『川の上で』
ヘルマン・シュルツ/作 渡辺広佐/訳
徳間書店
2001.04
原題:AUF DEM STROM by Hermann Schulz, 1998(ドイツ)

<版元語録>1930年代アフリカ。若きドイツ人宣教師フリートリヒは、熱病で妻を亡くし、同じ病で死に瀕している一人娘ゲルトルートを救うため、大きな町の病院を目指して、広大な川へと漕ぎ出した。やがてフリートリヒは不思議なことに気づく。立ち寄る川沿いの村人たちが次々に娘を癒してくれているようなのだ…。異文化との出会いと親子の心の絆を描いて話題を呼んだヘルマン・ケステン賞受賞作。

ウォンバット:言葉の伝わらない土地での危機的状況に、どきどきしながら読みました。村に上陸するたびに、だいじょぶかしらとはらはら。ただ、どうも私、宣教師ものってしっくりこないところがあって・・・。映画の『ピアノレッスン』なんかもそうなんだけど、ヨーロッパ人がなじみのない国に行ったという設定にちょっと不快感を持っちゃうからかな。あと、徳間書店の児童書って、他のもそうなんだけど、前袖の文句がとってもていねいですよね。だから、本を読む前に、ああこういう本なのかってわかる。自分で書かなくちゃいけないときには、どこまで書いていいものか、いつも迷うんですけど。

モモンガ:私はね、そこ読んじゃうと内容がわかっちゃうから、読まないわ。

ウォンバット:たしかに、読み方が限定されちゃうってこと、ありますね。どういう本なのか、それだけでよくわかっちゃうから。今日みたいに期日までに急いで読まなきゃいけないときは、内容理解に役立って助かるけど。かといって、全然内容が伝わらないのもいけないし。コピーってそのあたりのさじ加減が難しい。ほんと、コピーの作り方って難しいですよね。あと、この本の対象年齢なんですけど、大人の人が読んだほうがおもしろいと思います。ずっとお父さんの視点で書かれてるし。

モモンガ:私はね、この本には物語るということの不思議な力を感じた。行く先々で、ゲルトルートが土地の女の人に介抱してもらいながら話しかけられるじゃない。アフリカの人たちの不思議な力を得て、病気が治っていくんだけど、それは物語る力のおかげだというように書かれている。また、父親も瀕死の娘に物語を語ることで、娘に力を与え、自らも解放されていく。こういう話って、これまでに読んだことがなかったし、不思議な感じがした。出だしは、イギリスの国旗の話でひきこまれていくのよね。でも、途中から、もうそのことは忘れてしまった。なんともいえない不思議な雰囲気があって。目に見えない力が体を治す物語っていうのはほかにもあるんだけど、その中でもとてもおもしろかった。あとね、みんなに聞きたいのは、最後、p140に、動物ショーを見ているゲートルートのことをインド人が「黒いカラスの群れの中にいる白いカモメのよう」と言うところがあるのね。これを、差別じゃないかっていう人がいるんだけど、みんなはどう思う?

オカリナ:これって、お父さんが言った言葉じゃないでしょ。黒にマイナス、白にプラスという概念なしにただ見たままを言ったんじゃないかな。

一同:差別とは感じないけど。いやな感じはなかったな。

紙魚:いやな感じといえば、私は『ダレン・シャン』を読んで不快感を受けました。これ、原題は”Cirque du Freak”「フリークショー」ですよね。今回、読書会のテーマが「ファンタジーと人間の想像力」で、どういう意味なのか不思議だったんですよ。これを読んで、そうか、人間には負の想像力があるということかと思ったくらい。人間の想像力って、質、量ともに拷問を例えに語られることがあるじゃないですか。人間には拷問のような酷いことを考える想像力があるんだと。今回のテロ事件でも、ビルに爆弾をしかけるくらいまでは私でも思いつくけど、まさか飛行機をハイジャックしてビルに突っ込むというという発想はなかなかない。人間を幸せにする想像力もあれば、その逆もあるんですよね。もちろんそのどちらをも人間を持ってはいるんだけど、それをどう描くかは大事なところ。『ダレン・シャン』には、前向きなものが感じられませんでした。しかも、えんえんとフリークショーの描写が続き、おしまいの方で、主人公がバンパイアになるかとつきつけられたとき、あっさりとなっちゃうんですよ。そこに、ぜんぜん葛藤がないんです。こんなに簡単すぎていいの?と思いました。
その後に『川の上で』を読んで、私は、自分が読書に単なる驚きを求めているのではないってことが、よくわかったんです。先ほどからみなさんが言っている、物語の力を私も強く感じることができました。前半、ゲルトルートの描写が極端に少ないんですが、父親がだんだん娘に目を向けるのと平行して、ゲルトルートの形容やら感情やらの描写が増えてきます。自分もまるで船に乗って旅をしているように感じました。

オカリナ:この作品は2つの点でいいな、と思ったのね。1つは、物語の力というものに焦点が当てられている点。p111で、お父さんが「物語にそれほどの力があるとは思えないが・・・」って言うと、人生のベテランらしい女性が、お父さんの語った物語の愛が子どもに伝わったと言うのよね。もう1つは、ヨーロッパの人のアフリカへの目線。貧しくって飢えてる人たちだから、なんとかしてあげようという上からの見方か、アフリカの人のほうが自然と共生していて理想的という見方しかなかったでしょう。でもこの人は、そのどちらでもなく、自分が何を感じて受けとったかという立場で書いている。アフリカの人を理想化してるわけでもない。こういうふうに異文化との出会いを書いた本は、ぜひ子どもにも読んでほしいな。

モモンガ:お父さんが娘に語る話には、お父さんの子どもの頃のことなど、子どもとしてとても興味深いものがありましたね。娘が熱心に聞いたように、読者の子どももひきつけられると思う。だから子どもに読んでほしい本だといえる。

紙魚:そこのところはもっと読みたいと思ったな。物語の力って、力があるって説明するじゃいけないと思う。やっぱり物語の力を体験し、実感できないと。だから、お父さんがゲルトルートに話す物語の部分は、もっと読みたかったし、実感したかった。

オイラ:この本は読んでよかったね。神父さんて、最初のうち偉大に書かれてるんだけど、娘を病院へつれていくあたりからただの男になっていく。あとがきには、神父の功罪も描かれているしね。作者がドイツ人だからか、全体にイギリス人を揶揄しているようにも受け取れたな。この物語のいいところって、人間って変わるんだってことが書かれてるところだね。

オカリナ:でも、アニマがひきとられた人たちはイギリス人で、その人たちはいい人だったとは書いてるよ。

オイラ:そうか。ぼくは、おもしろくないとなかなか最後までたどりつけないけど、これは最後まで読んだんだ。じつは、ライラントの『天国に近い村』は、途中で投げちゃった。『ダレン・シャン』も途中まで。異形の人たちの記述にはついていけなかった。

オカリナ:でも、『ダレン・シャン』は売れてるらしいわよ。図書館でも、ぜんぶ借りられてて棚にはなかったの。

オイラ:こういう奇怪なことをおもしろがる子どもがいるってこと知ってるんだな、版元は。

モモンガ:不快感を味わいたくて読むのかしら。

オイラ:変なものを見たいって気持ちは、あるからね。猟奇趣味だよ。

(2001年10月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)