原題:ROWAN OF RIN by Emily Rodda, 1993(オーストラリア)
エミリー・ロッダ/著 さくまゆみこ/訳 佐竹美保/絵
あすなろ書房
2000.08
<版元語録>リンの村を流れる川が、かれてしまった。このままでは家畜のバクシャーもみんなも、生きてはいけない。水をとりもどすために、竜が住むといわれる山の頂きめざして、腕じまんの者たちが旅立った。たよりになるのは、魔法をかけられた地図だけ。クモの扉、底なし沼、そして恐ろしい竜との対決…。謎めいた6行の詞を解きあかさなければ、みんなの命が危ない。 *オーストラリア児童文学賞
愁童:これはすごい。発売たちまち4刷! 売れてるんだねー。シンプル・イズ・ベストって感じ。安心して読めた。古典的ファンタジーの定石なんだけど、ゲーム的な要素も入ってる。あとがきを読むと、ジェンダーのこととか、ちょっと難しいことが書いてあるから混乱してしまうけど、強いといわれていた者たちがつぎつぎに脱落して、最後には弱者が使命をやりとげるというのは、おもしろかった。「ハリ・ポタ」やプルマンの理屈っぽい世界に比べると、この作品は、読みながら心の中で遊べる楽しさがある。ファンタジーのよさを再認識したね。
ウンポコ:ぼくも、おもしろかった。すらすら読めて、うれしかったよ。難をあげるなら、登場人物の姿がくっきり浮かんでこないってことくらいかな。ローワン、ストロング・ジョン、アランはOKだけど、その他の人は、男か女かもわかりにくい。ちょっとぼやっとしたところがあった。最初に登場人物の紹介でもついていたら、読書力のないぼくでも、わかったかもしれないけどさ。ちょっと難しいよ。と思っていたら、訳者あとがきに「男女差のない世界を描いている」とあった。ぼくは、そこまでは気づかなかったな。
ねむりねずみ:この本、装丁がいいわよねー。でも、私は基本的に理屈っぽいほうが好きなのかな。ローワンは臆病なんだけど、いい子でしょ。ちゃんと最後までやりとげるし。どこか、悪い子の部分もほしかったと思っちゃうのよね。憎らしくったって、私にはライラのほうが魅力的に見える。ローワンも、もうちょっと悪い子すればいいのに。2巻3巻では、やってくれるのかな? ジェンダーに関しては、ふたごのヴァルとエリスの性別がわからなかったから、気になった。
モモンガ:同感! 私も男か女かわかりにくいと思った。名前も、日本人の名前だったら、性別も、なんとなくわかるけど、ここに出てくるのは、ちょっとわからないものね。日本語は、英語みたいにheとかsheとか出てくるわけじゃないし。実際、双子はヴァルが女でエリスが男なんだけど、エリスのほうが、女の子の名前のような感じもするでしょ。
ねむりねずみ:最後のところ、p211の「ローワンの胸の中にあった古いしこり」って、ちょっとピンとこなかったんだけど……。
オカリナ:父が死んだのは自分のせいだっていう負い目と、母に臆病でひよわだと思われてるってということを言ってるんじゃない?
ねむりねずみ:そっか。あと、p188のローワンがジョンを気づかう場面。ローワンは、旅のはじめのほうでジョンが声をかけてくれたときのことを思い出してるんだけど、私はそこの場面とうまくジョイントしなかった。
モモンガ:謎ときに夢中になっちゃうわよね。ドラクエの世界。謎の詞にあてはめながら、最後まで読める。あの詞のページを、何度もぱらぱらめくったりして。この物語のおもしろさは、弱い子が主人公ってことだと思う。ローワンは弱虫だし、腕じまんの厳選メンバーの中に、ひとりだけ紛れこんだ子どもだけど、子どもならではの動物との交流とか、子どもにしか見つけられないこととか、ローワンだからこそできるっていうことが、ストーリーにうまくいかされてる。この子が最後に残るってことは、はじめからわかっちゃうのはいいんだけど、そこにもうひとつ、インパクトがほしかったな。ローワンは、妙に大人っぽくなっちゃうでしょ。みんなが眠っているところを見て、いとおしく思うところとか、やるのは自分しかいない! って決意したりするところなんか。そうじゃなくて、子どもっぽいままで、大人だったらできないけど、子どもだからこそできたってなったら、子ども読者はもっと喜ぶと思うのよ。
愁童:竜ののどにささったとげをとるところなんて、うまいと思ったけどな。
モモンガ:うーん。でも、いくらバクシャーのとげをとったことがあるにしても、おんなじようにはいかないんじゃない? だって、この絵(p196〜197)見て! すごい迫力! こんな、ものすごい竜のとげを、よくとったわね。
ひるね:けんかの弱い子とか、いじめられっ子って、犬とかウサギとかを愛でたりするでしょ。だからローワンも、痛がっている竜をかわいそうと思ったんじゃない?
ウォンバット:私は、それよりも使命感だと思ったな。ローワンはバクシャーを大切に思っていて、その心の交流には胸が熱くなるものがあるんだけど、その愛するバクシャーや村の人を救えるのは、今や自分しかいないんだ、やらねばっ!! ていう使命感。
ひるね:無意識でも、読者には期待があるのよね。登場する子どもに対して。あんまり優等生なのはイヤとか、やんちゃであってほしいとか、よくある子ども像からはずれると、物語に添っていけないようなところってあると思う。前に手がけた本で、風邪をひいた動物の子が悪夢をみるっていう本があってね。それに対して「子どもは、風邪をひいたくらいで悪夢なんてみません。子どもはもっと強いものです」って書いた書評があってびっくりしたことがあったわ。私は、弱者が主人公というのは、おもしろいと思ったけど。
モモンガ:私も、弱者が主人公というのは、おもしろいと思ったわ。
オカリナ:これは、ファンタジーとしての価値を論じるような作品ではなくて、エンタテイメントの楽しさがウリの本だと思うのよね。物語世界の厚みとかプロットの独自性を期待するんじゃなくて・・・。どこかで見たり聞いたりするようなプロットが使ってあるんだけど、それを組み合わせて、これだけ短くてこれだけおもしろい物語をつくりあげたっていうのが、すごいことじゃない? ファンタジーの名作とは比べられないけど、日本では「ハリー・ポッター」がああいう残念な形で世に出てしまったこともあるし、こういう本にがんばってもらいたい。本が嫌いな子でも楽しく読める要素があると思うの。
ねむりねずみ:ロールプレイニングっぽいよね。これだったら、ゲーム感覚で楽しめて、ふだんあんまり本を読まない人でも、親近感をもてるんじゃないかな。
ウンポコ:逆に、つぎつぎ襲いかかる苦難もクリアするだろうって、わかっちゃうから、大人は、物足りなさを感じたりもするんだがね。でも、子どもはわくわくするだろうね。爽快な感じで。文学へのとっかかりとしてはイイと思うな。
オカリナ:ジェンダーの問題だけど、まず私は、ランが男だと思っちゃったのね。「昔は偉大な戦士だった」というからには、男かな? と。でも、リンの村では「戦士=男」ではないの。ランも、実は老女。職業にしても、男だから女だからということに関係なく、それぞれの適性にあったことを仕事にしている。ふつうのエンターテイメントって、既成の男性像、女性像によりかかってるのが多いでしょ。その点、この作品は新しいと思うのよ。ひと味ちがう。
ひるね:私は、M駅前の児童書に力を入れてる書店でこの本を見て、涙が出るほど感激したのね。この、本づくりのすばらしさに。表紙、別丁の扉、紙の色、書体の選び方……すべてに神経がいきとどいてる。「ハリー・ポッター」とは、なんたる違い!
ウンポコ&モモンガ:感じのいい本だよねー!
愁童:ファンタジーって感じだよな。
モモンガ:表4なんかも、とってもいい雰囲気。佐竹さんの絵がいいのよ。
ウンポコ:このごろ、佐竹さん、大活躍だな。『魔女の宅急便3 キキともうひとりの魔女』(角野栄子著 福音館書店)の絵も、そうだよね。
オカリナ:えっ、3って、もう出たの?
ウンポコ:出たばかりだよ、今月(10月)かな。「魔女の宅急便」は、3作すべて絵描きさんが違うから、(『魔女の宅急便』林明子絵、1985、『魔女の宅急便2 キキと新しい魔法』広野多珂子絵、1993、すべて文は角野栄子、福音館書店)本としては不幸だけど、それぞれイメージは変わってないし、なかなかいいよね。
ひるね:今、大人の本の会社が子どもの本も手がけるようになってきてるでしょ。「ハリー・ポッター」にしても、プルマンにしても。あと、9月に、東京創元社から出版された『肩胛骨は翼のなごり』(デイヴィッド・アーモンド著 山田順子訳)も、原書は児童書でしょ。それはそれで、よいものができあがれば何も問題ないけれど、残念なことに粗悪品も出回ってる。日本の翻訳児童書の装丁って、世界を見回してもとてもレベルが高いと思うの。外国の原作者に日本語版をみせると、いろんな国で翻訳出版されているけど、日本語版がいちばんいいって、みんな言うのよ。本の作り方が、日本ほどすばらしいところはないって。それは、児童書の編集者たちが、長い時間かけてつくりあげてきた文化だと思う。センダックも子ども時代をふりかえって、「本をもらったら、なでて、においをかいで、少しかじってみた」って言ってるけど、やっぱり子どもにとって、本って、特別なものだと思うのね。大人向けの本のノウハウしかない会社が児童書をつくるのは、ちょっと難しいんじゃないかしら。『神秘の短剣』と『ローワン』を比べてみても、違いは明らか。「ライラの冒険シリーズ」も『ローワン』と同じように、大人向けのコーナーと子ども向けコーナーと、両方に並ぶようになるといいのにね。
(2000年10月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)