『フラワー・ベイビー』
アン・ファイン/著 墨川博子/訳
評論社
2003
原題:FLOUR BABIES by Anne Fine, 1992

版元語録:フラワー・ベイビーを育て、しかも3週間育児日記をつける…。理科で押しつけられたクラスは不満の嵐。しかし、サイモンは世話をしながら考えます。
*カーネギー賞受賞作品

アカシア:原書で読んでたんですけど、日本語版の表紙の絵を見てあれっと思いました。この脚の感じだと、幼い子ですよね。せいぜい小学校中学年までにしか思えない。主人公は何歳なんでしょう? アメリカ版の表紙には高校生くらいの男の子が出てます。プロジェクトのやり方や、子どもたちの態度や発言からすると、中学生くらいかな、と思えるんですけどね。導入の学校でみんながわいわい言ってるところとか、先生と生徒のやりとりとか、ただまじめに訳すと面白くなくなって、翻訳が難しいですね。フラワー・ベイビーのプロジェクトをやることになったいきさつとか、主人公が自分の父親のことを考えていくくだりとか、アン・ファインは語るのがうまいなあと感心しました。

ケロ:挿絵を描いたのが外国人ですが、英語版を描いた人が描いたんでしょうか?

アカシア:アメリカ版でもイギリス版でも、この絵は見たことなかったんですけど、日本にいる外国人に書いてもらったのかな?

ケロ:確かに、読んでいて主人公の年齢はよくわかりませんね。英語版でも、読んでいて年令設定がわからない感じがするんでしょうか。

アカシア:小学校低学年とか中学年で勉強が嫌いだったら、こんな作文は書けないんじゃないかな。それに、p112には、自分の父親が「今のサイモンよりほんの少し年上」だったと書いてありますよ。だとするとサイモンは、少なくとも中学生にはなってるんじゃないかしら。だから表紙には違和感を感じるんですね。

カーコ:p87に小学校のことが過去形で出てくるし、もう小学生ではないでしょう。

雨蛙:テンポがよくてとても面白かったけど、その分、訳にひっかかりました。中学生と高校生になる甥っ子たちはどう感じるのか、読ませてみたいですね。ただ、タイトルが「フラワー・ベイビー」のままでは、自分から手に取ることはないだろうな。主人公と同じくらいの男子生徒には、挿絵もかわいすぎる。主人公たちは、授業の内容などから、中学校3年生とか高校1年生くらいじゃないかな。そのわりにやっていることが幼いように思うけど。物語の最後、父親のことを自分で完結させるところは、性急でもったいない。まあ、男子生徒が読むにはいいかなと思いました。

ケロ:父親との関係を、自分の中で納得させるまでに、たしかにもう何段階かあってもいい と思いますね。

アサギ:プロットがとても上手にできてるけど、こういう作品って私は好みではないのね。自分が翻訳を仕事にしていてこういうのもなんだけれど、外国のお話と言う感じが強烈にする。日本の作品とテイストが違うからこそ、翻訳の意義があるのは事実なんだけど、それを考えに入れた上でも、こういう展開は好きじゃないなあと思いながら読んでました。書名は、何のことかまるでわかりませんでした。むろん、本文を読んで、なるほどこういうことなのか、と読者に思わせる効果もあるので、わからないからいけない、とは言い切れないけれど。翻訳はとてもひっかかりました。こんな言い方しないだろうと思ったところがいくつもあったし。それに、p94の「作文の字が間違っている」というところだけど、それなら、訳文にもその痕跡があったほうがいいと思いました。それからp59の5行目に「男の子に人形をあてがえば、すぐにふさぎこむ。女の子だったら、いったいどうなってしまうのだろう」ってあるけど、どういう意味?

アカシア:私もここはひっかかったんだけど、翻訳者が意味を取り違えてるんじゃないかしら。男の子にも育児を分担させようとして、あるいは育児について学習してもらおうと思ってお人形をあたえても、すぐに考え込んだりふさぎこんだりするんなら、女の子たちも未来の家庭に希望がもてないわね、というふうな意味じゃないかな。アン・ファインの原文はなかなか難しくて、意味を深く読み取りながら訳さないと無理だと思うの。

アサギ:ほかにもこんなこと言わないよね、と思ったところがいろいろあったわ。p196の後ろから3行目なんかもそう。言いたいことはわかるけれど、様相なんていう言葉を子どもの本で使うかなあと思って。それはともかく、いいテーマだしプロットも良くできてるから、読後感想文は書きやすいわよね。ところで、父親との関係はこれで解決したのかしら? お父さんのことが吹っ切れたのはわかるけれど、なぜ吹っ切れたのかが良くわからない。 書き込みが足りないんじゃないかな。

アカシア:第一章や第二章で生徒たちが言い合ったり、先生とやりとりする場面なんだけど、話してる内容よりも、俗語でしゃべってるテンポみたいなところで読ませるわけですよね。それを日本語で普通に訳しても面白くならない。これが最初にあると、入り込めない子どもがたくさんいるかもしれないな。

アサギ:確かになかなかお話に入れなかったわね。

ハマグリ:カーネギー賞を取ったし、評判も高かったので、私はとても楽しみに読んだのに、あまり面白くなくてがっかりしちゃった。やっぱり最初の教室の様子が日本の子が読むことを考えると、もっと身近でそうそうこんな風と思えるようでないとだめだと思う。教室での会話が続くところもあまり面白くない。

アカシア:イギリスの子が読んだら面白いんだと思うけど。

ハマグリ:その良さが出てないよね。どうして小麦粉の袋を赤ちゃんとして愛情を注ぐようになるのか、という点もぴんとこなかった。発想が面白いし、主人公がこのプロジェクトによって変っていくというストーリーだけ聞くと面白そうと思うんだけれど、実際に読んでみると納得できるようには書かれていない。

アカシア:最初は「爆発」にひきつけられているのが、だんだんいろいろなことを考えるうちにいとおしくなってくるのよね。その微妙な心理の過程が原書ではうまいと思うけど、訳文では出てないのかもしれないな。

アサギ:頭で書いた作品という印象が抜けなかったですね。

ハマグリ:この本ではそういう良さがわからないからがっかりと言う感じ。こういうのを訳すのは本当に難しいと思うけれど、先生の言葉にしたって「よく見たまえ」「わたしにはわからん」なんて言わないし、会話の面白さは伝わってこない。この先生のキャラはきっともっと面白いのに、残念だと思いますね。話の流れが頭では理解できても楽しめなかったという感じなの。物語の世界にすっとはいれないのは、生徒たちの年齢がわからないせいもあると思う。この本つくりだと、せいぜい5、6年生くらいの感じで、中学生は手に取らない。最初のページにこのクラスが四−Cと書いてあるので、日本の読者はぜったに小学校4年生だと思って読むと思うのよね。4年生と思って読んでいくと、授業の内容がもっと上の感じだから、最初から何か居心地の悪い感じになってしまう。

アカシア:イギリス版は四−Cだけど、アメリカ版は教室番号八になってましたね。

ハマグリ:ともかく四と言う数字を出したら、日本の子は4年生と思ってしまうから、誤解を与えないように工夫してほしかった。

ケロ:勉強が苦手なサイモンが、とても難しい引用をしますよね。

ハマグリ:書名のフラワーは、普通はお花だと思ってしまいますよね。表紙に原綴が書いてあるけど日本の子どもは絶対に小麦粉だとはわからないでしょう。何かもっと斬新な意訳をしてもよかったんじゃないかしら。表紙の絵も内容よりも幼いし、本作りが中途半端ですね。

アサギ:最後の2行、へんに大仰で違和感があったわ。

アカシア:著者のユーモアが、日本の読者には伝わってませんね。

ハマグリ:原書を読んだ方たちの印象からは、ユーモラスなところや、くすっと笑うところがたくさんあるようなのに、日本語ではそういう面白さは全く感じられない。がっかりな一冊でした。

むう:私も原書を読んで、この本はすごく面白いと思ったんですけどね。ほかのファインの本に比べても絶対に面白いんだけれど、それが訳には出ていないみたい。

ケロ:発想はすごいなあって思いました。小麦粉を赤ん坊に見立てることをやらされているうちに、自分がまさしくその赤ん坊だったらということに思い当たって、自分を投げだして出ていってしまった父親のことを考えるようになる、なんて、すごいですよね。でも、プロットがあって、あと肉付けがたりないという気がしました。サイモン像がとてもゆれて、どんな子なのか、よくわからなくなったりしたので。これは、翻訳の問題なのか、もともとの話を読んでもそう感じるのか、知りたいです。読んでいて、翻訳がへたなのでは? とは思いました。あとがきを見ると、はじめての翻訳とあったので、なれていないのかな? とも。
最後は、サイモンがどうやって納得したの? というところもわからない。p248あたりからサイモンが突然語っちゃうんですが、その内容がわからない。流れがぷつぷつ切れて。翻訳の問題なんでしょうか、原作の問題なんでしょうか。

アカシア:ここは、ばんばん投げたり蹴っ飛ばしたりしながら、ちょこっと考えている感じなんですよね。それがカタルシスになってもいる。でもこの訳だと大まじめになっちゃってるから伝わらないかも。

むう:原作を読んでの一番印象に残ったのは、いい子になりそうになって、いろいろ考えて、結局それをバーンと蹴っぽる爽快感だったんだけどなあ。

ハマグリ:そういう爽快感ってこの訳者は全く読み取っていないんじゃないかしら。あとがきを読んでも、まじめ一辺倒な感じ。何か違うんじゃないかっていうギャップがつきまとって、不満が残るんですよね。

:私はとても面白く読みました。訳でひっかかったところもあったけれど、ストーリーの面白さで引っ張られて、読み進めました。最初のところでは、小学校の高学年かなという印象でした。この小麦粉の袋のプロジェクトも へええ、こんなことをするんだ、と思って面白かった。学校でこういう内容をテーマの選ぶこと自体に、国民性の違いや、自由な発想力の底力のようなものを感じました。翻訳物を読むときの面白さは、そういう違いを知る楽しみがあると思う。

アカシア:こういうプロジェクト、むこうの学校では実際にやってるみたいよ。

:もうわくわくして読み進めると、フラワーベイビーを世話するうちに、出て行った父親の気持ちをたどり始め、さらにフラワーベイビーにこんなに愛着を持っちゃって。ゴミ箱行きから救い出したところで、この執着からどうやって解放されるんだろうって、どうなるのかなあと、はらはら。最後の小麦粉だらけになるもって行き方は爽快だった。父親の家出の原因が、ずっと気持ちの奥に沈んでいて、今回のフラワーベービーとの出会いで浮き上がってきて、自分の中で解決とはいかなかったけれど、そこでぐっと吹っ切るところに、子どものエネルギーを感じました。面白さで引っ張られて読んで、訳のおかしいところは皆さんから聞けるだろうと思って気にしませんでした。

カーコ:私はみなさんと同様、最初は文章につっかかって入りにくかったです。フラワーベイビーの研究にのめりこんでいくきっかけが勘違いというのが面白いですよね。勘違いとわかったときどうなるんだろうというドキドキと、父親へのこだわりというサイモンの内面の部分という二つの線で引っ張られて、真ん中まで読んで面白くなってきたところで時間切れでした。p14〜15に出てくる授業科目や、サッカーが部活動みたいなところからすると、主人公は小学生ではなさそうだけれど、それにしては幼稚。原作ではっきりわからないとしても、訳者が編集者と話して、主人公は何年生と決めて訳してくれればもっと読みやすかったのではないかしら。

むう:これって、私がはじめて読んだアン・ファインだったんです。原書で読んで、読み出したらとまらなくなって、ほとんどショックでした。それで、続けてアン・ファインのほかの作品を読んだんですが、たしかもともとがテレビ関係のライターをしていた人なので、ひじょうにテンポが速くてプロットを作るのも上手。職人芸的な意味でもじょうずな人だなと思いました。でもほかの作品は、じょうずさが勝っていて、この作品ほどすばらしいと思わなかった。原書は、表現が切り詰められているので、確かに翻訳は難しいと思います。途中でどんどんまじめになっていって、どうなるか、どうなるかと思ったら、最後の場面で、「ヘーンだ!」と真面目を蹴っぽる。そのぐーっと揺れる揺れ幅が大きくて、最後にすかっと爽快になるんです。でも今回原書と読み比べてみたら、大事なところで意味を誤解しているようだったり、言葉遣いに統一感がなかったり、会話が自然な感じがしなかったりで、読み進むのにとても引っかかった。!一番肝心なサイモンのタフさが伝わらないような形で紹介されたのは、とても残念です!

(「子どもの本で言いたい放題」2005年5月の記録)