『真実の裏側』
ビヴァリー・ナイドゥー/著 もりうちすみこ/訳
めるくまーる
2002
原題:THE OTHER SIDE OF TRUTH by Beverley Naidoo, 2000

オビ語録:英国カーネギー賞受賞/一発の凶弾——/それは幼い姉弟から母を奪い、父との離別を強いた。太陽と暗黒の国ナイジェリア(1995年当時)を密出国、冬霧のロンドンへ逃れた姉弟を新たな苦難が待ち受ける。愛と勇気を振りしぼって掴む一条の光
*2001年カーネギー賞

もぷしー:ずいぶん前に読んだので印象論ですが、一気に読めました。最近、もりあげよう、あきさせないようにしようと演出したファンタジー系の本ばかり読んでいたので、久しぶりに現実に基づいてしっかりかけているこの作品を、夢中になって読みました。主人公シャデーの感覚を通して物事が描かれていたのが臨場感があっていい。外から描写しようとすると、お母さんのことなどは感傷的な描写になると思う。でもこの作品では、シャデーが困ったときなどにお母さんの言葉を思い出す形でしか、お母さんは登場しない。そこが、めそめそしている暇もなく生き抜くことだけを考えているシャデーの心情を表す、すばらしい方法だと思いました。あとがきには、大人だけでなく本離れしている若者にも読んでほしいとありましたが、本離れしている若者には簡単には読めないかもしれませんね。ただ、自分の今持っているものを最大限に活用して生き抜こうとする強さと姿勢は、日本の子どもが読んでも共感できると思います。ナイジェリアの言葉がカタカナで書いてあって、意味がかっこに入っている。そこが、ちょっと作品のリズムを乱すようで気になりました。すべて日本語にしてしまってはいけないのでしょうか? 個人的に、152ページのお母さんの言葉「悲しみは貴重な宝物と同じ。本当の友人以外には見せないものよ」というのが、すごくいい言葉だと思いました。

ウォンバット:題材に圧倒されましたが、あんまりのめりこむことはできず、ちょっと……。イマ一つでした。よく知らない国のことだし題材は衝撃的だけど、物語としては『少女パレアナ』的な「私はこんなにいい子なのにどうして?! どうして?!」みたいなのが鼻についちゃって。ニュースキャスターに会えてしまったのも、ちょっとできすぎで、つくられた感じ。すぐ夢を見ちゃうのも、なんだかなあ……という感じで、お話の中に入れなかった。母の言葉も、いいなと思うのもありましたが、ゴチック体で出てくると教訓ぽくて。訳のことですけど、私はちょっと気が合わない感じ。堅いというのかな。『アルテミス・ファウル』の訳にも同じような傾向を感じたんですけれど、原文に忠実に一語一語きちんと対応させて訳してる感じ。私はそういうタイプの訳を、心の中で「置き換え派」と呼んでいるのですが、このお二人は「正統的置き換え派」かなと思いました。正確を期そうという誠実さは感じますが、たとえば原文に強調の言葉があるとき、それを「とても」とか「すごく」とかにしてしまうと不自然な感じになってしまうことがある。日本語では必ずしも「とても」や「すごく」を使わなくても、強調することはできるんじゃないかと思うんですね。

きょん:3冊の中では非常に興味深く読めたし、2人の子どもの心情表現が対照的で理解しやすかった。困難に立ち向かうときの子どもの態度や反応については、母親が目の前で殺されたといった異常事態だからというより、もっと普遍的なように感じました。まわりの人がずいぶん親切だったり、都合よくストーリーが運ぶな、と思うところはありましたが、現状を切り開くのは自分の力しかないんだというメッセージが感じられたのでよかった。お母さんの言葉は少し教訓的なところもありますが、一つ一つが心にひびいてくるいい言葉だったので、ぐっときました。シャデーがいい子すぎるんだけど、最後に爆発するところでほっとします。「出てって」と叫ぶところですね。この「いい子」というのは、長女にありがちな側面のように思います。弟が全然だめな分イライラしながらも、よけいにがんばっちゃうところは、いかにもそうだろうなあという感じ。お母さんが作ってくれた思い出の品物をなくしちゃうところでは少し悲しくなったけど、お父さんがオコとイヤオを持ってきてホッとしました。この作家のほかの作品も読みたくなりました。非常に好きでした。

アカシア:この本でゴチック体になっている部分は、とても強い印象で目にとびこんでくるけど、原書ではイタリック体で、そんなに強くない。

トチ:ゴチック体だと、看板みたいだものね。

アカシア:区別をつけつつ、ゴチックほど強くない書体があればいいんだけど、この辺が日本ではなかなかむずかしい。

ペガサス:まず筋立てがドラマチック。お母さんが殺害されるという、これ以上ないような悲劇がおこり、それを受け入れることもできないうちに事態はどんどん先へと進む。一難去ってまた一難で、自分ではどうしようもない運命に翻弄される子どもたちの行く末が心配で、先を読まずにいられない。筋立てで読者をひっぱっていく強さがあると思いました。そのような状況下で、自分を見失わない主人公の強さが感じられ、それを描くのに、テクニックとして夢や記憶の断片を織りまぜて、しっかりと心理描写をしている。また、子ども対大人の図式がはっきりしていて、子どもの子どもらしいところがよく書けている。次々知らない人に会っていくんだけど、自分なりのあだ名をつけたり、自分の敵なのか味方なのかを本能的に察知するなど、子どもらしい目が感じられました。また、常に自分が悪いんじゃないかと思って自分を責めたり、反省したりするところも、子どもらしい。12歳にしては子どもっぽくは感じられるんだけどね。
新鮮だったのは、西欧的ではない視点でロンドンの町の暮らしが描かれていたことですね。緑がない、汚い町の様子、非人間的な人々、学校で出会う女の子たちも醜悪に描かれている。それと対照的にナイジェリアの人々の豊かさを感じさせています。アフリカの人たちが、言葉や、お話を大切にする心も描かれている。主人公の中でも、自然や色が、大きなものとして存在している。また家族の強い結びつき、大家族の中の幸せが感じられ、それに対してイギリスの家庭は、グラハム婦人の家庭もどこかゆがんでいるようだし、子どもが出ていって二人だけになったロイおじさん夫婦もアフリカの家族とは対照的に描かれているように感じられましたね。
日本語版の装丁は、子どもにとっては手にとりやすい感じではない。もっと子ども向けに出してもいい本なのに。中学生くらいの子どもに読んでほしい。

トチ:出版社はどういう読者を想定して作っているのかしら。

アカシア:読者対象をしぼりきれてないのかな。題名も直訳風でかたい。これでは、大人にも子どもにも手に取ってもらえないんじゃないかと思うと、もったいないな。

カーコ:今回の3冊の中では、いちばんおもしろかった。視点を子どもに持ってくる手法が成功していると思いました。日本の子どもの現実とはかけはなれた題材を扱っていて、残酷な事件で始まるけれど、主人公の視点にひきつけることで、読者は世界に入っていける。フェミが心を閉ざしてしまうのにイライラしたけれど、それもこの年の姉弟の関係としてはリアルだと思った。シャデーがいい子すぎるという意見があったけれど、最後のほうに、自分のせいでお母さんは死んでしまったのではないかと思ったというところが出てくるじゃないですか。そこでストンと納得できた。伏線がきちんと引かれているんですね。子どもにわかるように書かれているのだから、子ども向けに出してほしかったです。
訳は気になるところがいろいろありました。たとえば、289ページのお父さんの手紙の中、「永い永い時をへだてて、言葉は剣よりも強いのだから」の「へだてて」は原文はどうなっているのだろうと思いましたね。

ねむりねずみ:acrossとなってるから、「超えて」って感じ?

アカシア:アマゾンなんかで見ると、原書は小学校高学年向きとか中学生向きなんて書いてあるけど、日本語版は読者をもっと上に想定してますよね。ルビも少ないし、訳も子ども向けならもっとしなやかにしてもいいと思いました。171ページに「ナイジェリア語」とあり、284ページに「ナイジェリア語の新聞」というのが出てきますが、ナイジェリア語というのはないから、ここはナイジェリアの言葉、ナイジェリアの新聞と訳してほしかった。
まわりの人が親切すぎるという意見が出てたたけど、イギリスは難民を保護するいろいろな手段があるので、そこはリアルなんじゃないのかな。子どもが子どもっぽいというのも、ナイジェリアの階層が上の人は親が権威を持っていて、保護されている状態の子ども時代が長いんだと思う。
イギリスには今外国から入ってきている子どもも多いから、そういうのがリアルタイムでどんどん作品に取り込まれてきているんですね。イギリス児童文学のダイナミズムは伝わってきますね。

ねむりねずみ:私は、うーんという感じ。一つは訳にひっかかって読みにくかったのと、話ができすぎていて、都合よく行き過ぎる。なんかきちんと始末がついていないのがいやでイライラした。お母さんが自分のせいで死んでしまったのでは、という罪悪感にしても、ちゃんと解決したのかどうかわからない。いじめにしても、現実はもっとエスカレートしていくものだと思うのだけれど、なんとなく消えてしまっている。こういう題材で書くのはたしかに大事なことだけど、これならアフリカの少年兵の話(Little Soldier)のほうがリアリティがあったと思う。

アカシア:バーナード・アシュリーの作品ですよね。慈善団体に保護された少年兵が、イギリスの家庭に引き取られるという設定で、その子が、イギリスの若いギャング同士の抗争に巻き込まれていく。

愁童:ぼくは、ウォンバットさんと同じ印象でのれなかった。お話の枠組みが、ああ、またかと言う感じ。飛行機で外国に亡命できる子どもを通じての体制批判。日本の子どもに通じるのかなぁ? この10歳の弟は、幼く書かれ過ぎている。目の前で母親が殺されたのに、同じ条件にある、たった3つしか年上でない姉のお荷物になるばかり。反骨のジャーナリストである父親の子にしてはリアリテイが感じられない。けなげな姉の引き立て役としてしか機能してない男の子。やだね。戦後は日本にも孤児がいっぱいいたけど、もっとたくましく生きてたよ。

アカシア:でも、まわりにもいっぱい同じような運命の子どもがいる時代ではないのに、突然目の前で自分の親が殺されるのだから、パニック状態で自閉的になるのはリアルなのでは? ナイジェリアの、賄賂が横行する社会を書くだけでジャーナリストが殺されるという状況は、日本では文化的なギャップがあるから理解しにくいかもしれませんね。イギリスでは、ナイジェリア政府に楯突いて死刑になったケン・サロウィワのことは大きく報道されたので、読者もそれとだぶらせて読むことができると思うんだけど、日本では難しいね。あとがきでもう少し詳しく説明してもよかったかもしれない。