『スターガール』
ジェリー・スピネッリ/作 千葉茂樹/訳
理論社
2001.04
原題:STARGIRL by Jerry Spinelli, 2000(アメリカ)

<版元語録>ハイスクールの転校生スターガール・キャラウェイは不思議な子だった。白いドレスにウクレレ、ランチタイムの儀式、風変わりなチアガール。彼女は町はずれの砂漠に秘密の場所をもっていた…。ほかでは味わえないラヴ・ストーリー。

もぷしー:うー、この本に関してはコメントできないです。女の子のキャラクターは、奇抜で印象に残るんだけど、彼女の魅力が伝わらないことには、どうもこの本はおもしろく読めないんじゃないかな。ひとつだけ、スターガールが自分を変えようとしている、演出しようとしているところ、過剰に人にどう見られるかを意識しているところは共感できました。誰の幸せにも不幸にも真剣にやってあげるのは、みんなの理想というメッセージが含まれているかもしれないですね。

スズキ:たまたま「東京ブックフェア」で3割引で売ってたので、お得と思って買ったんですよ。帯には「ほかでは味わえないラヴ・ストーリー」とあったから、「ほかでは味わえない」何かを味わいたかったんだけど、読んでみると「味」がなかった感じ。スターガールがバスケの試合で両方のチームを応援したり、みんなの誕生日を祝ったりするのは、新鮮に感じられて私もやってみたいとは思ったけど。そんなハチャメチャな彼女が大好きだという、男の子がじめじめしてて好きになれなかった。スターガール自身の描写もあまり深みがなく、男の子が彼女にどうして惹かれてるかもわからない。この男の子のほうが、へこたれてこのカップルはだめになるかもと思ったけど、だめになることもなく、最後は彼女のほうが蒸発してしまって、ちょっと消化不良っていう感じ。感想を求められるとつらいです。

ウェンディ:アメリカには個性を認める国っていう印象があったけど、出る杭は打たれるっていうのはやっぱりあるのね。世捨て人でもないかぎり、相手のことを考えてなくちゃいけないというレオの考え方に、スターガールは惹かれながらも、そうはなれない。じゃあ、レオがどうしてスターガールに惹かれるか、わからない。レオが好きなあまりにスターガールが自分らしさを捨てるところも、葛藤が見えてこない。心の揺れがよく書けてるのはレオの方で、スターガールはリアリティがない。レオの視点で描かれるからかもしれないけれど。でも、レオみたいなナイーブな男の子って、結構いるのかもしれない。

愁童:今朝から読み始めたんだけど、あんまり深く読んでないのでわからないです。なんでこういうこと書かなくちゃいけないの? いやに平凡でしょ。幼稚園みたい。何を言おうとしているのかわからなかったですね。個性とは言ってるけど、結局、一面的な状況に対する反論なのかな?

オカリナ:この本は、構造としては『クレージー・マギーの伝説』(スピネッリ 偕成社)の女性版でしょ。でも、独りでも自分の価値観を貫くという主人公のキャラクターが、この作品ではとても観念的で、くっきりとうかび上がってこない。最後までぼやけたまま。『クレージー・マギーの伝説』のほうがおもしろかったな。私はどうしてもスターガールに感情移入できなくて、困った。

トチ:スターガールみたいな子がいたら、私だったらいじめちゃう。

オカリナ:個性あるものは排除されるということが言いたいだけなら、つまらない。スピネッリの他の作品は、もっとおもしろいのにね。アーチ—とか、せっかくおもしろいキャラクターが出てきても、最後には凡人だけが残るというのもねえ。

紙魚:私も、スターガールの魅力がわからなかったなあ。個性というものが、二極で単純に描かれてしまっているのも気にいらない。制服の反対に、奇妙な服とか。スターガールのことを言及すればするほど、スターガールの個性が薄っぺらくなっていくようで、個性って言葉で表すのはほんと難しいですね。装丁はとってもよかったです。

トチ:スピネッリの作品のなかでは失敗作よね。こんな風に(一見)個性の強い子って、自分を理解してくれない人たちとはかかわりたくないと思うのが普通なのに、この子は執拗に他人に好かれたいとするのよね。好きな男の子のために、自分のスタイルも変えてしまうし。

オカリナ:個性的っていうんじゃなくて、単にピュアだっていう設定なんじゃないの?

トチ:スターガールが描けてないと思うの。自我がなくて、自分から行動できない子としか感じられない。『肩甲骨は翼のなごり』(デイヴィッド・アーモンド著 金原瑞人訳 東京創元社)に出てくる、主人公の隣の女の子も、いってみれば変わり者だけれど、すごく生き生きしてたじゃない。こういう本がどうして人気があるのかしら?

オカリナ:今のベストセラーを見てると、本を読まなかった人がたまたま読んで、あー本ってこんなにおもしろいんだって再確認してるような気がする。本当はもっとおもしろい本がたくさんあるのにね。

愁童:この本、おもしろくないよね。ハリポタのほうがまだおもしろいよ。

アサギ:でもね、ベストセラーになる条件って、ふだん読まない人が買うってことなのよ。

チョイ:スターガールのキャラクターに統一感がないのが、何よりも居心地悪かったですね。生命観、自然観、宇宙観みたいなものが、どうにもイメージできない。一所懸命彼女を解釈しようとすると、アニミズムを体現した存在かなとも思えるんだけど、一方であんなに他人のことを調べまくったりして、何だか気持ち悪い。でも、この本、アメリカのベストチョイスかなんかに選ばれてるんですよね。うーん、アメリカ人って、時々理解しがたい。

ねむりねずみ:スターガールの造形の仕方が、デスマスクをつくる過程みたいだった。しっかりしたものがあるんじゃなくて、ぺたぺたと外側から貼り付けてできていく感じ。とりあえず、レオはだらしない。私はスターガールをすごくいやな奴だとは思わなくて、まあこういうのもいるかなという感じでしたね。でもラストはいやだったな。スターガールを自分に都合のいいときだけ楽しんでいる周囲の残酷さがいやだった。

チョイ:超自然的なものがあらわれたときの平凡な人間の心理的錯乱をかきたかったのかな。

ねむりねずみ:この物語って、最初と最後で誰も変わってないんだよね。もちろんスターガールも。スターガールって寂しがりやなんじゃない?

トチ:だけど、理解してくれる女の子がひとりはいたわけだから、それでいいんじゃないかしら。

チョイ:スターガールは特殊な存在でしょ。作者も、スターガールがみんなからけっして好かれないことを知って書いてる感じがしますよね。

オカリナ:やっぱり主人公は魅力的に描いてほしいな。

スズキ:スターガールのスピーチ原稿を読ませてくれれば、感想も変わっていたかもしれないな。

チョイ:それを書くだけの筆力が、作者になかったってことかな。

愁童:途中から恋愛関係が入ってくると、よけいわかんなくなっちゃう。個人の愛をとるか、大勢の愛をとるかっていうのも、わかんないな。そんなこといってどうするのかな。恋愛っているのはオール・オア・ナッシングじゃないでしょ。これじゃ、破綻するのは当然じゃない。

もぷしー:スターガールに出会ったのは、事故みたいなものっていうことなのかな?

紙魚:まわりのみんなに影響をあたえることもなく、最後はスターガールが去っていくって、まるでスターガールが天災だったかのような。

トチ:ホラー仕立てにしたらよかったかもね。

紙魚:ほんとにこういう子がいて、誕生日の日にお祝いにきたとしたら、ストーカーだと思っちゃうかも。

トチ:スターガールじゃなくて、ストーカーガールにすればよかったじゃない。善意のかたまりみたいな、こわい人っているわよね。

紙魚:このところ、意味がつかみづらいことをスタイリッシュに書くっていう作品が目立つなあ。

オカリナ:そういうの、大人の文学には前からあったのよ。

ねむりねずみ:意味がないことを書くのは、危険がないから楽なんじゃないかな。読者のほうも、何もつきつけられないから、気楽に読めるし。

オカリナ:子どもの文学にはちゃんと物語性があっておもしろいね、っていうことだったのに、最近の作品を見ると、子どもの文学にも中身よりスタイルっていう書き方が浸透してきちゃったのかな。それを持ち上げる人もいるしね。

チョイ:ポーズでおもしろいとか言ってても、本音ではあまりそうじゃなかったら、結局、また読者が少なくなることにつながるからこわいよね。

もぷしー:スターガールって、映画の『アメリカンビューティー』の女の子に重なったな。魅力的には描かれてるけど、女の子のほんとのところはわからない。この作品も、流行に乗ってできちゃったものなのかしら。アメリカでアカデミー賞をとったから、それに近づけてキャラクターを作っちゃったのかな?

アサギ:『作家の値打ち』で、福田和也が批評の責任ということを書いていて、「批評家がつまらない作品を持ち上げると、それにつられてせっかくふだん本を読まない人が手に取ってくれても、なんだ本なんかやっぱりつまらないじゃないか、と思ってますます本離れがすすんでしまう」というようなことをいっていたわね。

(2001年06月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)