『黄色い目の魚』
佐藤多佳子/作
新潮社
2002.10

<版元語録>マジになるのって、こわくない?自分の限界とか見えちゃいそうで。木島悟、16歳。世界で最高の場所は、叔父の通ちゃんのアトリエ。ずっと、ここに居られたらいいと思ってた。キライなものを、みんな閉め出して…。村田みのり、16歳。鎌倉、葉山を舞台に木島とみのり、ふたりの語りで綴られるまっすぐな気持ちと揺れる想い。

ウェンディ:人物には感情移入できないのに、1行目からストーリーに入りこめて、不思議に夢中で読めて、おもしろかった。みのりには感情移入できなかったな。誰でもかんたんに嫌いになれちゃうところなんか、私は逆だから。こういう絵の話ができる叔父さんや友だちがいていいなあ、っていう気持ちはありましたね。絵は好きだけど描けないっていう部分とか。感情移入できたわけではないのに、モチーフにひかれて読んだという感じかな。本としての作りは、児童書じゃないんだけど、あとがきを読むと、作家自身は児童文学として書いているんですよね。高校生くらいを想定しているのかな。そういう年代の人が読むと、みのりの感覚とかも、すうっと伝わるのかも、とも思うけれど、むしろトレンディドラマじゃないけど、こんなふうになれたらいいなというような、あこがれの部分をくすぐる要素が強い気がしてしまいます。

紙魚:わたしは佐藤多佳子さんの大ファンなので、「小説新潮」に連載していたときから、この作品群を読んでたんですね。各回、登場人物が共通してはいるものの、立場が作品によってかわるので、1冊の単行本になるときは、どうやってまとめるんだろうと思ってました。読者層をどのあたりに設定するのかも気になったところ。ウェンディさんが言うように、人物に感情移入はしにくいかもしれない。どっぷり入りこむんじゃなくて、心地よい距離をたもちながらで並んで走るという感じ。にもかかわらず、佐藤さんが書く登場人物って、かならず好きになっちゃいます。『しゃべれどもしゃべれども』(新潮社)や、『神様がくれた指』(新潮社)でもそうですけど、登場人物に「恥じらい」みたいなものがあるんです。いい人だから好きになるんじゃなくて、恥じらいがちらっと見えたときに、つい好きになってしまう感覚がいいんですよね。恥じらいって、書きすぎるとあざとくなったり、こちらが恥ずかしくなっちゃったりもするけれど、彼女の作品は、好きになってしまう頃合なんです。おそらく、佐藤さん自身が、そうした恥じらいを持ちあわせている人なんだろうなと思います。

カーコ:夢中で読んでしまいました。2番目の話まで読んで、普通の短編集かと思いきや、次々話がつながっていくので引きこまれて。全体的に人物が魅力的。もっとこの人のことを知りたいという気持ちにさせられるんですよね。その一方で、なぜみのりがそこまで家族から疎外されていると感じているのかとか、みのりの絵が描けないと木島に言わしめるほどの強いこの子の個性って何だろうとか、なぜ通ちゃんがそこまで魅力的なのかとか、描かれていなくて、物足りない気もしました。あえてそこを描かないようにしているのかもしれないけれど。高校生くらいが読むとリアルに感じるのかな。54ページで、家族が「通ちゃんのところに通うのをひどくきらう」というのは、通ちゃんではなく、みのりが疎外されているということなのかな。ただ、私は通ちゃんのことは、よくわからなかった。この人のどこがそんなに魅力的なのか、とか。自分の家族とちがうとか、悩んでいるときにアドバイスをくれるとかはわかるんだけど、あまり魅力的とは思えなかった。

もぷしー:家族が描かれてないですよね。通ちゃんの魅力も、想像しながら読んでいました。もしかして、あえてそこを描かないようにしているのかな。そこを描いちゃうと、読者が想像できる範囲が限定されてしまうから。あるいは、年代的にそこをストレートに書くことをしないのか。実は家族はもっと思いや伝えていることがあるのに、みのりの気持ちがストップしているということで、あえてそう書いているのかとも。でも、それぞれのエピソードが、肌感覚でわかる気がして、すらーっと楽しく読めました。本の作りとしては、むしろおとなのノスタルジー。あえてみずみずしさを表現しようと狙っているのかと思いました。高校生を対象にしていたら、こういうふうに書かないのでは。でも、若い世代にも読んでもらえるように作ってあったらよかったんじゃないかな。もし自分がこの原稿を受け取ったら、どういう本作りをするだろう。もう少しだけライトテイストな感じにするんじゃないかな。と思うので、皆さんの感想が聞きたいと思いました。

:佐藤多佳子の作品は、白百合のシンポジウムで話を聞いたのがきっかけで、文庫を読んだんですが、興味深く読んで、気に入ってました。スリや落語を題材にしてたりと、視点のもっていき方がいいなと思ってました。この作品では、木島とみのりの出会い、みのりが木島の絵の才能に惹かれていく、そしてお互いに惹かれあっていく、この関係もいいな、うまいなと思いました。あと、おじいちゃんの一言一言がきいていると思いました。

愁童:前に一度読んだんですが、今回はすごい人気で図書館で借りられなかったので、印象が薄くなってるんだけど……。才能のある方だなあと思った。でも、紙魚さんと同じで、大人向けなのか、子ども向けなのか、わからなかった。ときどき、視点が動いて、中年女性的感性が生で出てくるような感じがあるね。新潮社の売りとしては、児童文学的スパイスも入れておけば、大人の小説としても、児童文学としても売れるという狙いなのかな。その分、大人の小説として読むと、弱いところもあるよね。おじいちゃんのセリフなんか、児童文学としてはOKかもしれないけど、大人の小説として読んだら、ダサイよね。どちらかに割り切った方が、読み応えのある本になったんじゃないかな。木島がサッカーチームの少年達のあこがれである年上の女性と寝てしまうっていうところも、大人の視点でも、子どもの視点でも中途半端だよね。子どもの視点ならば、もう少し書きようがあると思うけど。

紙魚:確かに、「小説新潮」で読んでいたとき、他の作品に比べると、これだけすごく異質な感じでした。新潮に限らず、最近の文芸誌って、新しい風を吹かせたいという気持ちが強いように感じます。そして新しい風を求める先が今、児童文学に来ていると思うんです。少し前までは児童文学と大人の文学はちがうぞ!っていう意識が強かったんですけど、それが変わってきて、児童文学の中にもおもしろい作家がいる、どうして今まで気づかなかったんだろうというふうになってきている。これは、文芸の方から意識が変わっていったというより、児童文学の読者の力がそうさせたんじゃないかと思います。

:佐藤さんは、子どもの本を書くときと大人の本を書くときで、意識を変えているそうなんです。『ハンサム・ガール』(理論社)などは、子どもに楽しんでほしいと思って書いているのがわかるんだけれど、大人の作品になると、自分が楽しめる作品を書いている。で、この作品では新潮社にしても、中間を狙っている感じですね

愁童:絵についての薀蓄なんかは、子どもの本としてはいいんだけど、大人が読むとある種のうるささがあるよね。

紙魚:他の作品で、調べながら詳細を書いていくのがうまいなあといつも感心していましたが、スリや落語とちがって絵の場合、表現するのがなんて難しいんだろうとは思いましたね。

:でも、絵を文章にしていくところ、わたしは、面白かったですけどね。

ペガサス:絵の描写についていえば、どういう絵を描いているのか、私はピンと来なかったですね。絵を言葉で表すのは難しいんだなあと思いました。愁童さんのお話ですっきりしたんですけど、私も最初の2篇くらい読んで、ああ、これは短篇集なんだ、すごくうまい人だなと思ったんだけど、やっぱり「私ってうまいでしょ」という感じがあって、全部読む気にならずに放っておいたんですね。で、今日の読書会が迫ってきて、もう1篇くらい読んでおこうかなあと思って読んだら、同じ人物が出てきたんで、あわてて全篇読んだんです。全篇通して読んでみると、二人を交互に描く構成は面白いと思いました。みのりの部分を読んだ限りでは、みのりが誰かをどう思っているかは書かれているけれど、相手がみのりをどう見ているかは全くわからなくて、みのりの「まっすぐな気持ち」だけが感覚的にわかるように書かれている。みのりが人からどう思われているのか、唯一わかるのが木島の部分だけ、という作りが面白かったです。わたしも、みのりが通を好きでありながら、木島をいいと思う気持ちはわかるんだけど、どうして通から木島に移っていくのかがあまりよくわからなかった。そんなの理屈じゃないといわれればそれまでですが、移っていくところが、いまいちピンとこなかったですね。もっと二人の気持ちを深く掘り下げた方がいいかな、と思いました。妹のエピソードは、ちょっと余計だったのでは? YA向けで、普通とはちょっと違うところのある高校生男女が接点をもつ、という話は最近多いような気がするけれど、「絵を描く」というモチーフでつなげたところは、うまいな、他と一味違うな、と思いました。

:みのりが通ちゃんのところから出ていかなければ、という思いは、私はよくわかる気がしました。文化祭の頃になると、最初の嫌味な子ではなくて可愛い女の子になる。友達にも話しやすくなったと言われるようになり、外に出ていけるようになるということがわかる気がします。通ちゃんのところにしか居場所がなかったみのりが、やっと自分の居場所を見つけたから出ていけたのだっていうことだと思います。

ペガサス:図式としてそう解釈すべきなんだろうなって、わかるんだけれど、感情としてわからないのよ。

愁童:そこが親切じゃないよね。通の描写はたくさんあるのに、どういう人なのかよくわからない。

ペガサス:一方通行な感じは書けているのかな?

愁童:通のところがなぜみのりの居場所なのか、そこがかなり弱いよね。それでも、こういう女の子っているなって納得して読んじゃう。時代の雰囲気を味方につけるっていうか、作者のうまいところだと思った。

:『しゃべれどもしゃべれども』は、完全に大人の小説よね。

紙魚:大人向けの小説では、人物がもっとくっきり描かれていますよね。この、ぼんやりとしている感じは『サマータイム』(偕成社)なんかにちょっと似てる。

もぷしー:一種『スターガール』(ジェリー・スピネッリ/作 千葉茂樹/訳 理論社)を読んだときの感じに似ていますね。あえて語らない部分を残したかったのかな、と自分では帰結させていた。ファッションと括ってはいけないんでしょうが、16〜17歳くらいに向けて描かれる場合、本当にそれが心地よいのか、どう意図されていたのかが気になりますね。

(2003年01月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)