ミラボー:『平成マシンガンズ』よりも安心して読める。おじいちゃんに対するマイナスイメージをのりこえ、最後解決して終わっている。ゲートボール場で週一回会える彼は、顔がよくてモテて、うらやましいですね。

むう:なんというか、文章がとげとげしていなくて、つるつると気持ちよく読めました。デビュー作の『佐藤さん』のときのような、極端に最後が破綻しているということもなかったし、おもしろかった。家族のことは、どうだろう、うまく書けているのかな? 父親の出てき方が唐突な気がしたな。前にもうちょっと書き込んだほうがいいと思いましたね。

アサギ:ストーリーがうまくできていると思いました。危なげなくまとめていて、破綻がない。とくに会話がうまいですね。まあ、インターネットで発言している人も多いから、一見気のきいた文章を書ける人はふえているという面はあるけど。主人公の名がサコで茶畑からとったことや犬が実は兄弟など、いろいろ伏線があって、最後にいたって物語が収斂していくとこなどもうまい。一方で、まだ高校2年なのに、こんなにきちんとまとまってしまっていいのかな、って言う気もしましたね。146ページ、高卒でフリーターという状態に対する自分の差別意識については、けっきょくどうなったのか疑問が残りました。苦い缶コーヒーは大人の味、ジャンジャエールは子ども、のエピソードは古典的ね。1956年頃の雑誌『ジュニアそれいゆ』にも、同じような描写があったのを思い出しました。

アカシア:『佐藤さん』よりうまくなっていますね。犬のギバちゃんという、本筋とは関係ない存在を出してきているのもうまい。会話もジョナさんの口調をのぞき、おおむねうまい。文体もリズムがあってとてもいい。ただ、おじいちゃんが好きだったのに、嫌いになっていく過程があまりちゃんと書かれていない。62ページで、介護するお母さんがおじいちゃんの悪口を言い続けるとありますが、普通は好きなおじいちゃんが悪口を言われたら、嫌いになるよりは味方をしたくなるのでは? 185ページでは、「大好きだったおじいちゃんが、毎日老い、衰えていくさまを目のあたりにするのはつらかった」とありますが、その次が「おじいちゃんのことを忘れることにしました。はじめから嫌いだと思ったなら、つらくないと思ったから」だけでは、読んでて物足りない。
私がいちばんひっかかったのは、この年齢の男性で、ジョナさんみたいな人がいるとは思えないということ。主人公がジョナさんを美化してるので容貌についてはリアリティがなくても仕方がないと思うんだけど、なんのために毎週この子のとこに来るんでしょうね? 好きでもないのに? 来る理由は本の中で一応説明されてますが、説得力がありません。もうちょっと年齢が上だったら、まだわかるんだけど。P181では「うん、がんばるよ。今までずいぶん回り道もしたけど。でもそれが結果的にはよかったと思うんだ。この仕事に出会わなかったらたぶんこんなふうに思うことはなかったと思う」なんてクサい台詞を言うんですが、これもリアリティがない。女の子の会話はとてもリアルなのにね。

アサギ:確かに人間像は安易な感じ。福祉の仕事をやる、とか。

ウグイス:どうしてこの主人公は毎週犬を連れて公園に行くのか、きっとおじいちゃんと何かあったんだろうな、次第にそれが明らかになっていくのかな、と思って読み進むんですが、最初に期待していたほどのことはないままに終わっちゃうわね。トキコとの会話が生き生きしていて読ませてしまうが、ストーリーとしては場面がどんどん展開していかないので、途中で飽きてしまう。もう少し何か事が起こってほしい。『佐藤さん』のときはアハハと笑える描写がたくさんあって、そこが好きだったけれど、前よりユーモアが消えちゃったのが残念。私は『佐藤さん』のほうが、新鮮な感じがした。表紙の絵は平凡で魅力を感じないな。それに、ギバちゃん、もこみち、キムタク……、なんて出てきますが、今の読者にはぴったりでも5年もすれば古くなっちゃう。もったいない気がする。

紙魚:『佐藤さん』に比べると、なんだか人間としても、作家としても、大人になったなあと感じさせられました。『平成マシンガンズ』と決定的にちがうのは、人間に対して気持ちが素直で、手探りに懸命でいるところ。人を向こう側まで見ようとして、好きになろうとしている姿勢は本当にほほえましい。それに会話のセンスがいい。いくら作者が若いからといっても、やはり書く力がないと、物語の登場人物にここまで小気味よく会話させられないと思います。おじいちゃんについては、もっと秘密があるのかと思いましたが、なんだかちょっと消化不良な感じ。『平成マシンガンズ』は、自分のことばっかりで、まわりに目がいってない。『ジョナさん』は、自分とトキコという関係性を書こうとしている。そして、『わたしの、好きな人』は、もっと世界が広がって、家族とか他人とか、社会も出てくる。こういうちがいって、やはり作者の年齢もあるのかなと思いました。そう考えると、子どもが読む本を大人が書くということには、やはり意味があるのだと思います。

カーコ:おもしろく読みました。先が読みたいと思わされて。『佐藤さん』のときよりずっとうまくなりましたよね。まず、会話がよかった。今風の高校生の会話だけど、決して下品ではなく、気持ちよく読める、その加減がうまいと思いました。それから、トキコの見えない部分が見えてきたり、昔のことを思い出したり、いろんなことがからみあって自分や相手を理解していく過程、二人の関係がおもしろかったです。それがあるから、今まで目をそらせていたお父さんやお母さんに、だんだんと目を向けていくんですよね。高校生がこんなふうに考え、書いてくれるのがうれしい。

愁童:好きでした。『平成マシンガンズ』と比べて印象的だったのは、主人公の相手役になる人物像の描き方の巧拙。『平成〜』のリカちゃんはエロ本が机の上に積まれていたということだけで、何故そんなことをされるようになるのか、読者には不明のまま。こちらはトキコの「私、大学行かないよ」の一言の背景を簡潔に、読者に分かるように書いていて、その後の主人公とトキコの関係に説得力と立体感を与えていて好感が持てた。文章のリズムもいいし、若いけど、フリーター、やニートみたいな生き方への視点もきちんと持っている。ひさし君が定職に就くことになって、作った一番最初の名刺を貰う、なんてややクサイ感じはあるけど上手いと思う。同世代の読者に支持される理由がこの辺にあるのかなとも思いました。

うさこ:『佐藤さん』ほどパンチ力はないけど、読み手を引き込む何かはあるな、と思って読みました。トキコとの関係が気持ちいい。媚びるのでもなく、大げさでもなく、何か読み手のなかにストンと落ちていく感じがいい。前半はおもしろかったけど、後半の「ジョナさんについてジョナサンで語ろう」の章あたりはかったるいし、なんかわざとらしい感じが。おじいちゃんの魅力をもっと書いてほしかった。ホステスさんのことを「女神様」とよんだりしているところにこのおじいちゃんの深さがあるのではないかと思ったけど、それしか書いていなかった。どこがどう好きとかもう少し書けていれば、深みが出たと思う。最後、犬が兄弟の犬と会いたいということが本当にあるのか、疑問に思いました。

アサギ:おぼえてないって言うわよね。

アカシア:何かわかるみたいよ。においとか。どのくらい長く一緒に過ごしたのか、というのとも関係があると思うけど。

ブラックペッパー:私、それ、疑問点その1でした。犬って、自分の兄弟がわかるものなのかしら? わからなかったっていう話を聞いたことがあったもので。疑問点その2は、なぜジョナさんは主人公に声をかけたのか? この主人公、外見はごく普通の子だし、そんなに魅力的な女の子とは思えないんだけど……。

アサギ:主人公が高2で、将来のことを悩んでいるのを見て、自分の高校時代を思い出し、気になったのでは?

アカシア:普通この年齢の男の子なら、百歩譲って気になっていたとしても、毎週会いになんか来ないでしょ。

小麦:ジョナさんは、チャコが自分に憧れているのを十分知ってて、自分のファンの女の子が悩んでいるのを知って、お兄さん風を吹かせて、毎週来ていたという解釈はないですか? この年齢の男の子って、多少ナルシストっぽい面があってもおかしくないと思うし……

ブラックペッパー:疑問点その3は、横浜線の鴨居からホステスとして銀座に通うのは、たいへんすぎるのでは? ということ。終電も早そうだし、タクシーに乗るにしても遠いでしょ。ま、それは小さなことなんですけどね。全体としては、たらーっとした空気は好きだったけど、深みがないといいましょうか、なんだか、あんまり……。それはそうと、この表紙、このしろーい感じは「きょうの猫村さん」(ほしよりこ マガジンハウス)に似てない?

ケロ:作者は、この時点で自分が受験の渦中にいたわけで、そこで、その気持ちを忘れないために書いた、とあとがきにあります。渦中にいたら、結論なんて言えないんだろうな。自分が置いていかれそうな不安と焦りを描いたとして、そこに何かを見つけた、みたいなことも書き加えたかったんだろうな。でも、本人に結論が出ていないから、ちょっとそのへんが介護という安易な選択を口走らせているのではないでしょうか? 後半になって、昔のこと、おじいちゃんのことを思い出していきますが、この感覚わかるな。けっこうよく忘れるんですよね、このくらいの世代は。で、大人になったあとから赤面したりして。でも、その思い出し方がちょっと。172ページの「おじいちゃんにゲートボールをすすめたのは、確か……確かーー」と173ページの「ギバちゃん、シャンプーのにおいするね。誰かに洗ってもらったの?」は、シャンプーは日常のことだし、わざとらしい感じがしました。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年6月の記録)