日付 2000年9月21日
参加者 ウンポコ、愁童、ウォンバット、ひるね、オカリナ、
ねむりねずみ、裕、モモンガ
テーマ 民族と戦争について考える

読んだ本:

エルス・ペルフロム『第八森の子どもたち』
『第八森の子どもたち 』
エルス・ペルフロム/作 ペーター・ファン・ストラーテン/絵 野坂悦子/訳   福音館書店(福音館文庫も)   2000.04
DE KINDEREN VAN HET ACHTSTE WOUD by Els Pelgrom(オランダ)
<版元語録>第二次大戦末期のオランダ。ドイツ軍に町を追われた十一歳の少女ノーチェは父親とともに、人里離れた農家にたどり着く。はじめて体験する農家での暮らしに喜びを見いだすノーチェだったが、その平穏な日常を戦争の影が静かに覆っていく。農家のおかみさん、その息子エバート、脱走兵、森に隠れるユダヤ人一家。戦争の冬を懸命に生きる人々の喜びや悲しみが、少女の目を通して細やかにつづられる。オランダの「金の石筆賞」を受賞。


ガリラ・ロンフェデル・アミット『心の国境をこえて』
『心の国境をこえて〜アラブの少女ナディア 』
ガリラ・ロンフェデル・アミット/作 母袋夏生/訳 高田勲/絵   さ・え・ら書房   1999.04
NADIA by Galilah Ron-Feder-Amit (イスラエル)
<版元語録>医者になって、地域医療につくしたい。それが、ナディアの夢だった。そのためにナディアはのどかなアラブ村を出て、ユダヤ人の寄宿学校に入学する。「自分がアラブ人だってことを恥に思っちゃいかんぞ」という、父さんのことばを胸に。民族による考え方のちがいにとまどい、よそ者意識とたたかいながら、一歩一歩、ナディアは夢の実現にむかっていく。だが、その夢がくずれそうな瞬間がおとずれる…。


八百板洋子『ソフィアの白いばら』
『ソフィアの白いばら 』
八百板洋子/著   福音館書店   1999.06

<版元語録>1970年、ソフィアの留学生宿舎に集まった世界各国の若者たちの出会いと別れ。激動する時代の波に翻弄され、傷つきながらも精一杯生きる青春群像をみずみずしく描く。愛と涙のブルガリア留学記。 *産経児童出版文化賞 エッセイストクラブ賞


野添憲治『花岡一九四五年・夏』
『花岡1945年夏〜強制連行された耿諄の記録 』
野添賢治/著 貝原浩/絵   パロル舎   2000.06

<版元語録>太平洋戦争も終わろうとする1944年、耿諄は三百人近い中国人たちと日本へ強制連行され、花岡鉱山で過酷な労働を強いられた。虐待と暴行ににたまりかね蜂起した花岡事件の指導者・耿諄の生の軌跡。


『第八森の子どもたち』

エルス・ペルフロム/作 ペーター・ファン・ストラーテン/絵 野坂悦子/訳
福音館書店(福音館文庫も)
2000.04

:私は、期待が大きかっただけに、ちょっと残念だった。厚さ2.8センチ、総ページ数 424ページものボリュームなんだけど、こんなにたくさんの文字が必要な内容かしら? というのは、私、アウシュビッツに行ったことがあるんだけど、そのときものすごいショックを受けたのね。もちろん、訪れる前から大虐殺のことは、知識として知ってた。人体から作ったせっけんとかね、残酷なことはいろいろ知ってたつもりだった。だけど、実際にその場所に立ってみて、ここで人間が3年間暮らしていたという営みを見せられたとき、それまで知っていると思ってた「ホロコースト」との間に、ものすごいギャップを感じて愕然としたのね。そして、この隔たりを埋められるものはなんだろうって考えたとき、「それができるのが、文学だ!」と思ったの。人間の営み、その瑣末な日常と、大きな歴史のうねりとを重ねあわせること。それこそが、戦争を題材とした文学に求められているものじゃないかと思うのね。その点、この作品はシチュエーションはきちんと設定されているんだけど、その先の、大きなところまで結びついてないでしょ。そこがちょっと不満。11歳の女の子ノーチェの視点で人間の営みを地道に追っていくという、作者の一貫した姿勢には好感をもったんだけど……。
ドイツ兵にしても、「ドイツ兵=下品で野蛮」というふうに描かれているけど、本当はそればかりじゃなかったと思うのね。ドイツ兵の中にもいい人、悪い人がいたはずだから。「これは自伝ではなくフィクションです」とペルフロムは言ってるって、訳者あとがきにも書いてあるけど、成長した大人が子ども時代を振り返って書いているわけだから、ドイツ兵をステレオタイプに片づけてしまうのは、まずいんじゃないかしら。あと、訳について、ひとこと。野坂さん、だいぶうまくなってると思うけど、ところどころひっかかるところがあった。たとえば「おねえちゃん」。「おねえちゃん」というからには、ノーチェより年上なのかと思わなかった? 本当は7歳だから、ノーチェより「おねえちゃん」のほうが年下なのよね。もともとクラップヘクの人間関係は、ちょっとややこしいんだけど、よけいに混乱しちゃった。それから私には、子どものいきいきとした感覚がいまひとつ感じられなかったな。オビによると、松岡享子さんは絶賛してるんだけど……。

愁童:ちょっと前に、自分の学童疎開体験を話してくれって、近所の中学校に頼まれて、しゃべったことがあるんだけど、その時、当時の小学校があった区役所編纂の「集団疎開児童だった区民の座談会」みたいな資料を読んだら、「集団疎開には林間学校みたいな、うきうきした感じもあった」なんて、なつかしがっている人も多くてさ。そういう感覚と同じようなものを、この作品に感じたね。ペルフロムもあとがきで、村をなつかしがってる。「疎開=悲惨」みたいな図式ってあるけど、確かに当時を生き延びた人にとっては悲惨=100%じゃない面はあって、だから生きてこられたんだと思うけど、作品として子どもたちに伝える場合、こういう視点からっていうのはヤバイんじゃないかな。この作品、いろんな出来事に対する作者の痛みが感じられない。例えば隠れていたユダヤ人一家がいなくなったときも、出来事としてさっと流れていくだけで、主人公の衝撃みたいなものは伝わってこないよね。

モモンガ:心の痛みは、ぜんぜん伝わってこないよね。「おねえちゃん」が死んだところも・・・。

ひるね:p404で、おばさんたちが「あの子は、死んでよかったのかもしれないよ」ってしゃべってるのを、ノーチェが立ち聞きしてしまう場面。なんだかのんきな感じになっちゃてる。息子死配慮があるとよかったのに。

愁童:こんなことじゃ、「民族と戦争」について考えるのはちょっと難しいね。

ねむりねずみ:いろいろとおもしろい話は出てくるんだけど、さてそれから・・・って思ったところでぷちっと切られちゃう感じがして、私もちょっと物足りなかったな。まあ、子どもの視点で描いているからと言われれば、なるほどと思わなくもないけれど・・・。たとえば、掃除したばかりの廊下を汚されたくないウォルトハウス夫人が、ノーチェに「出ていっておくれ!」っていうのと、ユダヤ人のメイアー一家が連れ去られたことが、同じ重さで描かれちゃってるでしょ。これはちょっと問題だと思うなあ。たしかに子どもの感覚っていうのは、そういうところがあるかもしれない。子どもの頃って、台風が来てもイベントのひとつのように思って、わくわくしたりしなかった? 事態の全体像をつかんでないから、そのときどきの珍しいことを楽しめちゃう。そういう感覚はたしかにあるだろうけど、でも、それだけじゃね・・・。どーんと胸に迫るもののある作品とは、受けとれなかった。こういう状況の中、子どもがどう生きていたかということを描くには、成功していると思うけど、そのもう一歩先まで描いてほしかったな。

オカリナ:主人公ノーチェは11歳でしょ。大状況と日々の自分のことに対する感覚の間に差があるかもしれないけど、11歳だったらこんなもんじゃないかと思うな。「子どもの視点で描いた」というのなら、これはこれでいいんじゃない? 私が興味深いと思ったのは、オランダという場所。1944年のオランダでも、田舎にいけばこういう暮らしがあったのよね。そして戦禍の中でも、こういう遊びをする子どもたちがいた、と。それはいいんだけど、いかんせん長すぎる! 今の子どもたちに読んでもらうためには、もっと刈りこんでもよかったかもしれない。坦々と進む叙述は、読書力のない子だと、ただだらだらしてるっていうふうに思われちゃうんじゃないかな。あとタイトルなんだけど、「第八森」ってなんだろうと興味しんしんだったのに、ただ詩があって、ユダヤ人がかくれててっていうだけだったから、拍子ぬけしちゃった。

モモンガ:それに『(第八森の)子どもたち』っていうわりには、「たち」というほど子どももたくさん出てこない。

ひるね:イギリス版のタイトルは『時が凍りついた冬』。そのほうが、ストーリーにはあってるかも。

:たぶんこれは、さんざん悩んだ末、解釈を加えないほうがいいんじゃないかということで、原題をそのまま日本語にしたんじゃないかしら。

オカリナ:色とか匂いとか、五感をフルに活用して書いてるのは、おもしろいなと思ったけど、「民族」「戦争」という視点から見ると、ちょっと不満がある。なんだかいい人ばっかり出てくるでしょ。全体に明るく、太陽的。そして「そこに立ちはだかる悪」=「ドイツ兵」という図式。ドイツ兵は、「劣っているもの」として描かれてる。作者は、子どものときそう思っていたかもしれないけど、この作品は大人になってから書いたものなんだから、そのへん、もうちょっとなんとかすればよかったのに。そうしたら、陰影も生まれて、長所がもっと引き立ったんじゃない?

:人間洞察に、深みが足りない。もう少し工夫すれば、この裏に大きい歴史のうねりがあるということを知るための、大事な入り口になる可能性はあったのに。

モモンガ:歴史を知ってる大人が読めばわかるけど、子どもにはわからないものね。

ウォンバット:私は今回のテーマ「民族と戦争」というのは全然意識しないで読んだんだけど、おもしろかった。というか、意識しなかったから、おもしろかったのかも。ノーチェたちの暮らしぶりもおもしろかったし、「ああヨーロッパなんだなあ」と思ったの。オランダ語とドイツ語って似てるんでしょ?

オカリナ:んー、ドイツ語と英語の間みたいな感じかな。

ウォンバット:ノーチェのお父さんはドイツ語がよくわかるし、クラップヘクの人たちも、なんとなくだったらドイツ兵の言うことがわかる。やっぱり陸つづきだから、距離的に近いっていうだけじゃなく、言葉もよく似てるのね。そういう土台の上で起こった戦争だったってことが、よくわかった。

モモンガ:私はこの本、とっても読みにくくて。なかなか物語世界に入っていけなかった。なんでだろと思って考えてみたんだけど、これは小さい子向けの文体でしょ。私は、書評や表紙の雰囲気から、なんだか先入観があって、もっと大きい子向け、高学年向けの重いものなのかと思ってたのね。そうじゃなくて、小さい子の視点に徹してるんだということがわかってからは楽しめたけど、そこまでちょっと時間がかかっちゃった。小さい子って、大きいことにはこだわらず、小さな喜びをみつけていくのよね。でもねー、小学校低学年の子がこの本を読むかなと思うと、「おもしろそう」って自分から手をのばしてこの本を読む子は、少ないだろうと思うな。もうちょっと文章を少なくして、読者の対象年齢もあげて、中学年向けにしたほうがよかったんじゃないかしら。

ウンポコ:ウンポコは、いつものようにun pocoしか読めなかった。読みたいという気にならなかったんだよね。ペルフロム自身は「この作品は自伝ではなくフィクションだ」と言ってるって、訳者あとがきでわざわざことわってるけど、物語性がないでしょ。p100に到達する前にダウンしちゃったね。もう、苦労して読むのはやめようと思って、やめちゃった。訳文は読みやすかったんだけどね。ぼくは気にいった作品は、声に出して読んでみるの。そうするとまたよくわかるんだけど、この訳文は、ぼくと呼吸がぴったりあった。この訳者、いい人! と思ったね。

モモンガ:わかりやすい訳よね。

ウンポコ:時間があれば、もう少し読めたんだけど……。でも、ウンポコだから、un poco読みさ!

ひるね:私は、ひるね読みで 270ページ。ローラ・インガルス・ワイルダーの『大草原の小さな家』のシリーズのオランダ版と思って読んだら、おもしろかった。

オカリナ:たしかに似てる部分はあるけど、『大草原の小さな家』は、もっとストーリーに盛り上がりがある。この作品も、フィクションなんだから、もっと起伏をつければよかったのに。

ひるね:そうね。それに、はじめ、人間関係がわかりにくかったの。最初、ノーチェとエバートが橇遊びをするシーンではじまるんだけど、それがけっこう長いでしょ。こういう形で入ったら、小さい読者にはわからないんじゃないかしら。それと、翻訳によくあることなんだけど、ノーチェの視点で語られていたものが、突然別の人の視点に変わったりするでしょ。結核のテオとかね。視点が、大人の男の人のものに移ってるのに、口調がノーチェのまま、11歳の女の子のままになっているのは、違和感があった。「ですます調」も難しいわね。ノーチェが主人公だから、こういう語り口にしたのかな。読者対象も原書にあわせたんだと思うけど、日本向けには、オランダよりもう少し対象年齢をあげて、てきぱきと訳したほうが、おもしろかったんじゃないかしら。あと、自分の経験した戦争を描こうとするとき、「なつかしさ」というのも、曲者だと思う。最後の場面、クラップヘクを離れてアムステルダムにいったノーチェが、クラップヘクでのことを「すばらしい生活だった」というふうに、回顧してるんだけど、それもちょっと問題よねぇ・・・。たしかに、なつかしさというのはあるんだろうけど、こうはっきり言ってしまうのは、どうなんだろう。アミットの『心の国境をこえて』と比べてみると、実際ナディアよりノーチェのほうが、ずっと緊迫感のある暮らしをしてるはずなのに、全然そんな感じじゃない。書き方によって、こうも変わってくるものかというのが、よくわかった例。ノーチェは11歳ということなんだけど、もっと幼い子のような感じだし。

モモンガ:ノーチェの台詞、ちょっと子どもっぽすぎるよね。

ウンポコ:やさしく書いてあって、ぼくは好感がもてたけどな。

ひるね:訳者あとがきによると、翻訳期間約5年っていうことだけど、編集者がずいぶん手をいれて、時間がかかったのかしら。「ですます調」より、「〜だ調」だったら、もっとよかったかも。

モモンガ:もっとしまったかもね。

オカリナ:この半分のボリュームだったら、よかったんじゃないの?

ウンポコ:翻訳する人はさ、この作品は「ですます調」でいこうとか、これは「〜だ調」がいいとか、すぐ判断できるものなの?

オカリナ&ひるね:すぐ判断できるものと、そうじゃないものがあるよね。迷ったときは、両方やってみることもある。

ひるね:特別なものをのぞいて、小学校2〜3年までは「ですます調」、それ以上は「〜だ調」のほうが、しっくりくるんじゃないかしら。

:人間って頭の中で考えるとき、「ですます調」では考えていないのよ。

愁童:「ですます調」は、終わったことを言うときに使いたくなるんじゃないかな。作者の中で完結してしまった過去を語る文体。だから切実感や緊張感に欠けるんだよ。

ウンポコ:そう言われててみると、手紙は「ですます調」で書くね。

ひるね:あら、今の若い子のメールは、「ですます調」じゃないでしょ。

ウンポコ:ぼくは、メールも「ですます調」だなあ。「ですます調」でないと、乱暴な口調だと思われるような気がしちゃって。

ねむりねずみ:子どもの視点と、文体にもズレがあるよね。

モモンガ:ノーチェの視点で語られているのは、子どもには読みやすいと思う。でも、子どもの視点と大状況を両立させるのは、難しいことよね。といっても、本当にこの作品を楽しめるのは、大人じゃない?

オカリナ:この本、「売れるか売れないか」といったら、そんなに売れないと思うの。でも、オランダ政府は外国でのオランダの本の翻訳出版に助成金を出してるんだって。この本もそうだと思うんだけど、売れなくてもいい本なら出せるっていうのは、うらやましいわね。

(2000年09月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『心の国境をこえて〜アラブの少女ナディア』

ガリラ・ロンフェデル・アミット/作 母袋夏生/訳 高田勲/絵
さ・え・ら書房
1999.04

ひるね:題材が新鮮だったわ。イスラエルに住むアラブ人の少女の物語なんだけど、こういう現実があるということを、はじめて知った。その土地で生まれて、ちゃんと国籍ももってるのに、マイノリティなんて、こういうこともあるのね。全体としては、少女小説の手法だけど、中身も濃いと思う。終わり方も、薄っぺらでないいところがいい。ルームメイトの女の子たち、タミーとヌリットにしても、心を開いてくれていると思っていたタミーに最後に裏切られ、逆に、軽薄だと思っていたヌリットと、最後にはなかよくなってしまうのも、おもしろい。訳者あとがきによると、イスラエルでは「自己批判の書として若い人たちに熱狂的に受け入れられた」ということなんだけど、うらやましいわね。こういう本、日本でももっと出版されればいいのに。だけど、こんなふうにナマの議論が出てくるのは、日本ではどうかしら? 受け入れられるかしらね。イスラエルでは、情緒でぼかさずに、身近な問題が直接出てくるところが、若い世代にウケたんでしょうけど・・・。あと、訳についてなんだけど、「やぶさかでない」とか、古めかしいことばが出てくるところが、ちょっと気になったわ。

:これはペルフロムの『第八森の子どもたち』と違って、日々の営みが、ちゃんと大きなものにつながってる物語ね。こういう本を読まなければ、イスラエルにおけるユダヤ人とアラブ人の対立なんて、日本の子どもたちは知る由もないでしょう。この本を日本で出版する意義は、大きいと思うわ。ナディアは慎み深くて、男の子をわざと遠ざけたりするでしょ。日本の女の子たちとはずいぶん違っていて、人物造形には日本の現実とかけ離れたものを感じたけど、感覚的に描かれているところを糸口に、日本の読者も物語世界に入っていけるんじゃないかしら。体験としてとらえられていることを接点に、日本の読者も入っていける。そして、表面的なことだけじゃなくて、大きな物語まで感じることができると思うのね。大人の小説だったら、もっと観念的になってしまいそうなところだけど、子ども向けだから救われてるっていう部分もあると思う。でも、この本、表紙がイマイチね。ナディアが憧れてる女医さんナジュラーも、リアリティが薄くて観念的に片づけられちゃってるのが、残念。でも、ま、細かいことはおいときましょう。こういう本、日本でもどんどん紹介してほしいわね。

ウンポコ:ぼくもこの作品、感心したね。ウンポコも、最後まで読めたよ。作者の姿勢がいいんだな。主人公の心の内を、つぶさに描いてるでしょ。だから、ナディアの気持ちが読者の心にも残って、なんかこう、応援したくなるんだよ。「ナディア、がんばって!」って。もう、ぐいぐい読まされちゃった。ナディアがさんざん悩んでるところも、ぼくなんかからみたら、そんなにふさぎこまなくてもいいのにって思っちゃうところはあるんだけど、また、そういう彼女の葛藤が、いじらしゅうてね。民族のるつぼにある国と、そうでない国日本との、ものすごいギャップも感じたね。ナディアをとりまく日常と比べたら、日本はまさにぬるま湯! 今回の4冊のなかでは、この作品と八百板さんの『ソフィアの白いばら』に大きなショックを受けたな。だけど、それにしても、ちょっと本づくりが古いよね。

オカリナ&モモンガ:古い! 古い! さ・え・ら書房らしいといえば、らしいけど。

ウンポコ:ぼくもそうなんだけど、どうしても感覚が古くなってきちゃってるんだよ。だからそれを自覚して、思い切って外の若い編集者に依頼するとかしたほうがいいときもあると思うんだけど。

オカリナ:タイトルも古いよ。

モモンガ:「心の」とか言われると、それだけで読みたくなくなっちゃう。

ひるね:原題は Nadiaなのよね。

ウンポコ:理論社がつくったら、もっとよかったかも。もっとこう、すてきな表紙にしてさ。こういう作品、日本だったらだれが書けるだろう? やっぱり後藤竜二かな。でも、日本とは比べものにならないほど、イスラエルは深刻だからなあ。ぼく自身、今回読んでみて、はじめてこういう問題を知ることができて、たいへんよかったと思うね。よくぞ、この本を出版してくれましたね。さ・え・ら書房よ、アリガトウ!

ウォンバット:私も、この本読んでよかったな。イスラエルのアラブ人のことって全然知らなかったから、いい勉強になった。そういう知識を得るためにはとてもよかったと思うけど、文学作品としては、ちょっとねー、つまんなかった。なんだかストレートすぎちゃって。メッセージを伝えるために、書きましたって感じがアリアリで。物語を楽しむところまではいけなかった。

ねむりねずみ:私は、さっき読みおわったばかり。どうなるんだろうと思ってる間に、読めちゃった。私はもともと、パレスチナとか、問題のあるところに興味があるのね。こないだも、イスラエル人の夫をもつアラブ人女性が、夫をアラブ人に殺されて、民族間の板ばさみで、苦しい立場に立たされてるっていう新聞記事を読んだんだけど、難しい問題だと思った。日本人から見たらまるっきり他人ごとだから、仲よくすればいいのにって思うけど・・・。日本の中にも差別はある。在日とか、部落とか、人為的につくられた差別が。なんで? って思うけど、これもすぐに解決できる問題じゃないのよね。パレスチナは宗教の問題だから、もっともっと複雑。どうしても折り合うことのできない問題でしょう。個人のレベルで知り合うことと、集団として知り合うことの違いっていうのもあるよね。個人対個人だったらいいのに、それがグループになると、対立が起きてしまう。主人公ナディアは、そんなストレスフルな状況にある。なんでもないことでも「これでいいのか」「相手にヘンだと思われないか」っていちいち確認してからでないと、前に進めなくなってる。自分とは違う志向の集団にひとりで入れられたら、自分自身のバランスをとるのが難しいのね。こういうことがあるっていうのを教えてくれて、その世界にすっと入りこませてくれるのは、まさに児童文学の力だと思うな。

ウンポコ:物語性がないのにその世界にすっと入りこめるっていうのは、なぜなんだろう?

オカリナ:ウンポコさんは、大状況を考えながら読んでるからじゃないの? 私は、逆に主人公には共感をもちにくかった。ナディアは、あまりにもナーバスでしょ。だれに対しても、すぐ、相手
vs 自分というふうに、まず自分と対立するものとしてとらえてる。そういう姿勢に引っかかっちゃったのかな。

ひるね:ナディアって優等生すぎてヤなヤツとも言えるね。

オカリナ:他によって自分を規定していくという感じが強すぎるのね。自意識過剰な気がするの。

ひるね:『大草原の小さな家』で、ローラとメアリーがはじめて町の学校にいく場面でね、ふたりはとても緊張してるんだけど、いざ学校に着くと、ローラは「なによ、あんたたち。カケスみたいにぎゃーぎゃーうるさいわね」っていうの。子どもの本の好きな人って、こういう主人公のほうが好きなのよね。

:アラブ人だから・・・って一歩ひいちゃうようなところは、日本の子どもにはわかりにくいかもしれないけど、うちとけたいのに、うちとけられないっていうようなところは、感覚的に理解できるんじゃないかしら。そういうことって、日本にもあるでしょ。

オカリナ:育ってる文化が違うから、こんなふうに思ってしまうのかもしれないけど、日本の子どもにも共感して読んでもらいたいと思うのね。ナディアをヤなやつじゃなく描く工夫が、翻訳でもう少しあったらよかったのかな。

ウンポコ:ナディアは14歳っていう設定だけど、もっと大人びてる。19歳くらいの感じ。

愁童:意外性がないんだよな。作者の設計図が透けてみえちゃって、設計図通りに物語が進んでいくから、葛藤がない。何かコトが起きると、ナディアが過剰に反応してしまうっていうところはあるにしても。

ひるね:物語に、ふくらみがないのよね。

モモンガ:ふくらみがないのは、作者がこのテーマを語るために、人物を設定してるからじゃない? それが、わかりやすさの秘訣でもあると思う。

ひるね:主人公が、こんなにヤな子なのも、珍しいわね。

オカリナ:イスラエルの作家が、アラブの少女を描いてるっていうせいもあるんじゃない?

ひるね:へつらいを感じるのは、それでかしら。「メッセージがある」ということと、文学的なふくらみというのは、わけて考える必要があるわね。

モモンガ:1対1だったらだいじょうぶなのに、民族とか、単位が大きくなると問題が起きてしまうこともあるっていう事実を伝える本は、あっていいよね。レベルは違うにしろ、ひとつの集団の中に、少数派が入っていくときの摩擦のようなものは、日本にもあるでしょ。そういうときの心理状態というのは、日本の子どもにもわかると思うから、きっとみんな、共感できるんじゃないかしら。私は、最初のほうで、ナディアが、知りあったばかりのタミーとヌリットに自分がアラブ人だってことをいうべきか、いやそれとも……?! とすごく悩む場面で、物語にぐっとひきこまれたの。この本は、民族の問題を知る一端になると思うわ。子どもたちに薦めたい本。

愁童:だけどさ、矛盾もあるよね。ナディアのお父さんというのは、古いしきたりを大事にする村の中では革新派で、新しい機械なんかもどんどん採り入れて、成功した人だろ。いわば、もうふたつの文化の壁を乗り越えちゃってる人なわけだ。そういう父親のもとで育った子がこんなにナーバスだというのは、どうも腑におちないんだよな。

:ナディアは、アラブの世界のパイオニアなのよ! それはフェミニズムの視点からみてみれば、よくわかると思う。進歩的であろうとすることは、ものすごいエネルギーが必要なの。フェミニストもそう。矛盾を抱えてるこそから、悩むんじゃないの。

ウンポコ:この作者、女性? 男性?

オカリナ:「ガリラ」というと、女性のようね。

愁童:ナディアの家は一家総出で、フロンティア路線を歩んでるくせに、ナディアがひとりで古い村から出ていくということを、ドラマにしちゃってる。

ねむりねずみ:ナディアは、化石みたいな村に住んでるんだよね。

オカリナ:村は、ナディアにとってくつろげる場所として、描かれてるんだと思う。

:私は、お父さんがもってきてくれるブドウの使い方がうまいと思った。彼女の緊張をとかしてくれる小道具になってる。村も、彼女の一部なの。だから、村のことを頭から否定するのは不可能だし、新しい世界の価値を認めながらも、全身染まることもできない。板ばさみ状態。こうやって、自己矛盾を抱えながら、女は進歩してきたのよ。

オカリナ:ナディアは、ジーンズにチェックのブラウスといういでたちをしていても、まるっきりイスラエルの子と同じになれるわけではない。そういうところから、ナディアの人間像が浮き彫りになってる。

愁童:ナディアは、村の友だちアジーザがスカートの下にズボンをはいてることをはずかしく思ってる。そういう心って、人間的によくわかるけど、説得力がないよね。ナディアの生き方を考えてみるとさ……。

モモンガ:いったん外に出ていって、他の世界を知ってから、村にもどってきた彼女の感覚はよくわかるわ。新しい場所で新しい経験をした後って、ずっと住んでいた場所も、今までとは違って見えるものでしょ。

ウンポコ:ナディアの心の揺れ動きは、よくわかる。すごく悩んでる。でも、矛盾的構造の中でも、ナディアの未来は明るいぞと思ったね。ぼくは、あんまり悩まない子って不幸だと思ってるんだよ。ナディアは、たくさん悩んでるけど、そこに成長を感じる。いじらしいね。そういうことを手渡してくれる、人間の素敵さを感じるなあ。

愁童:フェミニズムを表に出すのであれば、最後の場面、オディに説得されて、学校にとどまることにするのではなく、自分で決断してほしかったな。

:主人公が女の子だからこそ、この物語は活きてると思う。そこからフェミニズムにも、つながっていくんだけど……。

ひるね:なにもかもフェミニズムでくくるのは、難しいんじゃない?

:でも、愁童さんの疑問は、フェミニズムでみんな解明できると思うわ。

愁童:うーん。でも、ローティーンが読んでも、わからないんじゃないかな。今、ガラス細工みたいな子っていっぱいいるけど、ナディアの葛藤を、そういう感覚で、自分の悩みと同じものとしてとらえられてもねぇ……。

ひるね:メッセージを伝えたいがために、オーバーになっちゃってる。橋田壽賀子のドラマみたい。強調しすぎの感アリかも。

(2000年09月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『ソフィアの白いばら』

八百板洋子/著
福音館書店
1999.06

:読んでて、途中で嫌になっちゃった。がんばって、一応最後まで読んだけど。おばさんのヤなところを、いっぱい見ちゃったみたいで。おばさんっていっても、えーと、作者は1946年生まれ・・・ということは、今54歳か。だったら無理ないわね。世代の違いを感じてしまうのも。なんだか、全編自分をほめてるんだもん。だんだん「もう勝手にして!」って気分になっちゃった。だいたい、どうして副大統領に会いにいったのかしら。別に行かなくたってよかったのに。ベトナムのこととか、惹きつけられていったのに、最後は結局、「古きよき時代のお嬢さまの私小説」になっちゃってて残念。

モモンガ:私も、途中でちょっと。最初は、けなげなのよね。主人公が新鮮なものを見聞きするのを、おもしろく読めていたんだけど、途中で「もういいわ」って思っちゃった。素朴な疑問なんだけど、この本、どうして子ども向けにしたのかしら。留学体験記を読みたい人って、たくさんいるでしょ。そういう人向けに、留学関連書のコーナーにブルガリアの本としておいたら、もっとよかったんじゃない?

ウンポコ:ほんとだよ。どうして子ども向けにしたのかなあ。

ねむりねずみ:家の近所の図書館では、大人の本のコーナーにおいてありましたよ。

:私の家のほうでは、子どもの本の棚にあったわよ。

ウンポコ:あとがきに「心ひかれるタイトルがあったら、そこだけでものぞいてみてください」って書いてあったから、ぼくは安心してウンポコ読みしたね。それで、実はね、おもしろかったの。うわあ、当時の留学生はしんどかったんだなーと思った。民族の歴史を抱えこんだ人たちのるつぼで、もまれてさ。民族の習慣のちがい、とくいアセンカのキスなんて、もし自分の身にそんなことが起こったら、ツライだろうなーと思った。災難だよな。アセンカのジコチューにおしつぶされそうになってるけど、かくいうYOKOも、相当のジコチュー。ぼくも大学生のとき、寮生活をしていたんだけど、そのときのことを思い出した。でさ、その百倍くらいいろんなところから、いろんな人が来てるわけじゃない? そう考えるとオドロキだよな。この本は、ウンポコ読みにしては、だいぶ読んだね。文庫本にして、大学生くらいの子に読んでもらったらいいと思うな。

ウォンバット:私は、「世界ウルルン滞在記」(日曜夜10:00〜 TBSテレビ)が大好きなんだけど、そこに通 じるおもしろさを感じた。未知の国の、未知の暮らしを知る喜びって、大きい。そういう意味ではとてもおもしろかったんだけど、いろいろとハナにつくところはあったのよね。たとえば、YOKOとグェンの出会いの場面。グェンを評して、黒豹みたいな体つきで「身長 185センチ、体重79キロ」と聞いたYOKOは「わたしの倍以上も体重があると聞いて、なんだかこわくなりました」って言ってるんだけど、私はここでつまずいてしまった。185センチ体重79キロって、まあ、大きいことは大きいけど、そんなに特別さわぐほどのことじゃないと思うんだけど。当時はたいへんなことだったのかな。それに、79という数字が、変にリアルじゃない?

ひるね:でも、八百板さんって、とっても小柄でかわいらしい人よ。

ウォンバット:あと、 YOKOの台詞が妙にぶっきらぼうなのも、ちょっと気になった。YOKOが「〜だよ」「〜だよ」というの、違和感なかった? 全体の雰囲気に、合ってないような感じがするんだけど。実際はYOKOがブルガリア語でしゃべったことばを日本語にしてるわけだから、「〜だよ」というニュアンスで話していたといいたいのかもしれないけど、グェンとか、男性との会話の場面で、男の人のほうがずっとやさしいしゃべり方をしてるように見えるところもあったりして・・・。

オカリナ:実際、八百板さんて、きびきびした感じの人らしいけど。

愁童:ぼくは、裕さんに同感。ま、ウンポコ読みだけど。副大統領に会いにいったとか、本の表紙の絵をだれが描いてくれたとか、もう勝手にしてって感じ。ベトナム人青年医師にしても、通念によりかかってる。ずるっこいよ。そのあたりペルフロムの『第八森の子どもたち』と似てる。なんか、いろいろなことが起こるんだけど、自分はいっさい傷つかないんだ。なんとなーくセンチメンタルで流しちゃってる。なあんだ、その程度のモンだったのかと思っちゃうよ。アセンカの亡命にしてもさ・・・。寮生活の様子も、終わりのほうは、なんだかこんがらがっちゃうし。

ウンポコ:ぼくも、この作者を好きか嫌いかといったら、ちょっと「ごめんなさい」だな。この時代の、この国の人の暮らしはおもしろいと思うけどさ。

愁童:恵まれた人だったんだね。最後も、耳が悪くなって、よりよい治療を受けるために日本に帰ってくるわけだし。幸せな人さね。

ねむりねずみ:ウンポコさんが言ったの、まさにその通り! 私も、あの時代、ブルガリアでこんな暮らしをしてた人がいたっていうのは、おもしろかった。やっぱりたいへんだよね。でも、この作者はちょっと・・・。

ひるね:『イギリスはおいしい』(林望著 平凡社)も、そうだった! ずっとおもしろいと思って読んでたんだけど、最後にお墓まいりにいくところがあるのね。そこで、林家が学者の一族であることをひけらかしてるような一節があって、さーっと冷めちゃった。なーんだと思って、一気に嫌になったの。

ウンポコ:なんだか、他人の日記を読ませてもらったみたいな感じだよ。疑似体験できたのは、よかったけど。

ねむりねずみ:自分を語るっていうのは、難しいことよね。

(2000年09月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


『花岡1945年夏〜強制連行された耿諄の記録』

野添賢治/著 貝原浩/絵
パロル舎
2000.06

オカリナ:「テーマをもって書く」というのは、大事なことだよね。YAの作家にありがちな、心の揺れを描くのも大事だけど。この本は、メッセージははっきりしすぎるくらいはっきりしてるけど、もっと工夫してほしかったな。工夫したと思えるところは、刷り色がページによって違ってるのと、全部のページに絵が入ってるということくらい。だいたい、この表紙で、子どもが読むかな。主人公は中国人で1944年に日本に連行されてきた耿諄という人なんだけど、日本の鉱山で働かされて、どんなにつらい目にあわされたかということばかり、めんめんと綴られている。そういう話をちゃんと聞くのは大事なんだけど、重要だから聞けって子どもに押しつけても、おもしろくなかったら子どもは敬遠しちゃうでしょ。編集の人が、もっと手を入れればよかったのにね。誤植もあるし。矛盾というか、誤解を招きかねない表現がいっぱいある。「日本人だって、米が4合にメリケン粉が1ぱいです」ときいて、同じくらいだから「しかたないと思った」って書いてあるんだけど、それですんじゃうのなら、たいして踏みつけにされてるわけじゃないじゃんって思っちゃう。「○○があった。○○があった」ってただ羅列してるだけだから、主人公に感情移入もできないし。読んだ子が、自分と主人公を重ねあわせるのが、とても難しい書き方。伝えたいもののあるこういう本こそ、ちゃんと子どもの手に届くように工夫してほしいものです。

ねむりねずみ:あとがきに「才能がないのを知った上で書きました」って書いてあるんだけど、まず文章が読みにくくて、つまずいた。中身に興味のある人間だったら読めるけどねぇ・・・。うわーすごかったんだ、ユダヤ収容所みたいなことを日本人もやってたのね、っていう事実の重さはたしかに伝わるけど、文学というより資料の積み重ねみたいなものだから。社会科学的な読み方のできる人でないと楽しめないかも。これは、物語になってない。学校の先生の資料用にはいいかもしれませんがね。

愁童:ぼくも、つまんなかったな。子ども向けの配慮がされてない。当時、日本のあちこちにこういうことはあったわけだから、ここだけ書いても、しょうがないよな。意味レス。ただ単なる残酷物語になっちゃってる。

オカリナ:ペルフロムの『第八森の子どもたち』ではドイツ兵、『花岡1945年夏』では日本人を悪者として描いてるけど、今書くのなら、それだけでは意味がないよね。なぜ普通の人がこれだけ酷くなれるかってところが検証されないとね。

愁童:そうそう! これじゃ、新聞読んでるのと一緒なんだよ。

オカリナ:子どもに伝わるように書かなくちゃね。

愁童:自虐意識は、子どもには理解できない。普遍的なものに結びつけないとね。

モモンガ:戦争のこと、民族のこと・・・子どもに伝えなきゃいけないことだからこそ、工夫しないとね。

オカリナ:パロル舎と、さ・え・ら書房には、もうちょっと子ども向けの本の工夫をしてほしいわね。

モモンガ:さ・え・ら書房は、心根がいいってことによりかかりすぎてるって感じ、ない?

ウンポコ:せっかくいい本が多いんだからさ、さ・え・ら書房は。もうちょっとがんばってもらいたいね。

(2000年09月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)