『コララインとボタンの魔女』
ニール・ゲイマン/著 金原瑞人・中村浩美/訳 スドウピウ/絵
角川書店
2003
原題:CORALINE by Neil Gaiman, 2002

版元語録:秘密の扉の向こうの世界に住む、真っ黒なボタンの目の両親たちとの生活を楽しみ始めたコララインだが、やがてその世界に閉じこめられていることに気づいて−−!この秋一押しの傑作ファンタジー!

きょん:忙しい中、細切れに読んでいたので、読み込みが足りないのかもしれませんが……。扉の向こうは夢の世界なのか? 不思議な、暗示的なストーリーだなという印象でした。しかし、なんの暗示なのか、よくわからなくて。両親を助け出すために、知恵を絞り、小さな少女コララインが必死にがんばるんだけれど、ボタンの魔女がいったいなんだったのか、よくわからなかった。“もう一人のママ”というのが、意味を持ったものなのかと思っていたら、最後まではっきりしなくて。案内役だった猫は、こちらの世界でどこへ行ってしまったのか? コララインが助けた3人は、いったい誰だったのか? 訳が、あまりひっかからなくて、盛り上がりもなくさっと読めたのも、印象が薄い要因かもしれませんね。

:不思議な感じのする始まり方ですね。家自体、住んでいる人自身が不思議で何かが起こりそうな舞台設定。コララインは家族にあまりかわいがられていない感じなので、魔女がかわいがるから子どもが寄っていくのかな? でも、なぜ魔女がそうなのかわからない。魔女と対決するあたりは、いちばん盛り上がりがあるところですけど、あの魔女はなんだったの? という違和感が残ります。

:動機が甘いファンタジーだなと思いました。簡単にファンタジーの世界に入りすぎてしまって、ボタンの魔女がなんだったのかもわからなかったし、この物語を通して作者が何を言いたかったのかもわからない。現実の世界に何か不満をもっていたのかどうかもよく伝わってこない。また親との結びつきが書きたかったのかというと、そこも最後まで伝わってこない。そのわりに、主人公が賢すぎて、冒険を簡単にクリアしていく。このイラストレーターは他の作品では好きな人ですけど、この話には合ってませんね。この作品は、アメリカでは、子どもたちと大人の読者の反応が分かれたそうですが、おそらく大人は魅力を感じなくて、子どもに支持されたんでしょう。日本の作品でいうと、例えば「大海あかし」の魅力に近いのではないでしょうか。子どもは、それほど動機づけがなくても、ぞくぞくわくわくするストーリーがあれば、さほど気にせず読み通してしまう。そんな点で、子どもに支持されたのでしょうか。

カーコ:アイテムとストーリーのお話という感じでした。目がボタンの人間のイメージとか、同じ家に住む不思議な人たち、穴のあいた石、黒ネコなど、おもしろそうな道具だてを組み合わせて、ストーリーが作られている。ドキドキするところがあって、子どもには面白いのでしょうけれど、文学として味わったり、考えさせられたりする作品ではありませんでした。あと、コララインは何歳かわかりませんでした。絵を見たら小さい子だけれど、母親とのやりとりからすると10歳くらいかしら。ストーリーからすると読者対象は小学校3、4年くらいかなと思ったのですが、それにしてはこの文章はかたいように思いました。訳もひっかかって、ところどころ何を言っているのかわからないところもありました。

愁童:お化け屋敷のガイドブックみたい。ディテールは、うまく書けていて説得力もあるけど、主人公のイメージが湧いてこない。舞台装置は立派だけど、役者が出てこない芝居を見せられているような感じ。

アカシア:ファンタジーの構造としては、古い家に引越してきて退屈している子どもが、孤独な時間のなかで日常の世界をつきぬけてアナザーワールドに行ってしまうというもので、ピアスの『トムは真夜中の庭で』とかジョーン・ロビンソンの『思い出のマーニー』なんかと同じですね。まわりに遊び相手の子どもがいなくて、つきあうのは大人だけという設定なので、そういう子どもの抑圧した心理状態を書いているのかなと思うんだけど、その辺はよくわかりませんね。文学というよりゲームみたい。ボタンの目の家族っていうのは、アイデアとしては面白いけど、もう一人の母親が魔女というだけで、それがなんなのか背景などは書かれていない。コララインが魔女と対決して囚われの魂を取り戻すところでは、困難の描き方が単純なので、ハラハラドキドキできない。一時代前のファンタジーは、隅々まで世界を構築してからその一部を作品にする、というものも多かったんですが、これは今風のゲーム的ファンタジーで、読者の頭の中に物語世界が構築できませんね。想像もできない。英語のアマゾンなどでは、クリーピーストーリー(不気味な物語)という評でしたが、それを薄めるためにこのイラストにしたのかしら?

うさこ:興味深く読んだのですが、この物語の感想は、まさに疑問の多さ。もう一人のママの目的はなんだったんだろう。ネコの言葉では「たぶん愛する相手がほしいんだろう…」、3人の子どもによれば「命を奪うこと、喜びも奪われる」っていうことですけど、奪ってどうするつもりなのだろうという疑問が残ります。また、ボタンの魔女が「あなたを愛しているのよ」→コラライン「愛していることはわかっていた」ボタンの魔女「あなたを愛しているのは知ってるわね」→コラライン「でも、愛情の示し方がへん」というやりとりがありますが、具体的に書かれていないので伝わってこない。おなかがすいているときにチーズオムレツを作ってくれたことが愛情なのかな?
こっちの世界とあっちの世界が必ずしも対称的になっているわけではないですけど、両方の世界観のバランスが悪いという印象。
p103の「マントルピースの上にスノーグローブがあって…」のところは、コララインはここで両親だとピンときていない。スノーグローブのなかに小さな人間が二人入っているというのは、確認しているのに。この二人を何だと思ったのかしら? p184でようやくマントルピースに手をのばし、スノーグローブをつかみ、ポケットへ。物語の構成が甘いと思いました。それに、コララインはボタンの魔女をずっと「もう一人のママ」という言い方をしてますが、最初は別として実質上だんだんそう思わなくなってからも言い方が変わらないのには違和感を覚えました。
イラストは、p136で「自分のパジャマとガウンに着替えスリッパにはきかえ…」と文にあるのに、p153,154,168のイラストはもう一人のママが用意した(p100で着替えたはずなのに)グレーのセーター、黒いジーンズ、オレンジのブーツのまま。p181で突然ガウンのみはおっているが、足はスリッパかな? p90とp99のガウンの色が違うのはなぜ? p22-23のレイアウトは面白いが、犬は3匹では…など、絵のチェックはどうなってるんでしょう? 大事に作ってほしいので残念。

ケロ:「逆境に負けない女の子」というテーマに沿って読もうとすると難しかったですね。それでは、この本は何の話なのかなと思うと、わからない。主人公の女の子は、引っ越したばかりで近くに遊ぶ友だちもいない。親も仕事が忙しいので遊んでくれない。また、新学期前の中途半端な時期で、新しい環境への不安もあるだろうと思います。そんな自己閉塞感から、妄想の世界を作ってそこで遊ぶ、というのは、子ども的には、すぐにポンと行けるアナザーワールドなのだと思います。妄想しやすい他の階の住人もいますし。その世界に遊ぶことと、その誘惑を断ち切って、現実に立ち向かう強さを手に入れて帰ってくる、という儀式のようなものなのかな、とも思うのですが、深読みのしすぎでしょうか? 気になったのは、ハリーポッターの賢者の石や、アダムスファミリーの手など、なんか、どっかで見たなーというようなものがずいぶんありました。

ブラックペッパー:たいへん読みづらくて、一回向こうの世界から戻ってきて、また向こうの世界に行ったあたりから、行き詰りました。苦しく思いながら読み進めてもコララインを応援する気持ちにはなれなくて、ママがゴキブリを食べるところがすごくいやだった。「毛のないゼリー」って出てくるのですが、ゼリーには普通毛がないのでイメージしにくい。ま、ここはヘンな生物についての描写なので、わかりづらいのは仕方ない、ということはありますが……。あと、イラストが文章と合ってないところがいくつかあって気になりました。p63のナイフを投げる人の服装や、p180のママの髪がよじれてるはずがストレートだったりするところなど。しかし、話自体に熱中できなかったのに、読み終わってみると、嫌な物語というわけでもなかった。

ちゃちゃ:作者のゲイマンは、親や児童書を扱う図書館司書のような大人の女性は「とにかくぞっとする」などというネガティブな反応なのに対して、子どもはけっこう面白がって読むといった話をしていたらしいんですね。私ははじめに原文を読み、次に訳書を読んだところ、日本語版では恐ろしさがすっかり薄まっている気がしました。原書は、筋立ての気味の悪さをイラストが何十倍にも強めているようなところがあって、たとえば魔女がゴキブリを食べるシーンがイラストになっていたり、魔女の目もボタンがとても大きくなっていて、不気味このうえない。ただ、小さな男の子だと、ゴキブリを食べるとか、そういう大人の汚がることを面白がる傾向が強く出る時期があるので、大人よりハードルが低いようにも思います。また、コララインの反応の細かいところが、基本的に子どもの考えそうなこと、やりそうなことなので、そういう意味で子どもは「ある、ある」と思って読んでいくのではないかとも思います。ゲイマン本人は、親がいなくなるというのは大人にとってはとても怖いことだが、子どもにとっては、この世の中はハッピーエンドの物語と同じなので、自分がジェームズ・ボンドになったような冒険気分で読めるのではないかと言っていたらしいですが、この本は女の子が主人公でありながら、実は男の子の感覚に近いものがあるような気がします。ただ、魔女の作った奇妙で空っぽでぼわっとした世界が、そういう世界としての輪郭をきちんと持っていないような気がします。ぼわっとしていて奇妙だというところがリアルに伝わらないため、印象がぼやけているのが残念です。今、映画化が進んでいると聞きました。

小麦:私はするすると面白く読みました。クラシックな作品とは一線を画す、まさに現代のファンタジー。主人公の内面の葛藤や心理、周囲との関係性を軸に描く のではなく、ひたすらストーリーの展開の面白さで、テンポよく引っ張っていく。行間で読ませる『キス』とは対照的だなと思いました。主人公のコララインは、迷ったり悩んだりしないで、彼女自身がストーリーテラーのように元気に物語を切り開いていく。ちょっとロールプレイングゲームっぽいかも。映画やゲームのノベライズ作品を読むときって、小説とは違った、一気に読める爽快感のようなものがあるけれど、この作品もそれに似た読後感がありました。著者のプロフィールに「コミックの原作をしている」とあって、なんか妙に納得してしまいました。文章も映像的。ボタンの魔女の世界で、近所のおばあさん姉妹の舞台を、客席にずらりと犬が座って見ているシーンなんか、なんとも不気味で、デビット・リンチの映像なんかで出てきそう。シーンごとの不気味な雰囲気づくりがうまいなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2005年10月の記録)