主人公はかわいそうな状況なんだけど、どこかしらいいところに目を向けようという姿勢が、とてもいいと思った。作者が、主人公アンディーに温かい目を向けていて、どこかいいところがあると信じて、描いてる。登場人物が、大人も子どももみんなリアル。それで、アンディーにとって嫌な人も、根っから悪い人ではなくて、いやいやながらも認めずにはいられない、いいところがあるんだよってことを、ちゃんと描いているのよね。この先アンディーは、それぞれの人と接点を見つけて、うまくやっていけそう。「せつない」だけで終わらず、これからうまくやっていけると思えるところが、前向きでよかった。

愁童:ほんと、アンディーはだいじょうぶそうだね。明るさを感じるよ。ぼくの今回のイチオシは、これだな。「離婚もの」はたくさんあるけど、大人の論理が背景にあって、そこに子どもを引き寄せていくというパターンが、多いと思うんだよね。その点、この本は完全に子どもの視点から描いている。難しいテーマだけど、小学校3〜4年生が読みやすい文章だね。訳文も、こなれてる。すごい事件があるわけじゃないんだけど、人間像がさらりと上手に描けてる。とくにお父さん方の新しい家族になったふたごのゼンとクリスタルなんて、いい味出してると思った。子どもは被害者だけど、離婚については「いい」とも「悪い」ともいってない。「与えられた運命をいかに乗り越えていくか」というのが大事だってことをきちんとおさえている。だけどこの本、訳はいいんだけど、あとがきがねぇ・・・。作品を解説しちゃってるんだけど、ちょっとズレてるんじゃないの? タイトルも『バイバイわたしのおうち』じゃなくて、原題The Suitcase Kid をいかしたほうがよかったと思う。というより、全然意味がちがうでしょう。この訳者はストーリーを理解してないのかな。わかっていたら、このタイトルはなかったと思うなあ。

オカリナ:たしかに。意味がまるっきり変わっちゃってますね。バイバイするのは最初の設定であって、これはそこからの物語なんだから。ちょっと皮肉っぽいおもしろさもなくなっちゃってるし。

ウォンバット:私もそう思う。でもまあ、タイトルはおいとくとして、全体としては、とてもおもしろかったよ。章タイトルが、ABCになってて、AはAndy アンディーとかDは Dadお父さんとか、うまくハマってるのもいい。そして、最後の章はZZoeゾウイで「ABCみたいにかんたんなことです。ほんとですよ」ときれいにしめくくられる。うまいよね。お父さんとお母さんが離婚して、それぞれ新しいパートナーをみつけてて、そこを主人公アンディーが1週間交代でいったりきたりするわけだけど、お父さんとお母さんが、それぞれの新しいパートナーについて、お互いケチョンケチョンにいうのが、おっかしい! ひどい悪口なんだけど、明るくからっとしてて憎めない。アンディーは気の毒な状況だけど、でも全体に陰湿な感じがないから、かわいそうという気持ちにならないし、読んでて楽しくてイイ。

ウンポコ:時間ぎれで途中までしか読めなかった。

ひるね:読むの、やめたの?

ウンポコ:時間が足りなかっただけ。ぼくは電車の中で読むことが多いんだけど、この本、表紙がちょっと恥ずかしくてさ。

ウォンバット:ピンク色で目立つし、カワイイもんね。

ウンポコ:なんかまわりの人に「ヘンなおじさんっ」と思われたら嫌だなと思ってさ、パッと開いて、なるべく表紙が他の人に見えないように気を使って読んだの。途中までだったけど、主人公に寄り添って読めるね。くわの実の登場の仕方も、とてもうまいと思った。ちょっと気になったのは、目次。野暮ったくて損してると思うな。

ウォンバット:そうかなあ。私はこの目次、いいと思うけど。

オカリナ:私は、ジャクリーン・ウィルソン好きなの。彼女の描く子どもはたいてい、貧乏とか離婚とか、何か問題を抱えてることが多いんだけど、どの作品も明るいのよね。主人公が問題を乗り越えて生きていけるということを感じさせてくれる。本好きな子はもちろん、本を読まない子もドタバタっぽいところがエンタテイメントとして楽しめそうじゃない? 本を読む子も読まない子も、どっちもおもしろく読める。だから私、とても好きな作家なんです! このところ児童文学に見られる家族像を考えながら本読んでるんだけど、子どもには安心できる場所が必要だと思うのね。何か問題があったとしても「だいじょうぶ」と思える場所が。だけど、それを家庭に求めるのは無理になってきてる。今は「大草原の小さな家」みたいには、いかなくなってるわけじゃない? 両親の離婚とか再婚とかがすごく増えていて、昔ながらの「古きよき家庭」は崩壊しちゃってるからね。そうなって、「子どもが安心できる場所をどこに求めるか」ということを現代の作家は描いているんだと思うの。ジャクリーン・ウィルソンもそのひとり。この作品でも、親は悪い人ではないんだけど、役に立たないわけでしょ。親が子どもを包みこむ存在ではなくなってる。で、どうするかというと、まわりのいろんな人から少しずつそういうものをもらって、安心をとりもどすわけ。アンディーが遊びにいく、くわの木のある家の老夫婦とかね。それとか、最初は義母・義父とうまくいかないんだけど、義理の兄弟とはだんだんうまくいくようになって、とくにグレアムとは仲よくなって、大切な存在になる。それも一方通行ではなくて、子ども同士が少しずつそういうことを提供しあっている。この作品では、結局のところ助けになるのは義理のきょうだい。そんなふうに説明はしていないんだけど、この作品はそういう新しい関係、子ども同士が「安心」を提供しあえる新しい関係を描いているんじゃないかな。

モモンガ:そうね。くどくど説明はしてないんだけどね。挿絵もまんがっぽい絵なのに、ひとりひとりがどんな人なのか、そして、それぞれの関係が変化していく様子が、よくわかる。人間が、実によく描けているのよね。

オカリナ:「いろんなことがあるけど、この先だってなんとかやっていけるよ。だいじょうぶだよ」っていうまなざしが、あったかいよね。松居さんとの作品とはちがう温かさがある。この作品、今日の私のイチオシ!

ひるね:私も、これイチオシ。この作品は、何年か前にイギリスで買って読んで、すごくよかったの。なかなか翻訳が出版されないなと思ってたんだけど。いうなれば、「子どもへの応援歌」よね。気の毒な状況なんだけど、「かわいそう」という言葉は出てこない。彼女の短編で「お父さんとうりふたつ」というのがあるんだけど、それもすごくいい話だった。イギリスでとても人気のある作家だし、これからも注目していきたいわね。

(2000年04月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『徳利長屋の怪〜名探偵夢水清志郎事件ノート外伝』

はやみねかおる/著 村田四郎/絵 
講談社青い鳥文庫
1999.11

オカリナ:私はこの本、読みはじめたはいいけど、途中で放棄しちゃった。で、これじゃイカン! ともう一度チャレンジするために買ったのよ。なのに、時間ぎれになってしまった。これ、オビによると55万部だって! すごいわね。そんなに売れているとは知らなかった。登場人物はステレオタイプだし、言葉づかいがヘンだと思う人もいるかもしれないけど、文章のリズムはいいと思う。翻訳の人って自分もふくめてだけど、なかなかここまでできないから、文体について、とてもいい勉強になった。でも、やっぱりご都合主義だし、どうしてもついていけないとこはあるな。だけど、そんなに子どもに読まれてるっていうのなら、こういうのもアリでいいと思う。

ウンポコ:どうしてここまで売れてるんだろって考えてみたんだけど、ぼくは、文体の勝利だと思うな。ところどころ作者のモノローグがはさみこまれてるんだけど、これがイイ。テレビの「ちびまる子ちゃん」といっしょでさ、ポッポッと別の視点からのおしゃべりみたいなものが出てくると、親しみやすいし。これが子どもにウケているんじゃない? 著者紹介によるとこの人、現役の学校の先生でしょ。だから、今の子どもが何をおもしろがるか、ちゃんと知ってるんだな。推理に破綻があるのなんか知っちゃいねえ、これがオモシロイんだってなもんで。まあウォンバットさんの言葉を借りれば「毒にも薬にもならない」かもしれないけど、でも、おもしろければ、こういうのもいいんじゃない? エンタテイメントとして楽しむ気軽さってのも、またいいもんだと思うよ。

ウォンバット:私は、いいもんだとは思えなかった。「これが今、人気のある本だよ」と言われれば、なるほどという感じ。だけど、時代考証がめちゃくちゃなのを、はじめに豪語しちゃってるのが、どうもねえ・・・。「たまに、あれ? と思うようなことが書いてあるかもしれませんが、『まっ、いいか!』と、大きな心でみのがしてください」と、この本の「まえがき」にあたる「なかがきの続き」でいってるんだけど、こういうのって許されるものなの? 私、以前に某歴史雑誌の編集部でアルバイトしていたことがあって、そこでキョーレツな歴史オタクをいっぱい見てしまったから、感覚がちとヘンになってるとこがあるんだけど、これで通ってしまう世界があることに、まず驚いた。歴史を専門にしてる人が読んだら、怒ると思うよ。だって「時代考証のにがてな作者より」となっているのよ。だったら、わざわざ時代モノに手を出さなくてもいいのに。この人、別
に江戸時代を書きたかったわけではないのね、きっと。現代ではないどこかの場所を舞台にしたい、でも1から自分で世界を創造するのはカッタルイから、江戸時代にしとこってだけみたい。カップラーメンのCMで、永瀬正敏が歴史的名場面に登場してラーメン食べるっていうのあるけど、あれを思い出した。時代は雰囲気だけって感じ。歴史を知っててくずして描くのならいいけど、きちんと知らないのに、知ってることだけを適当に使うのは無責任だし、ルーズすぎると思う。まあこういう作品に誠意を求めるのが、おかしいのかもしれないけど。文体も、子どもには魅力的なのかもしれないけど、私は嫌だな。俗っぽいんだもん。「どうも、亜衣(あい)です」っていわれてもねえ・・・困る。エヘヘっとなっちゃう。それに語り手の亜衣は三つ子の設定で、妹の名前は「真衣(まい)」と「美衣(みい)」、お母さんは「羽衣(うい)」ということなんだけど、こういうセンス、私はおもしろいと思えない。

ウンポコ:えっ? なになに?

ウォンバット:だから、お母さんがwe で子どもたちが、I my me なの。

ウンポコ:えっ? そういうことだったの?! はじめて知った。

ウォンバット:だけど、これ三つ子の必然性って全然ないのよ。だって、真衣と美衣はたいして働いてない。シリーズだから、前の巻では活躍したのかな? あとね、絵も好きじゃない。名探偵夢水清志郎がキタナすぎる。黒眼鏡っておかしくない? 容姿が汚くてぐうたらだけど、実は頭がキレるっていうヒーロー像も古くさいよ。格好がよくないけどいい仕事をするというのは、男の憧れの一種なんだろうけど。ほら「美味しんぼ」の山岡士郎みたいなヤツ。今、これがウケてる理由というのは、文体ではなくて、「子どもは謎ときが好きだから」じゃないかと思うな。「名探偵コナン」なんて、ものすごい人気じゃない? あれは、あなどれないよ。ロシア語が出てきたりなんかして、すごく高度な内容でびっくりしちゃった。

愁童:いやあ「名探偵コナン」は、なかなかやるんだよ。この本の謎解きと比べたら、かなり本格的だもの。ぼくは、この本の魅力は謎解きではないと思う。

ウンポコ:うんうん。

愁童:「江戸城を消す」なんていうから、どんなすごいことをするのかと思ったら、ただ絵を書いて回転させるだけなんて、あまりにお粗末な子どもだましの方法じゃねぇか。謎解きに魅力はないよ。昔の講談本なんかと比べて、ほんとにお粗末だよね。この程度のものしかないなんて、今の子どもは不幸だと思う。せっかく活字を読むのなら、「名探偵コナン」以上のものを読んでほしいと思う。やっぱり文体じゃないの? この本の魅力はさ。なんていうかなあ、オタクっぽくないというのかな。エンタティメントを幅広く考えれば、こういうのもアリかなと思うよ。『冬のおはなし』を読むのなら、だんぜんこっちを読むほうがいいと思う。

モモンガ:この本の位置づけの問題よね。漫画を読むのと同じ感覚で、軽いノリで読める楽しい本として、それはそれでいいと思う。私はNHKの「お江戸でござる」を思い出した。江戸のシチュエーションを使ったコメディだけど、あれの子ども版という感じ。あの番組、すごく人気があるのよ。

ウンポコ:あれって、まったく無責任なんだよ。

モモンガ:でも、それはそれでいいんじゃない? 深い感動はないんだけど、ちょっとこう気軽に読めておもしろいじゃんって感じのもので。今の子どものテンポにあってると思う。だから私、否定はしない。今の読まれ方というのは、きっと友達同士で「もう読んだ?」とか、「これ、おもしろいよ」なんていいながら、貸し借りしたりしてるんだと思うけど、そういうところから入っていって、これをとっかかりに文学の道に進んでいく子が出てくるといいなと思うから。それはそれで、いいことだと思わない?

ひるね:私もそう思う。個人的には好きよ、この本。内容はともかく、こういう読まれ方をするって現象はうれしい。前に氷室冴子の『なんて素敵にジャパネスク』(集英社)にハマったことがあるんだけど、これもなかなかおもしろかった。王朝ものなんだけどね。あと赤川次郎とかね、そういうのと同じだと思う。でもその反面、違う本でこのくらい読まれるのがあればいいとも思う。だってね、日本の子どもが赤川次郎を読んでるあいだに、イギリスの子たちが読んでるのは、ロアルド・ダールよ。そう考えると、日本の子どもたちはかわいそうだと思うわ。

ウンポコ:本にはそれぞれ、いろいろな役割があっていい。今の子どもたちってさ、実は楽しくないんだと思うんだよ。明るい未来なんて感じないでしょ。この本は無責任に軽く読めて、楽しい気持ちになれるんじゃないの? きっと心を通わせられるんだと思う。

ひるね:勝海舟なんかを笑いとばしちゃうのは、小気味いいと思うわ。

モモンガ:教科書に出てくるような人を、おちょくっておもしろがるのって子どもは好きよね。前にダウンタウンの番組で時代劇の格好してギャグをやるのがあったけど、うちの子、大好きだったもの。

ひるね:青い鳥文庫だからね、これでいいのよ。『ハリー・ポッターと賢者の石』も青い鳥で出すべきだったんじゃないの? もっといい訳で。

(2000年04月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『ぬい針だんなとまち針おくさん』

土橋悦子/作 長新太/絵
福音館書店
1999.06

ウンポコ:ぼくは、福音館書店のこのシリーズ(創作童話シリーズ)、とってもいいと思ってるの。高楼方子さんの『みどりいろのたね』も、このシリーズでしょ。ページをめくるおもしろさをねらった本づくりが、いつもうまくいってるんだよ。だけど、この作品はよくなかった。おもしろくない。何がおもしろいのか、わからん。発想が古いよ。「奇想天外なおもしろさ」方面にいってほしいと思うんだけど、いってくれない。絵も全然ダメ。「困った」「弱った」としか、いいようがない。

ウォンバット:えー?! そう? 私は、すごくおもしろかったけど。私、今日のラインナップの中では『バイバイわたしのおうち』と、この作品がよかったんだけど、ウンポコさんにそんなに言われるんじゃ、この本をイチオシにしちゃおう。まず、もう見返しから笑っちゃった。これ、おもしろくない? あといちばんおかしかったのは、ぬい針だんなが無事にもどってきた場面。「ぬい針だんなとまち針おくさんがもどると、針ばこの中はよろこびで大さわぎになりました。ふたりがいなかったので、しごとにならなかったのです」っていうところ。まわりの人たち、心配してるようで、実は妙にさめてるの。笑った笑った。ぬい針とまち針の表情もおもしろいし、さすが長新太!

愁童:そうかなあ。ぼくは、いいとは思えない。たとえばここに出てくるハサミ、ふつうのハサミじゃなくて、にぎりバサミでなくちゃいけないんじゃない? ヘンだよ、糸を切るハサミなのに。それにさあ、まず題材が古いよ。今の子どもには無理じゃない? このストーリー。まち針を見たことのある子なんて、そういないでしょ。今はなんだってミシンだから、「縫い目がきれい」なんてわからないだろうし。フェミニズムの人から見たら、女性の生き方としてまち針おくさんの描き方について、いろいろ言いたい人、いるんじゃない? 主体性がないでしょ。「あんなに、ぬい目のきれいな人は、めったにいないよ」と思っては、ほれぼれとながめるのでしたとは、なんと古くさい。旧態依然としたまち針とぬい針なんて。作家にも、その時代をヴィヴィッドに生きている感性が必要だと思う。書くのなら時代を意識した上で書くべき。土橋さんは持論として、「幼年童話に思想はいらない。簡潔な文章でリズミカルであればいい」っていってるけど、「今」を意識する必要はあると思うよ。たしかにうまいし、手慣れた作品だいうことは認めるけどさ。

ひるね:気持ちよく読めるけど、すぐ忘れちゃいそうな本。やっぱり「文は人なり」「作品は人なり」だから、幼年童話でも、その人の時代とのかかわり方が明確にあらわれるのよね。

愁童:「生きた感性」で書かれるべきだよ。

モモンガ:土橋さんの作品だからこそ、欲を言いたくなってしまうってところはあるわね。ストーリーテリングの名手が物語の執筆を手がけるって、外国でもよくあるじゃない? だから土橋さんもついにここまできたかって、すごく楽しみにしてたのね。期待してた分、実は私もちょっとがっかりした。ぬい針とまち針自体に古さは感じなかったけどね。今でもどこの家庭にも針箱はあるし、子どもにも身近なものだと思うから。それをこういうふうに描くというのは、おもしろいわね。うっかり足をすべらせたぬい針だんなが次の日になっても帰ってこなくて、「まち針おくさんは、しんぱいのあまり、ますますほそくなりました」とか、ドアと床のすきまを通り抜けようとして、じまんのピンクの真珠でできた頭がじゃまになるところなんかは、とてもおもしろかったから、そういうエピソードがもっとたくさんあればよかったと思う。まち針おくさんをもっともっと活躍させてほしかった。ネコや掃除機にだんなのいそうな場所を教えてもらったり、バッタの葉っぱに便乗させてもらったりというのではなくて、人の手を借りずに、一人でもっとがんばってほしかった。その辺は残念。

オカリナ:ここに向かう電車のなかで読み返したんだけど・・・。たしかに古いタイプの夫婦の在り方よね。作者は、ちゃんとこういうお母さんをやってるんだな、と感心したの。

ひるね:あっ! 今、たいへんなことに気づいちゃった!

一同:なになに?

ひるね:あのね、針山っていうのは一夫多妻制なのよ。だって縫い針は1本でいいけど、まち針1本じゃ、縫えっこないもの。

ほぼ全員:ほんとだ!

ウォンバット:そうよお。私、最初からそう思って読んだ。だからナンセンスとしておもしろいんじゃないの?

ひるね:どうせなら、役割を入れ替えて「一妻多夫制」にしちゃったら、もっとおもしろかったかも。

モモンガ:それは新しいかもね。絵もねえ、いいんだけど・・・。でも長さんの絵はもう見なれてるから、新鮮味がなかった。「またこの絵か」って感じは否めない。はじめてこの絵を見る子どもはいいかもしれないけど。

ウンポコ:長さん、ノッてなかったんじゃないの? これはあんまりよくないね。猫の絵なんか、親切に教えてくれるというところなのに、とっても意地悪そうな顔に描いてある。

ひるね:破天荒なナンセンスだったら、長さんももっと力を発揮できたのに。残念ね。夫婦を描いたものでも、イギリス昔話の「お酢だんな」なんてとてもおもしろいナンセンスなんだけど、そこまでいかなくても、翔んでるところがあったらおもしろかったのに。『冬のおはなし』もそうだけど、いい人ばっかり出てきちゃうでしょ。『ふらいぱんじいさん』(神沢利子作 堀内誠一絵 あかね書房)のようなインパクトの強さが必要だと思う。お話を聞かせるときの効果やテクニックをよく心得てる人だから、うまいなと思うところは多々あるけど、登場人物に、もう少し個性がある人、思いを託せる人が一人でも、というか「ひと品」でもあれば、もっと違ったと思うのよ。ところで、読み聞かせって、難しいわよね。

ウンポコ:音読してみると、いろんな発見があるんだよ。この作品も音読してみたけど、どうもイメージがわきにくかった。とくに、どうしても許せないと思ったのは、床とドアのすきまを通
り抜けようとするところかな。「足からはいってみたり」「右をむいたり」「左にうごいたり」と3ページもめくらせておいて、「さんざんくろうして、やっと、戸だなの中に入ることができました」ですませてしまってるところ。これでは、子ども読者は納得しないよ。「どうなるんだろう?」と思って読んでるのに「さんざんくろうして」だけじゃ、この3場面はなんだったんだあ! っていいたくなるでしょ。

モモンガ:さんざん苦労したから、頭がちょこっと欠けてしまいましたっていうなら、おもしろいのにね。ストーリーテリングのときにはとてもいい作品でも、本にするときには、構成を考え直さないとまずかったんじゃないかな。

ウンポコ:まち針おくさんが、掃除機のゴミの袋を「ふみやぶる」っていう表現があるんだけど、針は細い一本足なんだから、踏み破れないよね。

愁童:頭がまだ外にあるのに、だんなのゴミの袋の中で光っているのが、なぜ見えるんだろう……とか。

モモンガ:絵本と物語の橋渡し的存在のこういう本こそ大切なのに、ちょっと残念ね。対象年齢がこのくらいのもので、何かいいものが出てきてほしいわ。

ひるね:私たちでつくっちゃおうか?「一妻多夫制」の『まち針だんなとぬい針おくさん』。たくさんの「まち針男」を従えた「ぬい針おくさん」の話。すきまを通り抜けたあと、「まち針男」の自慢の頭がちょこっと欠けちゃう……。

一同:いいかもね!

(2000年04月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)